まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

第5回四国八十八所めぐり~太龍寺への遍路ころがし・・・下って上って

2016年11月17日 | 四国八十八ヶ所
四国八十八所めぐりも20番台に入る。もっとも第13番~第15番が抜けた状態で、今の予定だと年末まで持ち越しとなりそうなのだが。

時刻は12時、鶴林寺の本堂に上がる石段と反対側に階段がある。次の太龍寺までは6.7キロの歩きだが、その間に標高500メートルの鶴林寺から標高50メートルの那賀川の河原まで下り、そしてまた標高520メートルまで上る。先の焼山寺が「遍路ころがし」13.7キロの歩きだったことを思うと距離はその半分くらいであるが、アップダウンの差はこちらのほうが大きい。藤井寺から焼山寺までが5時間15分かかったのを目安とすると、2時間半くらいで行けるかなと思う。もっともこれは「この時間内に行かなければならない」というものではなく、太龍寺~ロープウェイ~バスの時間には余裕があるので無理はしない。

ここまで上ってきて、寺でも腰かけずに立ったままだった。もう少し休めばいいかなと思ったがそのまま下る。丸太で区切った階段が続く。ところどころでは丸太の組み方も変わっていて、結構歩調を合わせるのが難しい。普通、下り道といえば平地よりも勢いがついて速度も速くなると思うのだが、会談は逆に手こずる。動かすのは脚なのに手こずるとはこれいかにだが・・・。おまけに、下り坂で時たま起こるのだが、左膝の後ろがピリッと来る。これは前の焼山寺ではなかったことである。何とか太龍寺まで持ってほしい。

途中、車道を渡り、時にはコンクリートと手すりがついた普通の階段もある。ようやく前方に家並みが見えてきた。大井の集落である。鶴林寺から2キロほどだが、45分ほど要した。やはり平地よりは遅いペースである。道しるべに従って路地の間を抜けると県道に出て、屋根つきのベンチがあるちょっとした休憩所に出た。地元の人たちのご好意で建てられたもののようで、とりあえず坂を下りきったところということで休憩とする。鶴林寺では食事を取らなかったので、少し遅いがここのベンチで昼食とする。備え付けの木のベンチの他に、応接ソファーやら事務机用の椅子、どこかの店のカウンターにあるような椅子も並べられている。

また、太龍寺の方向とは逆に150メートル離れたところに大井小学校というのがある。現在は廃校となっているようだが、地元の人たちのためにグラウンドが開放されており、歩きの人向けにはトイレを提供している。この先太龍寺まではトイレがないようなので、ここで済ませることにする。校門を入ってすぐ左手に折り返したところの校舎の離れにトイレがある。建物は古いが清潔である。これは地元の人たちがゲートボールでグラウンドを使うことがあるのだが、そのボランティアとしてトイレの清掃を行っているとある。こうした人たちの支えで四国巡拝が無事快適にできることに対して、この場を借りて感謝。

大井小学校から再び休憩所の前を通ると、男性一人が新たに休憩中。挨拶だけして先に進む。しばらくすると怪しげな白の鳥居と神殿を意識した建物に出る。「神光本宮」とある。塀には祀っている神々の名が記されているが、日本の神社によくある神とはまた名前が違う。そもそも、ここは神社として機能しているのだろうか。境内は草が生い茂っているし、黄色のテープが張られているのは立入禁止を示しているのだろうか。

水井橋で那賀川を渡る。長さ125キロと、徳島県で最も長い川である。「徳島で一番長いのは吉野川では?」と思う方も多いだろう。私もそうだった。ただし、吉野川は長さ194キロと長いのは長いが、そのうち85キロは水源のある高知県を流れている。このため、徳島県内だけを見れば那賀川のほうが長い。今の時期、河原の石がやたら目立ち、水量はさほど多くないのだが、このあたりの豊かな自然を引き立てている流れである。那賀川を渡るといよいよ上りだが、まだ4キロ近くある。ここからが結構大変なことになるのだろうか。

坂の入口に着く。ここにも「阿波遍路道」の看板があり、一部は国の史跡になっているようだ。「この先道幅が狭いため車両通行不可」とある。ただこれは、「道幅が狭いため」通行不可と解釈して、途中までなら通ろうと思えば通れるのかなということで歩き始める。実際、道も粗いながら舗装されているし、勾配もそれほどでもない。下りなら痛む膝の後ろも、今は気にならない。ただ、「遍路ころがし」の3つ目である。このままますんなりとはいかないだろうなと思う。

少しずつ上がる中、川のすぐ横を歩くようになる。これならウォーキングに適した眺め、コースだと感じる。いつしか太龍寺まで残り2キロの立て札を過ぎるが同じような感じだ。ふと向こうに、幌のついた軽トラが停まっている。軽トラならここまで来ることができるわけか。もっとも下からここまでガードレールも何もないし、離合できるところもなかったが。

・・・・で、残り1.5キロとなったところで、「遍路みち↗」と記された石柱がある。ここから丸太で仕切られた階段が続く山道が分かれている。ここで来たか・・・。

残りはカウントダウンできる距離とわかっていても、ここからの上りはキツい。グッとペースが落ちる。階段を上がるのに足を上げるのがきつく感じて、階段の脇の道の端を上る。まだこちらの方が心持ち楽に感じるが、それでも、少し歩いては止まりを繰り返す。心臓がバクバク言うのも感じる。止まって休むうちに、先ほど休憩所にいた男性に追い越される(この区間はとてもカメラを構えようという気になれず・・・)。

ようやく山道が切れて、クルマが通れそうな車道に出る。残り400メートルとあるが、舗装された急坂が続く。これがまたキツい。何とか歩いて山門に到着するが、太龍寺は「西の高野」と称されるくらいで敷地は広い。山門をくぐってもしばらく参道の坂道が続く。結局は鶴林寺を出てから2時間半。寺の直前で急な坂に痛めつけられたのは焼山寺と同じだったが、まずは無事に上ることができてよかった。

さてこの後はお参りで・・・・。
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