まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

『近鉄バファローズ大全』

2013年04月08日 | プロ野球(バファローズ・NPB)

この週末のオリックス・バファローズの本拠地開幕3連戦は、首位西武を相手に2勝1敗という好成績。残念ながらナマ観戦はできなかったが、先発陣の安定と打線の好調でしばらくは楽しませてくれそうな期待を抱かせてくれる。

そんな中、ある人たちとの夜の会食があるということでやってきた鶴橋のガード下。そこで見つけたのが近鉄線らしいというか、「またこういうの、出たんや」という一冊。

Dscn9849『秘蔵写真でよみがえる! 近鉄バファローズ大全 ~手に汗握った「猛牛軍団」の熱き反骨魂!!』(洋泉社MOOK版)。

このところ、今はなき近鉄バファローズ、阪急ブレーブス、南海ホークスの栄光の歴史についてさまざまに触れられた本に出会う。昨今の復刻ユニフォームでの試合イベントというのに刺激されてか、あるいは昔のプロ野球の世界に触れてみたいという人たちのニーズなのか、こういうのを見かける。

本書は近鉄OBということで、梨田昌孝、北川博敏、藤瀬史朗、そしてパールス時代ということで関根潤三という各氏のインタビュー記事も交え、近鉄球団史を数々の写真とともに紹介している。他誌からの引用も多かったが、これらの写真を見るといろいろなことが思い出される。特に近鉄があと一歩のところで大逆転優勝を逃した、昭和最後の名勝負である「10・19」については巻頭特集として大きく取り上げられていた。

私も近鉄ファン歴ある者として、近鉄関連の思い出の名勝負を挙げろと言われれば、やはり一番はテレビにかじりついて見ていたこの「10・19」ということになる。普段なら「なんてオーバーな実況やねん」と思っていた安部憲幸アナウンサーの「This is プロ野球!!」というのも、こういう試合では蓋し名言と思ったものである。大阪朝日放送にも、まともな時代があったもんですな・・・・(それに引き替え何やねん、最近の阪神に対する気色悪い幇間のようなヨイショ放送は)。

この特集で「なるほど」と思ったのが、なぜ「10・19」で近鉄が勝てなかったのかという、本誌なりの分析である。球場のファン、テレビで観戦する多くの野球ファンは近鉄に優勝させたかったとしている。ただその中で、仰木監督、中西コーチ、そして選手たちの「焦り」から来るちょっとした言動が、ロッテの有藤監督をはじめとしたナインたちのプロとしての闘争心に火をつけ、そして度重なる抗議が審判の心証を悪くしたという。だから、先の「This is プロ野球!」と称された新井の三塁ゴロ、水上の送球もよく見ればセーフだったのが、審判がアウトにしてそれでチャンスが潰えた・・・としている。

でもまあ、それも含めてドラマチックな試合だったのだと思う。そんなことで優勝を逃したのも、今にして思えば近鉄らしいといえば近鉄らしい・・・。

本誌を彩る数々の写真は見ているだけでも面白い。近鉄ものとなると西本監督との特別な関係だか応援団出身だか何だか知らないがしゃしゃり出て、上から目線でごちゃごちゃ書いてくる佐野正幸氏が執筆陣にいないだけ、フラットな視線ですっきりと読める。プロ野球史についての一冊ということで、これは残しておきたいところである・・・。

コメント (7)

半田町歩き

2013年04月07日 | 旅行記D・東海北陸

名鉄の知多半田駅に降りる。こちらも蔵のある町並みを見ることができるという。

Dscn9794とその前に、その町並みとは反対側に向いて坂道を上ること10分で雁宿公園というところに着く。その昔、陸海軍の大演習がこの辺りで行われた時に大本営として明治天皇が滞在したことを記念して造られたという。

Dscn9785この公園を訪ねたのは、半田市の桜の名所であるということである。噴水を囲むように桜の木が植えられており、そろそろ見ごろを迎えるということで大勢の人たちが散策していた。中にはビニールシートを敷いて宴会を楽しむ家族連れのグループもいる。地元の人たちが気軽に訪れることができる花見スポットのようである。私もベンチに腰を下ろしてしばしの桜見物。

Dscn9804再び坂を下りて知多半田駅を過ぎ、今度は先ほど通ってきたJRの半田駅に行く。先の記事で武豊線が明治時代に開通したことを書いたが、ここにはその当時から使われているという跨線橋がある。この他にも現存する日本最古の駅舎という亀崎駅など、沿線の開発が遅れたからこそさまざまな鉄道遺産が残るということになっている。最近ではそれを目当てに武豊線を訪れる人も多いとか。

Dscn9809半田駅から歩いて5分のところに運河と蔵のある一角がある。ここが酢で知られるミツカンの本拠地である。その見学施設「ミツカン酢の里」があるので入ってみる。見学コースはガイド込みで1時間ということで本来は予約が必要らしいが、ちょうど見学開始の時間で空きがあるので入ることができる。

Dscn9813酢の製造過程の映像を見た後で、蔵の中に入る。江戸時代から続く酢造りの道具もさまざま展示されている。ミツカンの創業者である中野又左衛門はもともと酒造家だったそうで、酒粕を元に粕酢をつくり、これが人気を博したという。酒と酢というのは相性が悪く、酢の元となる酢酸菌が酒をだめにするということで酒造家は嫌っていたものだが、あえてタブーに挑戦し、それが江戸の握りずしブームにも火をつけることになった。

企業博物館というのはもちろんその企業のPRの場ではあるが、その企業にとどまらないものづくりの過程に触れることができるし、産業の歴史を学べるのが面白い。

Dscn9808蔵の前には運河が広がる。かつては酢を積んだ樽がここから船で各地に運ばれていった。現在町並み保全の工事中ではあったが、黒壁と運河の風景というのもなかなか絵になるものである。

Dscn9823この後は運河から町並みを歩く。今度は酢ではなく酒蔵に出会ったり、昔の佇まいを残す路地に出たりする。なかなか風情のあるところである。

Dscn9826その町並みを抜けたところに、今度は巨大なレンガ造りの建物に出会う。旧カブトビールの工場だったという建物である。

Dscn9829これもミツカンの4代目又左衛門が明治時代に手がけた事業。本格的なドイツビールの製法と味にこだわったということで一時はブームになったという。いわゆる地ビールというのではなく、全国区に打って出たということだが、半田でビール造りが行われていたとは知らなかった。現在は幻のビールとされているカブトビール、どんな味だったのだろうか。

このレンガ造りの建物を見たところで、知多半田の一つ名古屋寄りの住吉町駅が近い。青春18の旅ならJRの半田駅に戻って武豊線に乗るところだが、名鉄のこの辺りの路線というのも乗る機会がそうあるものではない。行きと帰りで変化をつける意味でも、ここから急行に乗車する。こちらは知多半島から濃尾平野へとまっすぐに伸びる線路を快走する。名古屋まではおよそ40分。

Dscn9836そろそろ夕方の時刻となった「世界の山ちゃん」で手羽先にホッピーで締め、アーバンライナーで帰阪した。

ここから帰った後、全国の鉄道遺産を紹介したムック本を見つける。武豊線も鉄道遺産が多く残る路線として紹介されていた。こういうのを見るとまた別のところに行きたいし、鉄道旅行の新たなジャンルかなと思う・・・。

コメント

終着駅・武豊

2013年04月05日 | 旅行記D・東海北陸

20何年かぶりに武豊線に乗ってみようと思い立ってでかけた日帰り旅行。列車のちょっとした遅れはあったものの名古屋に到着。

Dscn9753ここで、ホームの端にある立ち食いのスタンドできしめんを昼食にいただく。セントラルタワーも建ち、近代的な装いの名古屋駅にあって、ホームの一角は昔ながらの雰囲気を残している。ホーム上にこういう立ち食いの店があるというのも最近ではなかなかないだろう。夕方からはアルコールにおでんを出すということで、ホームの端にあって帰宅途中の人たちが一献傾けてしばしのリフレッシュを図るという風情が想像できて面白い。

ここから新快速で大府に移動する。途中、車窓右手にナゴヤ球場を見る。この球場も昭和から平成にあって数々の名勝負が繰り広げられたところ。現在では大幅に改装されたということだが、それでも中日2軍とはいえきちんと使っているところが面白い。中に入れずともせめて外からこの「野球遺産」を見るのもいいかなと思い、携帯でウエスタンリーグの日程を検索する。すると、この日はナゴヤ球場で中日2軍の試合があるという。おまけにその相手がオリックス・バファローズ・・・。

一瞬、「武豊線には行かず、大府で引き返してナゴヤ球場の試合を観るか」という考えが頭をよぎるが、いくら一人旅の気まぐれといっても目的地をそこまで変えるのはちょっと。

Dscn9754大府からは武豊線に乗り換えとなるが、ホームに降りると先ほどまで乗車していた東海道線や関西線と同じ外観の車両に出会う。一瞬「これはホームを間違えたか」と思い引き返そうとするが、行き先は武豊となっているし、耳をすませば気動車のエンジン音が聞こえてくる。これはキハ25という新車とかで、JR東海が非電化路線の活性化を一気に進めようとする中で投入されたデザインである。その外観、内装とも新快速車両とほとんと同じ。外観では区別のつきにくい没個性的な車両の多いJR東海らしい。

行き先が間違いないことを確認したうえで乗車する。通学の乗客も多く座席もいい感じで埋まる。

2年後には新たに電化での運転も予定されており、現地では線路脇に電柱も立てられている。それならば新しい気動車を入れなくても、と思うのだが、武豊線電化にともなってこの新車も含めた気動車は高山線、太多線、紀勢線などに回り、現在の国鉄型気動車と置き換えられるという。うーん、熊野灘に沿ってのんびり走る気動車にも今のうちに乗っておかなければ。

この辺りも名古屋への通勤圏として開けてきており、おそらく前に乗車した時にはなかったような住宅地が開けている。またイオンモールはじめ、郊外型の大型店舗もあり、それらへの利用客を含めて下車が多い。電化すれば名古屋、岐阜方面への直通運転も頻繁になるだろう。

Dscn9759大府から30分ほどで終着の武豊に到着。さすがにここまで来ると乗客も少なくなっていた。しばらくすると列車は折り返すが、時間はあるので少し町の様子を見てみようと思う。線路は行き止まりになっているが、その向こうにはかつて線路があったと思われる跡地が見える。これをたどってみよう。

Dscn9782この武豊線、路線図だけを見ると知多半島の盲腸線であるが、その歴史は古く、開業が明治19年という愛知県で初めての鉄道である。東海道線の建設資材を武豊港から輸送することを目的として敷設されたということである。昭和の初めには貨物用の線路として武豊~武豊港までの路線が敷かれたそうだが、それもいつしか廃止になったとのことである。ただ現在もその跡地らしきところが一部残っており、ポケットパークということでちょっとした憩いの場になっている。

Dscn976810分ほど歩き、前方に巨大な工場群が見えるところで武豊港駅の跡地に出る。小ぶりな転車台があるが、これは機関車用ではなく貨車用である。この近くに油槽所があったそうだが、そこへのカーブが曲がりきらないということで貨車1両1両がここで向きを90度変えて、改めて油槽所に向かったという。普通なら「カーブが曲がれないのなら、線路を敷きなおせばいいではないか」と思うのだが、そこを転車台で1両ずつ向きを変えるというのが、古い時代ならではというのか。

Dscn9763Dscn9780また武豊~武豊港間には味噌や醤油の製造元が残されている。その蔵というのが黒塗りの木材で覆われており、シックな雰囲気を醸し出している。このあたりだとやはり八丁味噌というか、赤味噌に分類されるのだろうか。ただあくまで真面目に味噌や醤油をつくっているという感じで、別にこの通りを観光向けにアピールしようというものではなさそうである。

Dscn9775正直、武豊にこういう一角があるとは知らなかった。ローカル線の終着駅ですぐに折り返すだけだと絶対に見つからない。その意味では、何の予備知識もなく駅前から町を歩くと思わぬ発見があるという、なかなかの一時であった。

駅に戻るが、日中の武豊線は30分に1本。次の列車まではまだまだ時間がある。ここで思いついたのが、武豊駅から歩いて5分のところに名鉄の知多武豊駅がある。知多半島の名鉄線は全然乗ったことがないのだが、列車の運転間隔も短いため、せっかくなのでそちらに向かう。武豊の町の中心部は名鉄駅の周りのほうのようである。

Dscn9783名鉄であるが、ここでPitapaを改札機にかざす。ピッと言ってゲートが開く。先日、大手鉄道会社のICカードの相互利用が可能になったことで一度やってみたかったこと。名鉄に乗るということでちょっと趣を変えて、目指すのは知多半田・・・・。

コメント

武豊線へ

2013年04月03日 | 旅行記D・東海北陸

Dscn9702今年の桜は全国的に早く開花したり満開になったりというところであるが、そのために花見の予定を繰り上げたりという団体も結構あるのではないかと思う。団体だと日程の調整も難しいところであるが、そこが簡単にできるのは個人客としての面白さであると言えるだろう。

1回分が残った青春18きっぷ。これをどう使おうか。桜が咲いたということで、姫新線に乗って桜の名所である津山に出て、そこから南下して岡山、最後は岡山のミシュラン居酒屋で一杯やってから大阪に戻る・・・というのは一つの手である。

ただ、他にも時刻表をめくってあれこれ見てみるうちに、目に止まったのが武豊線である。名古屋の南、大府から知多半島に入り武豊まで伸びる盲腸線。

実はこの線は、私がJRの乗りつぶしをするようになってから比較的早い時期に一度乗っている。とはいえもう25年ほど前のことで、車窓や駅の記憶もほとんど残っていない。まあ、乗りつぶしと言ってもそんなもんで、だからこそ鉄道の旅には終わりがないとも言える。

大府へは東海道線で米原経由で行くのが早いが、ここはあえて関西線乗り継ぎで名古屋を目指す。武豊線の途中の半田には古い町並みも残ると言うし、復路に途中下車してみようか。夕方に名古屋に戻り、近鉄特急で戻るというコースにした。

寒いような暖かいような早朝、関西線の柏原から青春18を使用する。関西でも桜の見頃を迎え、車窓のあちらこちらでも彩り鮮やかに咲いている。ただ、この日の天気は今一つ。青空に映えて、とはいかなかった。

Dscn9726Dscn9729奈良で加茂行きに乗り継ぎ、加茂からは亀山行きの気動車に乗り込む。普段見ないタイプの車両を見ると、これから遠くに出掛けるという気分になる。車窓も渓谷ムードに変わる。

Dscn9731次の笠置では朝早い時間だが行楽客の下車が目立つ。河原にはいくつものテントがあり、山や川のレジャーを楽しむのにはいいところだろう。私はいつも通過している駅だが、いつか途中下車して散策してみたい。ホームの横に桜があるのだが、こちらはまだ咲き始めといったところである。

Dscn9740伊賀上野から柘植、加太越えを経て亀山に到着する。この駅に来ると頭に浮かぶのが「シャープ」。一時は「世界の亀山モデル」で好況に沸いた町であるが、現在の同社の状況はさまざま報道されている通りで、亀山の町も影響を受けている。例えば鉄道で亀山を訪れた人がいたとして、駅の様子を見て「シャープがああだから駅もこうなのかな」と思ったりして。 ただ、亀山の地理的な役割は今でも大きい。それが街道~鉄道~高速道路に変わっただけなのかもしれない。その利点はまた活きるところではある。

Dscn9752・・・ということを閑散とした駅前ロータリーを歩きながら思い、名古屋行きの快速に乗車。駅ごとに乗客が増え、車内も賑やかになる。先程の渓谷や田園風景とは一変して四日市の貨物列車やコンビナート、濃尾三川の長い鉄橋の景色を楽しむ。

名古屋の手前ではJR、近鉄の車両区の横を通る。両者のバラエティーに富んだ車両を眺めるうちに信号停車。まあ終着駅の手前ならあることとして気にもしなかったが、しばらくして停車がやけに長いなと気づく。 そのうち車内もざわつき、運転士も電話で何やら話している。車掌が案内で「列車が駅に入れません」などと放送する。近鉄特急が行き交うのを横に見るのはいいが、雨も降りだしたし、さすがに「なぜ駅に入れないのかの説明がいるのでは?」といらつく。

結局20分ほど足止めとなり、前方から列車がやって来たのをやり過ごしてようやく発車。ホームに降り立つと、落雷の影響で特急南紀と快速みえの運休の案内放送がある。先の停車はその影響だったのだろうが、結局最後まで説明はなかった。 急ぐわけではないが、この先の武豊線の列車は思っていたのより後になった。まあ別にいいかな・・・。

コメント

長嶋茂雄、松井秀喜両氏に国民栄誉賞

2013年04月01日 | プロ野球(バファローズ・NPB)
巨人、大鵬、玉子焼きという言葉があって、王貞治が第1号で受賞し、先日亡くなった大鵬が受賞したとあっては、順番として玉子焼きに国民栄誉賞ということになるかな。でもまあ、玉子焼きに授与することはできないし(「国民栄養賞」というのがあれば、日本人に親しまれた料理として受賞は間違いないだろうが)、同じ巨人のスターとして活躍したことを考えれば、長嶋茂雄への授与はまあ妥当なのかなと思う。

一方、松井秀喜はどうだろうか。高校時代の5打席敬遠、巨人での本塁打王、ヤンキースでワールドシリーズでも活躍・・・ということで授与の対象とはなったが、個人的にはちょっと違和感がある。

松井秀喜は素晴らしい選手だし、メジャーでの活躍はあるが、国民栄誉賞となると「そこまではなあ」と思うのである。辞退はしたが実績やインパクトではイチローや福本豊のほうが燦然としてるように思うし、メジャーの活躍なら野茂英雄もありなんじゃないかと勝手に思ったり。

まあこれは、パ・リーグファンとしての一方的な思い入れに過ぎない。このところ、かつての南海ホークスの歴史をビジュアル版で紹介したベースボールマガジン社の本を読み、鶴岡監督や野村克也、杉浦忠、門田博光らの凄まじさに触れていたこともある。改めて彼らはスゴいわと。

だから、活躍が認められて受賞に至ったことについては、野球ファンとして称賛します。

松井秀喜といえば早くも次の巨人監督が噂されている。日米の経験実績をどのように采配に生かすか。個人的には監督には名選手より地味だけど実務に長けた人のほうが好きなのだが、名選手が監督の第一条件の巨人ならいいと思う。桑田真澄をヘッドや投手コーチに招聘しても面白そうだし、松井対イチローの監督対決(イチローはどこの監督?)なんてのも、ドリームマッチとしてはいいかもしれない。

開幕直後のNPBプロ野球にあって、明るいニュースとして盛り上げてほしい・・・。


コメント (4)