まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

半田町歩き

2013年04月07日 | 旅行記D・東海北陸

名鉄の知多半田駅に降りる。こちらも蔵のある町並みを見ることができるという。

Dscn9794とその前に、その町並みとは反対側に向いて坂道を上ること10分で雁宿公園というところに着く。その昔、陸海軍の大演習がこの辺りで行われた時に大本営として明治天皇が滞在したことを記念して造られたという。

Dscn9785この公園を訪ねたのは、半田市の桜の名所であるということである。噴水を囲むように桜の木が植えられており、そろそろ見ごろを迎えるということで大勢の人たちが散策していた。中にはビニールシートを敷いて宴会を楽しむ家族連れのグループもいる。地元の人たちが気軽に訪れることができる花見スポットのようである。私もベンチに腰を下ろしてしばしの桜見物。

Dscn9804再び坂を下りて知多半田駅を過ぎ、今度は先ほど通ってきたJRの半田駅に行く。先の記事で武豊線が明治時代に開通したことを書いたが、ここにはその当時から使われているという跨線橋がある。この他にも現存する日本最古の駅舎という亀崎駅など、沿線の開発が遅れたからこそさまざまな鉄道遺産が残るということになっている。最近ではそれを目当てに武豊線を訪れる人も多いとか。

Dscn9809半田駅から歩いて5分のところに運河と蔵のある一角がある。ここが酢で知られるミツカンの本拠地である。その見学施設「ミツカン酢の里」があるので入ってみる。見学コースはガイド込みで1時間ということで本来は予約が必要らしいが、ちょうど見学開始の時間で空きがあるので入ることができる。

Dscn9813酢の製造過程の映像を見た後で、蔵の中に入る。江戸時代から続く酢造りの道具もさまざま展示されている。ミツカンの創業者である中野又左衛門はもともと酒造家だったそうで、酒粕を元に粕酢をつくり、これが人気を博したという。酒と酢というのは相性が悪く、酢の元となる酢酸菌が酒をだめにするということで酒造家は嫌っていたものだが、あえてタブーに挑戦し、それが江戸の握りずしブームにも火をつけることになった。

企業博物館というのはもちろんその企業のPRの場ではあるが、その企業にとどまらないものづくりの過程に触れることができるし、産業の歴史を学べるのが面白い。

Dscn9808蔵の前には運河が広がる。かつては酢を積んだ樽がここから船で各地に運ばれていった。現在町並み保全の工事中ではあったが、黒壁と運河の風景というのもなかなか絵になるものである。

Dscn9823この後は運河から町並みを歩く。今度は酢ではなく酒蔵に出会ったり、昔の佇まいを残す路地に出たりする。なかなか風情のあるところである。

Dscn9826その町並みを抜けたところに、今度は巨大なレンガ造りの建物に出会う。旧カブトビールの工場だったという建物である。

Dscn9829これもミツカンの4代目又左衛門が明治時代に手がけた事業。本格的なドイツビールの製法と味にこだわったということで一時はブームになったという。いわゆる地ビールというのではなく、全国区に打って出たということだが、半田でビール造りが行われていたとは知らなかった。現在は幻のビールとされているカブトビール、どんな味だったのだろうか。

このレンガ造りの建物を見たところで、知多半田の一つ名古屋寄りの住吉町駅が近い。青春18の旅ならJRの半田駅に戻って武豊線に乗るところだが、名鉄のこの辺りの路線というのも乗る機会がそうあるものではない。行きと帰りで変化をつける意味でも、ここから急行に乗車する。こちらは知多半島から濃尾平野へとまっすぐに伸びる線路を快走する。名古屋まではおよそ40分。

Dscn9836そろそろ夕方の時刻となった「世界の山ちゃん」で手羽先にホッピーで締め、アーバンライナーで帰阪した。

ここから帰った後、全国の鉄道遺産を紹介したムック本を見つける。武豊線も鉄道遺産が多く残る路線として紹介されていた。こういうのを見るとまた別のところに行きたいし、鉄道旅行の新たなジャンルかなと思う・・・。

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