6月4日。当初の見通しではこの日は仕事を片づけるために出社しなければならないかなと思っていた。本来であれば広島・マツダスタジアムに広島対オリックス戦を観戦に出かけたかったのをあきらめての話。ところが珍しく仕事のほうが週末までで何とか「一定のメド」が立ち、通常通りの週末ということになった。
そうなれば広島に行けばよさそうなものだが、今月は何かと出かける機会も多いし、前売りのチケットを購入していないということもあり、まあ野球はまたのことにする。今年もこのカードはナマ観戦していることだし。
ということだが、ちょうど梅雨の中休みということで一日どこかに出かけよう。大和人さんのブログ記事で、このGWから始まった旧姫路モノレールの車両の常設展示を見に行くというのがあり、なかなか面白そうだなということで私も訪れてみることにした。
これまで山陽本線で何度となく関西と中国を行き来する中で、姫路駅を出てすぐに見える高架橋のようなものの存在は以前から知っていたのだが、あれがモノレールの跡だということを知ったのは結構後の話。1966年、高度成長期に繁栄の象徴としての姫路博覧会の輸送手段、そして自動車の普及にともなう渋滞を緩和し、新しい時代の都市交通体系を構築しようという大きな構想を持って、とりあえずは姫路駅から手柄山までの1.6kmを開業させたのはいいが、路線が短いということもあり採算が取れず、結局1974年に休止、1979年に廃止となったものである。
道路の拡張などで一部は撤去されているものの、30年以上前に廃止になった路線の橋脚がいまだに結構残っているというのも珍しい。やはり、市が建設したものであってこれを撤去するのに税金がかかるということではそう簡単にことは運ばないのだろうか。おまけに、手柄山でモノレールの車両をこの時期に公開するというのも、何だか修復工事で見られない姫路城の代わりに客の呼べそうなものを狙っているかのようだ(・・・といっても一般の観光客がそれ目当てに訪れるようなものでもないと思うが)。手柄山公園への山陽電車の手柄駅が最寄であるが、今回は廃線跡も見てみたいので姫路駅からスタートする。2キロない区間だから歩いても知れている。
阪神梅田から「シーサイド1dayきっぷ」で特急に乗車。阪神と山陽電車の全線が1日乗り放題で2000円。姫路まで単純に往復してもおつりがくるという便利もの。山陽電車のクロスシート車に身を収めること1時間40分で姫路に到着する。
ちょうど昼時ということで、駅前のビルにある姫路名物「えきそば」を注文。駅のホームで食べるのとはちょっと雰囲気が違うが、姫路に来るとこの独特の味わいのそばはクセになる。最近駅の立ち食い系でも「和風ラーメン」を見ることがあるが、「えきそば」はそういうのともまた違うように思う。
駅の北側の道路から始める。山陽電車の向こうに見えるこの文字。こちらも前から気になっているのだが、いったい何と読むのだろうか。左から4つ目の文字はおそらく「画」という文字だろうから、映画館か何かかな。左から2つ目の文字がわからない。
道路から斜めに入るようにして古びた建物が並ぶ。そしてその上にあるのがモノレールのレール跡だ。つまりはモノレールの高架下にこれらの建物があるということで、現在でも飲み屋やら商店として営業しているようだ。これもガード下の赤ちょうちんか。どんな店なのかまた夜の部で来ても面白いかな。やはりこれもレールを撤去するとなるとまた面倒だからこうして放置しているのだろう。
放置しているといえば、レールがカーブを描いたところで高いビルに吸い込まれる。これがかつての途中駅である「大将軍」駅。駅とビルが一体化した、当時としては画期的な建物であったことだろう。低層階には商店が入り、高層階はホテルだったそうだが、現在は閉鎖されているのか人の気配もない。
あるサイトによれば現在でも高層階を公団住宅として使用しているようなことを書いていたが、本当にそうかな。確かに見晴らしはいいかもしれないが、公団住宅だと言われてもちょっと住みたくないような。
姫路の駅近辺も道路が拡張されていたり、ショッピングモールもできていたりしてさまざまな開発が行われている。その中にあって、この将軍様の命運もどうなることやら。
ここからカーブを描く。橋脚にはツタがからまり、何だか芸術作品のようにも見える。30年が経過し、これも近代化遺産と見るべきか、それとも姫路市政の負の象徴と見るか。ここまで来れば取り壊さずに残しておいてもいいかなと思う。政治と交通のあり方を考えさせるモニュメントとして・・・・。
新幹線とJRと交差し、しばらく船場川に走るモノレール。そして、手柄山公園を前にして線路はプツリと途切れる。この先に目をやるとちょうど立体駐車場になっている。ここを抜けるとかつてのモノレール駅。現在は手柄山公園の交流センターという建物。
そしてやってきました。いよいよ車両とご対面。
プラットホームが再現されており、ちょうど2両の車両が発車を待っているという寸法。車両も開放されており、シートに腰かけることができる。当時の運転風景の映像も流されており、姫路城の天守閣をバックにコォーッという走行音を残して走るモノレールの雄姿を見る。こういう時代が確かにあったことを伝えてくれる。
当時の時刻表。20分間隔運転ということは、1編成の車両が姫路駅と手柄山を行ったり来たりしていたのだろうか。確かに、手柄山に来るだけではモノレールとしての価値は薄く、当初の目論見のように姫路市内の交通をカバーできるほどの路線網があればまた違ったものになったかもしれないが、それも「たられば」論だ。そういえば国鉄の播但線にも姫路から飾磨港に行く線が昔あったよな、とふと思い出す。
世界遺産の姫路城とは全く色合いの異なる遺産・姫路モノレール。ここを訪れてさまざまな物思いにふけるのも悪くないだろう・・・。
さてこれは余談だが、期間展示で「山陽電車100年のあゆみ」展をやっていた。山陽電車の歴史をパネルで紹介するものだが、その中に「山陽クラウンズ」なるものが紹介されていた。何でも1950年頃に存在した「プロ野球チーム」というのだ。戦後の一時期、現在のウエスタン・リーグのようなNPBのリーグではなく、ファームチーム同士の独自のリーグというのがあり、その中に山陽電車の野球部も明石を拠点に参加していたというのだ。明石球場でプロ野球といえば先般解散した関西独立リーグ所属の「明石レッドソルジャーズ」なるものが記憶に新しいが、こういうのもあったのね。うーん、山陽電車がプロ野球か・・・というのも初めて知った次第。これもトリビアの世界かな。