まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

第24回四国八十八所めぐり~大窪寺への遍路道

2019年02月18日 | 四国八十八ヶ所
2月10日、いよいよ88番の大窪寺を目指す。行きは長尾寺から大窪寺まで歩き、帰りはさぬき市のコミュニティバスに乗る予定である。時刻表を調べたところでは、帰りの大窪寺発は13時30分、15時51分発とある。高松を早朝に出れば13時30分発に乗れるだろうが、そこは急がず15時51分発に乗ることを目指す。

急がずということなら宿泊のホテル川六でしっかり準備しようと、朝風呂にも入り、バイキング形式の朝食もしっかりいただく。セルフ式のミニさぬきうどん(冷凍もの)があるのも香川らしいし、瀬戸内おでんなるものもある。

ホテルをチェックアウトして、瓦町ではなく高松駅まで歩く。大阪への帰りは高松駅から高速バスに乗る予定ということで、いったん高松駅のコインロッカーにバッグを預ける。この日の香川県の降水確率は0%~10%、空も明るい。

高松築港から長尾線の電車に乗る。40分ほど揺られて長尾に到着。これから大窪寺に向かうが、その前にせっかくなので前日お参りした長尾寺に向かう。

朝8時半の長尾寺は境内の掃除や、地元のお年寄りが挨拶代わりに手を合わせるなど朝の風情である。もう一度本堂、大師堂にてお勤めとして、これからの道のりの無事を誓う。

長尾寺から大窪寺まで16.5キロという表示がある。また境内には案内板があり、大窪寺まではいくつかのルートがあると示している。途中の前山ダムまでは同じだがそこから分岐するということで、大きく二つの系統がある。一つは県道3号線や旧遍路道を通るルート。もう一つは女体山を越えるルート。歩いて大窪寺に向かった人のブログなどいろいろ見る限りでは女体山越えルートを取った人のほうが多いようだが、私は旧遍路道ルートを取ってみようかと思う。歴史的に見てかつての遍路が通った道で、女体山越えは比較的最近に開かれたルートだというのと、本音のところでは岩場もある山を無理に越えなくても・・・というのがある。いやいや難所を越えてこそ感動が大きいのだという声が大きいのはわかるが。

時刻はちょうど9時、笈摺を羽織って金剛杖を手に出発する。門前にかつての銀行らしい建物があり「結願亭」とある。かつての百十四銀行の建物を活かしてうどんや木製品など販売しているようだ。

他に歩き遍路らしい人の姿は見えない。早くに出立する人は門前の旅館に泊まるだろうし、「上がり3ヶ寺」の志度寺を朝イチで訪ねたならばちょうど長尾寺に着く頃かと思うがそれらしい人も見えない。まあ、2月の一番寒い時季だからな・・・と歩き始める。

門前の集落を抜けて県道3号線に向かう。交差点にあるのは「秋田清水九兵衛地蔵坐像」。明和9年(1772)年の建立とある。さぬき市に入るとこうした由緒あるものの解説板が目立つ。

県道を南下すると、入谷製麺の前を通る。さぬきうどんの名店めぐりの記事で目にしたことのある名前だが、ここだったのか。ただ結構前に休業しているそうで「食堂は閉店しています」との貼り紙がある(麺じたいは作っているのかな?)。

「弁慶の馬の墓」というのがある。源義経率いる軍勢が屋島攻めの際にこの辺りを通ったのだろう。わざわざ馬のために墓を建てるとは愛馬として親しんでいたのだろうか。なおこの奥には宗林寺という寺があり、「俳諧の寺」との石碑もある。俳諧にはそれほど興味がないので立ち寄らなかったが、境内には種田山頭火のものを中心に30基以上の句碑があるそうだ。

鴨部川のたもとに「弘法大師御休息所」の札がかかった庵がある。「川原の庵」というそうで、石の弘法大師坐像や阿弥陀三尊を祀っているとある。また、元々は別の場所にあったのが大正元年に洪水に遭って現在地に移転したとある。さらに昭和49年になって付近の道路工事をするにあたり、洪水で行方不明になっていた手水鉢が出てきたともある。

鴨部川を渡ると、県道とは別に旧遍路道が続いていてこちらを歩く。

昔ながらの静かな集落が続く。その中に釈迦堂や光明真言二百万遍の記念碑がある。案内板では「ここを通過するお遍路さんは、それぞれに懇ろに合掌して通るのである」というので、私も合掌して過ぎる。

一心庵というのがある。1764年、印誉意心法師の草創とある。江戸時代に一般民衆の遍路が盛んになった頃からの歴史が今でも残されていることがわかる。

地蔵菩薩や不動明王、弘法大師などの石像が集まる一角に出る。台座の上にある地蔵菩薩が「高地蔵」という。毎年3月に法要が行われるようで、案内板によれば「近在のいやしの空間」とある。

この先にも道祖神やら祠、江戸時代の道標が点在し、歩く中でも退屈することがない。

また、こうした石像の合間にもこの方のポスターが現れる。本当、お地蔵さんとどちらが多いことやら。

再び県道に合流し、上り坂となる。向かうのは前山ダム。前方から来るクルマがスピードを緩め、運転席の窓が開いて「がんばってください!」と声がかかる。こういう形で声をかけていただくというのもこれまでめったになかったことで、手を挙げて答える。

前山ダムは先ほど触れた鴨部川の治水と、当時の長尾町、志度町の水道用水確保のために1975年に完成した。現在はダム湖の周りにキャンプ場や道の駅もある。

そのダムの入口に遍路道の看板が出る。大窪寺まで車道直進なら10.6キロ、左折してダムを渡ると女体山越えのコースで7.8キロとある。距離だけなら女体山越えのほうが短いが、車道直進なら所要約2時間50分とあるところ、1時間余分にかかるという。「登坂峻険約500m 絶景感動のコース也」と付け加えられている。ちなみに遍路道のいたるところに目印で貼られている矢印のシールは「左」を指している。いわゆるガチの歩き遍路の正統ルートは女体山越えなのかなと思う。この「登坂峻険」とか「感動絶景」という言葉に魅かれるのかな。

ダム湖を左手に見て歩く。この先、道の駅に並んであるのが「遍路交流サロン」。どのコースをたどるにしても、歩いて大窪寺を目指すならぜひとも立ち寄るべきスポットだという。長尾寺から1時間20分、まずはこの交流サロンに休憩を兼ねて立ち寄ることにする・・・。
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