龍泉寺と山上ヶ岳歴史博物館を回り、洞川温泉の旅館街に入る。ここは大峯山へ向かう行者たちの出発地でもあることから、行者通りと呼ばれている。
両側に昔ながらの風情の旅館が並ぶ。通りに面して縁側がオープンになっているのが洞川の特徴である。さすがに昼間の時間は宿泊には早いが、夜になると実に風情ある光景だろう。特に夏は涼しそうだ。また、行者の人たちが夜に泊まり早朝に発つのはどんな感じなのだろう。いつか機会があれば洞川に泊まってみたいものだ。
また、行者むけの修行用品や、陀羅尼助丸を置く店も多い。旅館か陀羅尼助丸かという感じである。陀羅尼助丸は役行者が作ったとされる生薬、大峯山や吉野山はその本場である。今すぐに胃腸薬が必要ではないので買わなかったが、今思うと、気付け用に一つくらい買ってもよかったかなと。せっかく本場に行ったのだし・・。
今回は、旅館街から少し奥に入ったところの「ごろごろ水」を目指して歩く。中心部から1キロほどの距離に採水場がある。その途中に、結構大きな山門がある。大峯蛇之倉七尾山とあり、大きな山門は陽明門という。大峯山とは関係あるのかもしれないが、昭和20年代に開かれたとあるし、新興宗教なのかなと思う。ここは素通りでもいいかな。
そして採水場に着く。道の向かいには鍾乳洞の入口があるが、駐車場はそれぞれ別管理。駐車料金は取るが、それぞれ駐車スペースの後ろに蛇口があり、そこで思う存分?水を汲むことができる。ペットボトルやポリタンクにこれでもかと汲む光景は、名水のスポットの定番。ただ、駐車スペースに一つ蛇口が割り当てられているのを見るのは初めてである。一方、クルマではない人のために、駐車場の奥に柵で仕切った水汲み場がある。ここで、飲みさしのペットボトルの中を空けて、500ミリリットル2本ぶんをいただく。大峯山のめぐみをありがたく頂戴して、10月なのに真夏並みの暑さの中の体を癒す。
温泉の旅館街に戻る。昼食がまだなのだが、山の中の小さな町、食事処はそれほど多くない。これを見越してリュックの中には食べ物が入っているが、せっかくなので町中で何かいただきたい。ただ、数が少ないので余計に客が集まり、どこもかなりの順番待ちである。
そんな中、先ほどみたらい渓谷の遊歩道から洞川温泉に入ったところの「魂龍(たまりゅう)」という店に空きがあったので入る。ご家族で切り盛りしている店のようで、注文聞きや料理の配膳には小学校高学年くらいの男の子もお手伝いしていた。ここまで歩いたのでまずはビールをいただくとして、メインの料理には鮎(アマゴ)の塩焼きではなく、洞川の名水で作った冷奴の定食を注文。さらに、定食が来るまでのアテとして、鹿肉の刺身をいただく。冷凍保存されたものだが、こうしたジビエ料理を口にすることができたのは意外でよかった。もちろん、その後の名水豆腐もなかなかのもの。ビールが進む・・・。
食後は、すぐ横の洞川温泉センターで入浴。近鉄の割引きっぷのクーポンを出すと、600円の入浴料が400円になる。朝から回ったものの仕上げの入浴は気持ちがいい。
洞川には他にも見どころはあるが、この日はこれで終了とする。時刻表を見ると14時58分発(5~11月の土日祝日運転)というのがあるが、20分ほど前に温泉のバス停に向かうとすでに多くの人がバスに群がっている。朝の下市口駅からの便に乗っていた人もいるし、その後で来た感じの人も多い。多くの人がリュック姿で、みたらい渓谷を歩いてきたのかなと思う。時間が近づくと運転手が来て、この便は2台で運行するという。天川川合まで各停留所で客扱いをする通常便1台に加えて、もう1台は下市口駅までの直行便として運転するという。私は直行便のほうに乗ったが、こちらは補助席まで使う満席で先行して発車した。その後は行きと同じ山道を走り、下市口駅に到着した。
さて帰りだが、駅の案内では「次の大阪阿部野橋行特急は満席です」とある。桜の季節でもあるまいし、吉野線の特急が満席とは珍しいなと思って見ていると、その特急とは「青の交響曲」だった。なるほど、これなら満席になることもあるだろう。ならばその後の急行に乗ることにして、ともかくホームに上がる。そこにやって来たのは「青の交響曲」。こうした車両が見られたのもタイミングがよかった。もっとも下市口から乗る人はほとんどおらず、ここまでバスで来た人は次の急行に乗り込んだ。後は日が西に傾きつつある中、ローカル急行の揺れに身を任せるだけである。
さて今回訪ねた龍泉寺。近畿三十六不動の中でも山岳信仰、役行者というところとのつながりが深く、これまでの札所めぐりではそこまで意識しなかった歴史を感じることができた。三十六不動めぐりはまだまだこれからだが、そうした歴史を頭に入れながら札所でいろいろなものを見ると、より違った感銘を受けるのではないかと期待している。これからどういうことになるだろうか・・・・。
両側に昔ながらの風情の旅館が並ぶ。通りに面して縁側がオープンになっているのが洞川の特徴である。さすがに昼間の時間は宿泊には早いが、夜になると実に風情ある光景だろう。特に夏は涼しそうだ。また、行者の人たちが夜に泊まり早朝に発つのはどんな感じなのだろう。いつか機会があれば洞川に泊まってみたいものだ。
また、行者むけの修行用品や、陀羅尼助丸を置く店も多い。旅館か陀羅尼助丸かという感じである。陀羅尼助丸は役行者が作ったとされる生薬、大峯山や吉野山はその本場である。今すぐに胃腸薬が必要ではないので買わなかったが、今思うと、気付け用に一つくらい買ってもよかったかなと。せっかく本場に行ったのだし・・。
今回は、旅館街から少し奥に入ったところの「ごろごろ水」を目指して歩く。中心部から1キロほどの距離に採水場がある。その途中に、結構大きな山門がある。大峯蛇之倉七尾山とあり、大きな山門は陽明門という。大峯山とは関係あるのかもしれないが、昭和20年代に開かれたとあるし、新興宗教なのかなと思う。ここは素通りでもいいかな。
そして採水場に着く。道の向かいには鍾乳洞の入口があるが、駐車場はそれぞれ別管理。駐車料金は取るが、それぞれ駐車スペースの後ろに蛇口があり、そこで思う存分?水を汲むことができる。ペットボトルやポリタンクにこれでもかと汲む光景は、名水のスポットの定番。ただ、駐車スペースに一つ蛇口が割り当てられているのを見るのは初めてである。一方、クルマではない人のために、駐車場の奥に柵で仕切った水汲み場がある。ここで、飲みさしのペットボトルの中を空けて、500ミリリットル2本ぶんをいただく。大峯山のめぐみをありがたく頂戴して、10月なのに真夏並みの暑さの中の体を癒す。
温泉の旅館街に戻る。昼食がまだなのだが、山の中の小さな町、食事処はそれほど多くない。これを見越してリュックの中には食べ物が入っているが、せっかくなので町中で何かいただきたい。ただ、数が少ないので余計に客が集まり、どこもかなりの順番待ちである。
そんな中、先ほどみたらい渓谷の遊歩道から洞川温泉に入ったところの「魂龍(たまりゅう)」という店に空きがあったので入る。ご家族で切り盛りしている店のようで、注文聞きや料理の配膳には小学校高学年くらいの男の子もお手伝いしていた。ここまで歩いたのでまずはビールをいただくとして、メインの料理には鮎(アマゴ)の塩焼きではなく、洞川の名水で作った冷奴の定食を注文。さらに、定食が来るまでのアテとして、鹿肉の刺身をいただく。冷凍保存されたものだが、こうしたジビエ料理を口にすることができたのは意外でよかった。もちろん、その後の名水豆腐もなかなかのもの。ビールが進む・・・。
食後は、すぐ横の洞川温泉センターで入浴。近鉄の割引きっぷのクーポンを出すと、600円の入浴料が400円になる。朝から回ったものの仕上げの入浴は気持ちがいい。
洞川には他にも見どころはあるが、この日はこれで終了とする。時刻表を見ると14時58分発(5~11月の土日祝日運転)というのがあるが、20分ほど前に温泉のバス停に向かうとすでに多くの人がバスに群がっている。朝の下市口駅からの便に乗っていた人もいるし、その後で来た感じの人も多い。多くの人がリュック姿で、みたらい渓谷を歩いてきたのかなと思う。時間が近づくと運転手が来て、この便は2台で運行するという。天川川合まで各停留所で客扱いをする通常便1台に加えて、もう1台は下市口駅までの直行便として運転するという。私は直行便のほうに乗ったが、こちらは補助席まで使う満席で先行して発車した。その後は行きと同じ山道を走り、下市口駅に到着した。
さて帰りだが、駅の案内では「次の大阪阿部野橋行特急は満席です」とある。桜の季節でもあるまいし、吉野線の特急が満席とは珍しいなと思って見ていると、その特急とは「青の交響曲」だった。なるほど、これなら満席になることもあるだろう。ならばその後の急行に乗ることにして、ともかくホームに上がる。そこにやって来たのは「青の交響曲」。こうした車両が見られたのもタイミングがよかった。もっとも下市口から乗る人はほとんどおらず、ここまでバスで来た人は次の急行に乗り込んだ。後は日が西に傾きつつある中、ローカル急行の揺れに身を任せるだけである。
さて今回訪ねた龍泉寺。近畿三十六不動の中でも山岳信仰、役行者というところとのつながりが深く、これまでの札所めぐりではそこまで意識しなかった歴史を感じることができた。三十六不動めぐりはまだまだこれからだが、そうした歴史を頭に入れながら札所でいろいろなものを見ると、より違った感銘を受けるのではないかと期待している。これからどういうことになるだろうか・・・・。
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