まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

第1回九州八十八ヶ所百八霊場めぐり~第3番「如意輪寺」(小郡の「かえる寺」)

2022年05月18日 | 九州八十八ヶ所百八霊場

西鉄電車に乗って、小郡市の三沢(みつさわ)に到着する。次に目指すのは九州八十八ヶ所百八霊場第3番の如意輪寺で、地図で見ればちょうど1駅前の三国が丘との中間にあるのだが、サイトでは三沢が最寄り駅と掲載されていた。

10分あまり歩くと県道に出て穏やかな上り坂となり、その途中に異国情緒あふれる建物群が見える。のぞいてみるとイギリスの国旗が掲げられ、何軒かのカフェや雑貨店などが並ぶ。「アーリントンアンティークビレッジ」という最近できたスポットで、イギリスのコッツウォルズにある村をイメージしたそうだ。瓦や石畳などはイギリスから運んできたという本格志向である。それにしても、小郡でイギリスに出会うとは。こういうところのカフェにでも入ればブログ記事の幅も広がるのだろうが、ええおっさんが一人で訪ねてもねえ・・・。

その先に如意輪寺があるが、目に入るのは「かえる寺」の文字。境内にはさまざまなお堂が並ぶが、それより目立つのはいたるところ、ここかしこにいるカエルの像である。地元では「かえる寺」として有名だという。

さまざまな表情をしたカエル。七福神の前にもカエル。

本堂の前にはカエルのオブジェがあり、ボタンを押すと口からシャボン玉が出る仕掛け。こんな空間の寺に出会うのは初めてである。

如意輪寺は「かえる寺」として、またSNS映えするスポットとして、地元の人たちのみならず、コロナ前はインバウンドの人たちにも知られたスポットだという。訪ねた時はさすがに外国人の姿はほとんどなかったが、家族連れ、特に子どもの姿が目立っていた。恥ずかしながら、訪ねてみてそういう有名な寺だと初めて知った。境内には3000点とも5000点とも8000点ともいわれるカエルの石像や置物があるという。資料により数がばらばらなのは、年々増えているということだろう。

その如意輪寺の歴史は古く、行基により開かれたとされる。その後は衰えたが、江戸時代に久留米藩の有馬氏により再興された。本尊の如意輪観音は平安時代の作とされ、座っていることの多い如意輪観音像には珍しく立った姿だという。

本堂の中に入ってお勤め。内陣もきらびやかである。

本堂の奥も回れるそうなので進むと、「カエルの間」というのに出た。カエルと仏像のコラボレーション。これ、擬人化されたカエルの像だから見ていて面白いが、もしここが、これだけの数の「本物の」カエルに囲まれた空間だとしたら・・・想像するのもおぞましい。

外には、「空飛ぶカエル」なんてのもある。キャラクターだからいいが、「本物の」カエルがもし空を飛んでいたら・・・(以下略)。

如意輪寺が「かえる寺」となった由来は、平成の初め頃、当時の住職が中国を訪ねた時、ヒスイでできたカエルを持ち帰ったのがきっかけで、その後カエルをたくさん置き始めたという。境内のカエルには「無事かえる」、「初心にかえる」、「社会を明るくかえる」、「さかえる」など、洒落の効いた中で前向きな言葉が添えられる。また、何かと物騒な世の中で、若い人も心を落ち着かせる場を提供したいとの思いもあったそうだ。

お守り等の授与所があり、ここも多くのかえるグッズで賑わっている。その中で九州八十八ヶ所百八霊場の納経帳に朱印を押していただく。別途「かえる寺」と墨書した朱印があり、そちらを所望する参詣者が多いが、九州八十八ヶ所百八霊場としてはあくまで如意輪寺の如意輪観音。ここはきちんと一線を引いているようだ。

先ほど県道から入ったのは境内の裏手に当たるようで、山門は石段を下りたところにあるというので改めて行ってみる。当然、この周囲もカエルの石像がこれでもかと出迎えてくれる。山門の仁王像もカエルである。こちらから入ればインパクトがより強かったことだろう。

飯塚に「かえる寺」グループといえる「こがえる寺」があるので訪ねてほしいと案内があった。調べてみると、「こがえる寺」とは正法寺の愛称で、九州八十八ヶ所百八霊場の第93番札所でもある。これはまた訪ねることになるな・・。

思わぬ形でのご縁となった「かえる寺」こと如意輪寺に満足して、次に移動する。今からなら次の第4番不動院に行く時間は十分ありそうだ。

帰りは三沢とは反対側の三国が丘まで歩くことにする。三国が丘、大阪にも同じ地名がある。大阪の場合は摂津、河内、和泉の3つの国が接する場所にある丘であるが、こちらの三国が丘は筑前、筑後、肥前の3つの国だという。

この一帯は昭和から平成にかけて、西鉄と東急がニュータウンとして開発を行った。駅前にその記念碑があり、開発前と開発後の地形が刻まれている。一角に池と森が残っているが、さすがにかつての歴史を伝える緑地として残したものだろう。見ようによっては、大阪の三国ヶ丘近くに古墳があるのと似た景色に見えなくもないが・・。

さてここまで西鉄で移動してきたが、次の不動院はJR鹿児島線の田代が最寄り駅であるため、鹿児島線側に移る必要がある。三国が丘から西鉄で朝倉街道まで出て、徒歩数分でJRの天拝山に行くか。あるいは反対に南の西鉄小郡まで行って、甘木鉄道を挟んでJRの基山まで行くか。

ただ、三国が丘から直線距離で近いJRの駅は原田である。ただ歩いて行くには遠すぎる。原田駅に行ける路線バスがないかと検索すると、三国が丘から2駅福岡寄りの筑紫から出ているのを見つける。日中は1時間に1本で、今からのタイミングだと筑紫でしばらく待つものの、これで原田まで行くのも変化球のようで面白そうだ・・(時間検索すると、天拝山からでも原田からでも乗る列車は同じだったが)。

やって来た急行の次の停車駅は筑紫。車両基地があるため、筑紫が始発・終点となる列車も設定されている。バス乗り場は西口にあり、筑紫野市のコミュニティバスと西鉄バスが乗り入れる。原田駅まで乗るのは西鉄バスだ。

13時08分発の便に乗り、住宅地の中を抜け、10分あまりで原田駅に到着。鹿児島線と筑豊線(原田線)が合流する駅にこのような形で着くとは思わなかった。

原田駅といえば善隣教の広告だが、もちろん九州八十八ヶ所百八霊場とは関係ない。この後は13時23分発の羽犬塚行きで田代に向かう・・・。

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