仁和寺の東門から道を隔てた向かいにあるのが蓮華寺である。歴史によれば平安中期、後冷泉天皇の勅願で藤原康基により開かれたとあるが、その後応仁の乱で兵火に遭った。江戸初期に豪商出身の常信により再興され、木喰僧の坦称上人に依頼して五智不動尊像を修復し、五智如来(大日如来、釈迦如来、阿弥陀如来、薬師如来、宝生如来)の石仏を彫らせた。
寺が現在の地に移ったのは昭和3年のことで、石仏たちも後に修復されて境内に安置されている。なお、同じ京都でも池泉式の庭園があり紅葉のスポットでもある左京区の蓮華寺とは別の寺で、ものの本では「五智山蓮華寺」としているものもある。
仁和寺に比べれば申し訳ないが境内は小ぢんまりとしている。ただ、この日参詣した大覚寺や仁和寺は寺というより離宮みたいな雰囲気だったので、逆にホッとする気にもなる。寺らしいというのかな。五智如来像が庭にある奥には阿弥陀如来を祀る本堂と不動堂がある。不動堂は中に上がれそうな造りだが、外陣が何だか散らかっているように見える。外には神輿も置かれているし、この寺も先ほどから目にする秋祭りと関係あるのだろうか。
先ほどの御室太鼓もまだ鳴っているのが気になり、朱印をいただいて再び仁和寺に戻る。するとそこで驚きの光景が広がっている。
先ほど仁王門の下にいた福王子神社の神輿が仁和寺の境内にいて、さらにちょうどこれから勅使門をくぐって御殿の中に入ろうとするところだった。寺の中に神輿がいるだけでも異例なのに、さらに拝観客はくぐれない勅使門から御殿に入るとは。
知らなかったのは私だけのようで、福王子神社の神輿は仁和寺と深い関係にあるそうだ。かつての神仏習合からの歴史だが、福王子神社は仁和寺の鎮守社の一つで、神輿も仁和寺から賜ったものだという。秋の大祭の時には氏子地区を練り歩いた後で仁和寺に入り、宸殿の前で奉幣を受けるという。
神輿は御殿の中でワッショイワッショイとやっている。担ぎ手が神輿を差し上げたり、ぐるりと1回転したり。しまった、先ほどまで私も勅使門の向こうにいたのだ。そういえば庭園ではなく白砂に面した縁側に座っていた人が何人かいたが、この神輿が来るのを知っていて間近で見物しようというものだったのだろう。だからといってもう一度拝観料を払って御殿の中で見ようとまでは思わないが。
福王子神社というのがあるのか、知らなかった・・・とは言えない。何か引っかかるなと思い調べたところ、実はこの福王子神社、「関西私鉄しりとりサイコロの旅」で訪ねており、おまけに神社の前でサイコロを振っていたのである(正しくは、サイコロアプリを操作)。その経緯を書いた記事がこちらにある。その時は近いからと仁和寺まで歩いただけだったのだが、実はそうしたつながりだったとは。まあ、いろいろな駅や札所めぐりをしていても、こんなもんである。
ちなみに御室太鼓の子どもたちだが、練習は先ほど訪ねた蓮華寺で行っているそうだ。ごちゃごちゃしているように見えたのは福王子神社の大祭のための練習期間を受けてのことだったのかな。
仁和寺には金堂の特別拝観目当てで来たのだが、思わぬ形で神仏習合の祭りに会うことにもなった。たまには、こうしたこともある。
・・・ここまで抜けていたが、近畿三十六不動めぐりの次の行き先をくじ引きとサイコロで決めなければならない。蓮華寺から仁和寺に戻ってしまったが、もうここの仁王門で決めてしまう。
1.河内長野(明王寺)
2.湖西(葛川明王院)
3.東山(聖護院、青蓮院、智積院)
4.左京(曼殊院)
5.生駒(宝山寺)
6.宝塚(中山寺)
この中で出たのは中山寺。中山寺か・・・、いや別に中山寺は何も悪くない。受け取る側の気持ちで、今ここで中山寺が出なくてもいいのでは?という程度のものである。
神輿はまだ御殿の中にあるが、もういいかな。仁王門の前にやって来た京都駅行きのバスに乗り込む。
途中、北野白梅町を過ぎるのだがここでも神輿の引き回しが行われていて、バスもしばらく立ち止まった。訪ねた10月21日(第3日曜日)はこの一帯が秋祭りに包まれる日だったのだろう。
1日で近畿三十六不動めぐりは3つ進んだが、改めて京都についてはまだまだ知らないことが多いと感じた道のりだったなあ・・・。
寺が現在の地に移ったのは昭和3年のことで、石仏たちも後に修復されて境内に安置されている。なお、同じ京都でも池泉式の庭園があり紅葉のスポットでもある左京区の蓮華寺とは別の寺で、ものの本では「五智山蓮華寺」としているものもある。
仁和寺に比べれば申し訳ないが境内は小ぢんまりとしている。ただ、この日参詣した大覚寺や仁和寺は寺というより離宮みたいな雰囲気だったので、逆にホッとする気にもなる。寺らしいというのかな。五智如来像が庭にある奥には阿弥陀如来を祀る本堂と不動堂がある。不動堂は中に上がれそうな造りだが、外陣が何だか散らかっているように見える。外には神輿も置かれているし、この寺も先ほどから目にする秋祭りと関係あるのだろうか。
先ほどの御室太鼓もまだ鳴っているのが気になり、朱印をいただいて再び仁和寺に戻る。するとそこで驚きの光景が広がっている。
先ほど仁王門の下にいた福王子神社の神輿が仁和寺の境内にいて、さらにちょうどこれから勅使門をくぐって御殿の中に入ろうとするところだった。寺の中に神輿がいるだけでも異例なのに、さらに拝観客はくぐれない勅使門から御殿に入るとは。
知らなかったのは私だけのようで、福王子神社の神輿は仁和寺と深い関係にあるそうだ。かつての神仏習合からの歴史だが、福王子神社は仁和寺の鎮守社の一つで、神輿も仁和寺から賜ったものだという。秋の大祭の時には氏子地区を練り歩いた後で仁和寺に入り、宸殿の前で奉幣を受けるという。
神輿は御殿の中でワッショイワッショイとやっている。担ぎ手が神輿を差し上げたり、ぐるりと1回転したり。しまった、先ほどまで私も勅使門の向こうにいたのだ。そういえば庭園ではなく白砂に面した縁側に座っていた人が何人かいたが、この神輿が来るのを知っていて間近で見物しようというものだったのだろう。だからといってもう一度拝観料を払って御殿の中で見ようとまでは思わないが。
福王子神社というのがあるのか、知らなかった・・・とは言えない。何か引っかかるなと思い調べたところ、実はこの福王子神社、「関西私鉄しりとりサイコロの旅」で訪ねており、おまけに神社の前でサイコロを振っていたのである(正しくは、サイコロアプリを操作)。その経緯を書いた記事がこちらにある。その時は近いからと仁和寺まで歩いただけだったのだが、実はそうしたつながりだったとは。まあ、いろいろな駅や札所めぐりをしていても、こんなもんである。
ちなみに御室太鼓の子どもたちだが、練習は先ほど訪ねた蓮華寺で行っているそうだ。ごちゃごちゃしているように見えたのは福王子神社の大祭のための練習期間を受けてのことだったのかな。
仁和寺には金堂の特別拝観目当てで来たのだが、思わぬ形で神仏習合の祭りに会うことにもなった。たまには、こうしたこともある。
・・・ここまで抜けていたが、近畿三十六不動めぐりの次の行き先をくじ引きとサイコロで決めなければならない。蓮華寺から仁和寺に戻ってしまったが、もうここの仁王門で決めてしまう。
1.河内長野(明王寺)
2.湖西(葛川明王院)
3.東山(聖護院、青蓮院、智積院)
4.左京(曼殊院)
5.生駒(宝山寺)
6.宝塚(中山寺)
この中で出たのは中山寺。中山寺か・・・、いや別に中山寺は何も悪くない。受け取る側の気持ちで、今ここで中山寺が出なくてもいいのでは?という程度のものである。
神輿はまだ御殿の中にあるが、もういいかな。仁王門の前にやって来た京都駅行きのバスに乗り込む。
途中、北野白梅町を過ぎるのだがここでも神輿の引き回しが行われていて、バスもしばらく立ち止まった。訪ねた10月21日(第3日曜日)はこの一帯が秋祭りに包まれる日だったのだろう。
1日で近畿三十六不動めぐりは3つ進んだが、改めて京都についてはまだまだ知らないことが多いと感じた道のりだったなあ・・・。
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