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まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

京都36番「八坂神社」~神仏霊場巡拝の道めぐり・136(端午の節句)

2025年05月15日 | 神仏霊場巡拝の道

5月5日、こどもの日の神仏霊場巡拝の道めぐり。朝から清水寺、六波羅蜜寺と西国三十三所の札所でもある寺院を訪ね、次の目的地は八坂神社である。八坂神社じたいはこれまで何度か参拝しているが、こうした札所として訪ねるのは初めてである。六波羅蜜寺から東大路通に戻り、そのまま通りを歩く。

両側にはさまざまな商店が並ぶ通りだが、その中で目立つのは着物レンタル。何軒もあるがそれぞれで商売が成り立っているのも京都ならではで、これもインバウンド客の利用が多いという。訪れた国の民族衣装、伝統衣装を身にまとうというのも旅の思い出になることだろう。

四条通の東端にある楼門に到着。ここを左折すれば祇園、鴨川、四条河原町といった賑わい所である。祇園の町並みを訪ねてもいいだろうが、さぞかしごった返していることだろう。以前にも訪ねているし、今回はそのまま八坂神社の境内に入る。

八坂神社の創建については、社伝として二つあるとされる。一つは飛鳥時代、高句麗から来日した伊利之という使者が、新羅の牛頭山に坐した素戔嗚尊を祀ったというもの。そしてもう一つは南都の円如という僧がここにお堂を建て、同じ年に天神(祇園神)が東山の地に降り立ったというもの。

そして平安前期の貞観の頃、各地に疫病が流行した際に行われた御霊会が、現在の祇園祭の始まりとされる。その後、祇園社、祇園感神院として神仏習合の長い歴史があり、京の町衆により支えられた。明治の神仏分離により八坂神社と改称されたが、全国に2300社以上ある八坂神社や、素戔嗚尊を祭神とする神社の総本社とされている。

さて拝殿に向かうと、中から雅楽の音が響く。そしてその中に神官たちが入っていく。ちょうど10時から端午祭が行われているとのこと。5月5日、端午の節句である。厄を払い、子どもたちの成長を願う神社らしい行事である。中の様子はうかがえないが・・。

八坂神社といえば、拝殿の南にある舞殿に掲げられる提灯。祇園の料亭や舞妓の置屋から奉納されたもので、夜になると灯りがともされる。そういえば、京都のこの辺りの夜の雰囲気というのを体感したことがないなあ。この辺りの料亭に入るとか、舞妓や芸者を揚げて・・というのには縁がないにしても、夜の街を歩くだけでもまた違った風情を感じられるだろう。

さて、朱印である。偶然なのか納経所には行列もなく、まず手前の窓口で朱印の種類を申告してお金を納めて札をいただき、それを持って書き手がいる窓口に向かう。神仏霊場の朱印帳を差し出すと、「もうだいぶ回ってはりますなあ」と声をかけられる。あみだくじを使いながらランダムにめぐってきたが、確かに残り20ヶ所をきると、そろそろ満願も見えてくるところだ・・。

境内の一角に「忠盛灯篭」というのがある。忠盛とは平清盛の父である。「平家物語」によると、ある夜、白河法皇が愛妾の祇園女御を訪ねようと八坂神社の境内に差し掛かった時、一行の前方に怪しげな光を見た。手に光るものと槌を持っており、鬼であろうと恐れおののいた法皇は供回りで随行していた忠盛に鬼を討つように命じる。しかし忠盛はすぐに打ち掛からず、まず様子を見ようと近づき、その「鬼」を生け捕った。その正体は、八坂神社で雑用を務めていた僧で、油の入った瓶を持ち、灯篭に火を灯していたところだった。

無益な殺生をしなかった忠盛の思慮深さに人々は感嘆し、白河法皇も忠盛に祇園女御を与えた。・・・もっともこの時、祇園女御はすでに懐妊しており、産まれた子が後の平清盛である・・といわれている。とすれば、この灯篭は平家が隆盛を誇る一つのきっかけともいえるのでは。

また八坂神社は水のスポットでもある。現在の本殿の下には龍穴と呼ばれる大きな池、底なし沼があり、都の東を護る青龍が宿っているという。この本殿の東には祇園の御神水が湧き出ており、「飲用はできません」とあるが、ちょっと口に含んでパワーをいただく。

さらに、美容水というのもある。肌に数滴つけると身も心もきれいになると伝えられている。50過ぎのおっさんの肌にも効果があるかしら・・。

このまま円山公園方面に抜ける。次に目指すのは今回の目的地である京都35番・青蓮院。その途中に過ぎるのが、浄土宗の総本山である知恩院。その三門に圧倒される。広大な境内を持つせっかくのスポットなのでこのまま知恩院を参詣したほうがよかったのだろうが、まあいいかなとそのまま素通りする。神仏霊場とか西国三十三所とか(合わせて九州八十八ヶ所とか)巡拝しているといっても、対象の札所といえばほとんど真言宗、天台宗を中心とした平安時代までの宗派に由来するところで、同じ仏教といっても浄土宗、浄土真宗、日蓮宗、曹洞宗などの「鎌倉仏教」の宗派とは無縁である。

実家が真言宗ということもあるし、札所めぐりの影響もあり、私の中では「鎌倉仏教」に対して無意識のうちに一線を引いている。現在の新興宗教となるとなおさら・・・。

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