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まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

『最長片道切符の旅』をめぐる机上旅行~第26日(福山~阿波池田)

2020年05月30日 | 机上旅行

まだまだ続く『最長片道切符の旅』をめぐる机上旅行。記事のタイトルに「阿波池田」という文字があるのでこの先四国に渡ることになるのだが、宮脇俊三が旅をした1978年と比べてみても、2020年はガラッと状況が変わっているところである。この日の行程はそれも含めての移動となる。

さて2020年の机上旅行の第26日は福山から出発。別に倉敷からでもよかったのだが、前日が江津から福山に移動するだけでも1日がかりの行程で、福山まで来たところで力尽きたといってもいい。そこはこの旅初めての瀬戸内の幸で回復したということで。

倉敷から伯備線に入る。す特急「やくも」に乗ってもいいが、この先の乗り継ぎを見れば鈍行でも同じである。ここは高梁川沿いにのんびり進むことにする。一方の『最長片道』ではとりあえず倉敷から備中高梁行きの快速に乗っているが、気動車が使われている。伯備線は1972年に新幹線が岡山まで開通したのを機会に、山陰方面の連絡線のエースとして活用されることになり、特急「やくも」も誕生したが、1978年当時は非電化路線だった。現在も走る振子車両が「やくも」に投入されて全線電化となるのは1982年のことという。

もっとも、2020年の時刻表を見ると、電化された伯備線の新見~伯耆大山~米子間で、普通列車に気動車の運行を表す「D」の番号が振られている列車があるのがわかる。キハ120という中国山地の各線を走るワンマン運転仕様の車両だが、客が少ない時間帯なのか、津山~新見の姫新線の運用の間に米子まで出稼ぎをするのか、何だか時代をさかのぼっているかのようである。

『最長片道』では、乗った列車が備中高梁までということもあり、次の新見行きまでの1時間18分の待ち時間を利用して、タクシーで備中松山城を訪ねている。タクシーで中腹まで行った後に急な石段を上ったとあるから、本丸まで行ったのだろう。「汽車の中に坐ってばかりいて体がナマった」「満員の通勤電車も大変だが、この石段を通勤するのも相当なことだ」と、ガチで山城を訪ねたことの感想が綴られている。備中松山城に行ったのは、列車に乗り詰めで内心おそらく退屈しているだろう同行の栗原氏への気分転換の意味合いもあったのだろう。

机上旅行では伯備線は高梁川の渓谷の景色はそのまま走り抜け、新見に到着。1時間の待ち時間はとりあえず駅前をぶらつくくらいか。『最長片道』では夕方の日が暮れた時間に降り立ち、淋しい商店街に流れる『ジングルベル』を耳にしている。この淋しさ、現在でも同じようなものだと思う。そうした情景も目に浮かぶ。

『最長片道』と机上旅行では、それぞれ夜と午前中ということで車窓の雰囲気も随分異なるところだが、新見~津山の区間というのも中国山地の中ののんびりした区間である。宮脇氏にすれば『最長片道』本文で「新見から岡山までがもっとも出来がわるい」としているが、それは前後の接続を考えるとどうしようもない。時刻表頼りの長い行程を組んでいると、必ずどこかでそういう区間も出てくるものだ。

津山に到着。『最長片道』では列車の待ち時間が40分あまりあるので駅前で夕食もとったが、机上旅行ではわずか1分の接続で岡山行きの快速「ことぶき」に乗り換える。津山駅の構造として姫新線の新見方面行きと津山線は同じホームから発着するはずだから、「すぐの乗り換えです」で実際は問題ないだろう。津山の扇形機関庫を見る時間がないとか、それはまたリアル旅で補うことにして、ともかく岡山まで南下する。この先しばらく慌ただしい乗り継ぎが続く。

『最長片道』では津山を発車したのが20時48分、岡山までの最終列車である。6両編成だが1両に1人か2人しか乗っていないとある。現在はおそらく2両での運転だろうが、それでもこの時間なら1両に数人しか乗らないのではないか。夜、外にはネオンが灯るわけでもなく暗い中を淡々と走るのも悪くない。同行の「星の王子さま」こと新潮社の栗原氏が「一日じゅう汽車に乗っているのは・・・山登りに似てます。山登りは歩いているときがおもしろいのです・・・それだけです」という名言とも迷言ともつかない感想を漏らし、後に宮脇俊三関連の作品やネットの掲示板でもネタで取り上げられることになったのもこの区間である。

特に津山線は2020年でも(窓は開かないが)国鉄型の気動車が走る路線。この机上旅行では昼過ぎの移動だが、夜の移動もローカル線の楽しみに加えてもよいところで、いずれリアルでもやってみたいことだ。

岡山に到着。まず『最長片道』のまとめをする。22時17分に到着して、さすがに駅の中にほとんど乗客もおらず、改札口の端の囲いにぽつんと立っていた改札係に切符を見せる。「これ何ですか。これでも切符ですか」という反応。ここまでの間に無数の途中下車印が押され、券面の記載事項もほとんど見えなくなっていたと推測される切符である。

その岡山で1泊して、当初の予定では栗原氏とはここでお別れだったが、宮脇氏が早朝にホテルのフロントに下りると、栗原氏が笑顔で立っていた。栗原氏は結局岡山から高松までの切符を買い、宮脇氏とともに宇野行きの列車に乗る。当時、四国に渡るルートというのは宇野から高松への宇高連絡船である。宇野に到着し、そのまま高松への連絡船に乗る。2人は船旅ということではしゃいでいたが、時間は朝の7時台。当時は宇高連絡船を使っての通勤通学客というのもそれなりにいたようだ。宮脇氏が女子高生の一人に話しかけ、連絡船で高松の高校に通っているとの返事に「いいなあ」と言って、女子高生の頬がプッとふくれるという一幕もある。何や、ええオッサンが朝から女子高生にナンパですかいな・・・と見えなくもない。そんな中、時季的にちょうど日の出にいい時間だったようで、水平線からの太陽の景色も楽しんだようである。

・・・一方の机上旅行。津山で1分乗り継ぎの津山線快速で岡山まで来たが、今回は後の行程を考えてわずか6分で宇野線(瀬戸大橋線)の列車に乗り継ぐ。岡山駅はこれまで何度も利用しているので、経験上、津山線の列車に遅れがなければ乗り換えは(隣のホームの先だし)問題ないとして先に進む。現在四国へは瀬戸大橋を渡るルートだが、茶屋町で乗り換えて「宇野みなと線」の愛称がある宇野線の末端区間に向かう。

ご存知の方も多いと思うが、現在のJR線で「最長片道切符の旅」を行うと、四国はまるまる外れてしまう。1978年当時は、この先の松山の近くにある予讃線の堀江と、対岸の呉線の仁方を結ぶ「仁堀航路」というのがあり、宇高連絡船と合わせて四国の出入り口になっていた。今は両航路ともないが、それに近い手段で中国地方と四国地方を行き来することにする。

・・・その「宇高航路」じたいが運航休止となったのは今でも驚きである。2019年12月のこと。私も休止の前々日に乗りに行き、デッキでうどんを食べた。国鉄の連絡船の他に宇高国道フェリーなどの会社も運航していたが、最後残っていたのは四国フェリーだった。やはり利用客の減少、高速道路や瀬戸大橋通行料の値下げの影響である。

では、宇野まで来て高松までどうやって行くか。高松への直行便はないわけで、途中の島に渡って乗り換えである。その中で時間、距離とも最短なのは四国汽船の直島便である。かつての宇高航路に近いルートを取り、島の西側の宮浦乗り場には宇野、高松双方からの便が発着する。直島は最近はアートの島として人気なので、フェリーを利用する観光客も目立つ。

普通の旅行なら直島で時間を取ってアート現物も面白そうだが、今回はかつての宇高連絡船の代替ルートである。宇野から13時50分発の高速艇に乗り、15分で宮浦に着く。そしてその15分後の14時20分発のフェリーで高松に向かう。高松着がその1時間後なので、宇野から合計1時間30分。たまたまダイヤの接続がよかったのだが、一応海路でもそれなりの時間で行けることがわかる。フェリーにうどんがあるかどうかは知らないが、このルートでの四国行きというのもリアルでありだと思う。

高松からは高徳線である。『最長片道』では連絡船で高松に着いたところでそのまま折り返す栗原氏と別れ、すぐに急行に乗車する。一方机上旅行は高松で少し時間が取れるので、うどんの1杯くらいいただいてから特急に乗る。行程を見返すと新見を出てから慌ただしい乗り換えが続いていた。津山で1分、岡山で6分、せっかく寄った直島で15分とか。

一息入れたところで特急「うずしお」で徳島に移動する。屋島、五剣山といった四国八十八所めぐりでも訪ねた景色を懐かしく見る。

四国八十八所めぐりだが、次にもし四国を訪ねる機会があれば、四国八十八所の2巡目ではなく別の札所めぐりをしようと考えている。それは「新四国曼荼羅霊場」というもの。1989年(平成元年)にできた新たな札所めぐりだが、特徴的なのは「神仏習合」。88ヶ所のうち81ヶ所は寺院だが、7ヶ所は神社である。鳴門市の東光院(種蒔大師)から始まり、最初は鳴門近辺を回った後、反時計周りに香川、愛媛、高知、徳島と回る。四国八十八所には含まれない高知や徳島の山中も訪ねる。もし行くとなれば例によって公共交通機関利用で(この札所めぐりはあまり「歩き遍路」というのは想定していないようだ)、その意味での「難所」も結構ありそうだが、四国のより濃い部分に入って行くようなイメージがある。もっとも、行くとすればかなり先のことになると思うが。

徳島県に入り、板野や板東といった四国八十八所めぐりの発心の道場に縁のある駅を過ぎて、吉野川を渡って徳島市街に入る。徳島線の分岐である佐古は通過して徳島に到着。机上旅行では徳島着が17時過ぎで、時間的にも徳島の大衆酒場で一杯やるところだが、この先の行程を考えてもう少し先に進んでおく。特急「剣山」で徳島線に入る。

吉野川に沿って遡るように走る。四国の中心に近づくにつれて平野部が少しずつ狭くなり、山がちな区間となる。佃の手前で土讃線に合流する。その土讃線だが、讃岐山地を越えて箸蔵から一気に下り、吉野川の手前で急カーブのUターンを描いて川を渡り、徳島線と合流する。『最長片道』の時は、ちょうどこの後に乗る急行が急勾配を下って来るのが見えたとあり、宮脇氏も「写真ででもいいから人に見せたい。カメラを持ってくればよかった」と記している。普段カメラを持ち歩かない宮脇氏がそうした感想を持つくらいの景色で、私も四国の車窓では好きなポイントなのでうなずける。

阿波池田に到着。『最長片道』では3分後に到着したその急行「あしずる5号」に乗り継ぐ。机上旅行では19時すぎ。この後しばらく待って特急に乗れば高知まで行って、時間は遅いが高知で一杯ということも可能だが、せめて大歩危は明るい車窓で見たいし、この日の移動もハードだったので阿波池田宿泊とする。ホテルも何軒かあるが、目に留まるのは駅前にあるその名も「ホテルイレブン」。このイレブンが意味するのは、もう昔の話になるがやはり池田高校の「さわやかイレブン」だろう。阿波池田のある三好市のゆるキャラに、蔦監督をモチーフにした「つたはーん」というのがいるくらいだから。

かつてはその池田高校も全国的な人気を博した甲子園だが、2020年のリアル社会では全国大会が春夏とも中止ということになった。当然賛否両論あるわけだが、今は全国から大勢の人が参加するイベントというのがまだ難しいということであれば致し方ないだろう。「オンライン」というわけにはいかないし。

高校はともかく、阿波池田の夜というのはどのような感じなのだろうか。さすがに静かに過ごすことになるのかな・・・?

 

 

※『最長片道』のルート(第26日続き、第27日)

(第26日続き)福山13:47-(山陽本線)-14:27倉敷14:38-(伯備線)-15:18備中高梁16:36-(伯備線)-17:25新見18:04-(姫新線)-20:03津山20:48-(津山線)-22:17岡山

(第27日)岡山6:07-(宇野線)-6:56宇野7:15-(宇高連絡船)-8:15高松8:25-(「むろと1号」 佐古通過)-9:45徳島10:12-(「よしの川3号」)-11:33阿波池田・・・(以下続き)

 

※もし行くならのルート(第26日)

福山6:33-(山陽本線)-7:14倉敷7:25-(伯備線)-8:52新見9:53-(姫新線)-11:30津山11:31-(津山線快速)-12:39岡山12:45-(宇野線)-13:06茶屋町13:11-(宇野みなと線)-13:34宇野13:50-(四国汽船)-14:05宮浦14:20-(四国汽船)-15:20高松16:12-(「うずしお21号」 佐古通過)-17:15徳島17:57-(「剣山9号」 佐古通過)-19:17阿波池田


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