まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

第28番「道隆寺」~広島新四国八十八ヶ所めぐり(安芸国の府中へ)

2022年03月17日 | 広島新四国八十八ヶ所

広島新四国めぐりは府中町に入る。その名前からかつての安芸の国の中心だったところだ。国庁や総社も置かれていた。その一方で安芸の国分寺は現在の東広島市に建てられていて、そこは何か理由があったのかな。

府中町はマツダの本社が置かれ、また広島市のベッドタウンとして戦後人口が増え、現在は人口が5万人超と、全国の町村では最も多い。なお人口は広島県内の他の市と比べても三次市と同じくらいで、竹原、庄原、大竹、備後の府中などよりも多い。一方で面積は県内でも最も小さい。そのため、人口密度が中国・四国地方では最も高い自治体である。周囲を広島市に囲まれていて、「広島のバチカン」と呼ぶ向きもある。以前には広島市と合併するか、単独で市制に移行するか、現状維持かの住民投票が行われたことがあり、その時は広島市との合併を望む声が最も多かったが、過半数に達しなかったために現状維持となったとのこと。

住宅が立ち並び、道が入り組んでいる。広島新四国めぐりには案内板や道標があるわけではないので、スマホの地図を頼りに歩く。まずやって来たのが、第28番の道隆寺である。

道隆寺という名前を目にして思い浮かんだのが、多度津にある四国八十八ヶ所第77番の道隆寺。来る前は、多度津の道隆寺にあやかってその名がついたのかと思っていたが、案内板によると府中の道隆寺とは、平安時代の関白・藤原道隆から来ているという。

周囲を住宅に囲まれているが、その中に自然に溶け込んだ感じの道隆寺。山門や塀で囲まれているわけでなく、周りの道から気軽に入ることができる。本堂の前には小ぢんまりではあるが庭が広がるようだ。

道隆寺は弘法大師が開いたとされ、当初は現在地から東の堂所山にあって薬王寺という名前だった(もっとも、弘法大師よりも前、すでに寺があったと推測されている)。後に、安芸の国主でもあった関白・藤原道隆により現在地に七堂伽藍が建てられ、多くの末寺も建てられた。案内板にはかつての道隆寺の絵図も出ている。江戸時代には浅野氏の祈願所でもあったが、現在は住宅地に溶け込む形になったのは時代の流れだろう。

納経は本堂の中ということで、扉を開けて入る。本尊の薬師如来はガラス扉のさらに奥だが、まずはその前に座ってのお勤めとする。外陣には遍路関連の書物や写真なども多く並び、そこは本四国の同じ名前の道隆寺とのご縁もあるのだろう。ちなみに、多度津の道隆寺の名前は、奈良時代そこの領主だった和気道隆からつけられたという。

境内を後にして、急な坂を下る。この先は江本寺、鵜上寺と府中町内を続けて回ることに・・・。

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