まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

WEST EXPRESS銀河~トワイライトの山口県から下関で一献

2022年03月09日 | 旅行記F・中国

大阪から下関へ走る「WEST EXPRESS銀河」は15時55分、広島を発車。前日の夜行バスで広島から大阪に移動し、そして広島まで乗ってきて、そのまま通過して下関まで行く形である。ここまで、時間にして3分の2が経過したところだ。

私を含め5人いたファーストシートの客が広島で1人下車したようで、残り4人である。広島を出ると、スイーツということでレモンケーキの配布がある。下り下関行きのイベントはここまでで、後はひたすら走るのみである。それというのも、広島から西は途中駅を楽しむというより、旅行プランの目的地でもあるからだ。宿泊プランの設定は広島、宮島口、岩国、徳山、新山口(湯田温泉)、そして下関である。ちなみに、広島宿泊の場合は宇品のグランドプリンスホテルや、広島駅直結のホテルグランヴィア、後は広島駅近辺のヴィアインである。

自宅のすぐ近所、広電宮島線との並走区間も走る。逆に言えばこの時間に来れば「銀河」が走行する姿を見ることができるだが、そこまで意識してなかったなあ。3月13日にて2021~2022年の山陽ルートの運行は終了するが、その次はいつ走るだろうか。

またしばらくボーッとするうちに宮島口を過ぎ、小瀬川を渡っていよいよ最後の県である山口県に入る。16時45分、岩国到着。下関まではまだ3時間ある。山口県内の区間も結構長いものである。

そろそろ日暮れも近づくところだが、西に向かうということで夕日を追いかける形になる。幸い、大畠にかけての海岸区間、周防大島の姿を見ることができた。この辺りは先頭のラウンジにて過ごす。この辺りも、「銀河」の撮影ポイントだろう。

柳井にて運転停車。上り大阪行きでは柳井で地元の人たちのおもてなしがあるそうだ。そろそろ西日が差すころで、この先も幻想的な景色が広がる。この辺りから、昼行列車から夜行列車の雰囲気となる。

徳山に到着。日本旅行のプランに徳山宿泊が含まれているが、宿泊者のオプションとして工場夜景の見物もあるそうだ。夜景はこれまで新幹線の車窓で見たくらいだが、海岸べりに出て、また季節によってはクルーズ船に乗って楽しむことができる。比較的近いところにいるのだから、またいつかこうした景色も見てみたいものである。

徳山から先、富海~防府間で周防灘を見る。これが最後の海べりの区間である。もう少し日が長ければこの海岸で夕日を見ることもできただろう。

18時42分、新山口着。ファーストシートからもう2人下車した。新山口から山口線に乗り換えれば19時すぎに湯田温泉に着く。宿での食事は少し遅めかもしれないが、温泉街には居酒屋もあるし(ちょうど山口県のまん延防止措置も明けたばかりだ)、ちょうど夜の時間を楽しむことができるだろう。

この後新下関に停まるが、車内のイベントは何もなくなった。外も真っ暗ということで再びブランケットをひっかけて横になる。これで夜行列車としての「銀河」のムードも味わうことになる。

19時45分、本州の西の端である下関に到着。2号車に1人だけいた女性客も広島か岩国辺りで下車したようで、他の車両を含めてもここまで乗ってきたのは10人いるかどうかというところ。いずれも、「銀河」に最初から最後まで乗ることにこだわった人たちばかりに見える。その中の一人から「銀河」をバックに撮影を頼まれたが、さすがにその方もお疲れの様子だった。

これまで山陰、紀南ルートの夜行列車で利用した時は、翌朝到着した駅ごとでの出迎えが賑わっていたが、この日の下関はひっそりとしたもので、最後に添乗員が「お疲れ様でした」と見送るのみだった。あくまで下関としては翌日の上り大阪行きがメインなのかもしれない。乗車券、特急券は改札口で記念印を入れてもらい、そのまま持ち帰りとする。

さてこの日の宿泊は、駅西口すぐのところにある「ホテルウイングインターナショナル下関」。客室からは下関駅を望むことができる。部屋はコンパクトだがビジネスホテルとして十分な広さである。

そして夕食の一献。当初は、到着が20時前ということもあり、スーパーかコンビニで買って済まそうかとも思っていたが、グルメサイトでの検索で、ちょうどこのホテルの1階に「ゆめぜん」という店があるのを見つけた。郷土料理、地酒が楽しめるとあり、またまん延防止措置が明けて営業再開しているとのことで、席だけ予約しておいた。ちょうどフグ、いや下関なら「ふく」のシーズンである。

まずはビールで乾杯として、メインでふく刺しを頼む。これにふくの唐揚げもつけて、ともかく下関に来てよかったと味を楽しむ。

他には明太子を注文。メニューの肩書に「下関が発祥の地」とあったのが気になった。明太子といえば福岡の名物だが、下関が発祥とは。

その歴史は次のようなものだ。古くから、朝鮮半島ではタラの卵巣をニンニクやトウガラシなどと漬け込んだ料理があった。これが明太子の原型とされる。そして日本が韓国を併合していた当時、日本の商人によって商品化され日本に持ち込まれたが、当時の朝鮮半島への玄関口だったことから、下関で多く取り扱われるようになった。

戦後になり、下関の高井英一郎という人が旧陸軍のつてをたどって北海道からタラコを仕入れ、塩漬けしたタラコにトウガラシをふりかけた辛子明太子を開発した。後に福岡で現在のようにタラコをトウガラシ調味液に漬け込むスタイルが誕生し、山陽新幹線の開業とともに全国に広まった。

ふくはともかくとして、明太子と下関が関係あるとは初めて知った。明日の帰りに「下関の明太子」を見つけたら土産に買って帰ろうか。

そのふく、明太子と合わせるとして山口の地酒の飲み比べを注文。3種セットで、店員の薦めで「天美うすにごり(下関)」、「五橋立春朝搾り(岩国)」、「長陽福娘純米辛口(萩)」をいただく。このうち「立春朝搾り」は「日本名門酒会」加盟の酒蔵が出しているもので、立春の早朝に搾りあがった生原酒をその日のうちに届けられるように出荷したものである。そのため、蔵元の地元や近辺でしか出回らないという。

「立春朝搾り」で話が脱線するが、広島で「賀茂泉」の「立春朝搾り」をいただいたことがある。ちょうど2年前、日本で新型コロナの感染が広まりつつ手前の時だった。その時は大阪在住で、中国観音霊場めぐりで宮島の大聖寺を訪ねる前の夜に広島駅前に泊まり、エキニシで一献とした(この時、まさかその半年後に広島に転勤になるとは思ってもいなかった)。壁に並んでいたのが歴年の「立春朝搾り」の瓶が印象的だったが、その店(広島赤焼えん)は2011年11月のエキニシ大火災で全焼してしまった。現在は再建に向けて動かれているそうで、再開の折にはもう一度訪ねてみたい。

話を下関に戻すと、「サービスです」として「東洋美人大辛口(萩)」も注いでくれる。山口県のまん延防止措置の影響で店は夜の営業を休んでいたそうで、日本酒を出そうにも出せなかったとのこと。銘柄によっては単品価格を下げたり、飲み比べセットにサービスの形で出したり、何とかロスを減らそうとしているそうだ。

後は部屋に戻って休むだけである。下関まで来たのだから、翌27日は朝の唐戸市場にでも行って関門海峡を眺め、山陰線の「〇〇のはなし」で東萩、もしくは長門市まで往復しようと思っていた。

ただ、旅の直前になって、同じく「下関まで来たのだから」と、ガラリと行き先を変更した。山陰線に行かないのであれば関門海峡を渡って九州ということになる。そして現在の私にとって九州といえば・・・・。

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