近畿三十六不動めぐりの中での宝山寺の参詣である。山門(ここでは惣門と呼ぶ)をくぐると、左手には地蔵堂、右手には七福神が祀られている。こちらで熱心に手を合わせる人の姿も見られる。
石段を上り、中門をくぐると本堂のあるエリア。10年以上前の元日に訪ねた時に比べれば少ないとは言え、それでも大勢の人が手を合わせている。雰囲気としては、京都の観光寺院のように仏像やお堂を見物するというよりは、まずはきちんと拝むことに重きを置いている人が多いように思われる。
まずは本堂に向かう。ろうそくと線香を求めるが、中でも線香は1本、もしくは10本いくらという売り方である。こうしたお堂でお供えする線香の本数は宗派によって違いはあるが、多くは1本または3本とされている。その中で10本とは。この線香の種火もろうそくではなく、もぐさの下に炭が置かれているようで、その鉢に線香の先を押し当てて火をつける仕組みになっている。これだと一度に多くの人が多くの線香に火をつけることができる。
宝山寺の歴史に触れると、大昔から生駒山そのものが神が宿る山として信仰されており、巨大な岩窟もあって役行者や弘法大師も修行したと言われている。江戸時代、湛海という僧侶が歓喜天の修法に優れてさまざまな祈祷を行っていたが、後に改めて真の仏法を求めるべく修行を行い、生駒山に伽藍を建てた。結果、湛海は優れた修験者として徳川将軍家や大坂の豪商たち、さらには庶民からも信仰を集め、その伽藍は湛海の号の名前から宝山寺と呼ばれるようになったという。
不動明王が祀られる本堂と、その背景にある岩窟。いかにも不動明王の霊場に似合う感じがする。どうしても山岳信仰や修験道と結びつけてイメージするからだろうか。まずはこの本堂の前でモゴモゴとお勤めをする。
本堂の手前には天神様の小さな祠がある。その周りには何体もの牛の像が置かれていて、両側の角に5円玉の穴が刺されている。「良いご縁(5円)」ということなのだろうが、牛の角に刺すというのは何かいわれがあるのだろうか。
その隣には水掛不動が祀られている。水を掛けてお祈りした後で写真を撮ったのだが、帰宅後にデータを整理したところ、この場面だけデジカメのカードに保存されていなかった。屋外の水掛不動像については撮影禁止とも何もなかったはずだが、ひょっとしたら・・・?
本堂と同じように堂々として並ぶのが歓喜天を祀る聖天堂。檜皮葺の建物である。手前には大根や打出の小槌をあしらった木製や銅製の巾着が置かれている。これも歓喜天信仰の象徴の一つだそうで、賽銭箱の役割を果たしている。巾着だから金運アップかな。
外陣では祈祷を受け付けていて、ちょうど僧侶たちの読経の声が響く。歓喜天の修法の経典もあり、宝号「南無帰命頂禮大聖歓喜雙身天王」と唱えるところから始まる。
また訪ねた16日は歓喜天の縁日で、聖天堂の内陣も開放しているとある。縁側を奥に進むと奥の建物に続く。外陣と内陣というよりは、神社の拝殿から本殿に進む感じだ。そこには神社のように鏡が置かれている。歓喜天は絶対秘仏でこの奥におわすとのこと。こちらでは正座して静かに手を合わせる人、黙想する人が何人もいる。真摯な祈りの場である。
2つのメインのお堂にお参りして祈祷受付の窓口で朱印をいただく。お守りやお札の授与所もあるが、珍しいのは「1円玉200枚」、「5円玉20枚」の袋。さらには100円玉や10円玉への両替機もある。今回利用することはなかったが、わざわざ小銭の両替袋があるのはなぜか。
答えはこの先の境内にある。以前に来た時は本堂と聖天堂に手を合わせてそのまま引き返したと思うが、ここから奥の院までの中にさまざまなお堂がある。そうした一つ一つにお参りする人に向けたものなのかな。この先は初めて入るがともかく上がってみる。
まず出たのは文殊堂。宝山寺では学問向上はこちらの文殊菩薩が担当するとある。
続いては常楽殿。ここは如意輪観音と毘沙門天、吉祥天がお出迎え。
その奥には天保年間建立の観音堂がある。十一面観音が祀られている。観音堂の奥が般若窟の遥拝所である。般若窟に入ることはできないが、役行者がこの崖で修行したとされている。
ここから奥に参道が延びるのだが、ここで小銭両替の意味がわかった。これまでの多くのお堂の他に、参道の両側には奉納された地蔵や観音像がずらりと並んでいて、それぞれに1円玉を入れてお参りする人がいる。ろうそくが10本でも売られているのもそれぞれのお堂て供えることができるからだ。
参道の途中に弘法大師堂があり、お堂の中の木像だけでなく外に石造の大師像や稚児大師像もある。それぞれにお賽銭を入れるとなると、それは結構な数の小銭がいるだろう。
奥の院に到着した。こちらは不動明王が祀られていて、改めて真言を唱える。合わせて開山堂がある。宝山寺の中興開山である湛海の像が祀られている。
その奥には大黒堂があり、大黒天を祀る。奥の院といっても開けた感じの一帯だが、山岳修行の地としての歴史は今も息づいているようだ。ここで引き返す。
再び地蔵や観音像が並ぶ石段を下り、愛染明王が祀られる多宝塔にも手を合わせて、本堂、聖天堂の前まで戻ってきた。
1時間あまりで境内を回って奥の院にも往復したが、丁寧に、熱心にお参りする人が多かったのが印象的だった。ちょうど16日の歓喜天の縁日だったこともあるのだろうが、江戸時代から庶民の現世利益を多く叶え、それがまた深い信仰を集めるのかなと感じられた。こういう寺だったんだなと改めて学ぶことができた一時である。
ここで次へのサイコロである。
1.東山(智積院、青蓮院、聖護院)
2.左京(曼殊院)
3.醍醐(醍醐寺)
4.湖西(葛川明王院)
5.振り直し
6.振り直し
出たのは「3」、醍醐寺である。ここで西国三十三所の2巡目との2枚抜きとなる。本音を言えば前回(第10番の神戸の無動寺)のサイコロの時に醍醐寺が出てほしかったのだが仕方がない。その理由はまた醍醐寺に行った時にでも。
宝山寺を後にしてケーブルカーの宝山寺駅に戻る。この後だが昼食は後回しにして、帰りは変化をつけて生駒から近鉄生駒線で王寺に出る。生駒山から信貴山を右手に見るルートである。これまでの寺社めぐりで信貴山を訪ねたことはないが、いずれはこの辺りにもサイコロの出目で来ることもあるだろう。
王寺に到着。ホームにあるJRへの乗り換え案内板の表示は、あくまで「関西線」だった・・・。
石段を上り、中門をくぐると本堂のあるエリア。10年以上前の元日に訪ねた時に比べれば少ないとは言え、それでも大勢の人が手を合わせている。雰囲気としては、京都の観光寺院のように仏像やお堂を見物するというよりは、まずはきちんと拝むことに重きを置いている人が多いように思われる。
まずは本堂に向かう。ろうそくと線香を求めるが、中でも線香は1本、もしくは10本いくらという売り方である。こうしたお堂でお供えする線香の本数は宗派によって違いはあるが、多くは1本または3本とされている。その中で10本とは。この線香の種火もろうそくではなく、もぐさの下に炭が置かれているようで、その鉢に線香の先を押し当てて火をつける仕組みになっている。これだと一度に多くの人が多くの線香に火をつけることができる。
宝山寺の歴史に触れると、大昔から生駒山そのものが神が宿る山として信仰されており、巨大な岩窟もあって役行者や弘法大師も修行したと言われている。江戸時代、湛海という僧侶が歓喜天の修法に優れてさまざまな祈祷を行っていたが、後に改めて真の仏法を求めるべく修行を行い、生駒山に伽藍を建てた。結果、湛海は優れた修験者として徳川将軍家や大坂の豪商たち、さらには庶民からも信仰を集め、その伽藍は湛海の号の名前から宝山寺と呼ばれるようになったという。
不動明王が祀られる本堂と、その背景にある岩窟。いかにも不動明王の霊場に似合う感じがする。どうしても山岳信仰や修験道と結びつけてイメージするからだろうか。まずはこの本堂の前でモゴモゴとお勤めをする。
本堂の手前には天神様の小さな祠がある。その周りには何体もの牛の像が置かれていて、両側の角に5円玉の穴が刺されている。「良いご縁(5円)」ということなのだろうが、牛の角に刺すというのは何かいわれがあるのだろうか。
その隣には水掛不動が祀られている。水を掛けてお祈りした後で写真を撮ったのだが、帰宅後にデータを整理したところ、この場面だけデジカメのカードに保存されていなかった。屋外の水掛不動像については撮影禁止とも何もなかったはずだが、ひょっとしたら・・・?
本堂と同じように堂々として並ぶのが歓喜天を祀る聖天堂。檜皮葺の建物である。手前には大根や打出の小槌をあしらった木製や銅製の巾着が置かれている。これも歓喜天信仰の象徴の一つだそうで、賽銭箱の役割を果たしている。巾着だから金運アップかな。
外陣では祈祷を受け付けていて、ちょうど僧侶たちの読経の声が響く。歓喜天の修法の経典もあり、宝号「南無帰命頂禮大聖歓喜雙身天王」と唱えるところから始まる。
また訪ねた16日は歓喜天の縁日で、聖天堂の内陣も開放しているとある。縁側を奥に進むと奥の建物に続く。外陣と内陣というよりは、神社の拝殿から本殿に進む感じだ。そこには神社のように鏡が置かれている。歓喜天は絶対秘仏でこの奥におわすとのこと。こちらでは正座して静かに手を合わせる人、黙想する人が何人もいる。真摯な祈りの場である。
2つのメインのお堂にお参りして祈祷受付の窓口で朱印をいただく。お守りやお札の授与所もあるが、珍しいのは「1円玉200枚」、「5円玉20枚」の袋。さらには100円玉や10円玉への両替機もある。今回利用することはなかったが、わざわざ小銭の両替袋があるのはなぜか。
答えはこの先の境内にある。以前に来た時は本堂と聖天堂に手を合わせてそのまま引き返したと思うが、ここから奥の院までの中にさまざまなお堂がある。そうした一つ一つにお参りする人に向けたものなのかな。この先は初めて入るがともかく上がってみる。
まず出たのは文殊堂。宝山寺では学問向上はこちらの文殊菩薩が担当するとある。
続いては常楽殿。ここは如意輪観音と毘沙門天、吉祥天がお出迎え。
その奥には天保年間建立の観音堂がある。十一面観音が祀られている。観音堂の奥が般若窟の遥拝所である。般若窟に入ることはできないが、役行者がこの崖で修行したとされている。
ここから奥に参道が延びるのだが、ここで小銭両替の意味がわかった。これまでの多くのお堂の他に、参道の両側には奉納された地蔵や観音像がずらりと並んでいて、それぞれに1円玉を入れてお参りする人がいる。ろうそくが10本でも売られているのもそれぞれのお堂て供えることができるからだ。
参道の途中に弘法大師堂があり、お堂の中の木像だけでなく外に石造の大師像や稚児大師像もある。それぞれにお賽銭を入れるとなると、それは結構な数の小銭がいるだろう。
奥の院に到着した。こちらは不動明王が祀られていて、改めて真言を唱える。合わせて開山堂がある。宝山寺の中興開山である湛海の像が祀られている。
その奥には大黒堂があり、大黒天を祀る。奥の院といっても開けた感じの一帯だが、山岳修行の地としての歴史は今も息づいているようだ。ここで引き返す。
再び地蔵や観音像が並ぶ石段を下り、愛染明王が祀られる多宝塔にも手を合わせて、本堂、聖天堂の前まで戻ってきた。
1時間あまりで境内を回って奥の院にも往復したが、丁寧に、熱心にお参りする人が多かったのが印象的だった。ちょうど16日の歓喜天の縁日だったこともあるのだろうが、江戸時代から庶民の現世利益を多く叶え、それがまた深い信仰を集めるのかなと感じられた。こういう寺だったんだなと改めて学ぶことができた一時である。
ここで次へのサイコロである。
1.東山(智積院、青蓮院、聖護院)
2.左京(曼殊院)
3.醍醐(醍醐寺)
4.湖西(葛川明王院)
5.振り直し
6.振り直し
出たのは「3」、醍醐寺である。ここで西国三十三所の2巡目との2枚抜きとなる。本音を言えば前回(第10番の神戸の無動寺)のサイコロの時に醍醐寺が出てほしかったのだが仕方がない。その理由はまた醍醐寺に行った時にでも。
宝山寺を後にしてケーブルカーの宝山寺駅に戻る。この後だが昼食は後回しにして、帰りは変化をつけて生駒から近鉄生駒線で王寺に出る。生駒山から信貴山を右手に見るルートである。これまでの寺社めぐりで信貴山を訪ねたことはないが、いずれはこの辺りにもサイコロの出目で来ることもあるだろう。
王寺に到着。ホームにあるJRへの乗り換え案内板の表示は、あくまで「関西線」だった・・・。