まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

ブログは日本語で何と言えばいいだろうか?

2013年06月27日 | ブログ
そんなもん、電子日記とか電子雑文でええやないか・・・。

「NHKが外国語を使いすぎて精神的苦痛を受けたので損害賠償を求める」という提訴があったそうだ。外国語の濫用で意味が分からないと。

確かに、ネット(いや、電子網か)で記事を読むなかで、カタカナ言葉でわかりにくいものも目にすることがある。特に先端技術や社会思想に関するもの。

でもまあ、外国からのもので、日本語としてまだこなれていない、あるいは訳してもしっくり来ないために、そのまま使わざるを得ない単語は多いと思う。

ただ、この提訴した人が問題にしているのは、日本語で十分言い表せるものをわざとカタカナ言葉にしてる実態であり、それが文章をわかりにくくしている逆効果のところである。精神的苦痛で損害賠償とはちょっと筋違いと思うが、気持ちはわかる。別に、すっかり日本語として定着している言葉まで排除するものでもないし。

ふと思うのだが、こういうカタカナ言葉を世に送り出す人、そしてそれを日本語で言い直す人というのは誰だろうか。やはりマスコミ(と言ってはいけないのか)とかジャーナリズム(と言うのもダメか)というのから起こるのかな。昨今のその業界の体たらくぶりにご立腹なのなら、私も拍手する。

かつて明治の文明開化の折、西洋から大量に流れ込んできたカタカナ言葉の数々。それを当時の知識人たちがうまく漢語に訳してくれた。多くの訳語が今度は漢字発祥の地である中国に逆輸出されたほどである。

日本語に訳すという作業には、そうやって異文化を自分なりに吸収する作業にもつながるのではないか。ただ最近は来たものはそのまま丸呑みし、とりあえずうわべだけ整えようというのかもしれない。カタカナ言葉をそのまま使うというのは。

訴訟という手段はどうかと思うが、問題提起ということでいろいろ議論があればいいだろう(国営放送への不平不満とは線引きが必要だが)。

うーん、この電子雑文もカタカナ言葉の濫用には気をつけなければ。精神的苦痛を与えてはいけないので・・・(内容が精神的苦痛というのは無しでお願いします)。

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