まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

松中、このまま球界から去ることになるのか?

2013年06月15日 | プロ野球(バファローズ・NPB)

本日は大阪近鉄バファローズの復刻試合。近鉄としての最後の優勝となった2001年の劇的なシーンに感動したり、今は亡き友人とともに数々の荒れ試合、ダレ試合を観戦しては野次ったりボヤいたり(あの頃は、打線はよかったが投手陣が・・・)、そして球界再編に揺れ動いた2004年・・・。大阪近鉄としてはわずか8年間のドームだったが(現在のオリックス・バファローズは今年で9年目。時間の経つのは早いものだ)、その伝説はこれからも受け継がれていくことだろう。

・・・本当はそういう試合を観戦したかったのだが、この日は初めての人間ドック入り。今年40歳を迎えるということもあり、会社の健康保険組合の指導により節目ごとに受診を指示されている。定期の健康診断でやるような検査以外にも眼底、眼圧検査、腹部エコー検査、バリウム飲んでぐるぐる回されたり、果ては大先生(おじいさんです)による直腸診まで。その時に大先生(だから女性ではありません)が私の腹を抱きかかえて「この脂肪がなあ・・・・」と。はあ。

まあ40歳、人生の残り半分をどう健やかに生きるか、いや生きられるかを見るきっかけにはなったと思う。

私と同じ1973年度産まれのプロ野球選手といえば、イチローを筆頭に、今季2000本安打を達成した中村紀洋(本来であればこの人に大阪近鉄復刻ユニを着てほしかったのだが、そりゃ現役なら無理な話)、先日も好投を見せた三浦大輔、このところ苦しんでいるが今季久しぶりに1軍での復活打を見せた小笠原道大、現在出場に恵まれないがメジャー経験者の石井一久に藪田安彦・・・一時に比べて現役選手は数えるほどしかいなくなったが、それでも個性派の多い選手たちがまだまだ存在感を放っている。

こうして選手を挙げてみて「誰か忘れてないか?」と訊く方がいらっしゃるかもしれない。そう、あの球界再編でゴタゴタしていた年、それはダイエーホークスとしても最後の年だった2004年に三冠王を獲った松中信彦である。

その松中もこの数年、故障や衰え、若手の台頭もありすっかり出番が減っていた。ただそれでもたまに代打で出てくるとスタンドは盛り上がるし、現役にこだわるなら代打の切り札的存在としてまだまだ行けるのではないかと思っていた。それが、久しぶりにニュースに出たかと思うと「懲罰2軍」とある。

今年の交流戦で優勝したホークス、ただそのセレモニーを勝手に欠席したことが秋山監督の逆鱗に触れ、それで2軍落ちということになった。いろんなものを見るところでは、秋山監督の選手起用に不満があったとか、いやいや松中の野球に対する態度が良くないとか(過去の三冠王の栄光にまだこだわっている、など)、若手の活躍が目立つ中でこのベテランの処遇に手を焼いていた感もあるようだ。

松中といえば、王貞治の門下生として小久保、城島、井口らと「ダイハード打線」を構築し、それこそ「あぶさん」にでも出てきそうな豪快な打撃が福岡という街の雰囲気にもよく合っていたと思う。そんな選手でもいつかは衰えが来るもので、まあ成績不振で2軍というのなら仕方ないが、それが懲罰降格とはね・・・。例え同郷の選手で、長くチームに貢献した選手でもそういう措置のできる秋山監督の毅然とした姿勢も感心する。

ただ、これほどの選手が果たして2軍の試合に出場して、それで再度1軍昇格を勝ち取ることができるか。本人のプライドが許さないのではないかな。ロッカールームに謝罪の書置きをしたというが、そういう方法というのもどうかなと思う。もう、このチームへの気持ちというのもなくなったのだろう。

中村紀洋のように他球団にテスト入団してでも現役続行にこだわるというような柄でもなさそうだし(その前に受け入れる球団があるか)、何だかこのまま今季限り退団・・・しかもセレモニーなし、という可能性が高いかな。松中の熱心なファンというわけではないが、同じ年の選手が晩節を汚すことになってしまうのは残念なことである。

ただ野球選手にはそれぞれの考え、価値観があるのだから、これはどうにもならないかな・・・・。

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