まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

スローライフ列車はのんびり停車

2012年11月18日 | 旅行記F・中国

Dscn7169津山を出たみまさかスローライフ列車は、「男はつらいよ」のロケ地にもなった美作滝尾を出発。ようやく車内もイベント列車らしい賑わいを見せるようになった。前方の運転台の後にかぶりつく人の姿もある。外の雨は相変わらずだが、山々にかかった霧も水墨画のような風景を映し出す。そこに時折見える紅葉が、水墨画に一点朱を入れたように映るのがよい。

Dscn7175係員が記念乗車証とクリアファイルを配りに回った。今年は因美線の開業80周年にあたるという。岡山側と鳥取側から建設を進めていた陰陽連絡線だが、最後に開通したのが津山~智頭間である。ただ、そうした陰陽連絡線もいつしか優等列車がいなくなり、大阪からの列車はもとより、岡山から鳥取を結ぶ特急もわざわざ智頭急行を経由するということに(考えてみれば、岡山から鳥取に行くのにわざわざ兵庫県を経由して行くというのも妙な話だ)。現在は列車の本数もほとんどなくなり、乗客の少ない区間である。ただそれが「昔ながらの風情を残す」として、こうしてスローライフ列車が走り、多くの客を集めるのだから、世の中何がどう幸いするかわからないものである。

Dscn7179Dscn7188美作加茂着。ここでは35分の停車である。対向式ホームで、ホームの間は踏切を渡る。列車の撮影にいい角度ということで、記念撮影タイムとなる。

Dscn7181ここでも地元の物産の販売が行われたり、焼き鳥やうどんも売られている。昼食ということでホームでうどんをすすり、野菜や漬物、ビーフジャーキーの販売をのぞく。鉄道でのこうした長時間停車も今となっては珍しい風景である。

Dscn7215木造駅舎のある知和を過ぎ、美作河井でも20分停車。津山から伸びてきた因美線の一時岡山側の終着駅だったところで、今は線路もはがされているがかつては終着駅らしくそれなりの施設があったという。

Dscn7211集落を見下ろす高台にある木造駅舎、普段はしんとした雰囲気なのだろうがここも駅前に屋台が出て大勢の人で賑わっている。またこの列車に合わせて近くの温泉までの日帰り入浴のマイクロバスも出ており、そちらに乗車する人もいる。

Dscn7206この駅の見どころが、産業遺産にもなっている手動式の転車台。機関車ではなく除雪車のためのもののようだが、使用期間は比較的短かったらしい。その後埋められて2007年に「発掘」されたという。発掘って・・・えらい時代がかった話である。その転車台の横まで入ってもいいということで、線路を渡ってそちらへ。「こんなの何人がかりで動かすんだろうねえ」と、子どもに転車台のバーを握らせる人も。

Dscn7208山間のいかにも「汽車」の駅という感じがする美作河井。日本の全駅に下車したといういわゆるその筋の権威で一部の人からは神様のようにあがめられている鉄道旅行家・横見浩彦氏が当時この駅で「JR全駅訪問」を達成したことでも知られている。

Dscn7210故・宮脇俊三氏が国鉄全線の乗りつぶしを達成した足尾線(現・わたらせ渓谷鉄道)の間藤駅にはその記念コーナーもあるが、美作河井駅には別に横見氏を顕彰するものがあるわけではない。氏の著作を読んでいないので(素人の紀行文に毛が生えた程度のもので、わざわざ金を出して買って読むほどのものではないらしい)、美作河井が「全駅訪問達成」の舞台に選ばれた理由は知らないが「この駅の汽車の風情にひかれました」というのであれば、それはそれでうなずけるかなと思う。

Dscn7218ここから岡山と鳥取、いや美作と因幡の国境を越える。この先は長時間停車はなく、智頭に到着。スローライフ列車はここですぐに折り返しとなるが客の入れ替えは行わず、そのまま復路の列車に残る人が多い。復路も長時間停車が行われるという。この日の私は往路のみで下車し、気動車の発車を見送る。3両の気動車がエンジン音も高らかに走り抜けると駅にはまた静寂が訪れる。

私の持っているきっぷの行き先は「鳥取」。智頭で途中下車し、しばらく街道沿いの昔ながらの町並みを散策することに・・・・。

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