『酒は呑んでも 呑まれちゃならぬ
武士の心を 忘れるな
体こわすな 源蔵よ
親の無い身に しみじみと
叱る兄者が 懐かしい・・・
迫る討入 この喜びを
せめて兄者に よそながら
告げてやりたや 知らせたい
別れ徳利を 手に下げりゃ
今宵名残の 雪が降る・・・』
・・・・上は、三波春夫の歌う浪曲歌謡「赤垣源蔵」の一節である。「徳利の別れ」のエピソードを持つ赤穂四十七士の一人、またの名を「AKO47」の主要メンバーの一人ともいえる赤垣源蔵を唄ったものである。なぜか小学生の時に、父親がLPを持っていたのを一緒に聞いたのだろう、耳に残っている一曲である。
12月14日は赤穂四十七士の討入りの日。あれから300年以上たっても四十七士ゆかりの地では祭りが行われたり、装束をまとっての練り歩きがあったりと、今もって日本人の心の中に受け継がれている出来事である。世界の諸国を見てみても、こういう形で「ヒーロー」とされている人物や集団というのはそうあるものではないだろう。
四十七士に関するイベントといえば、こちらでも行われていた。大阪ミナミを中心に広がる立ち飲み居酒屋の「赤垣屋」。店の「赤垣」という名前も、四十七士の赤垣源蔵の「徳利の別れ」のエピソードから取られたものである。いつも貧乏徳利をぶら下げて飲んだくれている・・・という描かれ方をされている源蔵である。ただ、史実をだどってみれば実は「下戸」で、義弟のところに暇乞いに訪れるにあたって普段は呑めない酒を一気に飲んだ・・・というのが本当のところらしいのだが、それがいつしか堀部安兵衛とともに「呑んべえキャラ」に仕上げられてしまったのが面白いところである。
さて話は赤垣屋さん。討入りの日には「討入り記念」ということで、手のひらサイズのミニボトルを進呈している。奈良の地酒「歓喜光」というやつであるが、飲み口は実に庶民的。ただし、来店客一人一人に配っていたが、早速その場で封を切って手持ちの徳利に注いでいた客には注意していた。あくまで家でゆっくり飲んでください、ってなもんである。
赤垣屋は大人数で来るよりは一人でふらりと入るのが似合う、かといって敷居も高くなく、若い女性アルバイトが常に接客に入っている(そういう女性を目当てに通っているおっちゃんも多いようだが)。料理も正味一人前が相応の価格で出てくるので、何品か注文するのも無理なくできる。居酒屋の神様・太田和彦氏なぞは歯牙にもかけないだろうが(酒場放浪記の吉田類氏はどうだろうか)、自分の好みからすればなかなかいいですな。
仕事帰り、「今日はクルマを置いて帰ろう」という時にちょっと立ち寄り、リラックスするのに適したところである。討入り記念は終わったが、またちょこちょこ行ってみたいものだ・・・。