まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

紀州鉄道に乗車

2009年01月15日 | 旅行記E・関西

時間を少し戻して、年の初めに紀伊半島を訪れた時のことを書こうと思う。もともと、大阪への異動がなかった場合でも、帰省から東京に戻る際に紀伊半島を経由しようという計画であったもの。

P1034933天王寺から阪和線の快速に乗車し、和歌山へ。ここから、紀勢線(きのくに線)に延々と揺られることになる。まずはブルーに塗られた117系に出会う。この形式、なかなか出会うことが少なくなっており、貴重な機会である。

入り組んだ地形の紀伊半島の海岸。時折海を見るが、進路を思いっきり東へ向けて山の中に分け入ったりと、複雑な走りを見せる。さすがにこの時期ではみかんの収穫も終わっており、やや寒々とした車窓である。

P1034936御坊に到着。ここでは少し寄り道をして、紀州鉄道の気動車に乗車。紀勢線は何回か乗車しているのだが、実はこの「日本一営業キロが短い鉄道」に乗車するのは初めてである。ホームに行くと、クリームと緑のツートンカラーの小さな気動車が停まっていた。昭和35年製造というから、かれこれ50歳に手が届こうかという古さ。

P1034940車内も昔ながらの風情が残っている。板張りの床の車両に乗ることなど、今となってはほとんどないことであろう。もう、いてくれるだけでこの紀州鉄道の存在価値があるというものだ。

乗客は私のほかに、鉄道ファンらしい親子連れと、地元の人らしい女性1人のみ。御坊を出発し、ゆったりとしたスピードで走る。このあたりまで来ると完全にクルマ社会なのであるが、多くのクルマを停まらせて踏切をのっそりと渡っていくのも面白い。ここを通る人たちは、この踏切で停められてアンラッキーと思うかどうだろうか(別のところだが、1日3往復くらいしか走らない区間の列車に乗ったときに、どう考えても通行量の少ない道路と交わる踏切で停められていたクルマを見たことがある。おそらく朝のテレビの星占いで「12位」だったのだろうか)。

学門という、縁起物の入場券で有名な駅で女性が下車し、私と親子連れの貸切となった。朝や夕方はともかく、日中はこんな感じなのだろう。街中の路地裏、窓から手を出せば間違いなくケガをするくらいの近さに家が並ぶ。

P1034968そんな乗車もわずか10分で、終点の西御坊に到着。なんともまあ、窮屈なところで降ろされたものである。それもそのはずで、かつてはこの先まで線路は伸びていたのだが、かなり前に廃線となり、このような中途半端なところが終点になったという。

P1034951それでも、線路跡はそのまま残っているようだ。一緒にいた親子連れは廃線跡を観に行くようで、先のほうに歩いていった。私は・・・といえばこの先まだまだ南下しなければならないので、1本だけ列車を落として周辺を歩くことにする。

P1034959御坊という町の名前は、浄土真宗の「日高御坊」に由来する。この御坊を中心として、後は日高川の水運を利用した商工業でも栄えたところである。西御坊から2、3分も歩けば、大正時代に建てられた家が点在する寺内町に出る。

P1034958日高御坊は現在修復工事中とのことで中には入れなかったが、周りは格子造りの風情ある家々が立ち並ぶ。こういうところであったとは来るまで知らず、思わぬ発見となった。

P1034963あと、町の中で目立ったものといえばこのポスターですかな・・・・(左の方はともかく、御坊は右の方の地元だそうで)。

P1034966寺内町を一回りし、再び西御坊駅へ。ちょうど、折り返しとなる気動車がのっそりと入ってきた。Nゲージの世界に身を置くかのようである。紀州鉄道という鉄道ではあるが、その業務といえばホテルやリゾート業が中心である。純粋に鉄道だけやろうとしたのでは、とてもではないが採算はとれずとっくの昔に廃止になっていたことだろう。どこかで読んだのだが、ホテルやリゾートを商売としてやるにあたっては、会社の信用性というか、担保という意味で「鉄道」が有力な武器になるとか。本体の鉄道がこれでは「短くても線路さえ敷いていれば鉄道会社や」というインチキなような気もするが、まあ、紀州鉄道も全国からファンを集めていることから、これもリゾートの一環?かな。

P1034937再びのんびりと走り、御坊駅に到着。ホームでは多くの旅行者、鉄道ファンが気動車にカメラを向けていた。ほらやっぱりリゾート鉄道でしょうに・・・・。

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