1月11日、雪の雲樹寺から清水寺に向かう。コミュニティバスがあるが、1時間以上待たなければならない。それなら、地図で見て歩けない距離ではないなということで、「雪中行軍」とする。いや、こう書くと地元の人たちには失礼かと思うが。
県道沿いに歩く。先ほどのように左側の車道端を歩き、背後からクルマの気配を感じると誰も踏み入れていない歩道に乗り上げることを繰り返す。ただ意外に多くのクルマが来るので、そのたびに歩道に避難することになる。そこで気づいたのは、道の反対側を歩くこと。幸いこちら側を走るクルマは少なく、また前方から来るのが見えるので早めに対応できる。まあ、クルマのほうが気を遣って避けてくれるのだが。
車道を歩くことで思ったよりもスムーズに進んだか、雲樹寺を出て20分ほどで清水寺への標識が出てきた。二つの札所を徒歩で結ぶことができたのは大きい。
その後も雪を踏みしめて進み、清水寺の駐車場に着いた。意外にも駐車場は満車である。清水寺は厄除け祈願で知られる寺ということで、近隣の人たちがこぞって訪れるそうである。そこに歩いて訪ねるというのも酔狂なことだが。
ここから参道が続く。雪の参道を行き来する人がそこそこいるのにホッとした。先ほどの雲樹寺が「こういう時に来てよかったのかな?」と一瞬思ったのに対して、清水寺は多くの人が訪ねている。
ここで清水寺の縁起について。清水寺といえば京都五条のあの寺や、同じ西国三十三所の札所の播州清水寺、さらには四天王寺の近くの清水寺・・・など、さまざまな清水寺が出てくる。現に「全国清水寺ネットワーク会議」なるものがあるそうだ。
安来の清水寺だが、言い伝えでは用明天皇の時に開かれたとされる。その後廃れたが平安初期に再興され、慈覚大師円仁により天台宗の寺となった。その後、幾たびの兵火と復興を経て、現在の境内は江戸時代からのものという。
山門に着く。「令和三年正月 百喩経より」ということで一節がある。
「私が求めるのは土台ではない 一階でも二階でもない 三階の高楼だけだ 早く作れ」
これは、土台を疎かにしてきれいな三階の高楼だけを求めた金持ちのことを批評したもので、仏法僧を修め敬わず、修行を怠って悟りを得ようとすることを戒める話だという。まあ、ただこのご時世だと「確かに『二階』だけはいらんわな」と思ってしまうのだが・・。
参道を進むと、遠くから厄除け祈願の経文の声が聞こえてくる。その中をお出迎え観音や、宿坊(宿の予約サイトにも登場する)を抜け、本堂を見上げる石段に出る。
そして本堂。寺の人も懸命に除雪しており、その中で「ご苦労様です」と声をかけられる。こちらこそ、作業お疲れ様と声をかける。
靴を脱いで本堂に上がり、さすがに寒い中でお勤めである。本堂の中に納経所があるが、寺の人は中の厄除け祈願の対応で不在のようだ。
ちょうど、終わったところで出て来たので朱印を求めたが、ここでは「書き置き式」での対応という。中国観音霊場めぐりは朱印帳に直接墨書してもらうことにこだわってきたが、前回の鰐淵寺で「コロナ対応です!」ときっぱり言われたことで、もう寺がそういう方針ならそれに従う・・ことにしている。
安来の清水寺で有名なのは三重塔である。ただ、現在は立ち入ることができず、手前から仰ぎ見る。ただこうした雪の中にたたずむ古刹、来るまでが大変だったが、冬の山陰の一つの景色として印象に残るものだった。
タイミングでは、清水寺10時51分発のループバス、来る前は雲樹寺から清水寺に移動するのに乗っていたかもしれない便に乗ることができそうだ。少し急ぎ足で境内を後にする。定刻の数分前に駐車場に戻り、バスを待つ。
しかし、時間になってもやって来ない。まあ、雪の中を走るのだから遅れても不思議ではないだろう。結局、10分ほど遅れて到着。清水寺は行き止まりなのでここでバックして来た道を折り返す。この便も乗客は私だけだ。
途中、安来高校の野球部の部員たちが歩道の除雪を行うのを見て、安来の中心部に入る。その中で、安来駅に到着。ちょうど除雪車が出ており、駅前のロータリーも朝に比べれば雪も少なくなったようだ。
前日、安来13時17分の特急「やくも18号」の指定券を購入していたが、1本前のループバスに乗ったことで時間に余裕がある。和鋼博物館は前日に見学しているし、早め早めで帰ることにする。ちょうど、11時30分発の米子行きがあり、これで米子まで先行する。米子で昼食(プラス飲み鉄)を仕入れるためだ・・・。