鈍想愚感

何にでも興味を持つ一介の市井人。40年間をサラリーマンとして過ごしてきた経験を元に身の回りの出来事を勝手気ままに切る

げに凄まじきもの歌舞伎役者

2006-01-22 | Weblog
 昨日は雪の中、東京・池袋サンシャイン劇場での公演「獅子を飼う」を観賞に行った。秀吉と利休の対立を描いた演劇で、兵庫県立芸術文化センター企画による山崎正和作。20年くらい前に初演され、今回は主役の平幹二郎と坂東三津五郎の顔合わせは同じである、という。数日前の夕刊で秀吉役の坂東三津五郎が「前回は30代で50歳の秀吉を演じたが、今度は年齢がほぼ同じになった」と再演に賭ける意気込みを語っていた。昨日は公演初日で、会場中央のいい席には坂田藤十郎の奥さんである扇千景らしき観客もいたし、入り口にはたくさんの花が並んで大物役者が出演するんだ、と思わせ、会場の外で降りしきる雪とは関係なく華やかな雰囲気を盛り上げていた。たまたま座席が最前列だったこともあり、幕開けから坂東三津五郎の熱気がびんびんと伝わってきた。主役の利休役の平幹二郎はなんか顔色も冴えず、ずっと食われっ放しだった。
 筋書きは秀吉が小田原城攻めをする前後で、千利休が天下の茶人ともてはやされ出し、秀吉の不興を買ったとして、自宅静養を申し出るところから始まる。明国攻めや武将に対する褒賞の授与など次から次へと己の権力を誇示する秀吉に対し、なんとか取り入ってかつての茶匠としての地位を取り戻したい、と思う千利休とのすれ違いを豊臣秀長、ねね、南蛮人の側近ロペス、側用人石田三成、愛人於絹などを交えてエピソード風に綴っていく。最後に2年ぶりに秀吉と利休二人だけの茶会が催され、旧交を温めることになるが、そこへ秀長と鶴松の死の報がもたらされ、折角元に戻りかけた二人の絆が崩れ、利休は死を命ぜられる。利休が為政者、秀吉の心の中にまで踏み込んだことが不興を買ったのである。
 秀吉と利休の葛藤はこれまで多くの小説、映画、演劇で取り上げられている。単なる庶民の楽しみであった茶道が武士の嗜みとして政治の道具にまでなった最初で、最後の出来事であったからなのだろう。政治にはいろいろなことが絡んでくる。茶の世界でのことは茶の世界に留めておくことが肝心で、利休はその一銭を超えてしまったところに悲劇があった。千利休が秀吉という獅子を飼ったような気になり、思うように動かしてみたい、と思った、と秀吉が感じた、ということなのだろう。
 その為政者、秀吉の有能、かつ気まぐれな人物を坂東三津五郎は見事に演じきった。南蛮服を着て、ダンスを踊る姿なんか、秀吉になり切っていて、見ている方が惚れ惚れとした。さすが歌舞伎役者である、と思った。昨年のNHK大河ドラマ、義経で後白河法皇を演じ、最近始まったテレビドラマ「けものみち」で得体のしらない金持ち老人役で好演を見せていた平幹二郎も半ばまで坂東三津五郎に食われていた。一体、どちらが主役だったか、とパンフレットをめくったほどだった。
 わずかに終盤、利休が秀吉との茶会の場が持てるのが決まった場面からやや顔色に精気が戻ってきたが、それでもいつもの平幹二郎らしさには至らなかった。公演終了後のカーテンコールで中央に並んだ笑顔の坂東三津五郎が「良かったね」とでも笑いかけたのに
平幹二郎あ固い表情を崩さなかった。おかげでか、盛大な拍手にもかかわらず普通は2-3回はやるカーテンコールが1回きりだった。平幹二郎の心中は煮え繰り返っていたのだろう。
 枕草子流にいえば、げに凄まじきもの、歌舞伎役者ということにでもなろうか。いくら演劇で経験を積んでも、時代ものは歌舞伎役者に敵わない、ということだ。発声から所作、踊り、何をとっても基礎の鍛え方が違う、ということなのだろう。テレビではいくらでも誤魔化せるが、生の舞台ではそうはいかないのだろう。

 [別件] 沖縄で自殺したとされるエイチ・エス証券副社長の野口英昭さんの通夜が昨日、東京・芝増上寺光摂殿で行われたが、ホリエモンは参列しなかった、という。どんな事情があるにせよ、一番その場にいなくてはならない人がホリエモンである。まさに噴飯ものである。いくら報道陣を避けたい、といっても人間として行うべきこともしないホリエモンは最早、人間失格である。これだけで万死に値する。
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