鈍想愚感

何にでも興味を持つ一介の市井人。40年間をサラリーマンとして過ごしてきた経験を元に身の回りの出来事を勝手気ままに切る

さらば小泉首相

2006-01-21 | Weblog
 耐震データ偽造事件、ホリエモン・ショックに続いて、米国産牛肉の輸入が再開1カ月にして禁止されるという事態になり、小泉首相にとって年末から年明けにかけトリプルショックに襲われ、風雲急を告げる状況になりつつある。昔から奢れるもの久しからず、といわれるが、まさにその通り。明後日から実質幕開けする通常国会で小泉退陣への追及の場としてほしいものだ。
 耐震データ偽造事件の背景には自民党の伊藤公介議員はじめ森派が噛んでいることは明らかで、先日の証人喚問では安部晋三官房長官の名前まで出た。ホリエモンについは総選挙に自民党支援で出馬したことが総選挙圧勝の影を薄くすることだろう。これに加えて、昨日突如、決まった米国産牛肉の輸入再禁止。昨年末、まだ再開は早すぎるのでは、という世論を押し切って、というより米国一辺倒の外交姿勢から再開を迫られ、踏み切らざるを得なかった、というのが実態だ。米国追随外交からの当然の結果といっていい。にもかかわらず、小泉首相はシャーシャーと「残念だ」と、イエスマンの武部幹事長は「許し難い。米国の安全管理が徹底されるまでは輸入すべきではない」と語っている。この発言自体、許し難い。
 もともと靖国神社参拝問題と北朝鮮の拉致問題で八方ふさがりの小泉外交はこれで対米べったり姿勢の弊害が露呈され、外交はまさに全滅が証明された。頼みの内政も耐震データ偽造事件にホリエモン・ショックで唯一、よくなったとみられていた景気も暗雲が漂い始めた。もともと景気回復は小泉の政策によるものなんかではなく、民間の自助努力以外のなにものでもない。
 景気回復以外のことはすべて小泉首相の無策によるものだ。あとはイラクで人身に関わる事故でも起きるようなことでもあれば、小泉首相はまさに世論の袋叩きにあい、真逆さまに転落していくことだろう、と思っていたが、その前にBSE(牛海綿状脳症)問題の再燃で、寛容だった神様もとうとう堪忍袋の緒が切れたようだ。
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ホリエモン・ショック

2006-01-20 | Weblog
 株価操作疑惑で家宅捜査を受けたホリエモンのライブドア株は丸2日間、売り気配が続き、時価総額3000億円も下げた。東証市場は1日の株式取引数の限界400万件を超え、遂に史上初めての取引停止という事態を引き起こした。その余波は全世界に及び、海外のマスコミでホリエモン・ショックとして称せられている。昨日は市場は持ち直したものの、その前2日間で実に30兆円もの時価総額を下げた。そして、グループの幹部が追求を恐れてか、沖縄のホテルで自殺したことから、刑事事件の様相すら出てきた。終戦後まもなく東大生が確か偽の金貸し業の光クラブなる名前の組織をつくり、大衆を騙し、最後は自殺した事件があったが、ホリエモン・ショックはそれに匹敵する戦後の悪事である。
 大体、テレビに登場する前からオンザエッジなる名前の会社がライブドアを買収し、買収した先の企業名を名乗った時におかしな企業があるものだ、と胡散臭さを感じていた。その前にLINUX企業を買収した時に強引な手法で、周囲の顰蹙を買っていた。その後、フジテレビ買収劇で大々的にマスコミに登場、ふてぶてしい態度で画面に登場する姿を見る度に嫌悪感を感じていた。まず言動に謙虚さがないこと、第二に単なるマネーゲームでビジョンが全く感じられないこと、第三に経営の実態がよくからないのが理由であった。
 次から次へとM&Aを繰り返していて、よく企業活動が続けられるものだ。一つの企業と一つの企業が一緒になる、ということはそれぞれの企業カルチャーを溶け込ませる、ということで、エネルギーと時間がかかる。お互いの従業員にとってハッピーなものでない限り、うまくいくわけがない。企業は法的には株主のものかもしれないが、まずは従業員が幸せに、生きがいを持って働くことが先決だ。企業の第一の使命は人を育てることにある、と言ってもいい。ホリエモンはそのことを忘れていた。ホリエモンがあんなにテレビ出演や、選挙活動で飛び回っていて、経営などできるわけがない。後から勘ぐれば、社長が広告塔となってテレビに出ることを続けなければ会社が存続できなかった、というのが本音かもしれない。また、先日の株主総会で株主からなぜ配当しないのか、と攻められた時に最後は涙を交えて「利益は次ぎの買収にあてる」と力説し、日頃の「会社は株主のもの」と矛盾することを平気で宣ったが。本当は粉飾決算をしていて配当あんんてできない、というところだったのだろう。
 普通、会社の社長が先頭に立って何かをしているのはどこか会社がおかしいから、と見られるだろう。会社経営は片手間にできるようなものではない。あれだけ社長がテレビに出まくっていて、当の従業員は不安に思わないものなのか、それが不思議で仕方なかった。それだけホリエモンのワンマン経営でもあった、ということだ。社長の独走を止められない会社はすでに危険信号が出ている、といっていい。ライブドアは経営不在だった、としかいいようがない。会社をよくするのは社員の力だが、悪くするのは社長だ。社長がだめならまず会社はダメだ。ライズドアにはホリエモン以外に従業員の頼みとなるべき人は恐らくいなかったのだろう。キーパーソンが自殺してさらに人心は離れていくことだろう。
 人間60くらいになると、一目人を見て感じることは結構当たっているものだ、と思う。最初にホリエモンを見て感じた胡散臭さは体型と人を食ったような表情、それに世の中を見下したようなものの言い方からくるものである。そんなホリエモンを育んだのは福岡県大牟田だかそのあたりで生まれ育った家庭、と東大だろう。いつかテレビに父親が写っていたことがあるが、息子に自由気ままにやらしてきたのだろう、という印象だった。ホリエモンをこうかで増長させてしまった背景には戦後教育のあり方があったのは否定できないだろう。東大にさえ入れば、本人、家族とも天下をとったような気分に浸ってしまう風潮がホリエモンを生んだのは間違いない。
昨日、テレビに東大卒業した頃の長髪姿の写真が写っていたが、その頃は真面目なソフトウェア技術者の風体だった。どこかで、技術でなく金へ志向が変わり、実業の世界から虚業の世界へ足を踏み入れていったのだろう。いまのホリエモンの容貌は醜く太った豚でしかない。
 ホリエモンは日本一の企業になり、世界へはばたくことを念願していた、と聞く。皮肉なことに本業のビジネスでなく、東証の取引停止を招き、ホリエモン・ショックとして海外でその名を知らしめたことでは思いを達したわけだ。30兆円の損失を招き、東証の機能を止めた男、ホリエモンは間違いなく、地獄に落ちるが、最後にその思いを遂げさせたわけで、神様の粋な計らいとこいえる。
 今日から通常国会が開会される。昨秋の総選挙で岡山6区に亀井静香の刺客としてホリエモンを擁立し、結果的にはホリエモンの暴走を助長した小泉首相をぜひ糾弾してほしいものだ。小泉首相は「人間をそこまで見抜けない」とうそぶいているようだが、内閣首相官邸、自民党の調査能力はそんな程度のものなのか。そんなことだから米CIAはおろか、ロシアのKGBや北朝鮮のキムジョンイルの率いるNKCIAにいいようにやられるのだ。そんな眼識、危機管理でよく総理大臣が務まるものだ、即刻退陣してもらいたい、と言いたい。

 追伸 20日午後に東京・目黒の比較的大きな書店を覗いてみて、当たり前だが、数日前までビジネス書のコーナーで平積みにして並べていたホリエモンの本が見事に一掃されていた。ホリエモンショックの余波はこんなところにも及んでいる。ことここに至ってホリエモンの本を買おうなんて思う人はいないだろう。出版業界にとっては影響大かもしれない。
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カンが鈍った沢木耕太郎

2006-01-19 | Weblog
 アカデミー賞有力とのキャッチフレーズの映画「スタンドアップ」を観賞した。主演が「モンスター」で20キログラム増量して熱演し、アカデミー主演女優賞をもらったシャリーズ・セロンであったのも魅力に感じて、封切り初日に足を運んだ。雨のなかにもかかわらずまあまあの入りだった。映画が始まって、タイトルの原題をみると、「NORTH COUTRY」(北の国)、しかも実話に基づく話である、となっている、どうしてスタンドアップなのかなと思いながら画面に見入った。1950年代の頃か、ストーリイは米国北部に子連れの女性が夫と喧嘩別れして、故郷の炭鉱の街に帰ってくるところから始まる。
 当時は圧倒的に炭鉱は男性の職場で、生活のため炭鉱で働く主人公は父親の炭坑夫を含め排斥され、様々ないじめに会う。仲間の女性も一緒にセクハラめいた言動を受け、簡易トイレの中に入って丸ごと倒されるとか、ベルトコンベアーの急な動きに巻き込まれそうになったり、最後にはレイプに襲われ、遂に会社を男女差別、およびレイプ被害で訴えるに至る。しかし、仲間の女性も同調してくれなくて、裁判でも検察側から少女時代に受けたレイプ事件を持ち出され、実は女性から誘ったもので、レイプではない、と当時のボーイフレンドが証言台に立ち、敗訴しかかる。
 ところが、父親があまりにも強権的として母親からも見放され、家を出ていってしまったことから、組合の大会で「君らも娘がそんな目にあったらどんな気持ちになるのか」と娘の提訴に対する同意を訴えることから流れは変わる。証言台に座ったかつてのボーイフレンドに対し、弁護士は「君はその時なぜ、彼女を助けようとしなかったのか」とホッケーでの試合での闘志を出すことを例に激しく詰め寄り、遂にそのボーイフレンドは当初の「合意」との言を翻し、「レイプだった」との発言を引き出す。その瞬間、主人公の親友でいまや半身不随の女性が椅子席を金具で叩き、それを夫が代弁して、「妻は原告に同意します」と立ち上がる。スタンドアップという表現をして。すると、傍聴席にいた女性の同僚が次ぎ次ぎと立ち上がり、最後は男性の同僚も立ち上がる、感動的なシーンであり、胸にジーンときた。
 スタンドアップという言葉は感動的な場面の数分前に弁護士がボーイフレンドに対し、ホッケーの試合で試合を諦めずに戦うしせいを継続していく姿勢を表して、スタンドアップという。ああ、タイトルに引用したのはこれだな、と思わせていた。
 で、主人公は裁判に勝ち、会社側は職場での男女差別の是正を迫られ、この裁判は全米の男女差別撤廃の先駆けとなった、とテロップで流れ、映画は終わる。アカデミー賞を受賞するか、どうかはわからないが、米国人はこういう単純なストーリーは好きだから、案外受賞するのかもしれない。
 16日の朝日新聞夕刊で沢木耕太郎がいい映画だ、と誉めていた。確かに感動的でいい映画ではあるが、裁判の場面で逆転勝訴するくだりで、ただ、ボーイフレンドの証言がひっくり返ったことだけで、同僚がスタンドアップするのはやや無理がある。もう1つか、2つそこに至る材料が欲しいところだ。それと、やはり、表題をスタンドアップとしたことを誉めるべきだ。沢木耕太郎は肝心のそこをついていない。単に「北の国」のタイトルでは感動を呼ばないだろう。映画興行面で、どういうタイトルをつけるかは重要なことであるはずだ。長年、映画批評に携わってきた沢木耕太郎はカンが鈍ったとしか思えない。朝日新聞もいい加減に沢木耕太郎を使うことは考えた方がいいのではなかろうか。

 
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魂を抜かれたオジャマモン

2006-01-18 | Weblog
 昨日はライブドアショックで東京証券取引所は大暴落した。ライブドア株は売り殺到でストップ安の100円安、東証一部の日経平均は462円も下落し、時価総額でライブドアだけで1500億円(グループ全体で)、東証一部全体で16兆円も下落した。9時に明けた東証市場では引き続き相場は下げ、あげくの果てライブドア株は取引停止の処置となり、ライブドア株は紙屑寸前とまでなってしまった。会社は株主のもの、会社の価値は時価総額が決める、と宣ったホリエモンはこの事態になんと釈明するのか、もう監獄で頭を冷やしてもらうしかない。
 さて、昨日はホリエモンのせいで若干興味の薄れた小嶋進ヒューザー社長の国会喚問があった。午後1時40分に国会の衆院国土交通委員会に現れた小嶋社長こと、オジャマモンはしおらしくいかにも謙虚な風体で部屋に入ってきた。急誂えのいかにも似合わない伊達眼鏡をかけ、手には黒い数珠を持ち、丁度阪神大震災11周年にあたる17日に追悼の意を表すかのように冒頭、1分間の黙祷で頭を垂れていた。聞けば、眼鏡は人相が少しでもよくなるようにと通りすがりのメガネ屋に飛び込んで、買い込んだものという。数珠持参は、以前に耐震偽装マンションの販売についてイーホームズの藤田社長から公表を迫られた時に。「阪神大震災のような大規模な地震が起きて、マンションが倒壊したら、発表すればいい」とうそぶいた人がなんとしらじらしい”偽装”か、と思った。
 肝心の委員会での質疑だが、冒頭質問に立った自民党の衛藤征士郎議員はともかく、次に質問に立った早川忠孝自民党議員の質問には全く呆れてものがいえないものだった。姉歯建築士と会ったのはいつで、どこで、どんな話をしたか、などと始めて喚問するような内容で、しかも同時に3つ、4つの質問をしていて、喚問ということをしたことがない、とおもわせるような質問の仕方。自民党は前回の国会喚問であまりにも喚問になっていない、と批判され、今回はそんなことのないようにエース級の質問者を立てる、という触れ込みだったのにこれではオジャマモンと自民党森派に癒着を勘ぐられても仕方がない。
 オジャマモンの答弁は一々後ろに座っていた弁護士の補佐人に相談するわ、内容は「刑事訴訟の対象になりかねないので答弁は控えます」と繰り返し、お粗末に尽きた。しかも借りてきた猫のように精彩がなく、そのまま精神病院へでも行きそうな状態で終始した。前回の国会参考人証言で見せたふてぶてしさはまるでなく、藤田イーホームズ社長が答弁している時に「何言ってんだよ、ふざけるな」と大声で不規則発言した勢いは全くなかった。自民党の誰かに金玉を抜かれた腑抜けのオジャマモンでしかなかった。
 それでも唯一、民社党の馬渕澄夫議員が安部晋三官房長官に陳情した時の経緯を聞かれた際に目が光った。意外な事実を指摘された、とでも思ったのだろう。新たに暴露された事実はそれくらいで、自民党森派との黒い糸はあぶりだされなかった。最初からその程度で済ます意図はみえみえ、の猿芝居であった。
 再度、喚問して徹底的に解明してもらいたい。オジャマモンは違法性はなかった、と言い切っているのだから、全然反省していないことになる。そんな証言をさせるために国会喚問はあるのではない。国会議員、特に自民党の議員はもっともっと勉強し、調査をして、耐震偽装問題を再発させない策を講じてほしい。
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落とされたホリエモン

2006-01-17 | Weblog
 堀江貴文ライブドア社長が昨晩、大々的に家宅捜査を受け、今朝の朝刊では朝毎読、日経ともいずれも一面トップで扱われ、まるで重大犯人が捕まったか、のような印象た。証券取引法で規定する風説の流布、および粉飾決算で違反したとのことで東京地検特捜部の立入調査の対象とあったもので、数回に渡る株式分割にも株価操作の疑いがかけられている。フジテレビ買収騒動の時にも不正な取引をしたのではないか、といわれていたので、やはりそうか、という感想しかないが、いまなぜという感はぬぐえない。なぜならば、今日17日はあのヒューザーの小嶋社長の国会での証人喚問の日である。
 ライブドアへの嫌疑は子会社、ライブドアマーケティングが一昨年に出版社マネーライフを買収したのが実はすでにライブドア本社が4カ月前に買収していたのを偽装したのと架空売上を計上して、さも好決算会社であると見せかけ、直後のライブドアの100分の1への株式分割の際の株価を有利に導いた、というもので、ホリエモンの指示がどの程度あったのかで事情聴取する、ともいう。昨日の午後4時過ぎにNHKが相撲中継の間に第一報を流し、その段階ではどこも事実を掴んでおらず、ライブドアも「そんな事実はありません」と否定していた。
 ホリエモンは近鉄球団の買収に名乗りを上げて以来、高崎競馬、高知競馬、フジテレビ買収とおよそ本業とは関係のないところに買収攻勢をかけ、果ては衆議院選挙に出馬、それも地元に全く縁のないいわゆる落下傘候補として候補者となり、常にマスコミ、とおいうよりテレビに顔を出すことで、株価維持を図ってきた。ライブドアの経営はどうなっているのか、社員は一体これらの活動をどう思っているのか、不思議でならなかった。こんな経営がまかり通るのなら、日本の経済界は無茶苦茶になる、とも思っていた。丁度、政界における小泉純一郎と経済界におけるホリエモンは同じであり、いずれもいつか排除しない、と日本は大変なことになる、とも思ってきた。
 その二人がタッグマッチを組んだのが昨秋の衆議院選挙だった。結果はホリエモンの落選で終わったから、結果よし、とすべきだが、その後もホリエモンは相変わらずプロ野球球団、広島カープを買収しよう、としたり、マル暴関係のダイナシティの買収をしたりで素行は少しも改まっていなかった。これ以上、ホリエモンをのさばらせておくと危険だ、との判断がどこかで下ったのだろう。
 折りしも17日は小嶋ヒューザー社長の国会喚問がある、こちらの火が燃え盛ると自民党の屋台骨が揺るぎかねない。ここはホリエモン逮捕で世間の関心をそらそう、と自民党の某知恵者が考えでもしたのだろう。自民党と密接に結びついていた、と思い込んでいたホリエモンも単なる広告塔でしかなかった、ということだ。これで、ホリエモンがもうマスコミでもてはやされることはなくなるわけで、その点は喜ばしい限りだ。
 で、朝テレビを見ていたら、なんとホリエモンが午前7時ころから釈明とも思える会見を行った。特捜部の家宅捜査を受けた本人が10時間余経ってから、シャーシャーと会見を行うなんて聞いたことがない。白か、黒かはっきりしないとはいえ、少なくともグレイであるのは確かなんだから、自粛すべきだろう。捜査当局は極めて悪い印象を持ち、「この野郎は全然反省していない」と思うことだろう。窮鼠、墓穴を掘った、という感じだ。案の定、9時にオープンした東京株式市場はライブドア株売り一色で、値がつかない展開となった。ホリエモン、この事態をなんと見る。なんとみようが、ホリエモンはもう一巻の終わりだ。弔鐘の鐘を鳴らしたいくらいだ。
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恐るべし中国

2006-01-16 | Weblog
 中国の外貨準備高が昨年末に8000億ドルを超え、日本に迫ってきて、今年中に世界一になることが確実視されている。安い人件費で欧米や日本に輸出攻勢をかけてきた中国であり、これまでは所詮成り上がりの中流国とみられていたが、外貨準備高世界一となると、黙って見過ごせなくなってくる。貯まった外貨でアジアアフリカ諸国を援助することもできるだろうし、米国の経営の傾いた多国籍企業を手に入れ、世界経済を左右するようなことも容易にできるようになってくる。小泉首相も真剣に対中外交を見直さないといまにとんでもないことになりかねない。
 中国の外貨準備高が昨年末に8189億ドルで日本の8486億ドルに次いで世界第二位となった。脅威なのは前年末に対してなんと34.3%、金額にして2089億ドルも増えたことだ。この伸びが続けば、今年半ばには間違いなく日本を抜き去り、世界第一位に踊り出る。これまでは低い人件費で生産した繊維、家電製品を先進国に輸出して、外貨を稼ぐかつての日本と同じ経済発展パターンをとっている、と見なされてきたが、外貨準備高が世界一になるとなると話は違ってくる。中国の場合、人口13億人でまだまだ稼働すべき労働力は豊富にあるうえ、なんといっても基本は社会主義国家で国家の意向で外貨準備の運用をいかようにも決められる。
 中国経済の躍進の原動力は民営化されている私企業の企業家精神の賜であるのはもちろんだが、その底流にはアニマル・スピリットを支える強固な国の経済政策がある。官民一体で経済の興隆を図るようなことが活発な経済活動の根底にある。だから、中国の通貨、元の切り下げについても簡単には中国政府は首を縦に振らない。
 年明けに開幕した米デトロイトのモーターショーに中国から格安の自動車が出品され、話題をさらったが、こんなことはこれからざらに起きてくることだろう。中国にはインドと並ぶ世界古代文明の発祥地という歴史がある。そのうえに世界の富みが加われば、少なくともアジアアフリカ諸国は日本でなくこれからは中国を仰ぎみるようになるだろう。
 いままでは「おじいさんの犯した罪を孫に償え」と孫に言ってくる不愉快な国と思ってきたが、いつもでもそれで済まされなくなってきたようだ。世界のエコノミック・アニマルと半ば尊敬、かつ半ば蔑まれてきた日本の地位が尊敬の部分では中国に取って代わられることになってきた。外貨準備高世界一という肩書きはそれだけ重いものがある。
 靖国問題で、中国との外交ルートを閉ざしている小泉首相の罪は大きい。少なくとも次期首相は靖国神社に参拝しない政治家を選ぶべきだろう。
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厄介なもの年賀状

2006-01-15 | Weblog
 1月も半ばを過ぎると正月気分も失せてくる。松飾りもとり、郵便ポストの差込口から年賀状のシールも消える。いまさら年賀状を出すのも憚られる。そういえば、あの人から年賀状はきたのかしら、どうしているのかしら、と気にもなってくるのもこの頃だ。考えてみると、この年賀状、一体どんな効用があるのか、と思わないでもないが、一年に一回くらいお互いの消息を交換するのも悪くない習慣だ、と思い、本田勝一氏のように「年賀状廃止宣言」もせずに律儀に出し続けている。
 鈍想愚感子はそんなに付き合いがいい方だと思わないが、それでもプライベートで400枚近くの年賀状を出す。原則として直属の部下には出さないが、来たら返事は書き、職場を離れてもかつての部下からくるようなら、翌年からはことらから出すようにしている。勢い、枚数は年々増えてきている。パソコンで印刷した年賀状はもらってもあまり嬉しくないので、11月末には予め裏の定型の文句と絵柄は印刷しておき、12月はじめから宛名を万年筆で書き出す。ある程度書くと、一筆書き添える。大概は「元気ですか」とか、「ご無沙汰しています」だが、今年は「還暦を迎えました」と書くのが結構あった。
 今年は会社でちょっとした対立があり、会社の先輩、同僚、後輩のなかで出すのをやめたの3枚あった。ずっと書きながら、会社を退いたら、もう会社関係者には出さなくていいのだな、と思ったら、早く辞めたくなってしまい、いまのポジションが必ずしもハッピーではないのだ、と思いいたった。で、その3枚だが、正月の4日になって向こうから来て、返事を出さざるを得なくなった。
 それと、1枚こちらから出したのに返事が来ないので気になっているのがある。対立していた相手を可愛がっていた上司にあたる人で、どうもうらまれてしまったようだ。その人はかつて鈍想愚感子の上司だったこともあり、随分引き上げてもらったことのある恩人でもある。でも子分の敵は敵ということで、切り捨てられたということなのだろう。たかが年賀状、されど年賀状である。
 一枚50円(印刷代を含めると70円強になる)の年賀ハガキにはさまざまの思いが込められている。誰しも若かりし頃、好きな異性に年賀状を出して、返事がくるのを心ときめかして待ったことがあることだろう。また、気に食わない同級生にクラスの美女から偽の年賀状を出して反応を楽しんだいたずらの経験がある人もいることだろう。
 今年の元旦に京都の上賀茂神社へ行く途中、紫野あたりの高級住宅地を歩いている時に、郵便配達夫が豪邸にわずか10枚程度の年賀状を配っているのを見かけた。豪邸に住んでいても付き合いはそんなものか、と驚いた。昔、さサラ金業者が年賀状をもらった枚数で融資金額の上限を決めている、との記事を読んだ記憶がある。インターネット時代なので、メール年賀状というのが一時もてはやされたが、いまにいたるまでそれほど普及していない。やはり味気ない、ということなのだろう。
 いまや国民1人あたり30枚出している年賀状、日本郵政公社にとって年間の郵便収入、いや利益の大半を占めている。が、先々大きな問題をはらんでいる。というのはかつて宅配便のヤマト運輸が年賀状は1枚20円でも採算が取れる、といったことがある。まとめて配達するので1枚20円でも十分にコストがカバーできる、ということなのだ。郵政民営化で、料金競争が激化することが予想される。それでも年賀状は存続していくことだろう。欧米でのクリスマスカードみたいなものかもしれない。
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ブログ文化の行方

2006-01-14 | Weblog
 ブログが登場してはや数年、いまや全国に数百万ものブログがあり、なかには下手な雑誌を上回るアクセス数を誇るものすらあり、日本のマスコミの将来を左右しかねないものにすらなりかねない。いまのところ、ヒット率の高い一部のブログにバナー広告がついたり、「電車男」のように本や映画にされてビジネスにつながるようなものが出始めている程度で、全体としてはまだまだ素人の趣味の域を出ていない。ただ。なにかのきっかけで世論を大きく動かすようなことになったり、ブログ発の情報発信がビジネスにつながり、日本の文化、社会を変えていくことにならない、とも限らない。
 ブログの世界でいま最も注目されているのが昨年末の耐震データ偽造事件で黒幕である内河健を名指しで批判した「きっこの日記」である。自称ヘアデザイナーの30歳くらいの女性が職種柄、芸能界の裏話を暴露していて人気を集め、時には小泉首相や、ホリエモンをやり玉にあげ、厳しく糾弾していた。が、なんといっても昨秋の姉歯建築士の登場以来の筆法は新聞、週刊誌に一歩先んじて発信していた。なかで告白していたが、民主党の馬渕澄夫議員と密に連携していたからこそだが、ブロガーの心意気を見せてくれた。ただ、あまりにも見事だっただけに舞台裏が見えたあとは以前ほどの魅力が見られない。いまさらどうでもいい身辺雑記など読む気になれないし、年末から精気が薄れた感がしてならない。
 この「きっこの日記」、情報の中身もさることながら、情報量も凄い。一回)(1日)の書き込み量がなんと6000字、400字詰め原稿用紙にして15枚にもなる。文章を書くことに慣れた人が得意の分野で一時間に原稿4枚がいいところだ。とすると、きっこ嬢は一日4時間は書き込みに費やしていることになる。まさか、音声吹き込みで活字にしてくれる機械、もしくは入力者がいる、ということか。いずれにしろ、大変な労力を投入していることになる。それだけのコストを投じて見返りがあるものなのか。あるいは金に困らないスポンサーでもついているのか。スポンサーがいるとしたら、そのねらいは一体何なのか……。
 少し前にIT分野で名を売ったブログに切込隊長ブログというのがある。いまも山本某が主宰しているが、なにかの事件で一躍脚光を浴び、なにかで名声を落とし、おまは細々と発信を続けている。切込隊長にしろ、「きっこ」に草創期のブログの役割は十分に果たしたのだろう。こんなようなブログが10や100出てきて、その後にブログ文化の華が咲くような気がしてならない。その時には日本のマスコミの姿もいくらか変わっていることだろう。神のみぞ知ることかもしれない。
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栗原小巻

2006-01-13 | Weblog
 昨晩たまたまテレビを見ていたら、テレビ朝日の探偵ドラマに街のレストランのおかみさん役に栗原小巻が出演していた。最初はよく似た別人か、と思っていたがよくよく見るとやはり栗原小巻。新聞のテレビ欄で名前を確認しても本当かな、と改めて画面に魅入った。かつての栗原小巻を知る人には信じられないようなことだろう。テレビの探偵ものの半ば主人公とはいいながら、うら寂れたレスタランのママ役で、最後は善人らしく終わるとはいえ、途中まではいわば犯人役。テレビだったらヒロイン役でしか出なかった栗原小巻がなぜこんな出演の仕方をしたのだろうか。
 件のドラマは10チャンネル、テレビ朝日が木曜日の夜8時から放送している「京都迷宮案内」という橋爪功演じる初老の新聞記者が主人公の探偵もの。過去何回か放送され、昨日は再登場の初回で、京都の学生相手のレストランを切り盛りするママさん役を栗原小巻が演じていた。かつてはマドンナとして中高年の新聞記者が学生の頃には憧れの的だったが、いまや旦那が倒れて入院していて、レストランも消滅寸前。ただ、プライドから正直にそれを言うこともできず、やれ改装するとか、移転するとか、あげくの果てには無銭飲食に遭ったとか、ひったくりにあったとか狂言を繰り返す”狼おばさん”になってしまう。最後はかつてのファンが集まってお別れパーティらしきものを催してくれ、旦那も亡くなり、レストランも閉店するが、まるで今の栗原小巻を象徴しているような筋書きに後味もよくないストーリーであった。
 かつて栗原小巻は吉永小百合と並び称される青春のトップスターであった。双方のファンをサユリストか、コマキストか、と対立軸で言われることもあったほどだ。そういえば、ドラマのなかでレストランの名前が「よしなが」であったのは皮肉以外の何物でもない。かたやいまでもトップスターとして君臨しているのに、こちらはしがないテレビドラマの準主人公役。あまりにも差がありすぎる。かつてのコマキストにとっては淋しい限りだろう。
 考えてみれば栗原小巻ももう60歳代半ば、いつまでもヒロイン役ばかりやっているわけにはいかない年代に入ってきた。ただ、吉永小百合をみていると、「長崎ぶらぶら節」や「北の零年」などタイムリーに年に応じたヒロイン役を務めてきており、テレビCMも安定的にこなしてきている。それにひきかえ、栗原小巻はこの10年くらいテレビも映画も記憶に残る出演はないし、もちろん出身の舞台、演劇でもない。ましてテレビCMでも見かけない。女優も人気商売なので忘れられない程度に、適度に顔を出していることが必要なのだろう。如何せん、栗原小巻は身体を壊していたとかそれなりの理由はあるのだろうが、いかのもここ10年くらいの露出度が少な過ぎた。これでは若い人に名前を覚えてもらえないだろう。それこそ、中高年のかつてのアイドルでは声もかからなくなってしまう。
 確か栗原小巻は劇団出身であるが、劇団のマネージャーがマーケティング戦略を誤ったのだろう。いまから修正するのは至難の技だろう。
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明日はトヨタか、GMか

2006-01-12 | Weblog
 日本経済新聞が12日から国際面で「GM危機とアメリカ」と銘打って連載を始めた。04年の売上高1930億ドルと発展途上国のGDPより多い巨大帝国が負債総額4500億ドルを抱え、倒産寸前にまで追いつめられている。かつて米国経済隆盛の象徴的企業と言われただけに米国経済の凋落とだぶってみえてくるのは致し方ないところか。奇しくもいまそのGM本社のある自動車の街、デトロイトで世界最大といっていいモーターショーが開かれている。GM本体だけで30万人、関連のディーラーを含めると100万人といわれる社員を擁するだけにGMの再建はアメリカ経済に及ぼす影響も大きい、ということで連載となったようだ。
 確かにGMはアメリカだけでなく世界の経済にも大きな影響を及ばす。ライバルのトヨタ自動車などは必死にその動静を見守っていることだろう。鈍想愚感子が30年前に始めて米国を訪れた時にデトロイトの街にも寄った。丁度いまくらいの時期で、夜、空港からバスでホテルの近くまで来て、街中に降り立った時に道路の中央から白い煙がモウモウと立ち登っているのを見て、驚いた記憶がある。ビルの中で石炭か、コークスかの暖房の燃料を焚いた煙が外に排出されていたのだろうが、それが多くの箇所から立ちのぼっているのだから、見慣れない光景にびっくりしたのだ、と思う。翌朝、ホテルから外を見ると、雪景色で、すぐ前にGMの本社があった。当時としては大きな茶色のビルが3つ他を圧倒するようにそびえていた。外の温度計を見ると摂氏零下30度くらいで、構わずGM本社の方へ歩いて行ったら、もの30メートルも行かないうちに耳が痛くなってきて、ほうほうの丁で引き返した。別に寒さとGMとは関係ないのだが、GM本社ビルの偉容さと摂氏零下30度の気候とがセットになって頭の中に記憶されている。その日だったか、デトロイトに住んでいる現地駐在員に市内を案内してもらったが、中心部と思われるところに結構空き家らしきのが点在しており、GM、フォードという巨大企業のある街なのになぜと聞いたら、中心部は黒人が進出してきて、白人は郊外へ逃げているのだ、と解説してくれ、日本社会にはないアメリカの特殊性なのかと意外な感じを持ったことを覚えている。
 当時のGMとトヨタなんて比ぶべきものでは全然なかった。トヨタはGMのはるか下に位置していたと思う。30年経って、そのGMが経営危機に直面しているのだから世の移り変わりに愕然とする。
 日経の連載によると、GMの従業員に支払う一時間当たりのコストは60ドルに達する、という。医療費や年金など手厚い制度のせいだというが、これでは看板方式で知られるコストに厳しいトヨタに勝てないだろう。
 かつて同じような多国籍企業、IBM社内で氷河時代に滅亡した恐竜になぞらえて、「ダイナソアーズプロブレム」と囁かれたことがある。恐竜はあまりにも巨大になりすぎて、自らの生命を維持できなくなり、自滅していった。巨大企業も同じ運命を辿るというわけだ。幸い、IBMは外部から招いた経営者(ガースナー氏)が大ナタを振るって、なんとか再生を果たした。GMも同じ手法が必要な時あんおかも知れない。もはや、内部の人材ではやりきれないところまできているのだろう。
 このことはいずれトヨタ自動車にもやってくることだろう。いまは対岸の火事視していればいいが、明日は我が身にある時がきっとやってくる。トヨタよ、いまから、その備えをしているのかもしれないが、そうはいかなかった、と気づく時がくることだろう。
 
コメント
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