鈍想愚感

何にでも興味を持つ一介の市井人。40年間をサラリーマンとして過ごしてきた経験を元に身の回りの出来事を勝手気ままに切る

新春歌舞伎

2006-01-09 | Weblog
 昨日、東京・歌舞伎座へ行き、新春歌舞伎を観賞した。昨年、久し振りに歌舞伎を見て、年に1回くらい、できれば演じる側も力が入る年明けの公演がいいだろうと思って、新春歌舞伎を毎年見るようにしての2年目である。実は昨年、中村勘三郎の襲名披露の直後とあって、中村勘三郎が集中出演し、随所にセリフや踊りに新しい趣向を入れていて、歌舞伎も時代に応じて変わってきているのだな、と実感させてくれ、そのことが年に1回くらい見ないと思わせた理由であった。
 新春歌舞伎はお正月らしい華やかさが会場全体にあって、その雰囲気が好きだ。着飾った日本髪の美女もチラホラ見えて、いかにも歌舞伎観賞、という気がする。演目のなかに正月らしい華やかな舞いのものが入っていて、これもいい。いつもなら歌舞伎を見に来て踊りなんか、という気分になるのにそうはならないところがお正月といえる。
 今年の新春歌舞伎は行って見て初めて知ったのだが、坂田藤十郎の襲名披露公演でもあった。なんと231年振りの坂田藤十郎襲名で、新春の華やかさに色を添えたのは事実。当の本人は「夕霧名残の正月」で紙の和服を着て登場、亡くなった遊女、夕霧を偲んで思い出の舞を踊るところは流石と思わせるし、累計1200回に及ぶという「曽根崎心中」のお初役も艶然とこなしてはいるが、やはり74歳の年齢で19歳のお初役を演じるのは無理がある。松竹の永山武臣会長の要請だというが、なにも74歳の中村雁治郎を坂田藤十郎にしなくとも他にふさわしい役者はいくらでもいるのではなかろうか。演じている時はそんなに感じなくても、実はかつての中村扇雀で、扇千影のご主人と思うとぞっとする。歌舞伎興隆のため、毎年誰かにいにしえの名跡を継がせて、興業の柱にしていく、のはわかるが、もっと人を選んでほしいいものだ。
 それと、もうひとつ坂田藤十郎襲名披露の口上で知ったのだが、昨年だかに日本の歌舞伎が世界文化遺産として認められたという。400年の歴史のある歌舞伎が世界公認の文化として認められたのだから、日本人として誇りに思っていいだろう。世界各地でのこうした民族の芸能でどんなものが世界文化遺産として認められているものなのか、どのくらい権威があるものなのか、よくわからないが、これまでの歌舞伎関係者の日頃の精進・努力が認められたことは確かだろう。ただ、過去の伝統を引き継いで守ってきただけではなく、様々な娯楽手段があるなかで人々の興味をつなぐためのいろいろな策も講じられてきたことだろう。だからこそ、新春歌舞伎も満席の状態をもたらしているのだろう。
 ただ、今年の新春歌舞伎の昼の公演は昨年感じたような新趣向、時代に応じたような新しい企画といったものが感じられなかった。ひょっとして、世界文化遺産になったことで安住したような気持ちがあるとしたら、人々の歌舞伎への関心は薄れていくのは間違いない。奢ることなく、日々精進して新しいことを積極的に取り入れて、面白い、楽しい歌舞伎にしていってもらいたいものだ。そうなら、来年も新春歌舞伎にぜひ足を運びたい。
コメント
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