鈍想愚感

何にでも興味を持つ一介の市井人。40年間をサラリーマンとして過ごしてきた経験を元に身の回りの出来事を勝手気ままに切る

厄介なもの年賀状

2006-01-15 | Weblog
 1月も半ばを過ぎると正月気分も失せてくる。松飾りもとり、郵便ポストの差込口から年賀状のシールも消える。いまさら年賀状を出すのも憚られる。そういえば、あの人から年賀状はきたのかしら、どうしているのかしら、と気にもなってくるのもこの頃だ。考えてみると、この年賀状、一体どんな効用があるのか、と思わないでもないが、一年に一回くらいお互いの消息を交換するのも悪くない習慣だ、と思い、本田勝一氏のように「年賀状廃止宣言」もせずに律儀に出し続けている。
 鈍想愚感子はそんなに付き合いがいい方だと思わないが、それでもプライベートで400枚近くの年賀状を出す。原則として直属の部下には出さないが、来たら返事は書き、職場を離れてもかつての部下からくるようなら、翌年からはことらから出すようにしている。勢い、枚数は年々増えてきている。パソコンで印刷した年賀状はもらってもあまり嬉しくないので、11月末には予め裏の定型の文句と絵柄は印刷しておき、12月はじめから宛名を万年筆で書き出す。ある程度書くと、一筆書き添える。大概は「元気ですか」とか、「ご無沙汰しています」だが、今年は「還暦を迎えました」と書くのが結構あった。
 今年は会社でちょっとした対立があり、会社の先輩、同僚、後輩のなかで出すのをやめたの3枚あった。ずっと書きながら、会社を退いたら、もう会社関係者には出さなくていいのだな、と思ったら、早く辞めたくなってしまい、いまのポジションが必ずしもハッピーではないのだ、と思いいたった。で、その3枚だが、正月の4日になって向こうから来て、返事を出さざるを得なくなった。
 それと、1枚こちらから出したのに返事が来ないので気になっているのがある。対立していた相手を可愛がっていた上司にあたる人で、どうもうらまれてしまったようだ。その人はかつて鈍想愚感子の上司だったこともあり、随分引き上げてもらったことのある恩人でもある。でも子分の敵は敵ということで、切り捨てられたということなのだろう。たかが年賀状、されど年賀状である。
 一枚50円(印刷代を含めると70円強になる)の年賀ハガキにはさまざまの思いが込められている。誰しも若かりし頃、好きな異性に年賀状を出して、返事がくるのを心ときめかして待ったことがあることだろう。また、気に食わない同級生にクラスの美女から偽の年賀状を出して反応を楽しんだいたずらの経験がある人もいることだろう。
 今年の元旦に京都の上賀茂神社へ行く途中、紫野あたりの高級住宅地を歩いている時に、郵便配達夫が豪邸にわずか10枚程度の年賀状を配っているのを見かけた。豪邸に住んでいても付き合いはそんなものか、と驚いた。昔、さサラ金業者が年賀状をもらった枚数で融資金額の上限を決めている、との記事を読んだ記憶がある。インターネット時代なので、メール年賀状というのが一時もてはやされたが、いまにいたるまでそれほど普及していない。やはり味気ない、ということなのだろう。
 いまや国民1人あたり30枚出している年賀状、日本郵政公社にとって年間の郵便収入、いや利益の大半を占めている。が、先々大きな問題をはらんでいる。というのはかつて宅配便のヤマト運輸が年賀状は1枚20円でも採算が取れる、といったことがある。まとめて配達するので1枚20円でも十分にコストがカバーできる、ということなのだ。郵政民営化で、料金競争が激化することが予想される。それでも年賀状は存続していくことだろう。欧米でのクリスマスカードみたいなものかもしれない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする