賢くなった国民

2008年12月25日 08時39分20秒 | 国を憂う
昨日「客観的な基準を」を書いてて、国民が賢くなった理由を考えた。そこで思い至ったのが数十年前から一般企業でさかんに実施されたTQC活動(業務改善運動)である。
業種で差があるわけじゃなく、一定規模以上の会社なら生産性の向上をめざして、多かれ少なかれやったはずだ。だから今の社会人の大半はこの手の活動を経験してきてる。

僕のいた会社でも業務時間をさいて小集団での活動を続けた。社内発表会、優秀活動の表彰まで設けてた。半分いやいややってたが、続ける中で「客観的に分析し、語る」「理解しやすい資料と説明」そういうことが体質にまでなってる。すぐ分析し、クレームが口に出る。どこまで客観性があるかを判断基準にする。そのままそんな自分が楽しいわけではない。でも社会現象特に今の国政を見るにはいい体質だと思ってる。

この手の経験を経て今日本人は無意識のうちにも「なにが、どこが不明確なのか」、合わせて「なにが不明確にさせているか」まで感じる力を身につけたのではないだろうか。
旧態依然たる政治手法に不満を感じるのはあたりまえだ。
賢くなってないのは国会という「塀」の内側だけではないのか。
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