リベルテールの社会学

生きている人間の自由とは、私の自由と、あなたの自由のことだ。そして社会科学とは、この人間の自由を実現する道具だ。

20歳の記憶

2008-04-06 17:07:32 | コーヒーブレイク
勤め先の近くにも桜が咲きました。
花見の名所の近くですが、そちらは人ばかりなのでやめて、反対側の裏町へ。
古いけれど無名な天神様から閑散とした住宅街の道をたどれば、突然まだアスファルトも黒々とした幅広の新設道路と建築途上の巨大なビルが目に飛び込みました。そういえばここは20歳の頃たずねた友達の友達のアパートのあたり、のはず。

その頃学生アパートといったら、池袋、大塚といった繁華街裏の木造2階家4畳半流し付きというのが定番のところ、彼氏は学生じゃなかったみたいで、幹線道路から入った低層とはいえコンクリートのビル街で、その3階辺りの3部屋ほどもある事務所のような住処がそこでした。

  蛍光灯の下の暗い殺風景な部屋で、いったいどんな話をしていたのか記憶のかけらもありません。
  知らない人たちと知らない話をした、ということなんでしょう。
  翌朝、飲み残したサントリーホワイトが香りも飛んで色水のようにコップに残り、
  ああ、これが安ウイスキーというものかと思った覚えだけがあります。
  今では当家ではホワイトなんて高級なんですけどね。

あったはずのアパートのビルの場所を捜して、といっても覚えているのは、早朝の電車に乗るために皆で向かった幹線道路へ出るわき道の光景だけ。
そう、そこも再開発で広々とした空間が鉄板で囲まれている地域になっていました。
ここには2年前に転勤してきたんですが、こんなことならもっと前に訪ねてくればよかった。

  何もなかった20歳の風景ですが、それも私にとっては昨日のことと同じ。
  でも、どうもそういう記憶の持ち方は他の人はほとんどしないんだ、
  ということが最近ようやくわかってきました。


(P.S.)ずっと経ったある日。もう訪問のこの日も思い出になってしまったのに、その日が曖昧過ぎる記述。天神様は、「牛天神」北野神社、鉄板で囲まれた工事は、今はもう完成の飯田橋ファーストタワー、です。昔は首都高裏の小さなビルの街が、明るい巨大な再開発ビルと大通り。ほんと、渋谷と同じ運命をたどっているよ。
 なんてね、だんだん生きた印も大事になって。やだね、年取って。
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