こんにちは。日本全国あったかいようで、都会の人や年寄りにはご同慶。作物にはいろいろなんでしょうね。寝てられない熊には残念かも。起きちゃうと腹減るし。腹減れば更に寝れないし。
梅見も各地梅まつりを待ってくれないようで。
梅は桜と違って、せいぜい五分咲きまでがきれいなようです。お気をつけください。満開じゃあ花は半分以上腐ってるし。
さて、コロナウイルスは困りますね、経過が長くて。ニュースで政府は軽い人は掛かりつけ医でなんとかしてくれと聞こえましたが、とつぜん容態が悪くなっちゃあ入院のタイミングが分からないまま過ぎそうで危険。まあ、流行はまだ先の話ですが、このブログは人より早くがモットー。後からグダグダ言っても遅い。
ところで、手洗い予防ってほんとかね。なんだね、指の叉や爪の間を洗うって。そんなとこにどうやったらウイルスがつくんだね、ついたっていいけど、そんな箇所のウイルスがどうやって目や鼻や口の粘膜に移動するんだね。うそくせえ。
だいたい花粉症以外の人間が、目や鼻や口の粘膜に触るもんかね、わたしゃ花粉症だから目をこするけどね。ともかく医者も本気で言ってるのか怪しい。
それより、そんなちょっとで移るもんなら、外出時の微小飛沫ですぐ移ると思うぞ。実際移ってるようじゃないかね。マスクったって一んち中してるわけじゃあるまいし。マスクして飲み食いすんなら、ま、止めないけどね。さぞまずかろう。
というわけで、本日は年に一度の詩集点検の季節、『中原中也賞』。さいきんは審査員の質にもうあきらめてきてますので、またこんなだな、と思いながら期待もせずに検索した最後の候補作。
彦坂美喜子『子実体日記』
マニキュアの剥がれた爪と長い髪どこで私をすてたのだろう
頭からハナサナギタケが生えている夜はゆっくり起だしてきて
(「週刊川柳時評」様より、抄)
おおお、、、
やるね。短歌かよ。短歌だってさ。短詩群。自分の短歌を並べて詩にしたんだって。
信頼の谷内修三氏のブログで評を探せば、ありますね、さすが。
しかもさすがのことに、短歌をまとめて詩にするな、という御趣旨。そうでしょ。そうなの。
谷内氏は解体して書き直せ、というけれど、実際もともとの短歌のバランスが悪いね、どっちつかずで。私の見立てでは長い詩には足りないから、これからは、短詩を書くんだ、と思い切ったほうが良いでしょう。並べて書いていいから(今までは思い切っていない、といっております)。
ところで、中也賞を思い出させた、前の日曜の朝日の天声人語(=コラム)、
「(中也が)詩壇の登竜門に自分の名が冠されていると知ったら驚倒するにちがいない」だってさ。コラム氏、中也読んだことがないよね。中也なら心の中だけで喜びながら「あたりめえよ」というだけさ。間違いない。この隈、自分でわかるもの。
ところで、本日の納得できない情報。
下記のいかにも中也調のランボー訳は、60年前の岩波(たしか)の少年少女世界文学名作選(? ちょっと署名が違うかも、菊判200頁ちょっとのハードカバー)に、「小林秀雄」訳で載っていたものです。去年本を捨てたので証拠がありませんが。4、5十年前見て、「あれ、これ中也じゃないの」と思い中也の訳を調べたら、そのときの資料では現行ネット情報で(=最近の書物で)「太陽と溶け合う海」(小林の訳)とあるものでした。なんだよ中也しっかりしろよ、とそのときから小林秀雄には一目置いてたところ、さっきネット確認したら下記は「中也訳」情報ばかり。絶対納得できない。昔も中原訳も調べたのだから、岩波(たしか)だけの問題じゃないわけね。
ま、愛唱歌なので、途中までご紹介。
永遠
また見付かった。
何がだ? 永遠。
去(い)ってしまった海のことさあ
太陽もろとも去(い)ってしまった。
見張番の魂よ、
白状しようぜ
空無な夜(よ)に就き
燃ゆる日に就き。
人間共の配慮から、
世間共通(ならし)の逆上(のぼせ)から、
おまえはさっさと手を切って
飛んでゆくべし……
、、、ちがうのかな、、ただのボケかな、記憶の右と左が入れ替わっただけ?
悲しいね、大騒ぎして、、
梅見も各地梅まつりを待ってくれないようで。
梅は桜と違って、せいぜい五分咲きまでがきれいなようです。お気をつけください。満開じゃあ花は半分以上腐ってるし。
さて、コロナウイルスは困りますね、経過が長くて。ニュースで政府は軽い人は掛かりつけ医でなんとかしてくれと聞こえましたが、とつぜん容態が悪くなっちゃあ入院のタイミングが分からないまま過ぎそうで危険。まあ、流行はまだ先の話ですが、このブログは人より早くがモットー。後からグダグダ言っても遅い。
ところで、手洗い予防ってほんとかね。なんだね、指の叉や爪の間を洗うって。そんなとこにどうやったらウイルスがつくんだね、ついたっていいけど、そんな箇所のウイルスがどうやって目や鼻や口の粘膜に移動するんだね。うそくせえ。
だいたい花粉症以外の人間が、目や鼻や口の粘膜に触るもんかね、わたしゃ花粉症だから目をこするけどね。ともかく医者も本気で言ってるのか怪しい。
それより、そんなちょっとで移るもんなら、外出時の微小飛沫ですぐ移ると思うぞ。実際移ってるようじゃないかね。マスクったって一んち中してるわけじゃあるまいし。マスクして飲み食いすんなら、ま、止めないけどね。さぞまずかろう。
というわけで、本日は年に一度の詩集点検の季節、『中原中也賞』。さいきんは審査員の質にもうあきらめてきてますので、またこんなだな、と思いながら期待もせずに検索した最後の候補作。
彦坂美喜子『子実体日記』
マニキュアの剥がれた爪と長い髪どこで私をすてたのだろう
頭からハナサナギタケが生えている夜はゆっくり起だしてきて
(「週刊川柳時評」様より、抄)
おおお、、、
やるね。短歌かよ。短歌だってさ。短詩群。自分の短歌を並べて詩にしたんだって。
信頼の谷内修三氏のブログで評を探せば、ありますね、さすが。
しかもさすがのことに、短歌をまとめて詩にするな、という御趣旨。そうでしょ。そうなの。
谷内氏は解体して書き直せ、というけれど、実際もともとの短歌のバランスが悪いね、どっちつかずで。私の見立てでは長い詩には足りないから、これからは、短詩を書くんだ、と思い切ったほうが良いでしょう。並べて書いていいから(今までは思い切っていない、といっております)。
ところで、中也賞を思い出させた、前の日曜の朝日の天声人語(=コラム)、
「(中也が)詩壇の登竜門に自分の名が冠されていると知ったら驚倒するにちがいない」だってさ。コラム氏、中也読んだことがないよね。中也なら心の中だけで喜びながら「あたりめえよ」というだけさ。間違いない。この隈、自分でわかるもの。
ところで、本日の納得できない情報。
下記のいかにも中也調のランボー訳は、60年前の岩波(たしか)の少年少女世界文学名作選(? ちょっと署名が違うかも、菊判200頁ちょっとのハードカバー)に、「小林秀雄」訳で載っていたものです。去年本を捨てたので証拠がありませんが。4、5十年前見て、「あれ、これ中也じゃないの」と思い中也の訳を調べたら、そのときの資料では現行ネット情報で(=最近の書物で)「太陽と溶け合う海」(小林の訳)とあるものでした。なんだよ中也しっかりしろよ、とそのときから小林秀雄には一目置いてたところ、さっきネット確認したら下記は「中也訳」情報ばかり。絶対納得できない。昔も中原訳も調べたのだから、岩波(たしか)だけの問題じゃないわけね。
ま、愛唱歌なので、途中までご紹介。
永遠
また見付かった。
何がだ? 永遠。
去(い)ってしまった海のことさあ
太陽もろとも去(い)ってしまった。
見張番の魂よ、
白状しようぜ
空無な夜(よ)に就き
燃ゆる日に就き。
人間共の配慮から、
世間共通(ならし)の逆上(のぼせ)から、
おまえはさっさと手を切って
飛んでゆくべし……
、、、ちがうのかな、、ただのボケかな、記憶の右と左が入れ替わっただけ?
悲しいね、大騒ぎして、、
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