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クラシック音楽オデュッセイア

2025年正月、ついに年賀状が1通も来なくなった“世捨て人”のブログ。クラシック音楽の他、日々のよしなし事をつれづれに。

歌劇<フニャディ・ラースロー>(1)

2008年08月06日 | 作品を語る
当ブログでは先頃、ゾルタン・コダーイの代表作<ハーリ・ヤーノシュ>を語ったが、これはオペラというよりはむしろ、音楽付きのお芝居といった感じの作品であった。では、ハンガリーの国民歌劇といったら何を挙げたらよいのだろうか。そういう話になればやはり、フェレンツ・エルケル(1810~1893年)の作品から、いくつかが選ばれることになるだろう。今回はまず、このエルケルが比較的若い頃に書いた歌劇<フニャディ・ラースロー>(1844年)【※注1】を採りあげてみることにしたい。参照音源は、アダム・メドヴェツキ指揮ハンガリー国立歌劇管弦楽団、他による1977年の映像ソフトである。なお、ブログ主はハンガリー語の読み方を知らないため、人名・地名などのカタカナ表記についてはどこかで間違いをしでかす可能性が高い。そのあたりはひらに、御海容を賜りたいと思う。

【※注1】このオペラのタイトルは、「ラースロー・フニャディ」という逆の順番で書かれることもある。具体的なストーリーに入る前に、この点についての注釈を先に入れておきたい。ハンガリーで人のフルネームを書く順番は、実は日本語と同じなのだそうである。つまり、「名字が先で、本人の名前が後」ということだ。たとえば、作曲家ゾルタン・コダーイはコダーイ・ゾルタン、指揮者のイシュトヴァン・ケルテスならケルテス・イシュトヴァンといった風に、故国ハンガリーでは呼ばれるらしいのである。今回のオペラの主人公は「フニャディ家のラースローさん」なので、幅広く使われている西欧風の表記なら“ラースロー・フニャディ”になるけれども、ご当地ハンガリーの流儀で書くなら“フニャディ・ラースロー”が正しいということになるわけだ。以下、登場人物の名前は、ハンガリー風の語順に統一していくことにしたい。

―歌劇<フニャディ・ラースロー>の前置き

1456年に病死したフニャディ家のヤーノシュは、傑出した人物だった。彼は生前、ハンガリーの総司令官として王国の統一、治安の確立、そして国の防衛といった各方面にわたって優れた能力を発揮した。ヤーノシュは若き国王ラースロー5世の後ろ盾となって力を尽くしたが、彼の死後、国王の取り巻き連中がフニャディ一族を権力の座から追放してやろうと、画策し始める。彼らはフニャディ家の若い世代から権力や財産をもぎ取ろうと、動き出すのである。そして、その直接的な標的となったのが、英雄ヤーノシュの長男であるフニャディ・ラースローであった。

―歌劇<フニャディ・ラースロー>のあらすじ

〔 第1幕 〕・・・ナンドルフェヘルヴァル(現ベオグラード)にあるフニャディ家の砦

フニャディ家の支持者たちが、彼らの若きリーダーであるラースロー(T)の帰りを待っている。「ラースローは、国王(T)や摂政ツィレイ・ウルリク(Bar)のことを、あまりにも無防備に信用し過ぎているのではないか」と、皆心配している。やがて国民会議から帰ってきたラースローは、そんな人々の疑念をなだめようと努力する。そこへ、国王ラースロー5世が家来たちを従えてやってくる。その中には摂政ツィレイ・ウルリクもいる。人々が懸念しているとおり、彼はフニャディ・ラースローを亡き者にし、城を乗っ取ってやろうと密かに企んでいるのだった。下心のない実直なラースローが国王への信頼と忠誠心を歌い、人々がそれに唱和する。

(※短い序曲と、それに続く男声合唱。ここで早速、作曲家エルケルがどんな書法を拠りどころにしているかが見えてくる。イタリア・オペラである。岡田暁生氏の著作『オペラの運命』に述べられているとおり、国民歌劇というのは一般に、「イタリアやフランスなど、西欧のオペラ書法を基本として書かれ、そこに民族楽器や独自の音階などをスパイスのように効かせたもの」であって、エルケル作品もその例外ではないということなのだ。ちなみに、<フニャディ・ラースロー>について言えば、ドニゼッティが具体的なお手本になっていると考えてよいだろう。)

場面変わって、国王の部屋。国王ラースロー5世に、摂政ツィレイがささやく。「フニャディ一派は、王の座を虎視眈々と狙っている。警戒した方がいい」。

(※主人公のフニャディ・ラースローが力強いリリコ・スピントであるのに対し、国王は同じテノールでも、どこかヘニャッとした感じのレッジェーロな声。この対比がいかにもという感じで、面白い。「余は一体、どうしたらよいのじゃ」とツィレイにすがるあたり、未熟で不安いっぱいな王の雰囲気がよく出ている。なお、この国王ラースロー5世というのは、年齢がわずか10代半ばの若造であるということを、ご承知おきいただきたい。)

フニャディ・ラースローが、婚約者マリア(S)への思いをアリアで歌う。そこへ彼の仲間たちが駆けつけ、摂政ツィレイ・ウルリクの策謀についての情報を与える。やがてツィレイが一人でやってきて、ラースローを罠に陥れるための話を持ちかけるが、ラースローは「その手は食わんぞ。お前の企みはもう分かっている」と応じ、ツィレイが振り上げた剣を見事に打ち払う。そして仲間たちが一斉にツィレイの身体に剣の雨を降らせ、悪漢の息の根を止める。

続いてその場に姿を現した国王は、自分の伯父でありアドヴァイザーでもあったツィレイの亡骸を目にして、激しく動揺する。しかし、「この男こそ、謀反人なのです」という人々の訴えを聞き、王は事を荒立てないことを約束する。

(※この場面では、主人公ラースローの仲間たちによる勇壮な男声合唱を聴くことができるが、音楽的な雰囲気としてはやはりドニゼッティ風だ。しかし、登場した時に異様な存在感を見せてくれた悪役ツィレイが、こんな早くにやっつけられて退場してしまうのは、ちょっと寂しい。w )

〔 第2幕 〕・・・テメシュヴァル(現ティミショアラ)にあるフニャディ家の城

フニャディ・ラースローの婚約者であるマリアが、愛する人を思ってアリアを歌う。続いて、輪になって縫い物をする侍女たちの楽しげな合唱。その一方で、フニャディ・ヤーノシュの未亡人シラジー・エルゼベト(S)は、深い悲しみに沈んでいる。彼女は、息子のラースローが処刑されるという恐ろしい夢を見てしまったのだ。国王が到着して悲嘆にくれる彼女をなだめるが、王はそこにいるマリアの姿を目にするや、たちまち一目惚れしてしまう。マリアの父親である総督ガラ(Bar)は、そんな王の様子をすばやく察知し、ニヤリと笑う。そして、「娘をうまくだしに使えば、国王を意のままに動かせる」と、彼は権力獲得へ向けて思案を巡らし始める。

(※摂政ツィレイ・ウルリクはあっさりやられたが、次に登場する悪役・ガラ総督は恐ろしい。具体的な行動はドラマの後半部で明らかになるが、権力獲得のためなら自分の娘がどんな不幸な思いをしようと一向に構わない、そういう男である。今回参照している映像ソフトの演奏は全体に可もなく不可もなくといったレベルのものだが、このガラ役を歌っているバリトン歌手はなかなか良い。映像で口パク演技をしている俳優さんがまた、いかにも悪そうだなあ、という感じの面構え。こういう分かりやすさは、大歓迎だ。)

エルゼベトと二人の息子(ラースローと、弟のマティアス)は再会を喜び、未来への希望に胸を弾ませる。しかし、総督ガラがラースローとマティアスの二人を国王の下へ呼び寄せると、エルゼベトは再び不吉な予感をおぼえる。その後二人が無事に戻って来て、「王様から、慈悲の言葉をもらった」と伝えると、彼女はようやくほっとする。

(※このオペラの登場人物に関して一つ興味深く感じられるのは、ラースローの母エルゼベトに与えられた音楽的性格である。オペラでは普通、歳のいった女性にはメゾ・ソプラノかアルトの声が付けられ、歌も落ち着いたタイプのものが多いのだが、エルゼベトの声は純然たるソプラノであり、その上至難なコロラトゥーラの技巧までが要求されるのだ。そのあたりについての作曲者の意図が何であったかは詳らかでないが、次回の補足話に書くとおり、この嘆きの母はフニャディ家が巻き込まれた政争劇に、後日大きな役割を果たすことになるのである。なお、主人公ラースローの弟であるマティアスも、映像で演じる俳優さんは若い男の子だが、声はソプラノ歌手の担当になっている。)

王の招きによって、ラースローとマリアの結婚式がブダで行なわれることとなった。礼拝堂で、王が宣言を行なう。「エルゼベトは我が母となり、彼女の息子たちは我が兄弟となろう」。人々の大きな歓声が上がる。王は内心穏やかではないのだが、自分の伯父であるツィレイ・ウルリクの殺害については今後フニャディ一族の責を問わないと誓う。

―この続き、何とも無慈悲なドラマが展開するオペラの後半部分については、次回・・。

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