今回のトピックは、歌劇<バーンク・バーン>(1861年)。フェレンツ・エルケル充実期の力作である。これは前回まで語った<フニャディ・ラースロー>と同じく、実際のハンガリー史にその名を残す人物の物語だ。まず、タイトルの意味について先に触れておくと、前半の“バーンク(Bank)”は主人公の名前ということで問題ないのだが、後半の“バーン(Ban)”がちょっと難しい。これは人の名前ではなく、一種の称号みたいな物らしい。英語ではviceroy、場合によってはlord of the countyなどといったあまり日常的でない語句が相当するもののようで、「領主」「総督」、あるいは「辺境伯」といった訳語が候補になってくるようだ。このあたりの政治用語の定義は苦手なので、当ブログではとりあえず、“領主のバーンク”といった程度に訳しておこうかと思う。参照演奏は、タマーシュ・パール指揮ハンガリー・ミレニアム管弦楽団、他による2001年のワーナー盤である。
―歌劇<バーンク・バーン>のあらすじと音楽
〔 第1幕・第1場 〕・・・ヴィスグラードにある王宮の大広間
領主のバーンク(T)には、メリンダ(S)という名の美しい妻がいる。そのメリンダに横恋慕しているのが、王妃ゲルトゥルド(Ms)の弟であるオットー(T)。このオットーが、「メリンダをうまく手に入れられそうだ」と騎士のビベラッハ(Bar)に語るところから、オペラは始まる。騎士は、「バーンクには力があるから、気をつけろよ」とオットーに忠告する。
(※悲劇的で荘重な前奏曲が、冒頭に流れる。作曲家若書きの<フニャディ・ラースロー>は“ハンガリー風味のドニゼッティ・オペラ”みたいな雰囲気を持っていたが、こちらの<バーンク・バーン>は、それよりもずっと充実した筆致で書かれている。前奏曲の後オットーが歌いだす場面への導入など、まるでヴェルディ・オペラみたいである。)
続いて、ビハール区の領主を務めるペトゥール(Bar)が、ハンガリーの貴族たちと一緒に登場。彼らは、王妃ゲルトゥルドを追放するための計画を練っている。と言うのも、王妃は夫である国王エンドゥレ2世(B)の留守中に専横な振る舞いをし、ハンガリーの人々を苦しめているからである。王妃たちの一行が通り過ぎた後、ペトゥールはバーンクに計画への協力を願い出る。しかしバーンクは、「そのような陰謀には賛成できん」と答える。「気が変わったら、今夜の集まりに来てくれ。その時の合言葉は、メリンダだ」と言葉を続けるペトゥールに、「何で俺の妻の名を使うのだ」とバーンクは訝(いぶか)って尋ねる。すかさずビベラッハが、「王妃の弟が、そなたの妻の操を奪おうとしているのだ」と、バーンクに話す。それを聞いたバーンクは激しい怒りに燃え、計画への協力を約束する。そして彼がその場を立ち去った後、ペトゥールらは、「バーンク・バーンを、我らのリーダーにしよう」と打ち合わせる。
再び王妃が従者を引き連れて広間に現れ、踊り手たちが華やかな『チャルダーシュ』を踊り始める。それからもオットーはしきりにメリンダを口説くが、彼女は必死にそれを拒む。しかし、王妃がオットーの味方についてしまうので、メリンダはいよいよ追い詰められる。
(※第1幕第1場で見られる音楽的な聴きどころは、主に3つ。まず、ペトゥール・バーンと貴族たちが豪快に歌う『酒の歌』。オーケストラの伴奏が、やはりヴェルディを髣髴とさせる。続いて、やっぱりそれが出ますよね、という感じの『チャルダーシュ』。このハンガリー舞曲は、前回の<フニャディ・ラースロー>にも結婚式の彩りとして出てきたが、こちらでは途中から合唱も加わって、音楽がさらに盛り上がる。最後は、第1場全体を締めくくる多声のアンサンブル。これはメリンダ、オットー、王妃、ビベラッハ、ペトゥール、そして貴族たちの男声合唱と侍女たちの女声合唱が絡み合い、それぞれの気持ちを歌いだす大掛かりな重唱である。作曲家エルケル渾身の筆さばき、といったところか。)
〔 第1幕・第2場 〕・・・礼拝堂の正面にある王宮の中庭
逃げるメリンダを追いかけて、オットーが執拗に迫る。この光景を目にしたビベラッハが、バーンクの元へと走る。オットーはしつこくメリンダを抱こうとするが、彼女は必死にいやな男を振り払って逃げる。やがてその場へ駆けつけたバーンクは、メリンダの後を追いかけるオットーの姿を確認し、「あいつめ、今に見ていろ」と復讐を誓う。バーンクがそこを去った後、オットーが戻り、「ちぇっ、失敗しちまったぜ」とビベラッハにこぼす。腹に一物ある騎士は、「これを使うといい」と言って、オットーに媚薬を渡して去らせる。そして一人になると彼は、「行け、このバカめ。おのれの首に、せいぜい気をつけるがいい」と、侮蔑の言葉を吐く。
(※第1幕第2場では、メリンダに言い寄るオットーのアリアがまずちょっとした一曲になってはいるが、音楽的にはむしろ、「あなたを軽蔑します」と柳眉を逆立てるメリンダとのやり取りの方が面白い。この場面、思いっきりイタ・オペ風なのだ。続いて、ビベラッハに導かれてバーンクが登場すると、重々しい金管のテーマが流れる。これは、主人公を示す一種のライトモチーフのように思える。そして、バーンクのアリア。「メリンダ、この世ならぬ美しい名よ」と始まる妻への賛歌は、途中から表情が一変し、彼女に迫る卑劣な男に対する怒りの歌へと変わっていく。ここは主役を演じるテノール歌手にとって、後に出てくる第2幕冒頭のアリアと並ぶ一番の聴かせどころであろう。)
〔 第1幕・第3場 〕・・・王宮内、玉座のある部屋
王妃が祝宴を催す。そこには、王妃やオットーに対して恨みを持つ者たちも来ている。メリンダは、「王宮にお招きいただいたことには、感謝しております。けれど、私はバーンクの妻です」と、夫の領地へ帰りたい気持ちでいることを語る。しかし、王妃はそんなメリンダの申し出を拒否する。続いてメリンダ、王妃、オットー、そしてペトゥールが、それぞれの胸中を歌いだすアンサンブル。
(※ここも上記の第1場と同じように、最後を締めくくる大規模なアンサンブルが聴きどころになっている。特に面白く感じられるのは、曲の後半にさしかかるところで、合唱の歌声がヴェルディの<ナブッコ>みたいにうねってくる部分だ。澎湃(ほうはい)と湧き上がる波のように、とでも表現できようか。こういう感じ、私は結構好きである。そして、アンサンブルの最後を締めくくるのは、いわゆるカバレッタ風の音楽。このリズム感、もうイタ・オペそのもの。w )
〔 第2幕・第1場 〕・・・王宮の礼拝堂
「祖国を救うことが、自分に残された使命だ」とアリアを歌って心情を吐露するバーンクのところに、一人の老いた農夫がやって来る。彼は領主であるバーンクに、民の窮状を訴えに来たのであった。バーンクは妻のことで頭がいっぱいだったため、はるばるやって来た老人に対して邪険な対応をする。しかし、「ずっと昔のことです。ザラで戦闘があった時、ヴェネツィアの刺客が幼いあなたとお父上を狙ってきましたが・・」と彼が話し始めると、バーンクははっきりと思い出す。この農夫こそ、かつて戦場で自分を救ってくれた命の恩人ティボルツ(Bar)であると。バーンクは、民衆のために力になろうと彼に約束する。
そこへ、ビベラッハが恐ろしい知らせを持ってやって来る。「オットーがついに、メリンダの寝込みを襲って犯してしまったぞ」。激しいショックに立ちすくむバーンク。やがてメリンダが打ちしおれた様子でそこへ現れ、自分の心の貞淑と穢されてしまった体のことを夫に告白する。傷心のバーンクはティボルツに、「妻を城まで送り届けてやってくれ」と依頼。その言葉を受けてティボルツは、メリンダと幼い子供を連れて城ヘと向かう。
(※「バーンクお願い、私を殺して」と始まるメリンダの歌は哀切を極めるものだが、ここではヴィオラ・ダモーレのソロと民族楽器ツィンバロンが伴奏を務め、いかにもハンガリー的な情緒を醸し出す。妻の痛々しい姿を見たバーンクが、「白いユリはどこへ」と歌いだし、それはやがて妻メリンダとの二重唱に発展する。まことに悲しくも、壮麗なデュエットである。そしてティボルツに連れられてメリンダと幼い息子が去った後、上記2種の独奏楽器による長い楽曲が流れる。これは、後のシーンに移る前の間奏曲みたいなものと考えてよいだろう。しかしまあ、しみじみと悲しい曲である。)
―この続き、怒れるバーンクの復讐からオペラの幕切れまでの展開については、次回・・・。
―歌劇<バーンク・バーン>のあらすじと音楽
〔 第1幕・第1場 〕・・・ヴィスグラードにある王宮の大広間
領主のバーンク(T)には、メリンダ(S)という名の美しい妻がいる。そのメリンダに横恋慕しているのが、王妃ゲルトゥルド(Ms)の弟であるオットー(T)。このオットーが、「メリンダをうまく手に入れられそうだ」と騎士のビベラッハ(Bar)に語るところから、オペラは始まる。騎士は、「バーンクには力があるから、気をつけろよ」とオットーに忠告する。
(※悲劇的で荘重な前奏曲が、冒頭に流れる。作曲家若書きの<フニャディ・ラースロー>は“ハンガリー風味のドニゼッティ・オペラ”みたいな雰囲気を持っていたが、こちらの<バーンク・バーン>は、それよりもずっと充実した筆致で書かれている。前奏曲の後オットーが歌いだす場面への導入など、まるでヴェルディ・オペラみたいである。)
続いて、ビハール区の領主を務めるペトゥール(Bar)が、ハンガリーの貴族たちと一緒に登場。彼らは、王妃ゲルトゥルドを追放するための計画を練っている。と言うのも、王妃は夫である国王エンドゥレ2世(B)の留守中に専横な振る舞いをし、ハンガリーの人々を苦しめているからである。王妃たちの一行が通り過ぎた後、ペトゥールはバーンクに計画への協力を願い出る。しかしバーンクは、「そのような陰謀には賛成できん」と答える。「気が変わったら、今夜の集まりに来てくれ。その時の合言葉は、メリンダだ」と言葉を続けるペトゥールに、「何で俺の妻の名を使うのだ」とバーンクは訝(いぶか)って尋ねる。すかさずビベラッハが、「王妃の弟が、そなたの妻の操を奪おうとしているのだ」と、バーンクに話す。それを聞いたバーンクは激しい怒りに燃え、計画への協力を約束する。そして彼がその場を立ち去った後、ペトゥールらは、「バーンク・バーンを、我らのリーダーにしよう」と打ち合わせる。
再び王妃が従者を引き連れて広間に現れ、踊り手たちが華やかな『チャルダーシュ』を踊り始める。それからもオットーはしきりにメリンダを口説くが、彼女は必死にそれを拒む。しかし、王妃がオットーの味方についてしまうので、メリンダはいよいよ追い詰められる。
(※第1幕第1場で見られる音楽的な聴きどころは、主に3つ。まず、ペトゥール・バーンと貴族たちが豪快に歌う『酒の歌』。オーケストラの伴奏が、やはりヴェルディを髣髴とさせる。続いて、やっぱりそれが出ますよね、という感じの『チャルダーシュ』。このハンガリー舞曲は、前回の<フニャディ・ラースロー>にも結婚式の彩りとして出てきたが、こちらでは途中から合唱も加わって、音楽がさらに盛り上がる。最後は、第1場全体を締めくくる多声のアンサンブル。これはメリンダ、オットー、王妃、ビベラッハ、ペトゥール、そして貴族たちの男声合唱と侍女たちの女声合唱が絡み合い、それぞれの気持ちを歌いだす大掛かりな重唱である。作曲家エルケル渾身の筆さばき、といったところか。)
〔 第1幕・第2場 〕・・・礼拝堂の正面にある王宮の中庭
逃げるメリンダを追いかけて、オットーが執拗に迫る。この光景を目にしたビベラッハが、バーンクの元へと走る。オットーはしつこくメリンダを抱こうとするが、彼女は必死にいやな男を振り払って逃げる。やがてその場へ駆けつけたバーンクは、メリンダの後を追いかけるオットーの姿を確認し、「あいつめ、今に見ていろ」と復讐を誓う。バーンクがそこを去った後、オットーが戻り、「ちぇっ、失敗しちまったぜ」とビベラッハにこぼす。腹に一物ある騎士は、「これを使うといい」と言って、オットーに媚薬を渡して去らせる。そして一人になると彼は、「行け、このバカめ。おのれの首に、せいぜい気をつけるがいい」と、侮蔑の言葉を吐く。
(※第1幕第2場では、メリンダに言い寄るオットーのアリアがまずちょっとした一曲になってはいるが、音楽的にはむしろ、「あなたを軽蔑します」と柳眉を逆立てるメリンダとのやり取りの方が面白い。この場面、思いっきりイタ・オペ風なのだ。続いて、ビベラッハに導かれてバーンクが登場すると、重々しい金管のテーマが流れる。これは、主人公を示す一種のライトモチーフのように思える。そして、バーンクのアリア。「メリンダ、この世ならぬ美しい名よ」と始まる妻への賛歌は、途中から表情が一変し、彼女に迫る卑劣な男に対する怒りの歌へと変わっていく。ここは主役を演じるテノール歌手にとって、後に出てくる第2幕冒頭のアリアと並ぶ一番の聴かせどころであろう。)
〔 第1幕・第3場 〕・・・王宮内、玉座のある部屋
王妃が祝宴を催す。そこには、王妃やオットーに対して恨みを持つ者たちも来ている。メリンダは、「王宮にお招きいただいたことには、感謝しております。けれど、私はバーンクの妻です」と、夫の領地へ帰りたい気持ちでいることを語る。しかし、王妃はそんなメリンダの申し出を拒否する。続いてメリンダ、王妃、オットー、そしてペトゥールが、それぞれの胸中を歌いだすアンサンブル。
(※ここも上記の第1場と同じように、最後を締めくくる大規模なアンサンブルが聴きどころになっている。特に面白く感じられるのは、曲の後半にさしかかるところで、合唱の歌声がヴェルディの<ナブッコ>みたいにうねってくる部分だ。澎湃(ほうはい)と湧き上がる波のように、とでも表現できようか。こういう感じ、私は結構好きである。そして、アンサンブルの最後を締めくくるのは、いわゆるカバレッタ風の音楽。このリズム感、もうイタ・オペそのもの。w )
〔 第2幕・第1場 〕・・・王宮の礼拝堂
「祖国を救うことが、自分に残された使命だ」とアリアを歌って心情を吐露するバーンクのところに、一人の老いた農夫がやって来る。彼は領主であるバーンクに、民の窮状を訴えに来たのであった。バーンクは妻のことで頭がいっぱいだったため、はるばるやって来た老人に対して邪険な対応をする。しかし、「ずっと昔のことです。ザラで戦闘があった時、ヴェネツィアの刺客が幼いあなたとお父上を狙ってきましたが・・」と彼が話し始めると、バーンクははっきりと思い出す。この農夫こそ、かつて戦場で自分を救ってくれた命の恩人ティボルツ(Bar)であると。バーンクは、民衆のために力になろうと彼に約束する。
そこへ、ビベラッハが恐ろしい知らせを持ってやって来る。「オットーがついに、メリンダの寝込みを襲って犯してしまったぞ」。激しいショックに立ちすくむバーンク。やがてメリンダが打ちしおれた様子でそこへ現れ、自分の心の貞淑と穢されてしまった体のことを夫に告白する。傷心のバーンクはティボルツに、「妻を城まで送り届けてやってくれ」と依頼。その言葉を受けてティボルツは、メリンダと幼い子供を連れて城ヘと向かう。
(※「バーンクお願い、私を殺して」と始まるメリンダの歌は哀切を極めるものだが、ここではヴィオラ・ダモーレのソロと民族楽器ツィンバロンが伴奏を務め、いかにもハンガリー的な情緒を醸し出す。妻の痛々しい姿を見たバーンクが、「白いユリはどこへ」と歌いだし、それはやがて妻メリンダとの二重唱に発展する。まことに悲しくも、壮麗なデュエットである。そしてティボルツに連れられてメリンダと幼い息子が去った後、上記2種の独奏楽器による長い楽曲が流れる。これは、後のシーンに移る前の間奏曲みたいなものと考えてよいだろう。しかしまあ、しみじみと悲しい曲である。)
―この続き、怒れるバーンクの復讐からオペラの幕切れまでの展開については、次回・・・。