クラシック音楽オデュッセイア

2009年の大病以来、月1回程度の更新ペース。クラシックに限らず、身の回りの事なども、気の向くままに書いております。

ジュゼッペ・シノーポリ

2005年08月19日 | 演奏(家)を語る
前回まで歌劇<トゥーランドット>を話題にしてきたので、プッチーニつながりで話を進めてみたい。今、私の頭に浮かんでいる名前は、去る2001年4月、ヴェルディの歌劇<アイーダ>を指揮している最中に急死してしまったイタリアの名指揮者ジュゼッペ・シノーポリである。実は私にとって、シノーポリ氏は何よりもプッチーニ作品の演奏で最も印象に残る人なのであった。これからそのシノーポリ氏について、演奏会の思い出なども含めて語ってみたいと思う。

ふり返ってみると、シノーポリという名に初めて触れた最初の頃のイメージというのは、「現代音楽を得意とする指揮者の一人」というものだった。1980年代初頭のことである。もう四半世紀も前の話だ。当時は“知る人ぞ知る”存在だったミヒャル・ギーレンや故エルネスト・ブールと並んで、イタリアにはシノーポリなる人物がいるらしいぞという感じだった。彼はマデルナとかマンゾーニとか、一般的には馴染みの薄い作曲家をよく採りあげていた。自作自演の<ルー・ザロメ>などもFMで紹介されていたから、作曲家の顔も持つブーレーズ型の人なのかな、なんていう風にも見ていた。

そんなシノーポリが近しい存在になったきっかけは、ヴェルディの歌劇<ナブッコ>全曲を指揮したグラモフォン録音(1982年)が登場して話題になった時からである。これをFMで聴いた時、「おおっ、熱い演奏だなあ。シノーポリって、そういう指揮者だったのか」と思った。そして、こういう熱いヴェルディをやってくれる人っていいなあ、と親近感を抱いたのである。歌手陣については玉石混交で、必ずしも万全の顔ぶれとは言い難いものだったが、「シノーポリって人は、爆発的な演奏をやることがあるんだなあ」という印象は強烈に伝わってきたのだった。

その後、シノーポリ氏は精神医学に精通しているとか、哲学的な考察が深い人だとか、いろいろ伝えられるようになって注目度も高まった。当時のマーラー・ブームにも乗って、「精神医学の専門家がその深奥を抉り出す、空前のマーラー演奏」みたいな取り上げ方もされて、いつしか熱心な崇拝者、あるいは信者さんたちを生み出すようにもなっていった。もう十何年も前になるが、ある雑誌の中で彼が浅田彰氏と行なった対談記事を読んだことがある。しかしまあ、そこに出てきた人名と用語の凄かったこと。デリダがどうしたの、アドルノが何を言ったの、何がシミュラークルだのと、二人の思弁的なやり取りには唖然としてしまった。と言うより、「何を言ってるんだか、わかりまっしぇん」という状況だった。今でも辛うじて覚えているのは、「解決された演奏(あるいは作品)は、消費されてしまいます。だから、未解決のまま残す事が大事なんです」という、シノーポリ一流の態度表明ぐらいだ。

その彼がおそらく最も気力・体力ともに充実していた時代、1990年頃のことだったと記憶するが、凄い企画が日本で実現した。≪マーラー交響曲全集:連続演奏会≫である。オーケストラは、彼とグラモフォンへのマーラー録音を一緒に行なっていたフィルハーモニア管弦楽団。私の記憶違いでなければ、<第1番>から<第9番>まで一度も間に休みの日を入れず、毎晩ぶっ続けで、一曲ずつ上演したものだったと思う。ちょっと信じられないような企画だが、確かそうだったはずである。

私が高いお値段のチケットを買って会場に足を運んだのは、その最後を締め括る<第9番>のコンサートだった。颯爽とステージに登場したシノーポリ氏が、例の真っ黒い髭面から白い歯を見せてニッコリしつつ、すばやいお辞儀をした。やがて静かに、あの<大地の歌>の終曲から地続きになっているメロディが始まる。生で聴くシノーポリ&フィルハーモニア管の音は、まさに録音で聴きなれていたあの音だった。精妙な響きに加えて、独特の柔らかさがあるものだ。ステージ真正面の席はさすがに即売り切れで手に入らず、少し左側に寄った席だったので、多少音が偏って聴こえてきたのは仕方なかったけれども、大好きな交響曲の一つであるマーラーの第9番を生で聴けたのは、それだけでも幸福な体験だった。しかも、この日はまた“観客が大成功”だったのだ。最後の消え入るようなアダージッシモの部分では、本当にみんなが息をひそめて聴き入って、最後まで素晴らしい沈黙の空気が会場に満ちていた。う~ん、至福!

ただ、この日のオーケストラには、明らかに疲労の色が出ていた。本来のパワーが出しきれていないのが、よくわかった。特に、トゥッティに力がない。第1楽章のクライマックスも、第3、第4楽章もそうだった。しかし、無理もない。連日マーラーの長大な交響曲を演奏し続けてきた上に、あの第8番<千人の交響曲>をやった直後なのだ。「最後の第9番も、元気いっぱいでやってくれよ」なんて要求する方がむしろ、酷というものだろう。そのオーケストラの疲労色が唯一、致し方ないこととはいえ、残念なところであった。この企画は、もう少し日程的な余裕を持たせる形には出来なかったのだろうか。その頃のシノーポリの売れっ子ぶり、多忙なスケジュールからしてそうせざるを得なかったのかも知れないが、当時の職場にいたクラシック好きの同僚が、「正気の沙汰じゃないよね」なんて言っていたのを今でもよく覚えている。

シノーポリが指揮したマーラー演奏で私が聴いたのは、第1、2、4、5、8番と<大地の歌>の録音(G)、そして生で聴いた<第9番>だけなので、すべてを総括するような物の言い方は出来ない。基本的には私も、「マーラーと言えばまず、ワルターとバーンスタイン」などとつい言ってしまうクチなのだが、シノーポリのマーラーも面白いと思う。一頃よく使われた、「精神医学のメスが曲の深部を抉り出した演奏、云々」という言い方にはちょっと眉唾なものを感じたものの、彼一流の個性的なマーラー演奏には独自の魅力があった。

まず、響きの精緻さと柔らかさ。生で聴いた<第9番>でもつくづく感じたのだが、この人のマーラー・サウンドには独特の柔らか味がある。続いての魅力としては、「どこで何が起こるかわからないスリルがあった」ということになろうか。まず、思いがけない楽器の音が飛び出して来て、エッと思わされる事がしばしばある。そして、テンポの伸縮幅が大きい。速いテンポでさっさか進めていたのが、突然ゆーったりと旋律を歌いだすなんて事がしょっちゅう起こる。(※こういった旋律美への耽溺は彼のオペラ録音、特にプッチーニ作品にしばしば見られる。)

そしてこの自由さは時として、発作を起こしたような爆発になって現われることもあった。いつだったか、彼がウィーン・フィルとのライヴで<第1番>をやったことがある。もともと予定されていた指揮者が出られなくなって、シノーポリ氏が急遽代役で呼ばれたのだ。NHK(のBSだったか)で放送された演奏会だが、その時はもうキレまくりの変てこ演奏になっていた。発作と癇癪の連発地獄。ウィーン・フィルはすっかりシノーポリ氏に懲りてしまった、という裏話をその後音楽雑誌で目にした。しかし、立派だけどつまらない演奏ばかりやっている指揮者よりも、こういうシノーポリみたいな人の方が音楽家としてはずっと魅力的だと思う。

今回の冒頭に書いた話に戻るのだが、私なりにふり返ってみると、シノーポリ特有の“抉り出し鮮烈サウンド”が最も場を得ていたのは、実はプッチーニのオペラだったんじゃないかなという気がするのである。彼がオーケストラから引き出す音が完全に血肉化して鳴り響いたのは、(ヴェルディの初期作品もさることながら)やはりプッチーニのオペラだったように思えるのだ。尤も、そんな風に彼を捉えているクラシック・ファンはかなり少ないのではないかと思う。そこで次回は、シノーポリが遺したプッチーニの録音に目を向けてみることにしたい。
コメント (2)
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