クラシック音楽オデュッセイア

2009年の大病以来、月1回程度の更新ペース。クラシックに限らず、身の回りの事なども、気の向くままに書いております。

シャーベットな<四季>

2004年12月12日 | 演奏(家)を語る
前回のヤルヴィからしりとりして、今回はヴィヴァルディの超有名作。CDレビューみたいなことを、ちょっとやってみようと思う。

クラシック音楽の数ある名曲の中でも、とりわけポピュラーなものの一つにヴィヴァルディの<四季>があるが、これだけ親しみやすく、また様々な解釈と表現が可能な名曲となると、昔から名演奏と讃えられてきたものも数多い。数種類あるイ・ムジチ盤とパイヤール盤、個性派演奏のかぶら矢的存在であるマリナー盤、現在の主流となっている古楽器派の人たちによる個性的な名演の数々・・・アルノンクール盤、ピノック盤、クイケン盤、ビオンディ盤、イル・ジャルディーノ・アルモニコ盤、カルミニョーラ盤2種等々、本当に枚挙に暇がない。

今回は、それら一つ一つの比較論みたいなしんどい話はさて置いて、一般にはあまり知られていないんじゃないかと思われる個性派名演の中から、ひんやりシャキシャキ、さわやかシャーベットのようなヴィヴァルディをちょっとご紹介してみたい。ドロットニングホルム・バロック・アンサンブルによる<四季>である。(BIS-CD-300275)

この演奏、まず「春」の第1楽章から鮮烈だ。イタリアの暑い日ざしからはおさらばして、どこまでもシャラシャラと涼しげな、澄んだ響き。透明で爽快なサウンドが始まる。ちょっと普通じゃない(笑)。この第1楽章の爽快感はまさに、暑い夏の日に食べたらおいしいひんやりシャーベットの舌触りだ。つづく第2楽章のヴァイオリン・ソロの自在さは、もうスコアからもおさらばして(?)、演奏家が自由に歌いまくっているといった感じだ。(※だからと言って、曲を破壊しているようなことはない。)

一方、「夏」の第1楽章のクライマックスのように、大変力強い盛り上がりで圧倒する場面もあり、単にあっさり爽やかというだけの演奏ではない。(※爽やかタッチで思い出されるクイケン盤には、このパワーが欠けている。)

そうかと思えば「秋」の第2楽章の、この暗さ。と言うか、ひっそりとした空気感は一体何事だろう。ほの暗い空気の中でチェンバロが幽玄な音を爪弾く。これは結構、エグイ世界だ。暗いぞ、寒いぞ。音楽の緯度が高い。さすがは(?)BISレーベル。

「冬」の第1楽章は、この演奏の白眉ではないかと思う。冒頭部分で聴かれる弦の各声部の重なり合いが、一枚一枚、まるで冷やしたミルフィーユのように涼しげに、かつ明瞭に聴き取れるのは何とも快感である。ヴァイオリン・ソロの「う~っ、寒い」という表情は、私の場合、ピノック盤でのサイモン・スタンデイジが最初に印象付けられたものだったが、ここでのソロもかなり良い感じ。続く第2楽章の速さは、イル・ジャルディーノ・アルモニコ盤などと並ぶものだろう。速い、速い。カポカポ、カポカポと雪の中を急ぎ足という感じだ。そして最後の第3楽章も期待に違わず、実に堂々と締めくくってくれる。力強さが心地よい。

―という訳で、このシャーベットなヴィヴァルディ、決して“誰が聴いても、満足保証”と言えるタイプのものではないのだが、イ・ムジチやパイヤールの“普通さ”が物足りず、かといって古楽器派によくある激しいアクセントやこってりした表情付けには疲れてしまう方、あるいは、「爽やかに聞き流せて、しかも空っぽではない演奏がほしい」という方に、「じゃあ、これを試しにいかがです?」といった感じでお薦めしてみたくなる隠れ名盤といったところだろうか。

力強い盛り上がりもあるけれど、重い表情付けで音楽がもたれたりもせず、自然に流れていく。この涼しげな爽快感が、私は今とても気に入っているのである。ただ、このCDを聴く季節としてはやはり夏が良さそうなので、私の場合はまた陽気が暖かくなるまで、このCDには棚の上で冬眠してもらうことになるだろうなあ。
コメント
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