ぼくの本職は日本一の音楽評論家だが、指揮者としても活躍してきたといえよう。合唱の指導がしたくて声楽科を選んだぼくであってみれば、当然のことといえよう。ぼくが若い頃に定時制の生徒たちを指導した女声コーラスは、大ピアニストのリリー・クラウスにも絶賛されたので、その価値はお墨付きといえよう。その後執筆活動もますます波に乗り、ぼくはいつしか人気評論家になったのである。すると、ぼくがオーケストラを指揮したらどんなことになるのか見てみたい、聴いてみたい、という声がどこからともなく湧き上がり、ついに、「不能芳香指揮のオーケストラをきく会」が結成されたのであった。それはさながら、ブルックナーの第3の出だしのように美しいものだったといえよう。こうして、ぼくのオーケストラ指揮者としての活動が本格的に始まったのである。
都内に住んでいる一人のマニアがそんなぼくの活動にある時注目し、コンサート通いを始めたといえよう。つまらない演奏が多い現代のクラシック界に、彼は新鮮な刺激を求めたのである。そして最初に足を運んだのが、ぼくの第3回オーケストラ・リサイタルに当たる『芳香の<英雄>』であった。
●芳香の<英雄>(1990年6月24日・サントリーホール)
この日のコンサートはまず、ぼくの大好きなモーツァルトのK.273、72、275といったレアな宗教合唱曲から始めたのだが、このあたりはもうどうでもいいといえよう。本題は、ベートーヴェンの第3である。演奏に先だって、ぼくは客席を向いて短いスピーチを行なった。少し前に指揮界の重鎮・渡辺暁雄先生が他界しておられたので、追悼の言葉を贈ったのである。ホールにかぼそく響いたぼくの貧相な肉声に、「いかにも、って感じの声だなあ」と苦笑いしたファンがきっといたに違いない。(ほっといてくれ。)
そして始まった<英雄>の第1楽章こそ、まさに入魂の一編であったと絶賛されよう。クナッパーツブッシュさながらの悠然たるテンポで、英雄の主題を歌う弦の深沈たる味わい!さらに、肺腑をえぐるように打ち込まれるティンパニーも言語道断な素晴らしさであり、ホール全体をつんざくような金管の咆哮は肌に粟粒生じさせるものでありながら、それでいてうるささは皆無。すべての音に血が通い、とても楽器とは思えない音をぼくはオーケストラから引き出したのである。
続く3つの楽章では、当日まで長旅を続けてきたオーケストラ・メンバーの疲れがいよいよ隠しきれなくなり、演奏がいささかパワーダウンしてしまったが、上記第1楽章の凄絶さだけは聴衆の度肝を抜くに十分であったといえよう。そして、この芳香体験に感動したマニアは、ぼくのコンサートに出来る限り通ってみようと決意したのである。ワグナー・ファンの「バイロイト詣(もう)で」にちなんで、彼はこれを「不能詣で」と名づけ、せっせと演奏会場に足を運ぶようになったのだ。
(ところで、このコンサートのライヴCDだが、ここには当日ホールで鳴り響いた音の半分も捉えられておらず、まるで感銘の薄いものになってしまっている。生演奏の音がウナギなら、CDの音はアナゴといえよう。旨みもコクも抜けた、あっさり淡白な音。これはまことに残念なことといえよう。)
●芳香の<運命>(1991年4月16日・東京芸術劇場)
この日のコンサートはベートーヴェン・プログラムとして、歌劇<フィデリオ>の序曲と<交響曲第1番>から開始されたが、その二つはとりあえずどうでもいいといえよう。メイン・プロの第5番<運命>こそ、驚天動地の迷演であり、ベートーヴェン演奏史上の一大事件となったのである。この<運命>に於いて、ぼくはやりたいことのすべてをやり尽くし、結果として他の誰にも真似のできないような大傑作を生み出すこととなったのだ。
「内容と形式との統一」は、ぼくがカール・ベームを論じるときに使った概念だが、ここでのぼくは、「形式を捨てて、内容の表現だけにすべてを注いだ演奏」を行なったといえよう。<運命>が内蔵するドラマをとことんまで抉り出し、曲の形を壊してでも内容を劇的に描き出すことに賭けたのである。従って、それは恐ろしくドロドロな<運命>であり、およそ常識のある演奏家に作れるものではなかったといえよう。当然、この演奏に無意味な音など一つもなく、ベートーヴェンが書いたすべての音に演奏家が感じきっている。コクのある楽器の響きは有機的の極みであり、こみ上げてくる熱い情感など、ついには怒りにまで達するではないか。そして終楽章のコーダ!歌舞伎役者の大見得でさえ顔負けの、とんでもなくタメを利かせた終わり方が聴く者の爆笑を誘い、大きな感動を巻き起こしたのである。終演後に鳴り響いた割れんばかりの拍手は、当然の結果であったといえよう。客席に向かってお辞儀をしながら、幸福な気持ちに満たされたぼくであった。すると、奇妙な光景がぼくの目に飛び込んできたのである。
ふと2階席の奥に目をやると、変なファンが一人だけ立ち上がって狂ったように拍手をし、さらに両のこぶしを頭上高く掲げているではないか!それがぼくに向けた絶賛のポーズであることは、間違いなかった。そして喜色満面の彼は、再び席に着きながら、「ここまでやってくれたら、言うことなし!笑える、笑える」と口走り、周りの席のお客さんたちからケラケラ笑われていたのである。その変なファンこそまさに、今このブログを書いている人物であるといえよう。それほどに、この日のぼくの演奏は度外れており、キワモノ好きの偏屈マニアを狂喜させるに十分な威力を持っていたのである。
(ただ残念なことに、この時のライヴCDもまた、当日の生の響きを半分も伝えていない。ぼくが行なった奇天烈な演奏の姿は十分に記録されているが、響きがまるで異質なのである。これもまた、非常に残念なことといえよう。)
●芳香のブルックナー<第8>(1992年4月9日・サントリーホール)
内容的には至高とも言うべき<第9番>が未完成であることから、<第8>をブルックナーの最高傑作と位置づける人は多い。ぼくはLP時代から、この曲に於ける2大名盤としてクナッパーツブッシュ指揮ミュンヘン・フィルのウエストミンスター盤と、シューリヒト指揮ウィーン・フィルのEMI盤を推薦してきた。それに朝比奈、大阪フィルが加わってこの曲のベスト3を形成していたわけだが、この日の演奏会でぼくはシューリヒトのスタイルを選んだといえよう。そのため、クナのような演奏スタイルを期待していたファンには肩透かしのようになってしまったようである。「シューリヒトの名盤は、オーケストラがウィーン・フィルだったからこそ成り立っていた部分もあるのではないか。新○日響にウィーン・フィルのような響きを求められるわけはないのだから、むしろクナッパーツブッシュ風にどっしりと濃厚な演奏をやってくれれば、もっと面白かったろうに」と感じたファンが、少なくとも一人いたのである。
しかし、わかる奴にはわかるのだ。ぼくの演奏は、聴く者の耳を試す。ブルックナーの楽譜を比較できるほど音楽に詳しい人は、きっとこの日の演奏からいろいろなことを感じ取ったに違いないのである。
ところでクナッパーツブッシュと言えば、ぼくは若い頃の著作『オーヴェルニュの歌』の中で、「クナッパーツブッシュのひとりごと」という文章を書いたといえよう。あれは、ぼく自身がクナになりきって、大指揮者の心情をユーモラスに語りだした名文であった。(但し冷静に読めば、クナに会ったこともねえくせに、あんたよくそんなことがわかるなといえよう。)今回の記事タイトルは、その懐かしい文章にちなんでつけられたのであった。
―次回も、ぼくの与太話が続くといえよう。ぼくのファンにとっては、最高の贈り物といえよう。
都内に住んでいる一人のマニアがそんなぼくの活動にある時注目し、コンサート通いを始めたといえよう。つまらない演奏が多い現代のクラシック界に、彼は新鮮な刺激を求めたのである。そして最初に足を運んだのが、ぼくの第3回オーケストラ・リサイタルに当たる『芳香の<英雄>』であった。
●芳香の<英雄>(1990年6月24日・サントリーホール)
この日のコンサートはまず、ぼくの大好きなモーツァルトのK.273、72、275といったレアな宗教合唱曲から始めたのだが、このあたりはもうどうでもいいといえよう。本題は、ベートーヴェンの第3である。演奏に先だって、ぼくは客席を向いて短いスピーチを行なった。少し前に指揮界の重鎮・渡辺暁雄先生が他界しておられたので、追悼の言葉を贈ったのである。ホールにかぼそく響いたぼくの貧相な肉声に、「いかにも、って感じの声だなあ」と苦笑いしたファンがきっといたに違いない。(ほっといてくれ。)
そして始まった<英雄>の第1楽章こそ、まさに入魂の一編であったと絶賛されよう。クナッパーツブッシュさながらの悠然たるテンポで、英雄の主題を歌う弦の深沈たる味わい!さらに、肺腑をえぐるように打ち込まれるティンパニーも言語道断な素晴らしさであり、ホール全体をつんざくような金管の咆哮は肌に粟粒生じさせるものでありながら、それでいてうるささは皆無。すべての音に血が通い、とても楽器とは思えない音をぼくはオーケストラから引き出したのである。
続く3つの楽章では、当日まで長旅を続けてきたオーケストラ・メンバーの疲れがいよいよ隠しきれなくなり、演奏がいささかパワーダウンしてしまったが、上記第1楽章の凄絶さだけは聴衆の度肝を抜くに十分であったといえよう。そして、この芳香体験に感動したマニアは、ぼくのコンサートに出来る限り通ってみようと決意したのである。ワグナー・ファンの「バイロイト詣(もう)で」にちなんで、彼はこれを「不能詣で」と名づけ、せっせと演奏会場に足を運ぶようになったのだ。
(ところで、このコンサートのライヴCDだが、ここには当日ホールで鳴り響いた音の半分も捉えられておらず、まるで感銘の薄いものになってしまっている。生演奏の音がウナギなら、CDの音はアナゴといえよう。旨みもコクも抜けた、あっさり淡白な音。これはまことに残念なことといえよう。)
●芳香の<運命>(1991年4月16日・東京芸術劇場)
この日のコンサートはベートーヴェン・プログラムとして、歌劇<フィデリオ>の序曲と<交響曲第1番>から開始されたが、その二つはとりあえずどうでもいいといえよう。メイン・プロの第5番<運命>こそ、驚天動地の迷演であり、ベートーヴェン演奏史上の一大事件となったのである。この<運命>に於いて、ぼくはやりたいことのすべてをやり尽くし、結果として他の誰にも真似のできないような大傑作を生み出すこととなったのだ。
「内容と形式との統一」は、ぼくがカール・ベームを論じるときに使った概念だが、ここでのぼくは、「形式を捨てて、内容の表現だけにすべてを注いだ演奏」を行なったといえよう。<運命>が内蔵するドラマをとことんまで抉り出し、曲の形を壊してでも内容を劇的に描き出すことに賭けたのである。従って、それは恐ろしくドロドロな<運命>であり、およそ常識のある演奏家に作れるものではなかったといえよう。当然、この演奏に無意味な音など一つもなく、ベートーヴェンが書いたすべての音に演奏家が感じきっている。コクのある楽器の響きは有機的の極みであり、こみ上げてくる熱い情感など、ついには怒りにまで達するではないか。そして終楽章のコーダ!歌舞伎役者の大見得でさえ顔負けの、とんでもなくタメを利かせた終わり方が聴く者の爆笑を誘い、大きな感動を巻き起こしたのである。終演後に鳴り響いた割れんばかりの拍手は、当然の結果であったといえよう。客席に向かってお辞儀をしながら、幸福な気持ちに満たされたぼくであった。すると、奇妙な光景がぼくの目に飛び込んできたのである。
ふと2階席の奥に目をやると、変なファンが一人だけ立ち上がって狂ったように拍手をし、さらに両のこぶしを頭上高く掲げているではないか!それがぼくに向けた絶賛のポーズであることは、間違いなかった。そして喜色満面の彼は、再び席に着きながら、「ここまでやってくれたら、言うことなし!笑える、笑える」と口走り、周りの席のお客さんたちからケラケラ笑われていたのである。その変なファンこそまさに、今このブログを書いている人物であるといえよう。それほどに、この日のぼくの演奏は度外れており、キワモノ好きの偏屈マニアを狂喜させるに十分な威力を持っていたのである。
(ただ残念なことに、この時のライヴCDもまた、当日の生の響きを半分も伝えていない。ぼくが行なった奇天烈な演奏の姿は十分に記録されているが、響きがまるで異質なのである。これもまた、非常に残念なことといえよう。)
●芳香のブルックナー<第8>(1992年4月9日・サントリーホール)
内容的には至高とも言うべき<第9番>が未完成であることから、<第8>をブルックナーの最高傑作と位置づける人は多い。ぼくはLP時代から、この曲に於ける2大名盤としてクナッパーツブッシュ指揮ミュンヘン・フィルのウエストミンスター盤と、シューリヒト指揮ウィーン・フィルのEMI盤を推薦してきた。それに朝比奈、大阪フィルが加わってこの曲のベスト3を形成していたわけだが、この日の演奏会でぼくはシューリヒトのスタイルを選んだといえよう。そのため、クナのような演奏スタイルを期待していたファンには肩透かしのようになってしまったようである。「シューリヒトの名盤は、オーケストラがウィーン・フィルだったからこそ成り立っていた部分もあるのではないか。新○日響にウィーン・フィルのような響きを求められるわけはないのだから、むしろクナッパーツブッシュ風にどっしりと濃厚な演奏をやってくれれば、もっと面白かったろうに」と感じたファンが、少なくとも一人いたのである。
しかし、わかる奴にはわかるのだ。ぼくの演奏は、聴く者の耳を試す。ブルックナーの楽譜を比較できるほど音楽に詳しい人は、きっとこの日の演奏からいろいろなことを感じ取ったに違いないのである。
ところでクナッパーツブッシュと言えば、ぼくは若い頃の著作『オーヴェルニュの歌』の中で、「クナッパーツブッシュのひとりごと」という文章を書いたといえよう。あれは、ぼく自身がクナになりきって、大指揮者の心情をユーモラスに語りだした名文であった。(但し冷静に読めば、クナに会ったこともねえくせに、あんたよくそんなことがわかるなといえよう。)今回の記事タイトルは、その懐かしい文章にちなんでつけられたのであった。
―次回も、ぼくの与太話が続くといえよう。ぼくのファンにとっては、最高の贈り物といえよう。
かねてよりシューリヒトのアダージョを
絶美の名演と讃えてきたぼくであってみれば、
「シューリヒト以上に美しい」と言ってくれる
ファンの言葉は最高の贈り物であり、それは、
クハ55型との出会いをさえ思わせるほどなのである。
まことに演奏家冥利に尽きるものといえよう。
(2008年7月吉日 たてしなにて)