クラシック音楽オデュッセイア

2009年の大病以来、月1回程度の更新ペース。クラシックに限らず、身の回りの事なども、気の向くままに書いております。

迷指揮者・不能芳香のひとりごと(2)

2008年07月17日 | エトセトラ
今回は、ぼくの与太話の第2回といえよう。

●エリック・ハイドシェック、コンチェルトの夕べ(1992年10月7日・新宿文化センター)

これは、ぼくのオーケストラ・リサイタルの番外編である。ハイドシェックはぼくが日頃激賞してやまない天才ピアニストだが、彼がこの年の来日で『協奏曲の夕べ』をやることとなり、親友であるぼくが伴奏指揮者を務めたのであった。曲は、モーツァルトのK.595とベートーヴェンの<皇帝>である。モーツァルトの方はとりあえず、どうでもいいといえよう。今思い出しても冷や汗が出るのは、ベートーヴェンの方である。

かつてぼくは、大ピアニストが本番中に弾き間違いをしてやり直すという古い音源を語ったことがある。それはスリリングな体験であった。しかしまさか、ぼく自身がそんな立場に置かれることになろうとは思ってもみなかった。当日の演奏は、ハイドシェックが天才ぶりを発揮して奔放に弾きまくるのをぼくが必死にフォローする、というものになったが、第1楽章の後半部分でピアノとオケがまったく合わなくなり、演奏が止まってしまったのである。そこは結局やり直しなどせず、そのまま先へ進んだのだが、指揮台の上でぼくは汗びっしょりになってしまった。ハイドシェックはぼくの親友だが、宇和島での<テンペスト>以来、彼はやたらとぼくを汗びっしょりにさせるのである。だから、「天才との共演はもう、こりごりだよ」と、親しい人たちに後日こぼしたのは、ぼくの偽らざる本音であったのだ。

(幸か不幸か、この日の演奏会は録音されなかったが、もしこの<皇帝>がCDにのこされていたら、今どき普通だったら有り得ない “天下の奇演”として、伝説の音源となっていたのは間違いないといえよう。)

●芳香の<第9>(1992年12月9日・サントリーホール)

ぼくが指揮したベートーヴェンの<第9>と言えば、『芳香の<歓喜>』と題された1989年12月17日の演奏会がかつて話題を呼んだが、機械の不調でそのライヴ録音は発売されず、第1楽章のゲネプロだけが音源として残ったのであった。この92年ライヴはそれ以来で、まさにファン待望のコンサートとなったのである。ここでぼくは89年の表現をさらに徹底させ、そこに円熟味を加え、比類のない<第9>を実現したといえよう。

ザガザガ、ザガザガ、ザガザガ、と妙にやかましい出だし、混沌たる宇宙が雪崩を打って崩壊する冒頭部の巨大なスケール、最新の録音マイクでさえ捉えきれなかった凄絶なクライマックス(CDでは、トラック1の〔10:16〕以降)、そして変なピアニッシモが唐突に出てくるコーダ等、極めて性格的な第1楽章がいきなり聴き手を揺さぶる。粘っこく始まったあと普通に走り出す第2楽章も同様で、途中でやはり音楽が大きな揺れを見せて聴き手を驚かせるのだ。これらはすべてぼく以外には成し得ない表現であり、言わば、ぼくの命を賭けた遊びであった。速いところはなお速く、遅いところはなお遅く、激しくテンポを動かしながら、各楽想の意味を極限まで抉り出してゆくのである。従って、これは聴いていて甚だ疲れる演奏だが、「不能先生の指揮に触れて初めて、この曲の真価がわかった」とか、「フルトヴェングラー以上にフルトヴェングラー的な名演を、生で聴けて感動した」などと、終演後みんな次々とぼくのところに言いにくるのである。

続く第3楽章では思いがけず自然な流れで音楽を歌い、聴く者を安心させるぼくであったといえよう。オーケストラ能力の限界から、いくぶんデリカシーに不足していたことは否めないが、各楽想につけた濃密な表情によって極めて内容的な演奏となったのは賞賛に値しよう。ここでは曲と演奏がまさに一体化しており、どこまでがベートーヴェンで、どこまでがぼくの音楽なのか分からないのである。

そして、雷鳴のような冒頭のティンパニーが肌に粟粒生じさせる終楽章!有名な歓喜の主題がひっそりと歌いだされるのはフルトヴェングラー以来だが、声楽パートが参加してくるところから、ぼくの個性的な指揮はいよいよ乗ってくるのだ。今でこそ音楽評論を天職と自覚しているぼくであるが、もともとは合唱指揮者である。各声部のバランスや、歌詞のちょっとした表情付けなど、随所に細かい神経を行き届かせたのは当然のことといえよう。(ところで、この日共演してくれたT○F合唱団は、ぼくとはすっかり旧知の間柄だが、パッと見た感じテノール・パートの人数が少なく、日本の合唱界が置かれている状況を如実に伝えている。しかし、歌い出せば話は別である。テノールが凹んだりしないだろうか、などという心配が単なる杞憂であることを、彼らはすぐに分からせてくれるのである。)

ぼくの信奉者である作家の宇○幸男君もCDの解説書で触れてくれている通り、この終楽章のコーダでぼくは奇跡を起こしたといえよう。曲の終わりに向けて、オーケストラやコーラスをただ突っ走らせるのではなく、絶妙な設計で楽器の音をぐんぐんと増やしながら盛り上げていったのである。しかも、そのすべての音が結晶化しており、まさに切れば血の出るような響きとなったのだ。CDに十分な姿で記録されていないのが残念だが、当日その場に居合わせたファンの中には、これを一生ものの感動と受け止めた人もいるのである。これでこそベートーヴェンの音楽は生きるのだと言いたい。そして、こんなクライマックスを築きながらも冷静な構えを保ち、お客さんの方に横顔を見せながら棒をシャカシャカ振っていたぼくの指揮姿は、まことにチャーミングの極みであったと絶賛されよう。聴く側の好悪が分かれるのは間違いないが、この<第9>こそ、現在録音で聴くことの出来るぼくの“最功芳の芸術”であると評価するファンは少なくないのである。

評論家としても歯切れの良い個性的な文体で多くのファンとアンチを獲得し、さらにオーケストラ指揮者としてもこれだけの実演をやってのける。これがぼくの偉大さなのだ。だから同じ音楽評論家でも、ぼくはあの苦労だ狂一あたりとは全然格が違うのである。苦労だの文章を見るがいい。やたらと回りくどい言い方が多く、何かぼそぼそと独り言を言っているようなものばかりではないか。それに、彼がオーケストラを指揮できようなどとは到底思えないのである。

●芳香の《指環》(1993年4月15日・東京芸術劇場)

この日の前座で演奏したモーツァルトの<第40番>ではワルターの真似事みたいなことをやっていたぼくだったが、メインとなるワグナーの《指環》ハイライトでは、クナッパーツブッシュのようにやってやろうと決意して指揮台に立ったぼくであった。ワグナーの巨大な世界を、敬愛する大指揮者のようにスケール雄大に描こうとしたのである。しかしその演奏は、テンポの遅さや響きの重さこそクナにそっくりだったとはいえ、あまり感心できる仕上がりではなかったといえよう。オーケストラの基本的なアンサンブル・バランスがまるでなっておらず、「いくら何でも、それじゃグチャグチャ過ぎるだろう」という印象を、耳の肥えた聴き手に与えてしまったのである。大規模な管弦楽の音を濁ったものにしてしまうのはひとえに指揮者の責任だが、このあたりにぼくの限界が示された演奏会だったといえよう。

しかし終演後の大喝采はいつものとおりで、ぼくが何をやっても大きな拍手をしてくれるファンの有り難さを、改めて実感した演奏会でもあった。この日特にびっくりしたのは、拍手の最中に突然、「またやってくれーっ!!」という大声が会場内に鳴り響いたことである。これには、本当に驚いた。そんなに良かったのだろうか?演奏が終わるや、さっさと会場を出て行ったファンが間違いなく一人いたのだが、その一方で、上のような激励の叫びも飛び出したのである。こうなるとやはり、いろいろな評者の意見を聞きたいものだ。おーい、福島くーん!(福島氏、応答せず。)

―次回もう一度だけ、ぼくの与太話といえよう。

(PS) 苦労だ狂一氏から、緊急コメント!!

おはようございます。苦労だ狂一です。マニアックなブログを読むひと時、いかがお過ごしでいらっしゃいますでしょうか。苦労だ狂一です。えー、先ほど、不能先生から、「苦労だ狂一の文章はまわりくどい言い方が多く、ぼそぼそと独り言を言っているようなものばかり」というご指摘をいただきましたが、確かに、そう言えなくもない部分がなくもないように思われたのですが、皆様はどのようにお感じになられましたでしょうか。・・・時間がまいりました。今日はこの辺で失礼いたしますが、どうぞ毎日をお気持ちさわやかに、お過ごしくださいますよう。苦労だ狂一でした。

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2 コメント

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不能さんといえば (よぼ)
2008-07-19 06:51:28
不能さんといえば、「みんながあのピアニストをほめるけれど、あいつはダメ」とか、「あんな指揮者はいてもいなくてもいい」とか、歯切れのいいコメントで有名ですね。
またときどきお邪魔しますので、よろしく。

PS お勧めのデゾルミエールさんのペレアスを買いました。
返信する
当ブログでデゾルミエールを (当ブログ主)
2008-07-27 22:48:17
語ったのは、もうずいぶん前になりますね。でも、
この人の「ペレアス」全曲はいいですよ~。^^)

録音が古くて、オーケストラの音も引っ込み加減
なのが惜しまれますが、二人の主役男性が抜群で、
特にエチュベリのゴローは絶品です。新しい世代の
歌手たちには、こういう雰囲気を出せる人って
なかなかいないですよね。

その「ペレアス」はまだしも、ロシア系のオペラ
となりますと、もう昔の演奏の方が断然良かった
なあ、っていつも思います。こないだ小澤征爾の
「オネーギンもどき」がNHK教育TVでやって
ましたけど、はっきり言って“糞(クソ)”の
一語でした。こんな男がウィーン国立歌劇場の
音楽監督をやってるなんて、今の指揮界はまさに
人材枯渇の極みといえよう、ですわ。www

次回からまた、レア物系オペラの流れに戻る予定
です。これからも、宜しくどうぞ。
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