クラシック音楽オデュッセイア

2009年の大病以来、月1回程度の更新ペース。クラシックに限らず、身の回りの事なども、気の向くままに書いております。

エルネスト・アンセルメ

2005年03月06日 | 演奏(家)を語る
前回タイトルに使ったEsultateのeをアルファベットしりとりして、今回は懐かしいスイスの名指揮者エルネスト・アンセルメ(Ernest Ansermet)について。

たいていの方がそうだ(った)と思うのだが、学生時代は聴きたい曲や演奏がたくさんある一方でお金が足りず、いろいろ苦労するものだ。私の場合は、廉価盤と中古のLP(当時)、そしてNHKのFM放送が心強い味方であったのだが、その廉価盤LPにおける当時の我がヒーローこそ、アンセルメ大先生なのであった。「アンセルメ1300」という廉価盤シリーズを、学生時代にずいぶん買って聴いたものだ。(※もっとも、その演奏が好きだったからというより、ラロやマルタン、あるいはバラキレフやリャードフの作品のように、それらがどんな曲であるかを知りたいがために、お金のかからないアンセルメ盤を買い求めたというパターンも結構多かったのだけれど。)

さて、このアンセルメ先生なのだが、どうも今はディスコグラフィの上での存在感みたいなものがかなり薄れてしまっているように見える。かつてはhi-fi録音の代名詞みたいに讃えられた音質もデジタル時代の今となっては、やはりヒス・ノイズ等を含めて古さの方が目立つ。オーケストラもまた必ずしも上手い方ではなかったし、録音されたどのレパートリーについても常に強力なライバル盤が居並ぶ状況とあっては、その位置付けが下がって来てしまうのもやむを得ないということなのだろう。評論家達の投票でアンセルメ盤が上位に顔を出す作品といったら、今はファリャのバレエ音楽<三角帽子>ぐらいかも知れない。鑑賞暦が長いファンの中には、例えばダットン盤などに見られる若い頃の記録をマニアックに渉猟しているような方もおられるかも知れないが、いずれにしても、かつて「バレエ指揮の神様」とまで讃えられた名指揮者も、今は何だか影が薄くなってしまっているような感じがするのである。

そんな状況ではあるけれども、「この曲なら、アンセルメの演奏が最高だ」と言ってみたくなる録音は、今のようなデジタル時代になってもなお、やはりしっかりと存在する。

ステレオ録音からという前提のもとで、まず私が独断と偏見で選ぶアンセルメの最高傑作は、オネゲルの<パシフィック231>(1963年4月録音)である。巨大な機関車が重々しい軋み音を出して動き出し、そこから豪快な走行場面へと進んで行く。そして最後に、激しい音響を轟かせながら力強く停車。これは重量感溢れる機械の運動が生み出すスリリングな気持の高揚を描いた、胸がわくわくするような名作である。そして、この曲で聴かれるアンセルメの指揮ぶりこそ、まさに最高なのだ。グォーン、キィーンという出だしの軋み音からしてもう、他の指揮者たちの演奏とは雰囲気がまるで違う。バーンスタイン、ボド、マルティノン、デュトワ、フルネといった人たちのどれと比べても、アンセルメの演奏は一頭地を抜いている。勿論、走り出してからの爽快感から大音響の停車シーンに至るまで、間然するところがない。バレエ音楽の大家らしく、全編を通してのリズム捌きが素晴らしい。弛緩することなく、生き生きと弾む。それに加えて、各楽器の見事なバランスによる鮮やかな音の色彩。これが、私にとってのベスト・アンセルメである。

続いては、ドリーブのバレエ音楽<コッペリア>を挙げたい。全曲盤は現在入手困難かも知れないが、<シルヴィア>と組んだハイライト盤は出ている様子である。有名な「マズルカ」などに見られる鮮やかなリズム処理、音を聴いているだけで舞台が目に浮かんでくるような優れた情景描写、そして全体に漂う品の良い音楽の香気。これこそベストと言いたくなるような、素晴らしい名演である。

今私の手元には、アンセルメがコヴェント・ガーデンに客演したときの『バレエ・ガラ・コンサート』というCDがある。ゴールド蒸着を施しているためか、輸入盤としてはやけにお値段が張るものだったが、結果的には買ってよかったと思う。これはチャイコフスキーの三大バレエや、ドリーブの上記二作、あるいはアダンの<ジゼル>などといった有名なバレエのハイライト曲を集めた二枚組のアルバムだ。で、面白いことに、イギリスはコヴェント・ガーデンのオーケストラが何となく、スイス・ロマンド管のような響きを出しているのである。つまるところ、これがアンセルメ・サウンドということなのだろう。

他にも、「ベストとまでは言えないものの、アンセルメ盤も悪くないよなあ」とか、「この作品なら、アンセルメのでとりあえずいいんじゃないかな」ぐらいに思えるものなら、実はたくさんある。その中から一つだけを選んで語ろうというのはいささか無謀な話ではあるのだが、今回は敢えてその試みとして、彼がいつものスイス・ロマンド管を振って、ステレオ初期に録音したストラヴィンスキーの<ペトルーシュカ>(L)を採りあげてみようかと思う。一般には、もう殆ど顧みられることのない演奏だが、これは愛惜すべき名演である。アンセルメのストラヴィンスキー演奏と言えば、その低カロリー・トーンが似合ってか、新古典主義の作品の方に昔から定評があって、群雄割拠で名盤ひしめく三大バレエとなったらもう、この人の出る幕は殆どなさそうに見える。しかし、今や貧相な印象を与えるばかりの<春の祭典>や<火の鳥>の演奏と違って、アンセルメの<ペトルーシュカ>はなお捨てがたい魅力を保ち続けている逸品であると、私には思えるのである。(※<火の鳥>の方はスイス・ロマンド盤とニュー・フィルハーモニア盤の二種類があるが、前者は貧相で、後者は緩んで覇気のない演奏に聴こえる。)

アンセルメの<ペトルーシュカ>は、どこか鄙(ひな)びた響きの中に寂しそうな空気が漂っているところが、何とも素敵なのだ。<ペトルーシュカ>という作品の感動は、決して冴えわたったリズム処理とか、オケの際立つ名技とか、生々しい録音効果といったものだけからもたらされるものではないと、私は思うのである。むしろ、音楽のそこかしこから聴き取ることのできる“寂しさ”みたいなものが、心に沁みるのだ。アンセルメの演奏は、いつものように色彩感の描出に優れた感覚を見せてくれるが、第二場「ペトルーシュカの部屋」と第三場「ムーア人の部屋」(の特に後半部分)にとりわけ顕著に感じられる、その物寂しげな風情が何とも言えず私は好きなのである。録音自体が古いこともあってオーケストラの音が幾分蒼古たる響きに聴こえる面もあるが、それがここでは独特の雰囲気を生み出すのに貢献している。音質最優先の方や、オーケストラの技術を最重視なさる方には全くお勧め出来ない代物だが、逆に、この“うらぶれた寂しさ”みたいな物に味わいを感じるようになると、初演者モントゥーがボストン響と遺した初期ステレオ盤(RCA)などと並んで、古くても捨てがたい名演に思えてくるのである。

(PS) <ペトルーシュカ>の舞台上演

ちょっと古い思い出話になるが、グラン・バレエ・カナディアンという団体が来日して、<ペトルーシュカ>の舞台上演をやってくれたのを観に行ったことがある。何年頃、どこのホールへ足を運んだのかはもう忘れてしまったが、グリゴローヴィッチ・バレエ団の<白鳥の湖>公演などと並んで、私にとっては一生の思い出に残る感激的な体験だった。管弦楽曲として聴きなれていた<ペトルーシュカ>の音楽が、それぞれどういう場面に付けられたものだったのか、それがまさに目の前で鮮やかに開陳されたのである。(※つまり、この公演は前衛的・実験的な振り付けではなく、きわめてオーソドックスな舞台上演だったということだ。有難いことであった。)ラスト間際の全員の踊りでは、天井から紙ふぶきが舞いおりてきて、何とも華やかな盛り上がりを見せてくれた。オーケストラの演奏自体はごく平凡なものだったが、全然気にもならなかった。そんなことよりも、舞台上で展開される「望まずして命を吹き込まれた人形たちのドラマ」に、私はもう目が釘付けになってしまったのである。

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