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クラシック音楽オデュッセイア

2025年正月、ついに年賀状が1通も来なくなった“世捨て人”のブログ。クラシック音楽の他、日々のよしなし事をつれづれに。

FMで聴いたロリン・マゼールの演奏

2014年08月31日 | 演奏(家)を語る
今年(2014年)の7月13日、指揮者のロリン・マゼールが世を去ったらしい。アバドに次いでまた1人、という感じだ。今月に入って8月10日の日曜日、おなじみのFM番組『名演奏ライブラリー』で彼を追悼する特番が組まれた。で、当日エアチェック録音しておいたものを、月末の今になってようやく聴くことができた。今回は、それを聴いていくつか思った事を書きとめてみることにしたい。

最初に流れたレスピーギの<ローマの松>は、ベルリン・フィルとの1958年録音。マゼール28歳の頃の演奏となるようだ。いかにも、という感じの凄いオーケストラ・ドライヴ。鮮烈で引き締まった響き、曲の細部まできっちりと克明に描き出す目の細かさ。フルトヴェングラー時代の面影を残すドイツの名門オケを、若き俊英が思う存分に振り回し、締めあげて(笑)いる。私はたまたま、同じコンビが同じ頃に録音していたベートーヴェンの<運命><田園>のCD(現在豪エロクエンスの廉価盤で入手可能な物)を持っているのだが、そこでの基本的な印象も、このレスピーギ作品と殆ど変わらない。若輩ながらも天下のヴィルトゥオーゾ・オーケストラを完全に薬籠中の物としている。(※僅か9歳の時にニューヨーク万博でオーケストラを指揮してみせ、その2年後にはトスカニーニの手兵であったNBC交響楽団を指揮したという神童マゼールにとっては、これぐらい朝飯前だったかも。)

ここでふと考えたのが、マゼールと同年代の良きライバルだったクラウディオ・アバドとの違いである。アバドが若い頃ベルリン・フィルを振った演奏として今、ブラームスの<交響曲第2番>(G)が思い浮かんでいるのだが、若き時代のこの2人、ベルリン・フィルを相手にしての態度に途轍もなく大きな差があった。たとえて言うなら、若きアバドは高性能な大型船に乗ってクルージングを楽しんでいる船乗り、マゼールは大型バイクの腕利きライダーという感じになるだろうか。アバドは(ベルリン・フィルという)船自体が持っている絶対的な安定感と機能にすべてを任せ、自我を押し出すような真似はほどほどにして、ゆったりとブラームスの音楽を楽しんでいるような様子。一方のマゼールは、750(ナナハン)ライダー。普通じゃ乗りこなすのが難しい大型バイクを、何の苦もなく操る。込み入ったコースのスラローム走行なども難なくこなし、直進コースを豪快にすっ飛ばしたと思いきや、アクセルターンで(!)停止する。相手が天下のベルリン・フィルだって「かんけえねえ、俺の操縦についてきやがれ」といったノリ。

(※横道話。「カラヤンが勇退した後、ベルリン・フィルは誰を新しいシェフに選ぶのか」というのが、ひと頃クラシック界の話題になった。結局アバドが選ばれたわけだが、他の指揮者たちが選ばれなかった理由の一つ一つが、それぞれに興味深いものだった。「小澤征爾?彼はいい人だ。みんな、彼が好きだ。でも、彼の音楽は浅い」。「ズビン・メータね。彼の棒はスパスパ切れる。カラヤンと我々が作ってきた柔らかい音を、彼はスパスパと切り刻んでしまう。彼を新しいシェフにと望むメンバーはいないでしょう(by安永徹)」。そして、マゼール。「彼は自分のために、音楽をやっている」。)

面白いことに、「指揮者には絶対従う」ことを旨とするベルリン・フィルよりも、「指揮者が誰であっても、自分たちのやり方と音色は絶対譲らない」ことで知られるウィーン・フィルの方が、マゼールの個性的なアプローチをよく受け入れて、独特な音楽作りを達成することが多かったように思える。この日3曲目に紹介されたラヴェルの<ボレロ>もその好例、という感じだ。鮮烈な音像と速めのテンポ、トランペットの際立つアクセント付け、そして終盤で聴かせる大見得切ったテンポの伸縮。いかにもマゼールらしい個性的なラヴェルである。そう言えば、同じオケと若い頃デッカに録音したシベリウス交響曲全集のユニークな鮮烈さも、ファンの間ではもうおなじみのところだろう。

この<ボレロ>で聴かれるような大見得切った表情付けはマゼールが録音した他の演奏にも結構出てくるもので、例えばフランス国立管との<惑星>とか、ドミンゴを主役に据えたスカラ座での<オテロ>とか、そのあたりでも同じようなやり口(?)を耳にすることができる。ど~りゃああ、とばかりにタメを効かせたリタルダンド。これが感性に合って気にいる人も勿論いるのだろうが、私などは、「う~ん、やりたいことはよくわかるんだけど・・あざといんだよなあ、この人」と、ちょっと引いてしまうのである。

さて、そういうマゼールであってみれば、得意としていたヴァイオリン独奏で聴かせる音色がそれ相応に濃い物になるのは、ある意味当然の帰結と言えるだろう。当日の番組であまり面白くなかったワグナー演奏に次いで流れたウィーン・フィルのニューイヤー・コンサート(1999年)からの2曲が、新しい考察を私の心に呼び起こした。1曲目の<冗談ポルカ>(J・シュトラウス2世)よりも2曲目の<パガニーニ風ワルツ>(J・シュトラウス1世)の方が断然、マゼールのヴァイオリンの個性に似合っている。今こんなことを言っても仕方のない話なのだが、生前のマゼールがもし本気になってヴァイオリン独奏に情熱を傾け、パガニーニの協奏曲を録音していたら、これは結構な名盤になっていたんじゃないかなという気がしたのである。

―というわけで、なんか思いついたことを書き連ねるばかりの記事で、ちょっとまとまりが良くないなあと思いつつ(苦笑)、今回はこれにて。

(PS) 業界人が伝える指揮者マゼールの超人的な能力

まあ、こういう人↓だったわけで・・・。

{ 正確無比の拍子を打ち、ずば抜けた耳を持っていたマゼールは、どんな膨大な編成の音楽でも聴き落としをしたことがない。彼がウィーンでマーラーの交響曲第8番をプローベしたときのこと、不意に演奏を中止した。この「千人の交響曲」と呼ばれているはげしい音響の渦の中で、第4ファゴットがヘ音であるべき箇所を嬰へ音で吹いたと指摘して、居並ぶ演奏者たちの度肝を抜いた。彼はプローベの時間配分を効率的に行なうことができたから、マーラーの交響曲第5番のようなむずかしくて長い作品を練習するにも、たった1回のプローベで充分なほどだった。

Cf.『舞台裏の神々』 ルーペルト・シェトレ原著(音楽之友社)より、88ページ }

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