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クラシック音楽オデュッセイア

2025年正月、ついに年賀状が1通も来なくなった“世捨て人”のブログ。クラシック音楽の他、日々のよしなし事をつれづれに。

ギリシャ神話に見るアドニスの物語

2006年08月22日 | エトセトラ
前回語ったジョン・ブロウの<ヴィーナスとアドニス>にちなんで、今回は、その原典となっているギリシャ神話の物語から始めてみたい。しかし、混乱を避けるために、まず名前の表記について整理しておくべきだろう。ヴィーナスという名前は、ローマ神話での呼び名をもとにした英語流の言い方である。本元のギリシャ神話では、アフロディテ(アープロディーテ)だ。さらに、彼女の息子であるキューピッドも同様で、これもギリシャ神話では、エロスが本来の名前である。しかし、この二人の名前については、「アフロディテとエロス」というよりも、「ヴィーナスとキューピッド」といった方がずっと耳慣れた親近感があるので、そちらを採用したいと思う。それ以外の名前については、基本的にギリシャ語流の読み方を使うという形にしていきたい。(※ちなみにアドニスという名前も、アドーニスと真ん中を伸ばす表記の方が原音に近いようなのだが、これもよく見かけるアドニスの方にしておこうと思う。)

●アドニスの物語

キュプロスの王キニュラスには、ミュラという名の娘がいた。ある時、彼女は祭祀を怠けてしまい、ヴィーナスを怒らせることになった。怒れる女神は息子のキューピッドに命じて、ミュラの胸に矢を射させる。

その時からミュラは、激しい恋心に悶え始める。その相手は何と、自分の父親。それまで親として敬愛してきたキニュラスが、性愛の対象に変ってしまったのだ。燃え上がる欲情と羞恥心の板ばさみに苦しみ、彼女は自殺を試みる。しかし、そこを乳母に見つかって、自殺は未遂に終わる。その後、彼女から胸のうちを告白された乳母は激しく戦慄するが、やがて、その一途な思いを何とかしてやりたいと考えるようになる。そして祭りの夜、乳母は父王の寝室にミュラを導いてやることにする。夜の闇に紛れ、王妃が留守なのをよいことに、とうとうミュラは父親との愛の交わりを実現したのであった。しかも、この関係は一度で終わらず、その後も繰り返されることになる。

ある夜、キニュラスは自分が闇の中で抱いている若い女が何者であるかを見たくなり、明かりをともす。そこに自分の娘を見つけた王は激しい衝撃を受け、そばに置いてあった剣で彼女を殺そうとする。しかし、ミュラは危ういところで、その場から逃げ切る。それから山野をさまようこと9ヶ月、彼女は生きることに疲れ果ててしまう。この世にもあの世にも属さないものに自分を変えてください、という祈りを聞き入れた神々は、彼女を樹木に変えてやる。その涙は樹液となり、それは彼女の名の通り、ミュラ(没薬・もつやく)と呼ばれることになった。やがて、その樹皮が裂け、一人の男の子が産まれ出る。それが、ミュラと彼女の父との間に出来た“罪の子”、アドニスである。

ヴィーナスはアドニスを引き取り、ペルセポネ(=冥界の王ハデスの妻)に養育を任せることにする。ペルセポネのもとでアドニスは、やがて世にも美しい少年に成長する。育ての親としてすっかり情が移っているペルセポネは、その後アドニスを引き取りに来たヴィーナスに対して、「この子を、お渡ししたくありません」と拒否する。二人の女神の間に起こった争いを収めるべく、大神ゼウスが仲裁に入る。「アドニス君は一年の3分の1をペルセポネと過ごし、3分の1をヴィーナスと過ごしなさい。そして、残りの3分の1は自由に、好きなように過ごしなさい」。

それからというものヴィーナスは、美しいアドニスといられる時間を大事にした。アドニスは、狩りが大好きな活発な青年になる。白い美肌が自慢のヴィーナスであってみれば、日に焼けたり肌に傷がついたりする狩りなどもともとは嫌いだったのだが、彼と一緒にいるために、その狩りにまで付き合うようになる。しかし、「狩りは楽しいだけでなく危険なものでもあるのだから、ほどほどにしなさい」と、愛する若者にしばしば注意することも忘れなかった。

ある時、一人で狩りをしている時にアドニスはイノシシに激しく突かれ、瀕死の重傷を負う。ヴィーナスが駆けつけた時はもはや手遅れで、彼は女神の腕の中で静かに息を引き取る。彼の血が滴った土から、やがて真っ赤な花が咲く。それは、わずかな風が吹いただけでも散ってしまう儚い花であった。短い人生を終えたアドニスの血から咲いたその花は、「風」を意味するギリシャ語のアネモスからとって、アネモネと名付けられることとなった。

(※このお話にはいくつか違った説明付け、あるいは“尾ひれ”みたいなものが付いている。アドニスの死については、例えば、ゼウスの裁定に不満を感じたペルセポネがヴィーナスの愛人であった軍神アレスに告げ口したので、怒った軍神がイノシシに変身してアドニスを殺したという説。イノシシを差し向けたのは、実はアルテミスだったとする説。あるいは、イノシシの正体はヴィーナスの夫ヘパイストスであったという説。さらに、アドニスの誕生については、ミュラの木の皮を裂いてアドニスを出したのは父親のキニュラスであったという説。その他、様々な異説がある。今回書き出したのは一応、アドニスを巡る物語の本質的な部分を抽出したものと御理解いただけたらと思う。)

(※ギリシャ神話のオリジナル・ストーリーと、ジョン・ブロウの<ヴィーナスとアドニス>で使われた台本とを比べてみると、一つ重要な違いがあることが確認できる。原典では、ヴィーナスの忠告を聞かずに狩りに夢中になり過ぎたアドニスが、もっぱら本人の責任で命を落とすことになる。一方、ブロウ作品の中では、ヴィーナスがしきりに狩りに出るよう促したためにアドニスは死ぬことになる。つまり、ブロウの<ヴィーナスとアドニス>に於いては、「私が彼を、無理やり狩りに行かせたばっかりに・・」という自責の念がヴィーナスを襲うように仕掛けられているのだ。であればこそ、身も世もなく嘆き悲しむラスト・シーンでの彼女の姿に、一層強い説得力が出て来るというわけである。)

【 参考文献 】

●ギリシャ神話ろまねすく (創元社・編集部)
●欧米文芸・登場人物事典 (大修館書店)

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