クラシック音楽オデュッセイア

2009年の大病以来、月1回程度の更新ペース。クラシックに限らず、身の回りの事なども、気の向くままに書いております。

歌劇<三つのオレンジへの恋>(2)

2007年05月27日 | 作品を語る
前回の続きで、プロコフィエフの歌劇<三つのオレンジへの恋>の後半部分。

〔 第3幕 〕

魔法使いチェリオが現われ、悪魔ファルファレッロ(B)を呼んで問いただす。「あの二人は、どこへ行った」「あいつらなら、俺が風の力で魔女クレオンタの城まで送り届けてやったぜ」「それは、二人の死を意味するのだぞ」「そのつもりでやったのさ」。ファルファレッロの態度に怒ったチェリオは彼を制しようとするが、魔法が効かない。「お前は、ファタ・モルガーナとのトランプに負けた。だからもう、お前の力など全然効かないんだよ。ハーッハッハッハ」と高笑いして、ファルファレッロは去ってゆく。

そこへ、王子とトゥルファルディーノがやって来る。チェリオはトゥルファルディーノを呼び止め、助言を与える。「王子が目指すオレンジは、魔女の城の台所にある。しかし、そこには恐ろしい料理女がいる。この魔法のリボンを持っていくがよい。役に立つと思う。そしてオレンジを手に入れることが出来たら、近くに水のあるところで切るのだ。そうしないと不幸なことになる」。やがて城に着いた二人は早速台所に忍び込むが、やはりそこには恐ろしい料理女(B)がいた。彼女に見つかったトゥルファルディーノが、必死に対応する。しかし、彼が持っていた魔法のリボンに惹きつけられた料理女は、それを手にするや、すっかりおとなしくなる。そうこうしている隙に、王子は首尾よく三つのオレンジを手に入れる。

(※ここに登場する料理女はバス、またはバリトン歌手の担当。つまり、男が演じる大女である。ナガノ盤では、この役をヴェテラン歌手のジュール・バスタンが演じている。この人の名に親しみを感じる方はおそらく、かなり熱心なフランス・オペラのファンじゃないかと思う。有名作品の録音では、ミシェル・プラッソンの指揮によるマスネの歌劇<ウェルテル>での法務官、あるいはアラン・ロンバールの指揮によるオッフェンバックの<ペリコール>でのアンドレスといったあたりが代表的な名演として挙げられるものだろう。この二つはバスタン氏の名唱のみならず、演奏全体としても非常に優れたものだ。他にも、フランス系のちょっとマニアックなオペラ、あるいはオペレッタの録音を渉猟すると、しばしばバスタン氏の名に遭遇する。今私が持っているCDから抜き出してみると、上と同じロンバールの指揮によるオッフェンバックの<美しきエレーヌ>でのアガメムノン、ロジェ・ブトリーの指揮によるマスネの歌劇<聖母の曲芸師>でのボニファス、ユリウス・ルーデルの指揮によるマスネの歌劇<サンドリヨン>でのパンドルフ、マルク・スーストロの指揮によるオーベールの歌劇<フラ・ディアヴォロ>でのマッテオ、あるいはエドガー・ドヌの指揮によるグレトリーの歌劇<獅子王リチャード>での農夫、といったものがある。目立たないところで何気なく活躍している、ベルギー生まれの名脇役である。そう言えば、ジェームズ・レヴァインの指揮によるストラヴィンスキーの<エディプス王>で務めていた語り役も、まさに究極のスタンダードと言えるような名演だった。)

三つのオレンジは時間が経つにつれ、どんどん大きくなってくる。それを必死で引っ張りながら砂漠を進む二人だったが、ついにくたびれて座り込む。王子は眠気を訴えて、そのまま寝入ってしまう。のどの渇きに耐えかねたトゥルファルディーノが一つのオレンジを切ると、その中から王女が現れる。「私はリネッタ。ねえ、お水をちょうだい。のどが渇いて死にそう」。砂漠の真ん中で途方にくれたトゥルファルディーノがもう一つのオレンジを切ると、そこから別の王女が現れる。「私はニコレッタ。ねえ、お水をちょうだい」。結局二人の王女は、渇きのためにすぐ死んでしまう。トゥルファルディーノは眠っている王子を置いて、一目散に逃げ出す。

やがて目を覚ました王子が、残った一つのオレンジを切ってみると、王女ニネッタが現れる。彼女もまたのどの渇きを訴えて苦しみだすが、舞台脇の合唱団が、「水がほしいんだってよ。助けてやろうぜ」とささやき、メンバーの一人が水を持って出て来る。助かったニネッタと王子はお互いに喜び結婚を誓うが、「ちゃんとした服が着たいわ。持ってきて」という彼女のおねだりを聞いて、王子は一人で城に向かう。その直後、ニネッタは魔女の召使スメラルディーナに襲われ、魔法の針によって鼠に変えられてしまう。そして魔女ファタ・モルガーナが現れ、「お前が、その王女になりすましなさい」とスメラルディーナに命じる。

有名な『行進曲』とともに、王子と国王、側近のパンタロン、他一同がやってくる。「これが僕の結婚相手です」とうれしそうに父親に紹介する王子だが、そこにいたのはスメラルディーナ。王子はびっくりして否定するが、「王家の人間に二言があってはならぬ。お前は、この娘と結婚するのだ」と、王は厳しく命令する。愕然とする王子。「オレンジが腐っておったわな」と、ニヤニヤ笑いする大臣と王女。

(※前回も軽く触れたが、魔女の召使スメラルディーナは黒人娘というのが元々の設定である。ナガノ盤でも、そのような感じの女性歌手が演じている。しかし、2004年度のプロヴァンス・ライヴの演出では、「黒人の奴隷」という差別的イメージを避けるためか、ロシア系の女性歌手がそのままの肌色で演じている。)

〔 第4幕 〕

チェリオとファタ・モルガーナが、お互いをののしり合う。「針なんぞを使いおって」「あんたこそ、リボンなんか使って。安っぽい手品師」。やがて、チェリオは以前トランプで負けている弱みを突かれ、魔女に負けそうになる。そこへ合唱団のメンバーが出て来て、彼を助ける。

婚礼の行列がやって来る。ガックリとうなだれている王子。そこに突然大きな鼠が出現して一同大騒ぎとなるが、頼もしげに登場したチェリオが魔法の力で鼠を元のニネッタに戻す。美しい王女の出現に誰もがため息をつき、王子も、「この人だよー」と喜色満面。ようやく国王も、事の次第を理解し始める。「なるほど。これは、レアンドルとクラリーチェの陰謀だったんだな。奴隷娘のスメラルディーナも加わって。・・・この三人を絞首刑にする!ロープを用意しろ」。逃げ出す三人を、衛兵たちが追う。そこへファタ・モルガーナが現われ、三人を引き連れて地底へと消えていく。その後、残った人々が王子と王女の結婚を祝う喜びの合唱を響かせるところで、全曲の終了。

(※プロヴァンス公演では、全曲終了後にカーテン・コールの映像が続く。で、これがなかなか楽しい。恐ろしげなメイクで舞台を縦横に駆け回っていた合唱団のメンバーも、派手なコスチュームでギンギラギンに演じていた歌手たちも、皆ニコニコと微笑んでうれしそうに拍手を受けている。いい光景だなあ、と見ていて何だか嬉しくなる。しかしまあ、プロコフィエフの舞台作品というのは、映像が必要だなあとつくづく思う。バレエ音楽<ロミオとジュリエット>や<シンデレラ>など、特にそうである。これらの作品は舞台映像を見て初めて、その良さが実感できたものだ。オペラも全く同様で、<炎の天使>の全曲を以前ゲルギエフのCDで聴いた時など、「これほど面白い台本に、何でこんなつまらん音楽がつくんだかなあ」と、途中でげんなりしてしまったものである。それなども、舞台映像を観たら随分印象が変わるんじゃないかと思う。)

(PS) 魔女ファタ・モルガーナについて

今回は枠に余裕があるので、またちょっと薀蓄話。このオペラに登場するファタ・モルガーナという魔女の名前は、『アーサー王伝説』に出て来る魔女モーガン・ル・フェイのイタリア語版である。佐藤俊之氏、他による『アーサー王』(新紀元社・2002年)の60ページ以降に、この謎めいた女性についての分かりやすい解説が載っている。その部分を短く編集してみると、おおよそ以下のような感じになる。

{ モーガンは、アーサー王の異父姉。アーサーの父親に自分の父を殺され、母を略奪されていたモーガンは、当然のことながら、アーサーを憎む。しかし同時に、彼が持つ純粋さや誠実さ、勇敢さや思慮深さに、彼女は惹かれる。・・・モーガンはあの手この手を使ってアーサーを苦しめようと謀るが、失敗し続ける。しかしやがて、湖の騎士ランスロットと王妃グィネヴィアの不倫が明らかになって、アーサーの王国は分裂。彼女が重ねてきた陰謀によって円卓の騎士たちにも不安が生じ、事態は修復不能なものになっていく。・・・死にゆく王をアヴァロンの島に運びながら、彼女はついに憎しみや嫉妬、あるいは孤独や自己嫌悪といったものから解放される。そして一人の女性として、彼と永遠に暮らす妖精の国へと向かうのである。 }

また、リチャード・キャヴェンディッシュ原著による『アーサー王伝説』(晶文社・1983年)の183ページには、次のような記述が見られ、妖姫モーガン・ル・フェイの象徴的な意味が考察されている。

{ 大部分の物語でモーガンは、女性というものの邪悪を恐れる、男性の古い根深い恐怖の化身みたいなものである。・・・女の邪悪は、男から支配権を奪回し男性を完全な屈従下に置こうとする女性の飽くなき性的欲望につながっている。 }

上のような見方に則るなら、『三つのオレンジへの恋』に於いて男の魔法使いチェリオを屈服させる魔女の名前として、ファタ・モルガーナはこよなく相応しいものだったようにも思えるのだが、作者ゴッツィが意図したものは果たして何だったのだろうか。なお、このファタ・モルガーナという名前は、イタリアのメッシナ海峡で目撃される蜃気楼を表す言葉として一般化しているようである。手持ちの伊和中辞典を調べてみたら、そのような意味が出ていた。
コメント
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