クラシック音楽オデュッセイア

2009年の大病以来、月1回程度の更新ペース。クラシックに限らず、身の回りの事なども、気の向くままに書いております。

<エフゲニ・オネーギン>の歴史的名演(3)

2007年04月26日 | 演奏(家)を語る
今回は、<エフゲニ・オネーギン>の聴き比べ・第3回。演奏の番号は最初からの通しで、第6番。

6.M・エルムレル指揮ボリショイ劇場管、他 (1979年録音)
【出演: マズロク、アトラントフ、ミラシキナ、ネステレンコ、他 】

ヴィシネフスカヤよりも少し若い世代のタチヤーナ歌いとして活躍した、タマーラ・ミラシキナの主演による全曲盤。オネーギン役、レンスキー役、ともに前回語ったロストロポーヴィチ盤と共通していて、ユーリ・マズロクとウラジーミル・アトラントフがそれぞれ受け持っている。タチヤーナの妹であるオリガの役も同様で、両盤ともタマーラ・シニャフスカヤが歌っている。やはり1970年代の<オネーギン>と言えば、この人たちが代表的なメンバーだったのだろう。

しかし、タチヤーナ役のミラシキナを本位に考えて評価するなら、この録音はちょっと遅きに失した感がある。これは、彼女にとって大変気の毒なことだったと思う。ミラシキナがタチヤーナの役を歌うようになったのは1957年頃だったそうだが、録音に関してはヴィシネフスカヤに独占されていたようである。その畏怖すべき(?)先輩が政治的な理由で夫のロストロポーヴィチとともに西側に去り、やっとミラシキナにもタチヤーナの録音が回ってきたという流れのようだが、いかんせん、1979年という年度はあまりにも遅すぎた。1934年生まれの彼女は、この当時もう堂々たるヴェテランになっていた。その声には若やいだみずみずしさ(※例えば、映画版<イーゴリ公>でヤロスラブナを歌っていた頃の初々しさ)みたいなものはなく、むしろ円熟味や貫禄で聴かせるようなタイプの歌手になっていたのである。そういう比較になると、前回語ったロストロポーヴィチ盤でのヴィシネフスカヤにはやはりかなわない、という事になってしまう。この名花がもっと若い頃にタチヤーナを録音出来るチャンスがあったらどんなに良かったろうと、残念に思えて仕方がない。(※ひょっとしたら、埋もれたライヴ音源とかがどこかにあるのかも知れないが・・。)

一方、ここでのマズロクの歌唱は、ロストロポーヴィチ盤でのそれよりはずっと出来が良い。特に後半に入るとグングン調子が上がってきて、第3幕ではかなりの熱唱を聴かせてくれる。なるほど、これなら、彼が一時代を画したオネーギン歌手であったというのもうなずける。レンスキーを歌うアトラントフも同様で、ロストロポーヴィチ盤よりもこちらの方が練れた歌唱を示しているように思う。しかし私の感覚では、この人の重くてロブストな声はどうしてもレンスキーのイメージに合わないので、やっぱりダメだ・・。実はこのエルムレル盤では、グレーミン公を歌うエフゲニ・ネステレンコが凄い。これはもう、圧倒的に凄い。その岩石のようにごつい声は往年のピロゴフを思わせ、どっしりと腰を構えた悠々せまらない歌い方はレイゼンを思わせる。こんなメガトン級のグレーミン公は、そうそう他に見当るものではない。この人が歌っている間、何かそこに異次元の世界が出現したような不思議な錯覚を覚えてしまうほどである。

指揮者のマルク・エルムレルは、2000年度に<オネーギン>の映像ソフトも作っている。そちらの出来がどんなものか、私は未視聴なので分からないが、この’79年盤での指揮ぶりははっきり言ってイマイチ。部分的には、いかにもボリショイらしい迫力あるサウンドを聞かせてくれるところもある。しかし、全体的に見ると、どうも音楽が生煮えに聞こえてしまう箇所がやたら多いのである。ちょっと感心しない仕上がりだ。

(PS 1) スヴェトラーノフの<トスカ>全曲(1967年)

ここでいきなり、プッチーニの歌劇<トスカ>。それもスヴェトラーノフの指揮による、恐るべき(?)ロシア語版<トスカ>である。こんなのが何故ここに出て来るかと言うと、実はこの録音でトスカを演じているのが今回話題にしているタマーラ・ミラシキナだからである。これは、全盛期の彼女がいかに素晴らしい声を持っていたか、そしていかに豊かな表現力を備えていたか、ということを如実に物語る貴重な録音である。

スヴェトラーノフの<トスカ>は歌詞がロシア語ということもあって、何とも不思議な感銘を与える演奏だ。しかし、ここには“単なるキワモノ”という一言で片付けるわけにはいかない、堂々たる中身がある。1950年代には、硬い音とぶっきら棒なフレージングによって含蓄の乏しいオペラ演奏をしていたスヴェトラーノフも、この録音を作った頃には別人のように成長していたことが窺われる。彼はオーケストラから充実した響きを引き出しつつ、どっしりした遅いテンポによって非常に濃密な音楽を作り出す。一方で、プッチーニらしい旋律の歌わせ方もちゃんとしているし、フレージングもなめらかだ。へ~、これはなかなか、という感じなのである。勿論、ロシアの演奏家らしい暗い音色や重厚な響きも、期待を裏切らず(?)ちゃんと出てくる。特に、第3幕が出色だ。羊飼いの少年が歌った後に流れる抒情的な音楽こそ思いがけずしっとり奏でるも、『星はきらめき』のメロディが始まるや、異様な重力世界に聴き手を引きずり込む。そしてカヴァラドッシの銃殺刑シーンでブバアァーッ!と鳴り響く金管やラスト・シーンで轟く圧倒的な音響といったあたりに、ロシア系演奏家としての本領を遺憾なく発揮している。

しかし、この録音では、やはりトスカを演じるミラシキナの声と歌唱こそ、最も注目に値するものと言うべきであろう。年代的に見ても、この頃が彼女の全盛期だったと思う。役柄の性格上、激しい表現を要求される箇所が多く、抒情的で優しい場面が少ないのが惜しまれるものの、ここでの彼女は本当に魅力的だ。有名なアリア『歌に生き、恋に生き』も、ロシア語で歌われているためフレージングがちょっと変わっているという面もあるが、ミラシキナの歌自体は非常に優れたものである。マリア・カラスがその悪声によってもたらした不快感とは全く対極にある“耳の喜び”を彼女の声は与えてくれるし、レナータ・テバルディが苦手としていた高音も、ミラシキナは美しくのびのびと聞かせてくれる。だからこそ、思うのである。上記1979年の<オネーギン>録音は、あまりにも遅かった。この<トスカ>をやった頃のミラシキナなら、きっと素晴らしいタチヤーナを記録してくれただろうにと。

カヴァラドッシを歌っているのは、ズラブ・アンジャパリーゼというドラマティック・テナー。当ブログでかつて扱った作品としては、チャイコフスキーの歌劇<イオランタ>の映画版で、ヴォデモンを歌っていた歌手である。映像では専門の俳優さんが演じていたが、歌声はこの人のものだった。この<トスカ>では役柄の性格を反映してか、とんでもなくハイ・テンションな歌を聴かせる。ちょっともう勘弁して、と言いたくなるぐらいに白熱した歌唱だ。w スカルピアを歌っているオレグ・クレノフというバリトン歌手には馴染みがないが、この人もまた、豊かな声量を誇るパワー驀進型だったようだ。ただし、往年のアンドレイ・イワノフほどに魅力的な声の持ち主ではなく、また性格表現の点でもいささか平板な印象を与える人である。その点がちょっと、残念ではある。

音質は、生々しいほどに鮮明。勿論、ステレオ録音。なお、この音源は現在複数のレーベルから発売されているが、もしこれを買ってみようという奇特な方がおられたら、ヴェネツィア・レーベルのCDをお勧めしておきたい。プレスが新しいし、値段も安いので。

(PS 2) ガリーナ・ピサレンコについて

タマーラ・ミラシキナと同世代の歌手に、ガリーナ・ピサレンコという人がいる。この人もまた、「理想的なタチヤーナ」という高い評価を得ていた名ソプラノだ。せっかくの機会なので、この美声歌手にも少しだけ触れておくことにしたい。今回の記事を書くに当たり、海外サイトを含めてあちこち検索してみたのだが、残念ながら、彼女がタチヤーナを歌った<オネーギン>録音は見つからなかった。

ピサレンコの名を見出すことの出来るCDとして、今私の手元にあるのはたったの1枚。スヴェトラーノフの指揮によるラフマニノフの<鐘>Op35だけである。これは大編成のオーケストラと合唱団、そして3人の独唱歌手によって演奏される大がかりな作品だが、その第2楽章でソプラノ・ソロが大活躍する。で、スヴェトラーノフ盤でこれを歌っているのが、ピサレンコさんというわけである。1979年という録音年度から見て、この頃はもはや彼女の全盛期だったとは言えないと思う。しかし、それでもなお、この人の声は十分に美しい。まさしく、澄んだ美声という表現がぴったり来る。なるほど、この素直な美声でタチヤーナを歌ったらさぞかし似合うだろうな、と思わせるものがある。ライヴでも何でも記録があるなら、是非復活させてほしいものだ。私の個人的な趣味でいえば、上記のミラシキナやこのピサレンコの方が、少なくとも声の魅力ではヴィシネフスカヤを凌いでいるように思えるのである。

★次回は、<エフゲニ・オネーギン>の聴き比べ・最終回。ショルティ盤とレヴァイン盤について。これら2つの音源には、「歴史的」という言葉はもはや似合わない感じなのだが、次回だけトピック・タイトルを変えるのも変なので、これまでの流れに沿って、「<エフゲニ・オネーギン>の歴史的名演(4)」という題で書いてみることにしたい。
コメント (2)
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