昨年末に世界の人口は80億人を超えたという。いつ頃のことだったか記憶が定かでは無いが二十代のころに40億台から50億になったと話題になったような気もする。少なくとも生きている間に倍増はしているはずだ。
もっとも僕の生まれた時の世代は数が多かったが、その後は減り続けていったのは確かそうで、今の子供の様子を見ると明らかに数が少なくなった。学校のクラス数は4以上あったし(中学では9。高校は10以上あった)、クラスの人数も50人近かった。机の隙間を歩くときは横向きにならなければならなかった。
そうではあったが、その後の日本は人数の増え方は鈍化してゆき、しまいには減っているという。生まれる人数はどんどん減っていたが、長寿の人が増えたために鈍化したような錯覚を持っていただけのことであって、ついには平均寿命が頭打ちになり、どんどん減りだしたということだろう。すでに書いたように実感を伴って減っているのは間違いなくて、まちには高齢の人が増え、子供の声が聞こえづらくなっている。いるところにはたくさんいるが、全体として寂しくなっている感じだろうか。
そうではあるが、世界人口は増え続けている。中国やインドの人口がひどく多すぎるので、同じアジアの人間としては、地域性としてどんどん増えている脅威があるが、東アジアである日本や韓国、東南でもタイなど国は減っていく組に入ったようだ。推計上は、将来的には国民が消滅する水準まで減るとまで言われている。僕は途中で死ぬ組の人間なので見届けることはできないが、それがどのような未来なのかは恐ろしげである。
もちろん日本の人口が減っていくことで、日本なりの対策はこれから打たれていくことだろう(※ 実はすでに米国などより子供政策は手厚いが、これはまた別の機会に)。人口が減ることでの内訳で、一番困ることは、人口の年齢形態である。要するに高齢化が進み労働人口が減るので、国を支えていく根幹が難しくなってしまう訳だ。今あるもので何とかするには、定年を延長して(※ そもそも年齢で仕事を切るのは、差別の可能性がある)、社会保障費の負担割合を増やし、そうして給付額を下げるということになる。消費税を上げるのが一番合理的だが(※ 消費税は一定の逆累進があるというデータもあるが、実際は富裕層のほうが金を使うので、納税額は富裕層のほうが多く支払うことは間違いないらしい。所得税より公平なのである)、そう思わない人の壁があり、政治手腕の問われるところだ。
もう一つ簡単にやれることは、移民受け入れ政策である。減っているのだからよそから補充して行ければ問題は無い。しかしこれには自国民の意識の壁が高く、文化の違いを受け入れることができない上に、日本語という言葉の壁が相手側にもある。日本にもさまざまな寺院などが増えだし、チャイナタウンのような別の人の国の人たちが特に集まるまちなどが、たくさんコミュニティとして立ち上がっていくだろう。それ自体は平和の象徴のはずだが、そう思わない人だっているだろう。生まれた場所だけが根拠の差別的な特権意識のある日本人をどう教育していくのかが、課題ということになろう。