本格的に雨が降って潔い。代掻きも本代であるという。水戦争にとっても恵みの雨だ。自然が争いを解消してくれる。僕は天に感謝を捧げよう。そうしたら天は雷でもって返答してくれる。ゴールデンのメリーは迷惑そうに怯えていた。
物品購入のため見積もりをいくつか見る。営業の人から丁寧な説明も受ける。考えていた金額より300万円ほど高い。これほど認識に差があると、接点を見つけることがむつかしくなる。もう一度最初から要望を説明しなおして再提出をお願いする。僕らの業界について先方はどの程度まで認識しているのだろうか。いろいろ詮索しても始まらないけれど、勘違いしている気がしてならない。ついついそう考えてしまって、世界経済の動向など、脱線して私見を述べたりしてしまう。いつの間にか大演説になってだんだん僕の独擅場と化す。僕の悪い癖に付き合わされて、営業の人がかわいそうだった(もちろん、後から思うと、ということだが…)。
どういうわけかハエが大発生している。電気のネットで退治するハエたたきがあるのだが、営業の一人がこれを気に入ったらしく、事務所で振り回していた。時々、バリッという音が響いて獲物が餌食になっていた。おどろおどろしいが、同時になんとなくユーモラスだ。普通のハエたたきは圧死させるものだが、ハエの最後としては電気との選択としてどちらが苦痛が少ないものだろうか。
僕の昆虫の死のイメージは、テレビの画面の砂の嵐のような感じがする。いきなり画面がガーッと嵐になって終わる。同じように飛び降り自殺もそういう画面になって死ぬような気がする。確かめてみることは一度しかできない問題だが、そういう風に想像するだけで、僕は乾いた恐怖感にとらわれる。痛い死に方も嫌だが、あっさり死ぬのも嫌だ。じゃあどうすんの?と、自分に問うても、嫌なものは嫌だ。これは死に方の問題じゃなくて、死にたくない問題であった。
昼飯は焼そばなのかスパゲティなのか分からない麺だった。先に食べている人に聞いて見ると、「さあ」という返事だった。誰もそういう問題を気にしていないということが、僕には大変に不思議に思えた。
残った人には迷惑かもしれませんが、寝ていてそのまま目覚めないというのが理想ですね。寝るんだったら怖くないし、死んだのなら、死んだ本人にとっては後はどうでもいいのですから…、というか、どうしようもないですしね。
しかし(自然死であれば)どうなるか分からないというのは、将来楽しみですね。うふふ。
もだえ、あがきながらが良いです。
おそらく(想像ですが)死ぬ瞬間は、人生で一番の安堵感・安息感に包まれるんじゃないかって思っています。
それに、何時死んだのか解らないって寂しすぎます。
けじめでしょうか・・・