出張ったって、実は週末はPTAの大会に出ていた。僕はPTA嫌い(というか、協議会や団体や会議が嫌いなんだから仕方が無い)だから意見を差し挟むことは極力控えているが、こういう研修会に出て見ると、つくづく教育界という世界は腐っていることが良く分かる。そういう世界に子供を預けるしか選択肢のない世界だから仕方なくそうしているだけで、彼らが早く大人になるより解決は無いのだろうと思う。
さて、そういうことでPTAの話題で特にホットな情報をお教えしよう。報道などでも取り上げられることもあるようだから知っている人も多いかもしれないが、PTAで大いに議論になるのは一部保護者のだらしなさの愚痴だ。そういう「困った人」の代表が、給食費未納問題である。
実は僕個人は、給食は希望制にすべきであると思う。全員に強要するから問題が起こっているのだと思う。まあ、しかし、教育界はそうは考えないのであろう。食べる場面も教育の一環だということだろう。じゃあ、公費で負担すべきじゃないの。できないのに言うなよな。
さて、未納問題をほぼ解決している学校があるという。どうやったかというと、PTAの役員が一軒一軒取り立てたのだという。へー、やっぱりね。それって先生の仕事なのにね。
しかしながらある学校では、やはり役員が集金に回るのだが、その行動がものすごく大変で苦痛でやっぱり止めた、といっていた。やめた途端、ドーッとまた未納者が増えた。「どうにもならんです」との由。そこで行政で集金システムをつくるべきではないか、というまっとうな意見も出た。しかしながら校長先生は無視である。無理ということらしい。
ある校長先生は、給食費を前納制にしたという。「おお、やるじゃん」と思っていたら、それでも払わない人にも給食を食わせているのだそうだ。この校長は馬鹿だ。理由はいじめなどが起こるといけないからだって。何たる無責任な人だろう。食わせると判断した人が、給食費を持つべきだ。それが責任ある立場の人のすることで、問題を先送りにして人任せにするような人が責任ある立場になってはいけないのである。
はっきりしているのは、給食費を払わないで食っている人は、たとえ親が悪いにしろ、子供で可哀相にしろ、食い逃げである。食い逃げは詐欺か窃盗の罪に問われる(払うつもりがあると騙しているか。最初から払う気など無く食うかの違い)。また、そのために集金などでさらに経費が計上されるので、民事でも損害賠償の対象になる可能性がある。学校以外の社会では、これを犯罪という。まあ、学校内でも本当は犯罪であることは明確なんだけど、先生が犯罪を幇助隠蔽するので立証されていないだけである。先の校長先生は犯罪行為をしている可能性があるわけである。本当に悪いのは確かに払わない人だし、立場としてはお気の毒だけれど、職務上犯してしまった犯罪者だ。なにより外にまともに払った人に断り無く、食材費を減らしたり量を減らしたりしている給食の現場があるのだから、犯罪性は明確である。越権行為であるばかりでなく、明確な裏切り行為で、詐欺と損害賠償が必要だろう。僕ら親達が人がいいので誰も訴えないだけなのに。子供を人質にとられているしね。
まあ、こういう主張は人気が無いのはわかっている。まっとうすぎるからね。でも、教育界ではまっとうな意見が極端に聞こえるほど特殊なんだということは自覚した方がいいと思う。
給食という制度がある限り、未納問題は食わせないか集金するか。解決方法は二つしかないんだよね。結局教育界は、その二つのことを怠っていても平気だということなのだ。基本的に無責任なのである。だから全国的に絶対解決しない。いじめ問題も先の理屈で解決が不能なのだ。
さて、もうひとつの話題は携帯電話。
子供に持たせる持たせないは、親なり家庭で考えればよろしい。議論終わり。と僕は思っていた。ところがそうではないらしい。
携帯電話がインターネットにつながっている以上、子供にふさわしくない情報がはいる可能性があるので、電話会社の協力を得て、フィルター機能を義務付ける必要があるのだそうである。年齢で条件付けるかどうかなど、細かい議論に花が咲いていた。親が現状を知らないので、内容を研修で補うべきなんだとか、とにかくいろいろ意見が出ていた。お決まりの援助交際の問題もでていた。また、GPS機能というのだろうか、子供の安全のための位置関係を把握する必要性の議論などもあった。まあ、携帯電話の普及と現状を見ると、みんな憂いているのは良く分かった。僕のもっている携帯電話も、そういう危険な道具なのであろう。おお、怖。
そういうことで、やはり学校では電話で大変なことになっているんだろうなあ、と他人事のように想像(僕の子供は持っていないから)していたら、議論している会場のすべての学校では携帯電話を基本的に禁止しているということが分かった。ざっと見て1000人あまり参加していたから、ほとんど例外なしなのだろう。僕はまず、このことにかなり驚きましたね。この問題は基本的に学校は無関係なんである。ああ、そういえば校則というものがあるんだね。おいら忘れてたよ。しかし個人の持ち物を禁止して議論終わりじゃ、あんまり無責任だろう。
ある学校では、所持していることが発覚したら、解約した書面が無いと、没収した携帯電話を返却しないんだってさ。それで解約したら約款違反になって7万かかったとかいう話があった。その後またすぐに契約しなおしたんだって。まあ、この親も確かにバカですね。バカのなすり合いである。
まあ、ゲームにしろ携帯電話にしろ、現代人の憂うべく問題であることは認めます。確かに困ったし、不快である。それこそ根気強く問題を見据えて議論する必要はあるし、教育することが大切だろう。
しかしながらいたいけな子供達が携帯電話を持った瞬間に、ものすごく危険な境遇に陥るというのはどうなんだろう。お金が欲しくなってすぐ援助交際を始めたり、詐欺にあって財産を失ったりするんだろうか。まあ、そうなるかもしれないけれど、そういう子って、最初からものすごく不良だとか、本当にバカなんじゃないですか。みんな知ってるくせに言わないだけでしょ。これは子供を頭から信用するという態度じゃなくて、ちゃんとした日頃からの付き合いの上で分かることだろう。
そりゃ、子供はだいたいバカなものだから、馬鹿なことはずいぶんやるだろう。多少賢い子は、親を騙したりもするだろう。でも基本的には子供と親は別の人格なんだから、バカだったり反発したりすることは当たり前のことなんじゃないか。
とにかく疲れたが、最後に取りまとめて助言をする教育関係者の発言があった。いろいろあるにせよ、8割方の人はまともなんであり、みんなで一致協力して2割の人を何とかしよう、と言っていた。ああ、頭が痛い。まともなのが8割程度なら、非常に健全じゃないか。実際は6割ぐらいがまともじゃないと僕はふんでいるが、まあ、それはいい。教育界のそういう完全理想主義が根本的に危険なのである。サダム・フセインが大統領に就任した選挙では、100パーセントの信任であったし、金正日であっても似たようなものだろう。理想主義の正体は、現実にはアレなんである。そういう現実をまずは正確に見て、その上で物事を考えていかないとどうにもならない。事実を間違えて捉えて対処すると、結果が思うようにならないのは当たり前である。
もちろん言わなかったのでブログがこうなった。教育界だけで起こっている問題は、教育界の構造的な欠陥である可能性が高い。そのことを自分で解決できないから、いつまでも問題が片付かないのである。困った親の批判をしている背景は、実は問題のすり替えである場合が多い。教師と一部の親が一緒になって愚痴り合って、まあ、解決することを期待するほうがどうかしているのであろう。ある中学校では生徒数が900人の規模だそうだが、オヤジの会を発足しようと呼びかけて、集まったのがたったの9名。もっとがんばって増やしていきたいそうである。こういう感性の集団に浄化作用などありはしない。いい加減ウソをつきあうのはやめて、傷を舐めあうのは止めようではないか。なんだかもう義務教育は死んでいるのである。
さて、そういうことでPTAの話題で特にホットな情報をお教えしよう。報道などでも取り上げられることもあるようだから知っている人も多いかもしれないが、PTAで大いに議論になるのは一部保護者のだらしなさの愚痴だ。そういう「困った人」の代表が、給食費未納問題である。
実は僕個人は、給食は希望制にすべきであると思う。全員に強要するから問題が起こっているのだと思う。まあ、しかし、教育界はそうは考えないのであろう。食べる場面も教育の一環だということだろう。じゃあ、公費で負担すべきじゃないの。できないのに言うなよな。
さて、未納問題をほぼ解決している学校があるという。どうやったかというと、PTAの役員が一軒一軒取り立てたのだという。へー、やっぱりね。それって先生の仕事なのにね。
しかしながらある学校では、やはり役員が集金に回るのだが、その行動がものすごく大変で苦痛でやっぱり止めた、といっていた。やめた途端、ドーッとまた未納者が増えた。「どうにもならんです」との由。そこで行政で集金システムをつくるべきではないか、というまっとうな意見も出た。しかしながら校長先生は無視である。無理ということらしい。
ある校長先生は、給食費を前納制にしたという。「おお、やるじゃん」と思っていたら、それでも払わない人にも給食を食わせているのだそうだ。この校長は馬鹿だ。理由はいじめなどが起こるといけないからだって。何たる無責任な人だろう。食わせると判断した人が、給食費を持つべきだ。それが責任ある立場の人のすることで、問題を先送りにして人任せにするような人が責任ある立場になってはいけないのである。
はっきりしているのは、給食費を払わないで食っている人は、たとえ親が悪いにしろ、子供で可哀相にしろ、食い逃げである。食い逃げは詐欺か窃盗の罪に問われる(払うつもりがあると騙しているか。最初から払う気など無く食うかの違い)。また、そのために集金などでさらに経費が計上されるので、民事でも損害賠償の対象になる可能性がある。学校以外の社会では、これを犯罪という。まあ、学校内でも本当は犯罪であることは明確なんだけど、先生が犯罪を幇助隠蔽するので立証されていないだけである。先の校長先生は犯罪行為をしている可能性があるわけである。本当に悪いのは確かに払わない人だし、立場としてはお気の毒だけれど、職務上犯してしまった犯罪者だ。なにより外にまともに払った人に断り無く、食材費を減らしたり量を減らしたりしている給食の現場があるのだから、犯罪性は明確である。越権行為であるばかりでなく、明確な裏切り行為で、詐欺と損害賠償が必要だろう。僕ら親達が人がいいので誰も訴えないだけなのに。子供を人質にとられているしね。
まあ、こういう主張は人気が無いのはわかっている。まっとうすぎるからね。でも、教育界ではまっとうな意見が極端に聞こえるほど特殊なんだということは自覚した方がいいと思う。
給食という制度がある限り、未納問題は食わせないか集金するか。解決方法は二つしかないんだよね。結局教育界は、その二つのことを怠っていても平気だということなのだ。基本的に無責任なのである。だから全国的に絶対解決しない。いじめ問題も先の理屈で解決が不能なのだ。
さて、もうひとつの話題は携帯電話。
子供に持たせる持たせないは、親なり家庭で考えればよろしい。議論終わり。と僕は思っていた。ところがそうではないらしい。
携帯電話がインターネットにつながっている以上、子供にふさわしくない情報がはいる可能性があるので、電話会社の協力を得て、フィルター機能を義務付ける必要があるのだそうである。年齢で条件付けるかどうかなど、細かい議論に花が咲いていた。親が現状を知らないので、内容を研修で補うべきなんだとか、とにかくいろいろ意見が出ていた。お決まりの援助交際の問題もでていた。また、GPS機能というのだろうか、子供の安全のための位置関係を把握する必要性の議論などもあった。まあ、携帯電話の普及と現状を見ると、みんな憂いているのは良く分かった。僕のもっている携帯電話も、そういう危険な道具なのであろう。おお、怖。
そういうことで、やはり学校では電話で大変なことになっているんだろうなあ、と他人事のように想像(僕の子供は持っていないから)していたら、議論している会場のすべての学校では携帯電話を基本的に禁止しているということが分かった。ざっと見て1000人あまり参加していたから、ほとんど例外なしなのだろう。僕はまず、このことにかなり驚きましたね。この問題は基本的に学校は無関係なんである。ああ、そういえば校則というものがあるんだね。おいら忘れてたよ。しかし個人の持ち物を禁止して議論終わりじゃ、あんまり無責任だろう。
ある学校では、所持していることが発覚したら、解約した書面が無いと、没収した携帯電話を返却しないんだってさ。それで解約したら約款違反になって7万かかったとかいう話があった。その後またすぐに契約しなおしたんだって。まあ、この親も確かにバカですね。バカのなすり合いである。
まあ、ゲームにしろ携帯電話にしろ、現代人の憂うべく問題であることは認めます。確かに困ったし、不快である。それこそ根気強く問題を見据えて議論する必要はあるし、教育することが大切だろう。
しかしながらいたいけな子供達が携帯電話を持った瞬間に、ものすごく危険な境遇に陥るというのはどうなんだろう。お金が欲しくなってすぐ援助交際を始めたり、詐欺にあって財産を失ったりするんだろうか。まあ、そうなるかもしれないけれど、そういう子って、最初からものすごく不良だとか、本当にバカなんじゃないですか。みんな知ってるくせに言わないだけでしょ。これは子供を頭から信用するという態度じゃなくて、ちゃんとした日頃からの付き合いの上で分かることだろう。
そりゃ、子供はだいたいバカなものだから、馬鹿なことはずいぶんやるだろう。多少賢い子は、親を騙したりもするだろう。でも基本的には子供と親は別の人格なんだから、バカだったり反発したりすることは当たり前のことなんじゃないか。
とにかく疲れたが、最後に取りまとめて助言をする教育関係者の発言があった。いろいろあるにせよ、8割方の人はまともなんであり、みんなで一致協力して2割の人を何とかしよう、と言っていた。ああ、頭が痛い。まともなのが8割程度なら、非常に健全じゃないか。実際は6割ぐらいがまともじゃないと僕はふんでいるが、まあ、それはいい。教育界のそういう完全理想主義が根本的に危険なのである。サダム・フセインが大統領に就任した選挙では、100パーセントの信任であったし、金正日であっても似たようなものだろう。理想主義の正体は、現実にはアレなんである。そういう現実をまずは正確に見て、その上で物事を考えていかないとどうにもならない。事実を間違えて捉えて対処すると、結果が思うようにならないのは当たり前である。
もちろん言わなかったのでブログがこうなった。教育界だけで起こっている問題は、教育界の構造的な欠陥である可能性が高い。そのことを自分で解決できないから、いつまでも問題が片付かないのである。困った親の批判をしている背景は、実は問題のすり替えである場合が多い。教師と一部の親が一緒になって愚痴り合って、まあ、解決することを期待するほうがどうかしているのであろう。ある中学校では生徒数が900人の規模だそうだが、オヤジの会を発足しようと呼びかけて、集まったのがたったの9名。もっとがんばって増やしていきたいそうである。こういう感性の集団に浄化作用などありはしない。いい加減ウソをつきあうのはやめて、傷を舐めあうのは止めようではないか。なんだかもう義務教育は死んでいるのである。
痛快でした(^^)
なるほど勉強になりました。実際に自治体でやっているところも確かにあるんですよね。教育として続けるなら、その方が合理的かもしれない。
ともあれ学校問題は頭が痛いです。意見が出てもすぐに対立と考える人もいて、混乱するじゃないでしょうか。