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道聴塗説 その四 1

(裏の畑のオオキバナカタバミ)

裏の畑の北西隅に、見付けたオオキバナカタバミ。植えた覚えもないから隣地から越境して来たのかもしれない。

午後、信用金庫に二つの用で行く。一つは自分のが、今まで借りたこともないが、ローン付きだった。70歳になると、ローンは使えなくなるというので、その手続きである。もう一つは、会社の山の会の口座が残っていて、1万円少々残があるというので、その解約であった。通帳ももう見当たらないので、解約には1ヶ月掛かるという。下りてきたら山の会の後輩たちに渡そうかと思う。

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今日より「道聴塗説 その四」の解読に入る。

その四
一つ問う。臨終正念を他力と申すときは、口伝抄に相違するに非ずや。かの抄には、皆な自力と定め給う。これゆえに、流義には臨終正念を嫌うと申すは如何ん。
※ 口伝抄(くでんしょう)- 浄土真宗本願寺第三代覚如の著作。覚如が、親鸞の孫にあたる如信より、口授された教義を記した。

答う。口伝抄は自力の正念なる故に嫌うなり。その上に、彼の抄はを疑いて本願を信ぜざるものに対して示し給う。今、委(くわ)しく、かの文を挙げて註脚を加うべし。
※ 機(き)- 物事の起こるきっかけ。物事を行うのによい時機。
※ 註脚(ちゅうきゃく)- 本文の間に小さく二行に分けて入れた注釈。割り注。ここでは、かっこ内に示す。


鈔に曰く、一つ、信の上の称名の事。(聖人は信心を行の本基とし、給う。信心の上には報恩の称名に油断あるまじ。委しく前段に述べり。標章に先ずこれを示す。)親鸞聖人の御弟子に、高田の覚信房(太郎入道)と云う人ありき。重病をうけて、御坊中にして獲麟に臨むとき、聖人(親鸞)入御(にゅうぎょ)ありて、危急の体を御覧せらるゝ処に、呼吸の息荒くして、すでに絶えなんとするに、称名、懈(おこた)らず隙(ひま)なし。
※ 標章(ひょうしょう)- しるしとする徽章または記号。
※ 覚信房(かくしんぼう)- 下野国高田(現在の栃木県芳賀郡)の住。慶信の父。太郎入道。病をおして上洛し、親鸞聖人のもとで往生したという。
※ 獲麟(かくりん)-(孔子が、「西に狩りして麟を獲たり」の句で、筆を絶って死んだところから)臨終。


この時、聖人尋ね仰せられ宣(のたま)わく、その苦しげさに、念仏強盛の条、先ず神妙たり。但し、所存不審いかんと。覚信房答え申されいわく、喜び既に近付けり。存せん事、一瞬に迫る刹那の間たりと云えども、息の通わん程は、往生の大益を得たる仏恩を報謝せずんば、有るべからずと存ずるに付いて、かくの如く、報謝の為に称名仕るものなりと、云々。(この説の如くならば、報恩の念仏は、臨終の刹那にも懈怠なし。況んや、平生に於いて油断あるべけんや。この人は聖人の面授の御弟子なれば、聖人の御平生に報恩の称名を策励まします事を知るべし。今時の道俗、何そ報恩を忽緒(ゆるがせ)にするや。)
※ 所存不審いかん(しょぞんふしんいかん)- どういう思いで念仏しているのか。
※ 面授(めんじゅ)- 文章などで広く教えるものではない重要な教えを、師から弟子へと直接伝授すること。
※ 策励(さくれい)- 大いにはげますこと。
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道聴塗説 その三 6

(散歩道の白のチンチョウゲ)

散歩道で見つけた白のチンチョウゲだが、こちらもまだ開花していない。

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今日で「道聴塗説 その三」を読み終える。

然れば、平生の正念の外に、格別に臨終正念を期(ご)するを嫌い給う。来迎も平生に摂取不捨に与(あずか)る外の、聖衆にてはあるまじ。これ故に開山(親鸞)は、摂取不捨の中にある来迎を取りて、臨終に至りて別の来迎をたて給わず。これ平生と臨終と、始終ただ一の往生なれば、格別に沙汰せざるなり。
※ 摂取不捨(せっしゅふしゃ)- 仏がこの世の生きているものすべてを、見捨てず、仏の世界に救い上げること。
※ 聖衆(しょうじゅ)- 仏・菩薩など多くの聖なる存在。特に臨終の際、阿弥陀仏とともに浄土への迎えとしてやってくる聖者たち。


すべて流義の意は、他力に摂すれば、正念も来迎も、仏智の不思議なり。開山(親鸞)の御臨終に頭北面西の威儀を整え、前念命終、後念即生の正念往生を遂げ給うを、他力の不思議と心得べし。
※ 威儀(いぎ)- 規律にかなった起居動作。また、その作法・規律。
※ 前念命終、後念即生(ぜんねんみょうじゅう、ごねんそくしょう)- 念仏行者は前念に命が終れば、後念にただちに浄土に往生するという意であるが、親鸞聖人は、現世において信心を獲得すると同時に、正定聚の位に入る意とした。


但し、開山(親鸞)の臨終の威儀にならわねば、正念往生に非ずと申すには非ず。駿城、明泉寺の前住、了可法師は、その性質素朴にて、外儀を繕わず、正直に念仏誦経して、さまで勤めたるにも非ず。恭敬の様も、しかじかなき人なりき。隠居して一、二年も、敬儀も有りげに見えしどなん。ほどなく、享保八年正月十日に七十九歳にて往生を遂げられき。
※ 明泉寺(みょうせんじ)- 静岡市葵区上石町にある、浄土真宗大谷派の圓乗山明泉寺。
※ 外儀(げぎ)- 外面に現れた威儀や立ち居振る舞い。
※ さまで - そうまで。それほどまで。


然るに、その正月五日よりして、十日の午(ひる)時には、往生する事を知りて、何の病悩もなきに、平生の朋友を招き、十日の往生には、人々参会あるべき由を、堅く約束し、さてその日に至りて、持仏堂を掃除し、供物、香華など備えさせ、午時も近ずく時に、現住を招き、袈裟衣を着し、人に扶(たす)けられて、起坐せしめよと云う。
※ 起坐(れい)- 起きあがってすわること。

時に現住曰く、元祖(法然)も、聖人(親鸞)も、臨終には、頭北面西の威儀なれば、平臥のままにて整(ととの)うべし。煩(わずら)わしく起坐なくともと、ありければ、隠居もその旨に同じて、念數(念珠)を取り、持仏前にて、頭北面西の威儀にて、念仏数遍申し、また現住に向いて、兎に角に起坐せしめよ。

某申すは、九歳の時より袈裟衣を着し、誦経念仏して、朝夕に仏前に於いて、臥拜せし。せん事なければ、只今すでに臨終に及んで、年来の威儀に背かん事、本意なし、とありければ、現住もその意に随いて、起坐せしめければ、合掌して高声念仏、三、四十遍ほど申し、念仏の声とともに息絶えぬ。

この法師の臨終の起坐合掌は、却って頭北面西の威儀に勝るべし。ともかくも外儀
にはよるべからず。その行者の心得に虚仮の振舞なく、行住坐臥ともに、念仏に便宜なるを取るべし。
※ 虚仮(こけ)- 心の中とうわべとが一致しないこと。偽り。


読書:「錯迷」 堂場瞬一著
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道聴塗説 その三 5、 3月を2月と早とちり

(散歩道のキズイセン)

会社の同僚だったⅠ氏から葉書が来た。水彩画の作品展への誘いであった。23日から一週間、島田の銀行のギャラリーだという。街のカルチャースクールに通っていたとは、初耳であった。自分の長兄が水彩画をやっていて、五重塔の絵を一枚所望していることは、何時だったか書いた。どんな絵を描いているのか、興味を引かれた。

早速、午後、会場へ行く。銀行の駐車場に車を停めて、ギャラリーに直接行ける入口まで行くと、シャッターが閉まっていた。なんだ、日曜は休みかと、駐車場に戻って、葉書には休みとは書いて無かったがと見直すと、何と29日までと書いてあった。今年は2月は28日までのはずだが、何でと、まだ気付いていなかった。

車を発進させて、ようやく気付いた。2月と考えたのは早とちりで、作品展は3月で、一ヶ月先の話であった。駐車料金まで取られるのは何とも忌々しいと、駐車カードを入れると、ゲートがそのまま開いた。時間が短かったので、駐車料金が掛からなかったのであろうか。

今年の2月と3月は曜日が同じで、間違いに気付かなかった。仕事を辞めてから何が一番変わったかと言うと、年月日と曜日の意識が薄くなったことであろう。色々な窓口で日付の記入の要があると、窓口の人に今日の日付を必ず聞いている。

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「道聴塗説 その三」の解読を続ける。

また開山(親鸞)の、乗信房への御書に、「まず善信(親鸞)が身には臨終の善悪をば申さず、信心決定の人は疑い無ければ、正定聚に住することにて候なり。さればこそ、愚癡、無智の人も、終りもめでたく候え。如来の御計らいにて往生する由、人々に申され候いける。少しも違わず候なり」と仰せられしは、
※ 乗信房(じょうしんぼう)- 常陸国に在住の親鸞の弟子。乗信房に宛てた親鸞の手紙が十六通残る。
※ 正定聚(しょうじょうじゅ)- 人々が悟りを得る可能性を3種類に分ける中の一つ。必ず仏陀になると決定しているもの。浄土真宗では、阿弥陀仏の救いを信じて歓喜し、疑わない心によって、現身に如来に等しい正定聚になりうるとする。
※ 愚癡(ぐち)- 物事を正しく認識したり判断したりできないこと。愚かであること。


先の黒谷(法然)の仰せに、「まめやかに往生の心ざしありて、弥陀の本願を疑わずして、念仏を申さん人は、臨終の悪(わろ)き事は、大方は候わまじきなりとも、また次に、されば仏の本願を信ぜん人は、兼ねて臨終を疑う心あるべからずとこそ覚え候とも、またもとよりの行者は臨終の沙汰をば、あながちにすべき様は候わぬなり」など、仰せられたる旨と一致なり。
※ まめやかに - 心がこもって。誠実に。まじめに。
※ あながちに(強ちに)- 必ずしも。一概に。
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道聴塗説 その三 4

(庭のジンチョウゲ)

まだ花は開いていない。今は赤いが開いた花は白い。

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「道聴塗説 その三」の解読を続ける。「大胡太郎への御返事」の続きである。

その故は、称讃浄土経に曰く、『仏、慈悲を持て、加え祐けて、心をして見たらしめ給はず』と説かれて候えば、唯の時に、よく/\申しおきたる念仏によりて、臨終に必ず仏は来迎し給うべし。仏の来迎し給うを見奉りて、行者正念に住すと申す義にて候なり。
※ 称讃浄土経(しょうさんじょうどきょう)- 唐の玄奘訳。「小経」の異訳。

然るに、先の念仏を空しく思いなして、よし無く臨終正念をのみ、祈る人などの候は、ゆゆしき僻胤に入りたる事にて候なり。されば仏の本願を信ぜん人は、兼ねて臨終を疑う心あるべからずとこそ、覚え候え。ただ当時申さん念仏をば、いよ/\至心に申すべきにて候。何時かは仏の本願にも、臨終の時、念仏申したらん人をのみ迎えんとは、たて給いて候。
※ 僻胤(ひがいん)- 正常でない血筋。
※ 至心(ししん)- まことの心。至誠の心。まごころ。


臨終の念仏にて往生すと申す事は、日々往生をも願わず、念仏をも申さずして、偏えに罪をのみ作りたる悪人の、既に死なんとする時に初めて、善知識の勧めに会いて、念仏して往生すとこそ、観経にも説かれて候え。もとよりの行者は臨終の沙汰をば、あながちにすべき様は候わぬなり。仏の来迎、一定ならば、臨終の正念もまた一定と、追い示すべきなり」と。
※ 善知識(ぜんちしき)- 人々を仏の道へ誘い導く人。特に、高徳の僧のこと。
※ 観経(かんぎょう)- 観無量寿経のこと。大乗仏教の経典の一つ。
※ あながちに(強ちに)- 必ずしも。一概に。


また浄土宗略抄にも出たり。これ開山(親鸞)の御意と一致なり。開山の隨信房へ答え給う御書に、「御同行の臨終を(ご)してと仰せられ候らしは、力及ばぬ事なり。信心、真にならせ給いて候人は、誓願の利益(りやく)にて候上は、摂取して捨てじと候えば、来迎臨終を、(ご)せさせ給うべからずとこそ、覚え候え。
※ 浄土宗略抄(じょうどしゅうりゃくしょう)- 法然が、北条政子から願われて、浄土宗の教えを簡潔に書いた手紙。
※ 期(ご)- 臨終の時。


未だ信心定まらぬ人は、臨終をも期(ご)し、来迎をも待たせ給うべしと仰せられしは、先の黒谷(法然)の仰せに、然るに先の念仏を空しく思いなして、由なく臨終正念をのみ祈る人などの候は、ゆゆしき僻胤に入りたる事にて候なり」と有る旨なり。
※ 僻胤(ひがいん)- 正常でない血筋。
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道聴塗説 その三 3

(庭のイエローデイジー)

苗を頂いたイエローデイジーが、ようやく一輪、花を咲かせた。我が家の庭もようやく早春に突入したようだ。ただ、その分花粉の飛散も本格的になる。

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「道聴塗説 その三」の解読を続ける。

これ十八本願にただ念仏往生を御約束なされ、来迎往生と無きなれば、必ずしも末に拘(かかわ)りて、本を失うべからず。それを心得違うて、如来の来迎を嫌うと申すは、大なる謬(あやま)りなり。如何なる念仏者にても、念仏に備わる功能を無にすることはなるまじ。
※ 十八本願(じゅうはちほんがん)- 阿弥陀仏の立てた四十八願中の18番目の願。内容から、念仏往生の願とも、最も重要なので王本願ともいう。

来迎も、往生も、現世の利益も、摂取護念も、行者の念仏の力を以って得ると申すには非ず。如来の善巧の構え出す事にて、念仏の法爾の功徳なり。その念仏の法に備わる来迎や正念を、行者の力にて増しも減しもなるまじ。これゆえに、来迎も正念も嫌うには非ず。来迎を頼み、臨終正念を待ちて、往生する心を嫌うなり。
※ 摂取護念(しょうしゅごねん)- 仏・菩薩が行者を、おさめ取り、心にかけて守ること。
※ 善巧(ぜんぎょう)- 人々の機根に応じて巧みに善に教え導き、仏の利益(りやく)を与えること。
※ 法爾(ほうに)- 真理にのっとって本来あるがままであること。浄土真宗で、自力を捨て、阿弥陀仏の願力のままに計らわれていること。


元祖(法然)大胡の太郎へ御返事に、「まめやかに往生の心ざし有りて、弥陀の本願を疑わずして、念仏を申さん人は、臨終の悪(わろ)き事は、大方は候まじきなり。その故は、仏の来迎し給うことは、もとより行者の臨終正念のためにて候なり。それを意得ぬ人は、皆な我が臨終正念にして、念仏申したらん時に、仏は迎え給うべきなりとのみ、意得て候わば、仏の願をも信ぜず、経の文をも意得ぬ人にて候なり。
※ 大胡(おおご)- 大胡氏は、平安時代から上野国大胡城を拠点として、大胡郷(現在の前橋市大胡地域)を治めていた藤原姓足利氏の一族である。
※ 大胡の太郎(おおごのたろう)- 大胡氏は浄土宗を篤く信仰した。大胡小四郎隆義は京都滞在中に法然と知り合い、大胡に帰った後も浄土宗に深く帰依し、また子の太郎実秀も浄土宗に帰依した。隆義・実秀親子は手紙で法然へ質問を行っており、法然からの返答が「大胡消息」として残る。
※ まめやかに - 心がこもって。誠実に。まじめに。
※ 意得ぬ(いえぬ)- 物事の意味・理由などがわからない。


読書:「サーベル警視庁」 今野敏著
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道聴塗説 その三 2

(庭のクリスマスローズとヒヤシンスの蕾)

一風ごとに暖かくなって、少しずつ花の季節に移って行くようだ。

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「道聴塗説 その三」の解読を続ける。

元祖(法然)の臨終奇特などは、西方指南抄に広く載せられ、高僧和賛に、曇鸞源空との両讃に、臨終の霊相を嘆じ給う。道綽善導源信に臨終奇特あれども、讃文には初後の両讃を挙げて、中の三師を略し給う。これらの祖師をも皆な化土の往生と判ずべきや。
※ 西方指南抄(さいほうしなんしょう)- 法然の法語・伝記・書簡などを編集したもの。
※ 高僧和賛(こうそうわさん)- 親鸞が撰述した高僧の和讃(和語をもって讃嘆する詩)。
※ 曇鸞(どんらん)- 中国南北朝時代の僧、中国浄土教の開祖。浄土宗では、「浄土五祖」の第一祖。 浄土真宗では、七高僧の第三祖。
※ 源空(げんくう)- 法然の諱(いみな)。
※ 道綽(どうしゃく)- 唐代の中国浄土宗の僧侶。浄土宗では、「浄土五祖」の第二祖とされる。浄土真宗では、七高僧の第四祖とされる。
※ 善道(ぜんどう)- 善導大師。中国浄土教(中国浄土宗)の僧。「称名念仏」を中心とする浄土思想を確立する。
※ 源信(げんしん)- 平安時代中期の天台宗の僧。恵心僧都。「往生要集」の著者。浄土真宗では、七高僧の第六祖とされる。
※ 化土(けど)- 方便化土ともいい、阿弥陀仏が方便により自力の行者のために仮に現した浄土。


但し、御書などに臨終を期せず、来迎を頼まずとあれども、念仏往生に来迎などは無しと申すことに非ず。ただ期せず、頼まずと申す義なり。その故は前段に孝子の織女・金釜を心に掛けて、父母に事(つかえ)る譬えを示すが如し。来迎などの奇特を心に掛けて、往生の大利を外にするは、如来本願の正意に戻れり。ただ乃至一念即得往生と心得たらば、往生に付きたる御利益は、自然に具わるべし。
※ 乃至一念(ないしいちねん)-「すなわち一念に至るまで」と読む。「一生涯の相続」を乃至の言葉で省略しており、一生涯から一念に至るまでのすべて含むことを表す。
※ 即得往生(そくとくおうじょう)- 念仏行者が命を終えるとただちに極楽浄土に往生すること。真宗では、真実信心が得られたそのときに往生が定まるとする。


然れば、往生は本なり。来迎(等)は末なり。開山の御勧化は、ただ本を存して末に貪着なき旨なり。
※ 勧化(かんげ)- 仏の教えを説き、信心を勧めること。
※ 貪着(とんじゃく)- むさぼり執着すること。物事にとらわれること。
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道聴塗説 その三 1

(散歩道の紅白の梅の花)

土手下に紅白の梅の花が咲いていた。一見、混ざって咲いているように見えるが、手前の紅梅と向うの白梅が重なっているためである。

午前中、ミンクルで古文書講座のN氏と待ち合わせ、展示発表会の打ち合わせをする。話が盛り上がって、終ったときはお昼を少し回っていた。

午前中に、金谷宿大学の事務局から電話があり、理事をもう一年続けてくれないかと打診があった。欠席の人を理事に選んでしまったため、気になっていたが、やはりこういう結果になったかと思った。大した手間でもないので、引き受けることにした。

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今日より「道聴塗説 その三」の解読に入る。

その三
問う。臨終に来迎等の奇特を以って、往生を試みなば、これ等の奇特なき時は、往生に非ざるべし。流義には不来迎と申すよし。この事は如何(いかが)心得べしや。 答う。臨終の来迎等の有無を以って、往生を定むると申すは、開山(親鸞)の嫌い給う説なり。但し、臨終の正念は、必ず往生の験(しるし)なれば、正念を以って試むべし。

この正念は弥陀経の説にて、黒谷(法然)は来迎に依って正念ありと定め給う。自力にて申せば、正念の上に来迎あるの道理なれども、他力を申すときは、凡夫の力にて臨終を正念に住せんと、ましないつけんこと、なり難けれは、弥陀経にも「阿弥陀仏と諸の聖衆、現にその前に在す。この人終る時、心顛倒せずして、即ち往生を得」とありて、聖衆現前の後に、心不顛倒と説き給いて、聖衆来迎の他力を以って、行者の心不顛倒の益を得ることを示し給う。
※ ましないつく(れい)- 語呂を合せて何かに当て付けること。
※ 聖衆(しょうじゅ)- 仏・菩薩など多くの聖なる存在。特に臨終の際、阿弥陀仏とともに浄土への迎えとしてやってくる聖者たち。
※ 顛倒(てんどう)- 煩悩のために誤った考えやあり方をすること。


称讃経には、「慈悲、加え祐(たす)け」と、直に他力を顕したりしかれば、臨終の来迎などの相は現ぜずとも、正念に住するは、来迎冥加の験(しるし)と知るべし。それを不来迎と申すは開山(親鸞)の御こころに非ず。されば、開山(親鸞)章鈔などに、一処として不来迎の語なし。
※ 称讃経(しょうさんきょう)- 称讃浄土経。唐の玄奘訳。「小経」の異訳。
※ 章鈔(しょうしょう)- 文章。(「章」は、まとまってひと区切りをなした文。「鈔」は、長い文章などの一部を書き出すこと。抜き書き。)


教行證などの諸行と念仏と比較相対に、四十八対あれども、諸善は来迎、念仏は不来迎と申す相対なし。これその明験なり。況んや、開山(親鸞)は黒谷(法然)の相伝にて、かの一流を相承し給う。
※ 教行證(きょうぎょうしょう)- 教行信証。鎌倉時代初期の親鸞の著作。全6巻からなる浄土真宗の根本聖典である。
※ 相承(そうじょう)- 師から弟子へ代々、仏の悟りの本体を伝え受継ぐこと。
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道聴塗説 その二 5

(春一番で落ちた甘夏の実)

昨夜、当地では春一番が吹いた。朝起きてみると、甘夏の実がたくさん落ちていて、驚かされた。こんなにたくさん落ちるのは初めての気がする。収穫にはまだ早いが、大きいものはもう甘くなっていて食べられそうだ。

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「道聴塗説 その二」の解読を続ける。今日で「その二」を読み終える。

また心外の仏は妄想虚見といえども、韋提夫人は三尊を拝見して、無生法忍を得たり。或は三尊は三心の影と見るときは、行者の息の外に非ずといえども、三心、即ち、清浄、歓喜、智恵の三光の加持(所持)する処なれば、三尊を離れて行者の三心も無し。これ能所相応じて自他不二の妙感、妙応なれば、無生忍を證得すべし。
※ 無生法忍(むしょうぼうにん)- 一切のものは不生不滅であることを認めること。
※ 三心(さんじん)- 観無量寿経に説かれる、往生する者が具えなければならない三つの心。至誠心・深心・廻向発願心の総称。
※ 能所(のうじょ)- ある行為をなす行為者を能といい、その行為がなされる目的または対象を所という。
※ 自他不二(じたふに)- 絶対的な平等のこと。自身と他人には区別などなく、自身を救うことと他人を救うことは同じことであるという仏教の言葉。
※ 無生忍(むしょうにん)- 生じることも滅することもないという真理を認識すること。


観経に曰う、「諸仏如来はこれ法界身なり。一切衆生の心想の中に入り給う。これ故に、汝ら心に仏を想う時、この心、即ちこれ三十二相、八十隨形好なり。この心、仏と作(な)し、この心これ仏、諸仏の正偏知海心想生ずるに従う」と。
※ 法界身(ほっかいしん)- 法身。仏陀は真理そのものであるとして、真理を仏陀の身体であるとする考え。
※ 三十二相(そう)、八十隨形好(ずいぎょうこう)- 仏の身体に備わっている特徴。見てすぐに分かる三十二相と、微細な特徴である八十隨形好。「相好を崩す」の「相好」はこれより出る。
※ 諸仏の正偏知海(しょうへんちかい)- 真理を正しくさとったさまざまな仏たちの意。
※ 心想(しんそう)- 心に想うこと。


これ衆生の心想は事識の麁念なれども、如来の法界身を加持し給う故に、この麁念の心に念仏すれば、即ち三十二相等を具足し、当念に作仏す。かの韋提の無生は、この旨を示し給う。みな他力の不思議なり。
※ 麁念(そねん)- 粗雑な思い。
※ 無生(むしょう)- 生じたり変化したりする迷いを超えた絶対の真理、または悟り。


これ故に、経に、「汝はこれ凡夫、心想羸劣、未だ天の眼を得ざれば、遠く観ること能わず。諸仏如来に異の方便有り。汝をして見ることを得せしむ」と、説き給う。
※ 心想羸劣(しんそうるいれつ)- 心が弱く劣っていること。

この文は韋提を称(たた)わしめ、首として未来悪世の、罪障の凡夫麁念にして、見仏する手本とし給う。これ他力冥加の験(あかし)なり。
※ 見仏(けんぶつ)- 仏の姿や光、あるいは浄土のさまを、目のあたりに見ること。

これ故に経に「先に説く所の如きは、無量寿仏身量無辺なり。これ凡夫心力の及ぶ所に非ず。然るに、彼の如来宿願力の故に、憶想する有る者は、必ず成熟することを得る」とある、これなり。
※ 無量寿仏(むりょうじゅぶつ)- 阿弥陀仏の異称。
※ 身量無辺(しんりょうむへん)-「身量」は、身長、身の丈。「無辺」は、広々として果てしないこと。
※ 宿願力(しゅくがんりき)- 阿弥陀仏が法蔵菩薩といわれた因位のときに、衆生救済の ためにおこした本願の力。


読書:「山怪 弐 山人が語る不思議な話」田中康弘著
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道聴塗説 その二 4


(東海道浮世絵の展示会パンフレット)


(台紙)


(切って貼って出来上がり)

昨日のはりはら塾の見学で、金谷宿大学の「駿遠の考古学と歴史」講座のS教授に会った。はりはら塾でも先生をしていて、その発表展示に立ち会っておられた。展示は中々力が入っていて、体験テーブルでは、子供を集めて簡単な歴史工作のようなことをして、人を集めていた。段ボールを張りつけて、山城の城址の高低差を表わしたもの。弥生式土器の写真を張りつけたボール紙で、簡単なジグソーパズルを作らせたり、色々面白いアイデアを見せてもらった。三枚の写真は、東海道浮世絵の展示会パンフレットを使った、糊とハサミの遊びで、こんなものを作らせながら、学ばせるアイデアに感心した。古文書の展示でも何か出来るかもしれない。

夜、金谷宿大学の教授会、いよいよ2年目に入る。

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「道聴塗説 その二」の解読を続ける。

邪境来たらば行者は散乱すべし。縦(たと)い行者は正念に住しても、魔境を見ることあらば、その来たるものは、天狗にも貉にもせよ、行者は魔を拝せずして、仏を拝すべし。
※ 邪境(じゃきょう)- よこしまな境地(心の状態)。
※ 散乱(さんらん)- 煩悩のために心が乱れて不安定であること。
※ 魔境(まきょう)- 悪魔や魔物の住む世界。


これ優婆掬多の魔境を拝して仏想をなすが如く、魔、必ず拝を受くるに絶えず、委頓して去るべし。或は魔即ち法界など観(み)せんは、聖道自力の用心なり。浄土門は臨終正念は如来ほかの摂護なれば、念仏申し往生を信ずる人の臨終に、悪相は無きことなり。
※ 優婆掬多(うばきくた)- 釈迦牟尼如来より第五代目の尊者。仏滅後に生まれ、真の仏陀の姿を見たいと、仏陀を拝したことのある第六天の魔王に頼むと、魔王はたちまち仏陀世尊の姿を現した。優婆掬多尊者はその姿を見ておのずから三拝せざるを得なかったという。
※ 委頓して(いとんして)- 放って、ただちに。
※ 法界(ほっかい)- 意識の対象となるすべてのもの。一切の現象の本質的な姿。
※ 聖道(しょうどう)- 聖道門。自ら修行して現世において悟りに到達しようとする自力の宗門。法相・三論・天台・真言宗などの聖道門の僧。
※ 浄土門(じょうどもん)-聖道門に対し、この世では悟りは開かないが、阿弥陀仏の本願力によって浄土に生れて、そこで悟りを開くという、他力の実践法を浄土門という。
※ 摂護(しょうご)- 摂取護念。仏・菩薩が行者を、おさめ取り、心にかけて守ること。
※ 悪相(あくそう)- 不吉な兆し。縁起の悪い現象。


何ぞ来迎の魔仏を論ぜん。この旨に於いて疑慮すべからず。もし疑惑するものは、仏智の不思議を信ぜざる故に、仏智と相去ること、甚だ遠し。これ故に邪魔を感ずべし。仏智を信ずれば、仏と行者と相応して、ただ一心なる故に、感応道交して諸仏を見るに、何の隙間ありて邪魔を感ぜんや。
※ 疑慮(ぎりょ)- 懸念する。心配する。
※ 邪魔(じゃま)- 仏道修行の妨げをする悪魔。
※ 感応道交(かんのうどうこう)- 人々の仏を求める心と、それに応ずる仏の心が通じ合い、一つに交わること。
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道聴塗説 その二 3

(はりはら塾の郷土史講座の展示)

朝から、金谷宿大学の教授と事務局で、市の小型バスで、牧之原市の「はりはら塾」の発表会の見学に行った。金谷宿大学から学んで発足した、はりはら塾であるが、今では金谷宿大学を越えて、学生数が1680人、口座数が159と大きく盛り上がりを見せている。その発表会を見学して、金谷宿大学の運営の参考にしようというイベントである。残念ながら出席者は10人程であった。

写真は朝一番の様子で、この後、見学の人で混み合うようになった。。

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「道聴塗説 その二」の解読を続ける。

かく三種の見仏あれば、楞厳経、勢至円通章に、「若し、衆生の心に仏を憶い、仏を念ずれば、現前にても当の来にても、必定して仏を見る」とある、これなり。
※ 楞厳経(りょうごんきょう)-「首楞厳三昧経」の略。鳩摩羅什訳。はやく悟りに至るための三昧として,首楞厳三昧を説く。
※ 当の来(とうのらい)- 当来。必ず来るはずの世。来世。


また観経に「この想、成する時、行者聞くに当るに、水流光明及び諸(もろもろ)の宝樹、鳧(けり)、鳫(かり)、鴛鴦(おしどり)、皆な妙法を説くことを、定め出ずるにも、定め入るにも、恒(つね)に妙法を聞く。行者の聞く所、定め出ずるの時、憶(おも)い持して捨てず、修多羅と合せしめよ。若し、合せざるは名づけて妄想と為す。若し、合し有らば名付けて麁想に極楽世界を見るとなす」とあれば、念仏三昧の境は経説と合するを麁想と名づけて、妄想とは名づけ給わず。
※ 修多羅(しゅたら)- 経文。経典。
※ 麁想(そそう)- 心の動きの粗雑なもの。
※ 麁想見(そそうけん)- 粗雑な想い浮かべ(想像)。


来迎などの境も、これ皆な経説なれば、妄想とは名付くべからず。或は妄想虚見にもせよ、臨終に正境来迎せば、行者は正念に住す。


【閑話休題】
植木等の有名な歌に「スーダラ節」がある。「スーダラ」というのは、植木等の口癖から採った言葉だと聞く。植木等は浄土真宗のお寺に生まれていることから、この「スーダラ」は「修多羅(しゅたら)」サンスクリット語の「スートラ」から出た口癖ではないかと突然ひらめいた。ならば、「スイスイ、スーダラダッタ、スラスラスイスイスイ」と続く言葉は、お経がスラスラと口から出てくるさまを表現したものだったのではないか。そんな想像をしながら、歌詞を思い浮かべると、自然に笑みが浮かんでくる。
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