平成18年に60歳を迎える。六十と縦に書くと傘に鍋蓋(亠)を載せた形である。で、「かさぶた(六十)日録」
かさぶた日録
「嘉六舩難舩浦證文」の解読 3
嘉六舩難舩浦證文4P
嘉六舩難舩浦證文5P
「嘉六舩難舩浦證文」の続き、3P11行目より。
右者、今暁當御領分中嶋村濱江漂着仕候ニ付、
為御見分被成御越、私共一同立會御改請候処、
小面之通、相違無御座候。依之、右打揚候舩
具品々、此上異管無之様、双方立會昼夜番
仕、追而御沙汰御座候迠、念入可申旨被仰渡、
一同承知奉畏候所、為御請一札奉差上候、以上。
※ 小面(しょうめん)➜ 自らの書面をへりくだった表現。
嘉永二酉年十一月朔日
大坂道修町壱丁目
嘉六舩水主(かこ)
〃 長次郎 つめ印
〃 嘉兵衛 〃
〃 甚兵衛 〃
〃 権三郎 〃
〃 乙吉 〃
〃 佐介 〃
〃 平吉 〃
〃 八次郎 〃
〃 徳蔵 〃
沖舩頭
弥四郎 つめ印
松平丹後守御内
渡部登平殿
※ 水主(かこ)➜ 船頭以外のすべての船乗りをいう。すいしゅ。
※ つめ印(つめいん)➜ 花押または印章の代わりに指先に印肉をつけておすこと。
【 読み下した文】
右は今暁(こんぎょう)、当御領分、中嶋村浜へ漂着仕候に付、
御見分のため、御越しなされ、私ども一同立ち会い、御改め請け候処、
小面(しょうめん)の通、相違御座なく候。これにより、右打ち揚り候船
具品々、この上異管これ無き様、双方立ち会い、昼夜番
仕り、追って御沙汰御座候まで、念入り申すべき旨、仰せ渡され、
一同承知、畏まり奉り候所、御請けのため一札奉差し上げ奉り候。以上。
嘉永二酉年十一月朔日
大坂道修町壱丁目
嘉六舩水主(かこ)
〃 長次郎 つめ印
〃 嘉兵衛 〃
〃 甚兵衛 〃
〃 権三郎 〃
〃 乙吉 〃
〃 佐介 〃
〃 平吉 〃
〃 八次郎 〃
〃 徳蔵 〃
沖舩頭
弥四郎 つめ印
松平丹後守御内
渡部登平殿
(5P2行目まで、以下つづく)
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読書:「幸くらべ 小料理のどか屋人情帖32」 倉阪鬼一郎 著
「嘉六舩難舩浦證文」の解読 2
嘉六舩難舩浦證文3P
「嘉六舩難舩浦證文」の続き、2P10行目より。
覚
一 明運丸五百石積 大坂道修町壱丁目
空舩拾壱人乗壱艘 嘉吉舩沖船頭
弥四郎
但、磯際ニ而微塵ニ打碎ヶ
散乱相成申候。
一 登斗敷 壱枚
一 舩梁 三本
一 大廻り 少々
一 蒲團 四つ
一 柳篭履 壱つ 是者舩頭所持着類入
一 桐箱 壱つ 内ニ往来一札浦賀
〆 御役所御手契入
右之外舩具微塵ニ相成品柄相分り
不申候。刎捨(はねすて)候賣荷物者少しも
打上り不申候。
※ 登斗敷・大廻り ➜ (意味不詳)
※ 着類(きるい)➜ 着るもの。衣類。衣服。
※ 刎捨(はねすて)➜ 船が荒天・座礁その他の事故で危険に瀕したとき、その安全のため、積荷の一部ないし全部を海中に捨てること。
【 読み下した文】
覚え
一 明運丸五百石積 大坂道修町壱丁目
空船拾壱人乗、壱艘 嘉吉船 沖船頭
弥四郎
但し、磯際にて微塵に打ち碎け
散乱相成り申し候。
一 登斗敷 壱枚
一 船梁 三本
一 大廻り 少々
一 蒲団 四つ
一 柳篭履(ごうり)壱つ これは船頭所持、着類入り
一 桐箱 壱つ 内に往来一札、浦賀
〆 御役所御手契入り
右の外、舩具微塵に相成、品柄(しながら)相分り
申さず候。刎捨(はねすて)候売荷物は、少しも
打ち上り申さず候。
(3P10行目まで、以下つづく)
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夜、区長の仕事、最後の班長会。来月は手当ての支給のみで集まることになる。
「嘉六舩難舩浦證文」の解読 1
嘉六舩難舩浦證文1P
嘉六舩難舩浦證文2P
大坂道修町壱丁目の嘉六舩が難破の経緯をを記した文書である。まだどんな内容なのか見当は付いていないが、読み進める内に分るであろう。それでは始めよう。
嘉永二酉年
大坂道修町壱丁目
嘉六舩
難船ニ付浦證文之写
十二月吉日
乍恐以書付奉願上候
一 大坂道修町壱丁目嘉六舩明運丸沖舩頭
弥四郎始水主共拾壱人乘松前ゟ登り
舩鰯〆粕昆布ホ積入、先月廿七日浦賀
湊出帆仕候處難風ニ而、今暁八ッ半時頃當
濱江破舩ニ而打揚所、拾壱人之内拾人
者上陸仕候得共壱人者如何様相成申
候哉行衛相知不申、此段乍恐御届申上候。
何卒所始末御見分被下置候様仕度偏
ニ奉願上候、以上。
嘉永二酉年十一月朔日 中嶋村
組頭 佐右衛門
同 佐五兵衛
年番名主 冨右衛門
宮ケ崎御役所
【 読み下した文】
恐れながら書付をもって願い上げ奉り候。
一 大坂道修(どしょう)町壱丁目、嘉六船明運丸、沖船頭
弥四郎始め、水主ども拾壱人乗り、松前より登り
船、鰯〆粕、昆布など積み入れ、先月廿七日浦賀
湊出帆(しゅっぱん)仕候処、難風にて、今暁八ッ半時頃、当
浜へ破船にて打揚(うちあが)る所、拾壱人の内、拾人
は上陸仕候えども、壱人は如何様(いかよう)相成り申し
候や、行衛(ゆくえ)相知り申さず、この段、恐れながら御届け申し上げ候。
何とぞ、所始末御見分、下し置かれ候様仕りたく、偏(ひとえ)
に願い上げ奉り候、以上。
嘉永二酉年十一月朔日 中嶋村
組頭 佐右衛門
同 佐五兵衛
年番名主 富右衛門
宮ヶ崎御役所
(2P九行目まで、以下つづく)
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三回目のワクチンを昨日打ったが、今日午後、その副反応であろうか、身体がだるく、風邪の引き始めのような気分であった。やばいなあと思ったが、幸い夜寝る頃には気分が元に戻った。
読書:「虚け者 秋山久蔵御用控 19」 藤井邦夫 著
「遠国御名代勤方留」の解読 17
遠国御名代勤留14P
「遠国御名代勤方留」の続き、14P最初より。
大澤右京大夫留之寫
文化十二年二月朔日
一 修理大夫、忌中ニ付、為名代、六時過出宅登城、着用熨斗目(のしめ)、同半上下。
※ 熨斗目(のしめ)➜ 腰のあたりに、縞や格子を織り出したもので、江戸時代には武士の小袖として麻上下の下に着用した。
※ 半上下(はんかみしも)➜ 江戸時代、武士の出仕服。目見得以下および庶人の通常の麻上下をいう。
一 獻上之御祓御熨斗蚫(のしあわび)、昨日、従品川驛、直ニ拙者方江差越、今朝
例之通、中之口迠差出、予、登 城之上、修理大夫忌中ニ付、為名代、
拙者罷出候。獻上之御祓御熨斗之儀、御同朋頭丹阿弥江逢、例之通
取計様申置、承知之旨ニて、例之通、奥江相廻ル。
※ 御祓(おはらい)➜ 神社から出す災厄よけのお札。
※ 熨斗蚫(のしあわび)➜ アワビの肉を薄く裂いて乾燥させ、引き伸ばして作った熨斗。初め神前に供えたが、のちには広く祝儀にも用いる。
一 先達而修理大夫江被成御渡候 御朱印、并、宿駅證文、并、増
人足證文ホ、同人忌中ニ付、大炊頭、致登 城之節、中之間小
溜ニおゐて、御同人江返上、両御師より献上之御祓御熨斗蚫も、
被給差出候段、申上之。
一 能登守殿江両御師より献上之御祓御熨斗蚫、今朝西丸江
差出置候段、御同朋頭丹阿弥を以、申上之。
一 修理大夫、忌中ニ付、為名代、右京大夫登 城、
御名代無滞相勤候段、羽目之間おゐて、御老中列坐、
備前守殿江申上之。
大納言様、御名代無滞相勤候段、於同席、能登守殿江申上之。
【 読み下した文】
大沢右京大夫留めの写し
文化十二年二月朔日
一 修理大夫、忌中に付、名代として、六時過ぎ出宅、登城、着用、熨斗目、同半上下
一 献上の御祓御熨斗蚫、昨日、品川驛より、直に、拙者方へ差し越し、今朝、
例の通り、中の口まで差し出し、予、登城の上、修理大夫忌中に付、名代として、
拙者罷り出候。献上の御祓御熨斗の儀、御同朋頭丹阿弥へ逢い、例の通り、
取り計らう様申し置き、承知の旨にて、例の通り、奥へ相廻る。
一 先達て、修理大夫へ御渡し成され候、御朱印、並び宿駅証文、並び増
人足証文など、同人忌中に付、大炊頭登城致すの節、中の間小
溜りにおいて、御同人へ返上、両御師より献上の御祓御熨斗蚫も
差し出し給われ候段、これを申し上ぐ。
一 能登守殿へ、両御師より献上の御祓御熨斗蚫、今朝、西丸へ
差し出し置き候段、御同朋頭丹阿弥を以って、これを申し上ぐ。
一 修理大夫、忌中に付、名代として、右京大夫登城、
御名代滞り無く相勤め候段、羽目の間において、御老中列坐、
備前守殿へこれを申し上ぐ。
大納言様、御名代滞り無く相勤め候段、同席に於いて、能登守殿へ申し上ぐ。
(14P終りまで、以上終り)
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午後、掛り付け医で、夫婦して、3度目のワクチン接種を終えた。3度目もファイザー製である。これで一安心といったところか。
「遠国御名代勤方留」の解読 16
遠国御名代勤留13P
「遠国御名代勤方留」の続き、13P。
遠国御名代勤留13P、右図の解読
遠国御名代勤留13P、左図の解読
(13Pまで、以下つづく)
読書:「術策 総目付臨検仕る 2」 上田秀人 著
「遠国御名代勤方留」の解読 15
遠国御名代勤留12P
「遠国御名代勤方留」の続き、11Pの17行目より。
一 両御丸年寄衆并水野出羽守殿江廻勤口上書左之通、外ニ扣一通
奈須(那須)奉書半切
※ 那須奉書(なすほうしょ)➜ 鎌倉時代、下野国の那須で、那須十郎が越前より職人を招き、奉書紙を漉かせたのが起源。やがて那須紙として全国に知れ渡る。
口上覚
私儀先月八日、京都江御暇被下置
拝領物仕、難有仕合奉存候、右御禮
其節差急候ニ付、伺公(しこう)不仕候。今日御禮
伺公可仕候處、病氣罷在候間、右
御禮以名代申上候。
※ 伺公(しこう)➜ 目上の人のご機嫌伺いをすること。
十二月廿九日 有馬兵部大輔
名代
中條大和守
一 両御丸若年寄衆江廻勤口上書左之通り、六通外扣一通
口上覚
拙者儀先月八日、京都江御暇被下置
拝領物仕、難有仕合奉存候、右御礼
其節差急候ニ付、不致伺公候。今日御礼
伺公可致候處、病氣罷在候間、右
御禮以名代得御意候。
十二月廿九日 有馬兵部大輔
名代
中條大和守
一 廻勤右之口上書差出候。外ニ、今日以名代
御返答申上候口上ハ無之、右書面之通り斗り也。仍為後日
記置。
【 読み下した文】
一 両御丸年寄衆、並び、水野出羽守殿へ、廻勤口上書、左の通り、外ニ控え一通。
那須奉書半切り
口上覚え
私儀、先月八日、京都へ御暇下し置かれ、
拝領物仕り、有難き仕合わせ存じ奉り候、右御礼、
その節、差し急ぎ候に付、伺公(しこう)仕らず候。今日御礼
伺公仕るべく候処、病気罷り在り候間、右
御礼、名代を以って申し上げ候。
十二月廿九日 有馬兵部大輔
名代
中條大和守
一 両御丸若年寄衆へ、廻勤口上書、左の通り、六通、外控え一通。
口上覚え
拙者儀、先月八日、京都へ御暇下し置かれ、
拝領物仕り、有難き仕合わせ存じ奉り候、右御礼
その節、差し急ぎ候に付、伺公致さず候。今日御礼
伺公致すべく候処、病気罷り在り候間、右
御礼、名代を以って御意を得候。
十二月廿九日 有馬兵部大輔
名代
中條大和守
一 廻勤、右の口上書差し出し候。外に、今日、名代を以って
御返答申し上げ候。口上はこれ無く、右書面の通りばかりなり。仍って、後日のため
記し置く。
(12Pまで、以下つづく)
読書:「思案橋 新・知らぬが半兵衛手控帖 2」 藤井邦夫 著
「遠国御名代勤方留」の解読 14
遠国御名代勤留11P
「遠国御名代勤方留」の続き、10Pの14行目より。
一 當方両傳奏江 御使相勤候名勤書 一通
ミタシ 有馬兵庫大輔
鷹司関白殿
閑院宮
有栖川入道一品(いっぽん)宮
有栖川宮
閑院常陸宮
知恩院宮
※ 一品(いっぽん)➜ 親王の位階の第一位。
右
仙洞就 崩御
御使被進、忝(かたじけなく)思召候。此段、宜
申上候様被仰候。
両傳奏
六條前大納言
山科前大納言
右
仙洞就 崩御蒙
上意忝仕合被存候。此段
御老中迠宜申上候様
被申候。
右之書面、不残扣一通ツヽ有之候。
一 御同座之節 言上書左之通、今日ハ西丸江別段罷出候故不用也。
ミタシ 有馬兵庫大輔
禁裏 中宮
東宮より
御返答御同様被
仰進候。
【 読み下した文】
一 当方両伝奏へ、御使相勤め候名勤書 一通
見出し 有馬兵庫大輔
鷹司関白殿
閑院宮
有栖川入道一品宮
有栖川宮
閑院常陸宮
知恩院宮
右
仙洞崩御に就き、
御使進じられ、忝なく思し召し候。この段、宜しく
申し上げ候様、仰せられ候。
両伝奏
六條前大納言
山科前大納言
右
仙洞崩御に就き、
上意を蒙り、忝なく仕合わせ被存じられ候。この段、
御老中まで宜しく申し上げ候様
申され候。
右の書面、残らず控え一通ずつこれ有り候。
一 御同座の節、言上書、左の通り、今日は西丸へ別段罷り出で候故、用いざるなり。
見出し 有馬兵庫大輔
禁裏、中宮、
東宮より、
御返答、御同様
仰せ進じられ候。
(11Pの16行目まで、以下つづく)
********************
「2022.2.22」今日は2が六つ並ぶ特異日で、猫の日としてテレビが騒いでいる。
一方、ロシアがいよいよウクライナに侵攻するというニュースが流れている。プーチンの野望は、東ヨーロッパを勢力圏に置き、冷戦時代の勢力図に戻すことのようだ。アメリカの勢力が弱まった故の、強気の侵攻なのだろう。人類は何も進歩していない。
「遠国御名代勤方留」の解読 13
遠国御名代勤留10P
「遠国御名代勤方留」の続き、9Pの16行目より。
一 両御丸江差上候言上書、左之通、二通。
中、奉書半切
ミタシ(見出し) 有馬兵庫大輔
禁裏 中宮
東宮より
御返答被 仰進候。
仙洞 崩御ニ付、
御使被差登、被為入御念(ごねんいらせらる)御事、被
思召候。
御機嫌被為替(かわらさせられ)候御儀、無御座候。
此段宜(よろしく)申上候様。
一 御臺様 御簾中様へ言上書壱通。
ミタシ(見出し) 有馬兵庫大輔
御臺様、御簾中様江
禁裏 中宮
東宮より
御返答被 仰進候。
仙洞 崩御ニ付、
御使被差登、被為入御念
御事、被思召候。
御機嫌被為替候御儀、無
御座候。此段宜申上候様。
【 読み下した文】
一 両御丸へ差し上げ候言上書、左の通り、二通。
中、奉書半切
見出し 有馬兵庫大輔
禁裏、中宮、
東宮より、
御返答仰せ進じられ候。
仙洞、崩御に付、
御使差し登られ、御念入らせらる御事、
思し召され候。
御機嫌、替わらせられ候御儀、御座なく候。
この段宜しく申し上げ候様。
一 御台様、御簾中様へ言上書、壱通。
見出し 有馬兵庫大輔
御台様、御簾中様へ
禁裏、中宮、
東宮より、
御返答仰せ進じられ候。
仙洞、崩御に付、
御使差し登られ、御念入らせらる
御事、思し召され候。
御機嫌、替わらせられ候御儀、
御座なく候。この段宜しく申し上げ候様。
(10Pの13行目まで、以下つづく)
********************
講座受講者中、最高齢のAさんから、もう出席出来なくなったと電話があった。前の先生の時代も含めると、四半世紀近くも、古文書講座に通って頂いた。長い年月、ありがとうございました、と礼を言って電話を切った。
西郷輝彦氏の訃報がテレビで流れた。享年75歳。同い年である。
読書:「黛家の兄弟」 砂原浩太朗 著
「遠国御名代勤方留」の解読 12
遠国御名代勤留9P
「遠国御名代勤方留」の続き、8Pの23行目より。
一 西丸御目付夏目次郎右衛門江、坊主を以、有馬兵部大輔名代大和守罷出候趣、為心得申達。
一 下野守殿登 城之節、中之間ニ罷在、一旦奥江被入、其後御同朋頭山本
春阿弥、寄(より)候様申聞候。御目付曽我七兵衛寄セ候ニ付、寄罷在候處、
下野守殿、中之間前江出席、罷出 御返答左之通申上候。
禁裏、中宮、東宮より 御返答被
仰進候。委細者言上書を以申上候と申し、差出、
御披見相濟、退去。
一 中之間ニ、大目付伊藤河内守江も、今日為名代罷出候趣無(なく)、急度咄置候。
一 御本丸より有馬家来、西丸中之口江罷在、退出之節、両丸共
無滞(とどこおりなく)相濟候趣、罷帰候上宜被申上候様、申述退出。
但、今日両丸ニ而列坐出席之、大目付、御目付之名前、為心得記し遣ス。
一 同人家来江廻勤相濟候儀ハ、乍畧儀、別段不申達之旨も申遣ス。
一 退出より、両丸老衆水野出羽守殿、両丸若年寄衆江廻勤、左之通、口上書一通宛(づつ)差出候。
有馬兵部大輔名代中条大和守、委細ハ口上書ニて申上候与
申、差出候口上書ハ末ニ記ス。
一 相濟、帰宅七時前。
一 帰宅後、同所より使者 今日之挨拶申来。
【 読み下した文】
一 西の丸御目付、夏目次郎右衛門へ坊主を以って、有馬兵部大輔名代、大和守罷り出で候趣、心得のため申し達す。
一 下野守殿登城の節、中の間に罷り在り、一旦奥へ入られ、その後、御同朋頭山本
春阿弥寄り候様、申し聞き候。御目付曽我七兵衛寄せ候に付、寄り罷り在り候処、
下野守殿、中の間前へ出席、罷り出で、御返答左の通り申し上げ候。
禁裏、中宮、東宮より、御返答
仰せ進じられ候。委細は言上書を以って申し上げ候と申し、差し出し、
御披見相済み退去。
一 中の間に、大目付伊藤河内守へも、今日名代として罷り出候趣無く、急度咄し置き候。
一 御本丸より有馬家来、西丸中の口へ罷り在り、退出の節、両丸とも
滞りなく相済み候趣、罷り帰り候上、宜しく申し上げられ候様、申し述べ、退出。
但し、今日両丸にて列坐出席の、大目付、御目付の名前、心得のため記し遣わす。
一 同人家来へ、廻勤相済み候儀は、略儀ながら、別段申し達さざるの旨も申し遣わす。
一 退出より、両丸老衆、水野出羽守殿、両丸若年寄衆へ廻勤、左の通、口上書一通ずつ差し出し候。
有馬兵部大輔名代、中条大和守、委細は口上書にて申し上げ候と
申し、差し出し候口上書は末に記す。
一 相済み、帰宅七時(ななつどき)前。
一 帰宅後、同所より使者。今日の挨拶申し来たる。
(9Pの15行目まで、以下つづく)
********************
昨日はブログ休み。午前、午後と金谷宿大学の2講座をこなし、前日のオリンピックのカーリングで夜更かしした影響もあって、休んでしまった。
今夜、区長の仕事で、会議へ出る。残り1ヶ月半の任期である。
「遠国御名代勤方留」の解読 11
今日の富士山、静岡城北公園より
午後、駿河古文書会へ出席。前回に続き、発表当番。
********************
「遠国御名代勤方留」の続き、8Pの9行目より。
一 西丸江登城、坊主吉野栄二と、御同朋頭を以って申込候処、山本春阿弥
罷越候ニ付、逢候而、今日有馬兵部大輔、京都帰府、
御返答申上候に付、名代大和守罷出候。御見廻り之御臺中、登
城之節ハ、例之席江ハ不罷出、中之間ニ罷出候間、左様宜(よろしく)被仰上(おおせあげられ)
給(たまい)候様申達。今日、御返答申上候御席ハ、新部屋前ニ而御座候哉、
何方ニ候哉、御伺之上、宜(よろしく)頼入候旨申置。い川連(いずれ)登城之上、
別段寄セ候而、 御返答被仰上候方、宜旨申聞候。且今日、羽目
之間ニて御列座 御返答被仰上候得共、中之間前ニて、
御返答多分被仰上候方と、御心得被成候様、奉存候。乍去(さりながら)突(つき)
留(とめ)候格(かく)者無之旨、申聞候。左候得者、此方二て例(れいして)、召出に応じ、
言上書ハ新部屋前ニて差上候。右候含(ふくみ)ニて、御伺被下様頼置、其後
同人申聞候者、先刻於 御本丸、西丸奥御右筆組頭、高木新三郎
を以、御見廻り御老中下野守殿江、右之席ニ而 御返答申上候
趣伺、相濟居候趣申聞候故、右之通相心得候趣申達。
※ 格(かく)➜ きまり。
【 読み下した文】
一 西丸へ登城、坊主吉野栄二と、御同朋頭以って申込候処、山本春阿弥
罷り越し候に付、逢い候て、今日有馬兵部大輔、京都帰府、
御返答申上候に付、名代大和守罷り出で候。御見廻りの御台中、登
城の節は、例の席へは罷り出ず、中の間に罷り出で候間、左様宜しく仰せ上げられ
給い候様申し達す。今日、御返答申し上げ候御席は、新部屋前にて御座候や、
何方(いずかた)に候や、御伺いの上、宜しく頼み入り候旨申し置く。いずれ登城の上
別段寄せ候て、御返答仰せ上げられ候方、宜しき旨申し聞き候。且つ今日、羽目
の間にて御列座、御返答仰せ上げられ候えども、中の間前にて
御返答多分仰せ上げられ候方と、御心得成され候様、存じ奉り候。さりながら、突き
留め候格(かく)はこれ無き旨、申し聞き候。左候えば、この方にて例して、召し出しに応じ、言上書は新部屋前にて差し上げ候。右候含みにて、御伺い下さる様頼み置き、その後、
同人申し聞き候は、先刻御本丸に於いて、西の丸奥御右筆組頭、高木新三郎
を以って、御見廻り御老中下野守殿へ、右の席にて、御返答申し上げ候
趣伺い、相濟居候趣申し聞き候故、右の通り相心得候趣申し達す。
(8Pの22行目まで、以下つづく)
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