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「水濃徃方」の解読 53


(散歩道のキンシバイ)

入院が長期になった次兄、故郷で見舞にも行けなかったが、漸く回復期に向かったようで、本日、見舞を振込で送った。何とも味気ないことである。

長兄の銀行勤めの長男が、明後日、近くまで来るので立ち寄ると云う。楽しみだけれども、今の時期、長居は出来ないのだろうな。

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「水濃徃方」の解読を続ける。 

それ奇特の行とて、珍しき孝名ある衆も、皆な平生の事は親の心に背(そむ)かぬ、約やか(つづまやか)な孝行、至誠の感、天地を動(うご)かし、左様な稀な不思儀もあり。書物には、平常の事は記すにおよばず。奇特な事を記(しる)せども、孝の難(かた)き所、実は日用顔色給仕の間にあり。
※ 孝名(こうみょう)➜ 父母への孝行で、名のある人。
※ 約やか(つづまやか)➜ むだやぜいたくをはぶくさま。倹約するさま。質素。
※ 日用(にちよう)➜ 日常。つねひごろ。ふだん。平生。
※ 顔色(がんしょく)➜ かおいろ。また、感情の動きの現れた顔のようす。
※ 給仕(きゅうじ)➜ そばに仕えて、身のまわりの世話や雑用をすること。

寒の内に、氷水浴びて、元三大師へ朝参りするなどは、なり難い様な事じゃが、客気(かっき)のおだてられた、張り合い尽くでも、大儀(たいぎ)と思わずなるものじゃ。
※ 元三大師(がんざんだいし)➜ 良源。平安時代、荒廃した比叡山を復興した、天台宗の高僧。一月三日が命日で、「元三大師」と呼ばれる。おみくじの創始者ともいわれる。疫病から庶民を救うため、鬼の姿となって、疫病神を追い払ったといわれ、その姿を写しとったのが元三大師のお札である。
※ 客気(かっき)➜ 血気さかんでものにはやりやすいこと。また、うわべだけのから元気。血気。きゃっき。
※ 尽く(づく)➜ 名詞に付いて、その物・事に任せる意、または、その物だけを頼りとして強引に事を運ぶ意を表す。
※ 大儀(たいぎ)➜ やっかいなこと。困惑すること。めんどくさいこと。

年中、同じ様に早く起きて、看経(かんきん)仕舞い、店へ出て帳箱の側(そば)になおり、旦那、西念寺様の御法談が、それは/\きついお参りじゃと申します。どうぞ御参詣なされませ。御屋敷へは源兵衛の行かれたら、お案じなさるゝ事は御座りますまい。おかゝ様、今朝は冷(ひ)えますぞえ。お寒くは、お気情立て遊ばさずと、お着る物めしてお仕事なされませ。権七、これは情(せい)が出るの。煙草でも呑んで、ちょっと浅草まで、お供していってたもれと。
※ 看経(かんきん)➜ 声を出して経文を読むこと。読経。誦経。。
※ きつい ➜ ある行為やことば、状況などに対して、それが普通でないことを感嘆の気持を込めていう。たいしたものだ。
※ 気情(きじょう)➜ 意地を張ること。気力で耐えること。
※ だて(れい)➜ 名詞、動詞の連用形、形容詞の語幹などに付いて、取り立ててそのようなようすをする、実際以上にそれを誇示してみせようとする、などの意を表す。
※ 着る物(きるもの)➜ 身に着用するもの。きもの。きりもの。
(「水濃徃方」つづく)
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「水濃徃方」の解読 52


(家の五目ちらし)

巣ごもり生活も長くなって、料理に手を出すことが多くなった。写真は五目ちらし。ベースは五目ずしの素で作って、どんぶりに載せ、あとは思い付くままに具を載せる。自分の分はこのように作ったが、外の家族はてんでに材料を別に食べたり、食べなかったりと、勝手次第にしている。

ネットでレシピをプリントしたり、色々試しているが、好評だったものを、またこの場で紹介してみよう。

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「水濃徃方」の解読を続ける。

後世(こうせい)といえば、町人連れに似合わぬ事に思うが、後の世(よつぎ)と読んで、何屋何右衛門と云う株を取立て、我子へ譲れば、則(すなわ)ち、後世に名を揚げるではあるまいか。まず、掻い摘んで、百行丸の始終、かくの通りじゃ程に、随分、胡散(うさん)な商売せず、出すぎた形(なり)せぬ様にしやれ。
※ 連れ(づれ)➜ ~ども、~連中などの意を表す。ややさげすんだり、軽んじののしったりする気持ちで用いられる。
※ 胡散(うさん)➜ 怪しいさま。不審なさま。胡乱(うろん)。

わしらは、畢竟(ひっきょう)(ちゅう)を飛んで歩いたり、深山幽谷に住んで、御上(かみ)のお世話にならぬ身なれど、普天(ふてん)の下、そっとの間も、天狗冥理(みょうり)、疎(おろ)かに思うた事はない。毎年、京の愛宕や、西国は彦山、東では筑波、寄り合いがあって、厳しく申し合わす故、天狗の銜え煙管(くわえぎせる)したと云う事、絵に画いたも、見たものは御座るまい。
※ 畢竟(ひっきょう)➜ つまるところ。結局。
※ 普天の下(ふてんのもと)➜ あまねくおおう天の下。天下。
※ そっとの間(そっとのあいだ)➜ 少しの間。ちょっとの間。
※ 冥理(みょうり)➜ 冥利。ある立場にいることによって受ける恩恵。
※ 疎か(おろか)➜ いいかげんにすませたり軽く扱ったりして、まじめに取り組まないさま。疎略。なおざり。

また、孝行と云う事を心得違いして、こっちのも、唐(から)の二十四孝の親達の様に、氷の中から鱚(きす)釣って来いの、雪のふるに真桑瓜(まくわうり)買って喰わせと云わるゝ様なりや。人の目に立つ、かっと弾んだ孝行がなれども、骨の折れる事はおれがするに、構うなとて、親達がさっしゃる。うまい物はさあ喰いやれ/\と、こっちへ先に喰わさるゝ故、どうも孝行がならぬと云う様に思うて居るは、ただ名聞(みょうもん)の孝を知りて、真実心(しんじつしん)の孝なき故なり。
※ 二十四孝(にじゅうしこう)➜ 中国において後世の範として、孝行が特に優れた人物二十四人を取り上げた書物である。元代の郭居敬が編纂した。
※ かっと ➜ 目・口などを大きく開くさま。物事を思いきってするさま。
※ はずんだ ➜ 気前よく金品を余計に出した。奮発した。
※ 名聞(みょうもん)➜ 名誉やよい評判を得るために、体裁をつくろうこと。偽善をなすこと。また、そのさま。
(「水濃徃方」つづく)

読書:「鬼は徒花 問答無用 3」 稲葉稔 著
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「水濃徃方」の解読 51


(散歩道のアジサイ3)

この頃、バレーボールのネイションリーグを見ている。バレーボールの国際試合を見るのも久し振りだが、名前も初めて知る若い選手が大活躍しているのを見ると、何とも頼もしい。今日は先程まで、テレビを見ていて、男子がオランダと戦い、3:2のでフルセット、逆転勝ちした。

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「水濃徃方」の解読を続ける。

曽子(そうし)と云う人の臨終に、我手を開けて見よ。我足をあけて見よ。今日よりして免(まぬが)るゝ事を知る、と云いて終り給いし。まぬがるゝも刑戮(けいりく)を免るゝ事。春秋時代に、首領(しゅりょう)を全うして、牖下(ゆうか)に薨(こう)る事を得ば、(こ)が願いなり、などと、諸矦(しょこう)方の云われしも、首を胴につけて畳の上で終りましょうならば、私が仕合わせで御坐る、と云う程の挨拶。今の世で、大名方と云わるゝ程な衆や、歴々(れきれき)の賢者さえ、大切に守る事を浮かべ立てと云う様に、愚かに思うて居る者は、まず孝の始めが立たぬ。
※ 曽子(そうし)➜ 曽参(そうしん)。中国、春秋時代の思想家。魯の武城(山東省)の人。字(あざな)は子輿(しよ)。孔子の弟子。孝行をもって知られる。
※ 刑戮(けいりく)➜ 刑罰に処せられること。また、死刑。
※ 首領(しゅりょう)➜ くび。かしら。
※ 牖下に薨ず(ゆうかにこうず)➜ 窓の下で死ぬ。つまり、家で死ぬことで、寿命により死ぬことをいう。
※ 孤(こ)➜ 一人だけでいること。独りぼっちで助けのないこと。
※ 諸矦(しょこう)➜ 古代中国で、天子から封土を受け、その封土内の人民を支配していた人。
※ 歴々(れきれき)➜ 地位・身分などの高い人々。 その方面の一流の人々。
※ 浮かべ立て(うかべたて)➜ すっかり暗記する。はっきり思い出す。

また孝の終りとは立身の二字。則(すなわ)ち、身を立てると読んで、立身の心掛けない者は、親を敬(けい)せぬ道理なれば、孝行の仕舞いが無い。但し、こう云えばとて、(こ)び諂(へつら)道ならぬ(わざ)をしても立身せよ、と云う事ではない。立つと云うは突っぱりなしに、独り、しゃんと立つ事なれば、人のお影や女房の吊り張りで身を立てるをば、立身とは云わぬ。軽い者の上で云おうなら、幼少より親の手を離れ、他人の家に奉公する身などは、不孝の罪と云いながら、大切に辛抱して、相応の所帯を立てる足代(あししろ)ともなれば、その罪を償いて、却って親の心を悦(よろこ)ばしむ立身、則(すなわ)ち、孝を終る理ならずや。そこで身を立て、道を行い、名を後世に揚(あ)げて、以って父母を顕わす、孝の終りなりと仰(おお)せられたもの。
※ 媚び諂い(こびへつらい)➜ 人の気に入るように振る舞う。お世辞を言ったりして人におもねる。
※ 道ならぬ(みちならぬ)➜ 道徳・道理に外れている。不道徳な。不義の。
※ 足代(あししろ)➜ 足場。物事をするときの基盤とする所。立脚地。土台。
(「水濃徃方」つづく)

読書:「柳眉の角 御広敷用人 大奥記録 8」 上田秀人 著
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「水濃徃方」の解読 50


(散歩道のアジサイ その2)

今日の「水濃徃方」の解読に、「身体髪膚これを父母に受く。敢えて毀傷せざるは、孝の始めなり」と出てくる。昔、数少ない漢文の授業で、例題として出された文である。確かに「孝経」にある文と書かれていたはずだが、その謂れまで聞かなかった。単に、身体は父母からの預かりものだから、疵付けたり、失ったりしてはならないとの、教訓として理解していた。昔の身体に対する刑罰が元になっているとは知らなかった。

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「水濃徃方」の解読を続ける。

さて、この薬は、おらが仲間の秘方(ひほう)にして、大分訳ある薬。百行丸というは、孝行を表したものじゃ。孝は百行の本なりと云って、孝の一字を守る者は、悪事災難消え失せて、万宝(まんぼう)求ざるに来たる道理なれば、今より、名を百宝丸と改むべし。さて、この薬の霊験ある事、日月のごとく、照々(しょうしょう)と明きらかなり。孝経(こうきょう)に曰く、天子より庶人(しょじん)に至るまで、孝終始(しゅうし)無うして、禍(わざわい)その身に及ばぬ事は、未だこれあらじと仰せられて、孝道全(まった)からざれば、天罰は(くびす)をめぐらさず
※ 秘方(ひほう)➜ 秘密にして人に教えない薬の調合方法。
※ 孝は百行の本(こうはひゃっこうのもと)➜ 孝行はもろもろの善行の基となるもの。孝はあらゆる徳行のはじめ。
※ 照々(しょうしょう)➜ あきらかなさま。 また、あきらかに輝くさま。
※ 孝経(こうきょう)➜中国の経書の一巻。中国古代の孝道について、孔子と曽子が交わした問答を、曽子の門人が記述したものとされる。
※ 庶人(しょじん)➜  多くのいろいろな民。一般大衆。庶民。
※ 踵をめぐらさず(くびすをめぐらさず)➜ かかとをめぐらすほどの時間もない。すぐある事態になってしまう。

その始めを畏法(いほう)と云い、その終りを立身(りっしん)と云う。先ず、始めの畏法とは、法度(はっと)を畏(おそ)れよと云う事。古えより時王(じおう)の法と云って、時世(じせい)/\の御法度という物がある。この法を守らぬ者は、或いは首を切らるゝか、足を切り、髪を剃り、入れ墨、周の代にこれを五刑と云う。この五刑を畏れよと云う事を、「身躰髪膚(はっぷ)、これを父母にうけたり。あえて損ない、破らぬが孝の始めなり」と仰せられて、仮名で云えば、御触れ事を敬い、慎み、急度守る事を孝の始めと云う。
※ 五刑(ごけい)➜ 四刑しかないが、これ以外に、鼻そぎや去勢が数えられていた。

くどうも/\、聖人の御世話なされた事を、その位な事は道とするには足らぬ程の事じゃと、止まり木の高い衆は言わるゝ故、それより下の者は、なお、愚かに思います。
※ くどう ➜「くどい」同じようなことを繰り返して言ったり長々と続けたりして、うんざりさせる。しつこくて、うるさい。
(「水濃徃方」つづく)
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「水濃徃方」の解読 49


(散歩道で、見事に赤いアジサイ)

朝から大雨、午後、掛川中央図書館で文学講座、今年度第一回である。今日のテーマは「漂泊の俳人、ほかいびと、井上井月の世界」であった。

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「水濃徃方」の解読を続ける。

次郎坊/\、こわい事も、気遣いな事も無い。おれは太郎坊じゃわいな。はて、ぬし達も太郎坊/\と心安く云うさかい、こっちからも次郎坊、外の様にも思はぬ。門が閉まっても、帰りはおれが送る。気遣いなく、社の内で煙草でも呑んでいきやれ。ちと咄す事もある。これへ/\と、千年も馴染(なじ)んだ様な挨拶。
※ 気遣い(きづかい)➜ よくないことが起こるおそれ。懸念。
※ 太郎坊(たろうぼう)➜ 昔、京都の愛宕山、鞍馬山、また、富士山などにすんでいたという大天狗に付けられた名前。

さりとは、見掛けと違うて、人をそらさぬ狗賓(ぐひん)様と嬉しく、面々煙草吸いながら、おまえ様の御団扇(うちわ)を、ちと拝見致しましょと、何がな愛想、ひねり廻し、これはよい御細工。柄(え)は大方、唐木(からき)で御座りましょうと、次郎が誉むれば、ます/\鼻を高うして、なんと唐木と見えましょう。それはおれが思い付きで、六本杉の根っ子の中に、余りよい木目があって、手細工に拵(こしらえ)た。おれも羽団扇(はうちわ)には飽きたれど、毎年脱け替わって、沢山ある物を置いて、外の物を持つも費(つい)えと、まあこれで済まして置く。来年は二人へも遣りましょう。
※ 人を逸らさぬ(ひとをそらさぬ)➜ 人の心を他に向けることがない。人を惹きつけて離さない。人の心をうまく捉える。
※ 狗賓(ぐひん)➜ 天狗のこと。
※ 何がな(なにがな)➜ 何か。何かしら。
※ 愛想(あいそう)➜ 相手の機嫌をとるための言葉・振る舞い。
※ 唐木(からき)➜ 熱帯産の上等な木材。シタン・コクタン・ビャクダン・タガヤサンなど。
※ 羽団扇(はうちわ)➜ 鳥の羽で作った団扇。天狗の絵には、これを手に持っているところが描かれる。

わしも近々京へ戻るについて、ちっと咄したき事もあって、両人を招いたり。別の事でもないが、世間でおれをば、悪事師の様に、何ぞ思い入れが聞かぬと、魔がさしたの、天狗がどうのと云えど、勘助、そちばかりは、いつもお天狗様の、お飯縄(いづな)のと、慇懃(いんぎん)に云ってくれるが嬉しい。おれじゃとて、山霊(さんれい)、山神(さんしん)の部類にも入って、仏法をも守護する身で、何の夜おれが噂云うたとて、さらって行くの、鼻をもぐのという様な、未練なしな事がなるものか。
※ 飯縄様(いづなさま)➜ 飯縄権現、飯縄明神とも。飯縄修験者の信仰する神。その姿は白狐にのった天狗にあらわされる。
※ 慇懃(いんぎん)➜ 真心がこもっていて、礼儀正しいこと。また、そのさま。ねんごろ。
(「水濃徃方」つづく)

読書:「闇天狗 剣客同心親子舟 6」 鳥羽亮 著
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「水濃徃方」の解読 48


(家の壁にウメエダシャク)

昨日夕方、ふらふらと飛んでいる、ちょっと目立つ蝶を見付け、壁に止ったところを写真に撮った。昔、子供に買ってやった昆虫図鑑を見て、ウメエダシャクという蛾だと知る。尺取虫はよく見るが、その成虫を認識するのは初めてである。まだまだ人生初めてのことがあって、なかなか捨てたものではない。

人生初めてといえば、最近、必要に迫られて、ラインを始めたが、添付された写真を印刷しなければならないことになった。いろいろいじくりまわして、何とか自分のメールアドレスに送ることが出来、印刷出来た。考えてみれば、これも初めてづくしで、何ヶ月か前には思いも寄らなかったことである。

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「水濃徃方」の解読を続ける。 

はや増上寺の入相(いりあい)、花ならぬ人もちりぢりに、面々売物、荷箱に仕舞うて、どうじゃ勘寸、取れたか。イヤモ、きつい不景気。唐櫛(とうぐし)どのは(す)かさぬ人、名題(なだい)と云い、嵩物(ぜにがさもの)、さぞ売れたで御座ろう。イエ/\、皃(かお)の古いも良し悪し。櫛屋じゃとて、引(ひか)るゝには困りもの。正真薩摩守忠度にされて、たまり事は御座らぬと云いつゝ、互いに手伝うて、さらばそこらまで連れ立って、往(い)にましょかいと、坂を下(お)りんとする所に、
※ 入相(いりあい)➜ 日が山の端に入るころ。日の暮れるころ。たそがれ時。夕暮れ。
※ 唐櫛(とうぐし)➜ (舶来品の櫛の意)梳櫛(すきぐし)の一種。櫛のむねや脇を水牛・鯨髭でつくり、歯の部分を竹で細工したもの。
※ 透かさぬ(すかさぬ)➜ すきまを作らぬ。減さぬ。
※ 名題(なだい)➜ 歌舞伎や人形浄瑠璃の題名。
※ 銭嵩物(ぜにがさもの)➜ 直段の高い物。
※ 正真(しょうしん)➜ 本物であること。真実であること。純粋でまじりけのないこと。
※ 薩摩守忠度(さつまのかみただのり)➜ 平忠度。諱が「ただのり」であることから、忠度の官名「薩摩守」は無賃乗車(ただ乗り)を意味する隠語として使われた。

次郎坊、勘寸坊としきりに呼ぶ声。はて誰じゃ知らぬが、聞きなれぬ声と、後(うしろ)を見れば、こは如何に、面(おもて)の色はさにぬりの山門の鬼板、鼻は杵(きね)の柄の突っ先見る様で、油ぎってぴか/\と光り、うしろの方に箕(み)の様な物背負て、山伏の市戻りとも云うべき、化物(ばけもの)じゃが、心安い挨拶は不思儀と云うに、薩摩が待ち、やれ/\。あれは、どこでやら不断見る人、おお、それ/\、絵馬堂に牛若殿を腕(うで)にのせて、右の手をついて居るわちょう。慥(たしか)に、これは彼(かの)じゃわいのと、ぶる/\震うて駆け出すを、
※ さにぬり(さ丹塗り)➜ 赤色に塗ること。また、赤く塗ったもの。
※ 鬼板(おにいた)➜ 檜皮葺きや杮葺きで、箱棟の両端に鬼瓦の代わりに取り付ける板。
※ 市戻り(いちもどり)➜ 「市」は、市街。町。もともと、山に居る山伏が町に戻ってきたことを指す。
※ 不断(ふだん)➜ 普段。いつも。へいぜい。日常。
※ わちょ ➜ 人をののしる語。やつ。わろ。
(「水濃徃方」つづく)
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「水濃徃方」の解読 47


(裏の畑のアマリリス)

午後、アクアの定期点検に行く。アクアも自動運転機能を取り入れた、新モデルが近く発売になるという。アクアが自分の最後の車と思って購入したが、はたして新車をもう一度買う元気があるかどうか。あと2、3年したら、そんな時期になる。

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「水濃徃方」の解読を続ける。

藤七、若輩な物見ずとあよびやれと、おのが若輩は茶代と同じく棚へ上げて、さらばよ、おりんと女坂。御門前で飴喰うと啼(な)く子に困り、胴締めの駒牽(こまびきせん)ほどいて、大転(おおころばし)。わしは、ハア、追っ付け仕舞って、国さへ戻り申すから、今の内、でこう買いて、(たしな)で置なさろと、一年中江戸に居ながら、広い所とて誰咎むる者もなく、ここへも一つ、かしこへも二包。
※ 若輩(じゃくはい)➜ 未熟で経験の浅いこと。
※ あよびやれ ➜ 「あよび」は歩く。歩きやれ。
※ 女坂(おんなざか)➜ 高所にある神社・仏閣などに通じる2本の坂道のうち、傾斜の緩やかなほうの坂。
※ 胴締め(どうじめ)➜ 胴の部分を締めつけること。また、それに用いる紐や輪など。ベルト。
※ 駒牽銭(こまびきせん)➜ 江戸時代、民間製作の絵銭の一種。表面に手綱を引かれた馬の図が鋳出されていて、えびす、大黒などの絵銭とともに日本絵銭の代表的なもの。
※ 大転(おおころばし)➜ まるい棒状の飴や餠などの菓子。
※ 追っ付け(れい)➜ やがて。そのうちに。まもなく。
※ でこう ➜ 大きく。でっかく。
※ 嗜む(たしなむ)➜ このんで親しむ。愛好する。

これは木薬屋(きぐすりや)の伴頭(ばんとう)様が、この中(じゅう)お咄しの、労咳(ろうがい)やみ様は、あじょうだな。わしが薬ではいきますまいと、真面目で言えば、さればその事、奇妙/\。すきと(こころよ)うて、今日は当社へも礼参り。補(おぎな)いのため、壱服買うて進ぜますとは、まんざらな鼻っばりと笑う人もあれど、その(あな)知らぬ田舎人は、信心からの(けん)を得て、買うて帰る人も少なからず。
※ 木薬屋(れい)➜ 生薬屋。生薬を売る店。転じて、薬を商う店。
※ あじょうだ ➜ どう。
※ すきと ➜ すきっと。すがすがしいさま。さっぱりした感じがするさま。
※ 鼻っばり(はなっぱり)➜ 鼻っ柱。人と張り合って負けまいとする意気。向こう意気。負けん気。
※ 穴(あな)➜ 他人が気づかない、よい場所や得になる事柄。
※ 験(けん)➜一般的に、ある行為を行なったことによるききめ。効果。
(「水濃徃方」つづく)

読書:「南紀殺人事件」 内田康夫 著
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「水濃徃方」の解読 46


(小国神社のひょうの木)

小国神社、左側社務所の裏へ廻ると、イスノキの古木がある。木質化した葉に穴が開き、それを吹くと「ひょう」と鳴るといい、「ひょうの木」と呼ばれていると、案内板にあった。縁結びの木とも言われている。

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「水濃徃方」の解読を続ける。

霜やけで腫れた手、茶釜に当てゝ、温めながら、庄右衛門さん、久しいもんだの。死にはぐれに煩(わず)ろうたに、尋ねても下さらず、今に成ってよそ/\しい。この日の短いに、(あだ)つき廻って、また神明かえ、コワ、といやな皃(かお)して流し目も、萌黄(もえぎ)羅紗(らしゃ)の銭入れの、重いが見込み、戻りしなには、有りたけ置いて行くであろうが。あれ程見たがる、うぬが子は、かわゆうないか。焼野のきぎす、夜の靏、子を悲しまぬはなきものをと、小歌によせてからくりが、恨めしそうに顔を詠(なが)むるも、無理はなかりき。
※ 徒つく(あだつく)➜ 浮気心を起こしてそわそわする。
※ 萌黄(もえぎ)➜ 色名の一つ。萌葱、萌木とも書かれる。黄色みがかった緑色。
※ 羅紗(らしゃ)➜ 厚地の紡毛織物の総称。
※ きぎす(雉)➜ きじの別名。

その外、反魂丹の居合抜き、長命丸はや継ぎ漆熊の伝三鞠の小六、腹一杯見物して、薬売る段に、こそ/\と逃げて出て、切通しの女太夫には、繋ぎ銭で投げてやる。裾張りなる世の人心(ひとこころ)器量結構な所に生れて、物の上手に見飽(あ)いて居ればこそあれ、頼朝の時分には、とろい品玉で殺さるゝ命助かり、唐土(もろこし)戦国の時代には、丸(がん)を弄(ろう)して囲みを解きし例(ためし)もあれば、小六が鞠や松井が独楽は、天下の名技と感心して見て居るものを。
※ 反魂丹(はんごんたん)➜ 丸薬の一種。胃痛・腹痛などに効能がある。日本において、中世より家庭用医薬品として流通した。
※ 長命丸(ちょうめいがん)➜ 江戸時代の強精・催淫用の塗布剤。両国の四つ目屋で売っていたものが有名。
※ はや継ぎ漆(はや継ぎうるし)➜ 割れた陶器などを、漆で継ぐこと。
※ 熊の伝三(くまのでんざ)➜ 熊の伝三膏薬。熊の脂肪。また、その脂肪から製した膏薬。ひび、あかぎれ、打身、きりきずなどに用いる。
※ 鞠の小六(まりのころく)➜「小六」は「小六節」。江戸初期に流行した小歌の一。江戸の馬方で小歌の名人であった美男の関東小六のことを歌ったもの。小六節と鞠を使った大道芸?
※ 繋ぎ銭(つなぎぜに)➜ 緡(さし)に通してつないだ銭。
※ 裾張り(すそばり)➜ 好色な女。淫婦。また、売春婦。
※ 器量(きりょう)➜ その人の才徳に対して世間が与える評価。多く、男性についていう。
※ とろい ➜ 動作や頭の働きがにぶい。のろい。
※ 品玉(しなだま)➜ いくつもの玉や小刀などを空中に投げ上げては巧みに受け止める曲芸。たまとり。
※ 松井可独楽(まついがこま)➜ 大道芸人、松井源水が、享保頃、博多独楽を取り入れ、曲独楽(きょくごま)を演じながら、歯磨粉や歯薬も売った。
(「水濃徃方」つづく)

読書:「首代一万両 無言殺剣 3」 鈴木英治 著
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「水濃徃方」の解読 45



(小国神社の森と花しょうぶ園)

梅雨の晴れ間、思い付いて、森町方面にドライブ。花の季節も過ぎて、植物みな、早すぎた梅雨に追いつくに懸命な様子である。最初に、小国神社へ行く。神社の森は来るたびに、木々が太くなっているように感じる。巨木(幹回り3メートル以上のものを巨木と呼ぶ)が数十本、いや百本近くあるように思う。あちこちから、小鳥の声が聞こえる。ホトトギス、ウグイスなどに混じって、ひと際目立って聞こえるのが、アカショウビンの、物が落ちてゆく効果音のようなさえずりである。

小国神社そばのハナショウブ園に入った。まだ、少し時期が早いようであったが、紫、うす紫、白、黄色などのハナショウブが見られた。暑い日差しを避けて、四阿に腰を下ろすと、風がさわやかで、暫し陶然と時を過ごした。

森町に「アジサイ寺」と呼ばれる寺があったとの記憶で、探してみたが、見つからず、帰路に着いた。

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「水濃徃方」の解読を続ける。今日より「巻之四 華表嶺勘輔之篇」に入る。

水能徃方巻之四
   華表嶺(とりいとうげ)勘輔(かんすけ)之篇

先ず、うしろに、弥山(みせん)山、巌上(がんじょう)高く聳(そび)え、嵐、迷いの夢を破り、馬手(めて)滄海(そうかい)漫々(まんまん)たり。麓(ふもと)に人家連(つら)なりてと、所柄(ところがら)の風景を、三味線と太皷としゃぎりとに合せて、コレ/\子供衆。中(なか)なは、安芸の宮島八景、左は松島、右は丹後の成相(なれあい)内輪(うちわ)(つもっ)、四、五百里。草鞋銭ばかりも覚えがある。たった壱文で、日本の三景、残らずお目に懸ける。
※ 弥山(みせん)➜ 安藝の宮島の背後の山。
※ 馬手(めて)➜ 右手。
※ 滄海(そうかい)➜あおあおとした広い海。あおうなばら。
※ 漫々(まんまん)➜ 広々と果てしないさま。
※ 所柄(ところがら)➜ その場所に備わっている様子・性質。その地方や場所の特色。場所柄。
※ しゃぎり ➜ 民俗芸能や祭礼などの、練物の行列の途中で、笛に太鼓・鉦をまじえて奏する囃子。
※ 成相(なれあい)➜ 丹後の成相寺(なりあいじ)。境内から日本三景の一つ、天橋立が一望できる。
※ 内輪(うちわ)➜ 控えめなこと。特に、数量や金額などを控えめにすること。 
※ 積もる(つもる)➜ あらかじめ計算をして見当をつける。値段・数量などを概算する。見積もる。
※ 草鞋銭(わらじせん)➜ わらじを買うぐらいの金。旅費としてのわずかの金銭。 

サア/\始り/\と、声面白く唄い掛ければ、爺さま見たいと引っぱる子を、費(ついえ)な、よせと呵(しかり)ながら、おりん、達者か。久しく山へも出ぬが、如何(どう)ぞ。床几(しょうぎ)に腰を掛けまくも、神の御山に住みながら、鼻の低いは不相応(ぶそうおう)なれど、遣わしめの猪(いのしし)には、どこやら似た所ありて、紋所さえ花菱(はなびし)に、煤竹色木綿布子、黒ぬめの半えりにこすり付いたる、首筋の白粉(おしろい)の白きを見れば、よっぽどな番狂わせ
※ 掛けまく ➜ 心にかけて思うこと。口に出して言うこと。
※ 不相応(ぶそうおう)➜ つりあいがとれていないこと。
※ 花菱(はなびし)➜ 四弁の唐花を菱状に置いた紋所の名。
※ 煤竹色(すすたけいろ)➜ 煤けて 茶色 がかった竹のような色。
※ 木綿布子(もめんぬのこ)➜ 木綿仕立ての綿入れ。
※ ぬめ ➜ 生糸を用いて繻子織にして精練した絹織物。
※ 番狂わせ(ばんくるわせ)➜ 予期せぬ事態により物事が思惑どおりに進まなくなること。
(「水濃徃方」つづく) 

読書:「七人の用心棒 はぐれ長屋の用心棒 39」 鳥羽亮 著
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渋沢栄一の書



(渋沢栄一の書/「鶴瓶の家族に乾杯」より)

夕方、牧之原市の「はりはら塾」総会に出席した。17時の開始だったので、夕食の前に帰って来た。

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先日、NHKの「鶴瓶の家族に乾杯」という番組を見ていた。今、トレンドの渋沢栄一の故郷、深谷が舞台であった。中で、渋沢栄一の近所のお宅に、渋沢栄一の書があると言い、掛軸を拝見した。七言絶句の漢詩だったので、早速テレビ画面を写真に撮り、解読してみようと思った。

ところが、番組の最後に、この書を解読した字幕が出た。解読するまでもないかと、それもカメラに収めた。今はテレビも、カメラも解像度が飛躍的に増して、細かい文字まで十分判読できる。以下、字幕を書き写す。

(読み下し) 暁夕桑を採りて、苦辛多し
       好花の時節、閑ならざる身
       もし繁華の事を愛するを解せしむれば、
       凍殺せん、黄金屋裏の人

(訳文)   一日中桑の葉を採り苦労が多く
       花を見る余裕も無いほど忙しい
       もし花を観賞する趣味など持ってしまったら
       あっという間に富貴な家の人を凍えさせるだろう

養蚕農家のことを詠じているようだが、今一つピンとこない。

原文をネットで探したところ、寛正年間(1460~1466)に、相国寺の春渓が、唐、宋、金、元、明の七言絶句の漢詩、三千余首を集めた本、「錦嚢風月」の巻之四、「婦女門」に同詩が見つかった。

作者は「薛能」、題は、直前の七言絶句には「蚕婦」と付いていたが、この詩は「なし」となっている。本文を写し、掛軸の詩を翻刻して併記する。

(原詩)暁夕采桑多苦辛 好花時節不閑身 若教解愛繁華事 凍殺黄金屋裡人
(掛軸)暁夕採桑多苦辛 好花時節不関身 若教解愛繁華事 凍殺黄金屋裏人       
比べてみると、采⇒採、閑⇒関、裡⇒裏と、三文字が変えられている。従って、字幕は掛軸の解読ではなくて、原詩の解読であった。

(渋沢掛軸の読み下し)
     暁夕、桑を採りて、苦辛多し
     好花の時節、関らざる身
     もし繁華の事を愛するを解せしむれば、
     凍殺せん、黄金屋裏の人

「採」と「裏」は、より分かり易い文字に変えただけで、意味は変わらないが、「閑⇒関」は解釈に影響する。さて、渋沢の掛軸の七言絶句を自分なりに解釈してみよう。

     朝から晩まで、桑の葉を採るに、辛苦多く、
     花を好む時節に、関らざる身。
     もし繁華を愛することを解かしむならば、
     黄金の屋裏の人を凍え殺すだろう。

「花を好む時節」花は女性。「繁華」は「都市や町がさかえにぎわうこと 」繁華街を示す。「黄金の屋裏の人」蚕を擬人化した。金を稼いでくれるお蚕さんと解する。それで、平易に、大胆に意訳すれば、

     朝から晩まで、桑の葉を採るに、苦労が多く、
     異性を求める年頃なのに、女性に関らない身。
     もし歓楽街の遊びを知り、家業がなおざりになれば、
     お金を稼いでくれる、屋根裏に同居するお蚕さんを、
                  たちまち死なせてしまうだろう。

これなら、実業家、渋沢栄一に相応しい、漢詩の解釈だと思う。閑⇒関、裡⇒裏 にそれぞれ変えた理由も見えてくる。

渋沢栄一が、実家近所の養蚕農家の青年から、書を請われて、自分が知る漢詩の一部を変えて、書いて渡したのがこの一軸であろう。
(こんな独断的な解釈、異論が出るだろうなぁ)
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