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「家忠日記 四」を読む 32

(庭の背比べの花たち)

狭い花壇に沢山の苗を植え過ぎたせいだろうか。背比べをするように上へ上へと花茎を伸ばしている。生育が遅れて埋没してしまっのであろうか、まだ花を見ない苗もある。

「家忠日記 四」の解読を続ける。

 天正十三年(1585)酉十二月
 極月
※ 極月(ごくげつ)- 12月の異称。しわす。
一日 丁卯 城へ出で候。なえ(地震)揺り候。
二日 戊辰 なえ揺る。岡普請出で候て、深溝へ帰り候。
      東部(とうべ)へ城御取り立て候わん由候‥‥
※ 東部城(とうべじょう)- 幸田町大字菱池字東部にあった城。1561年に酒井正親が築き、家康(松平元康)が三河平定の際に、吉良攻めの足懸かりとした。1585年には深溝松平氏に命じて城を改修させている。
三日 己巳 なえ揺る。喜平所にふる舞い候。
四日 庚午 なえ揺る。東部鍬立て候。天清兵衛越され候。
※ 鍬立て(くわだて)- 一種の地鎮行為で、その土地を復活・再生させ、一新するという意味があった。地鎮祭における「鍬入れ」のようなものか。
※ 天(野)清兵衛 - 天野家次(あまのいえつぐ)。家康家臣。普請奉行。

五日 辛未 雨降り。なえ揺る。

六日 壬申 なえ揺る。
七日 癸酉 なえ揺る。普請候。奉行、鵜殿善六。安藤金助。雪吹市右衛門。
八日 甲戌 同。なえ揺る。
九日 乙亥 なえ揺る。夜、雨降り。戸三郎右衛門殿、見舞いに越され候。
※ 戸(田)三郎右衛門 - 戸田忠次(とだ ただつぐ。三河国田原の国人戸田氏の支流。田原戸田家2代当主。
十日 丙子 普請候。なえ揺る。

十一日丁丑 なえ揺る。普請候。
十二日戊寅 なえ揺る。雪降る。
十三日己卯 なえ揺る。普請候。
十四日庚辰 なえ揺る。普請候。
十五日辛巳 なえ揺る。普請候。

十六日壬午 なえ揺る。夜、雪降る。女ども二俣へ引っ越し候。
十七日癸未 なえ揺る。普請候。
十八日甲申 なえ。普請候。
十九日乙酉 なえ。普請候。
廿日 丙戌 なえ。

廿一日丁亥 なえ。雨降り。
廿二日戊子 なえ。普請候。岡崎本田作左へ越し候。
廿三日己丑 なえ。同、普請候。本作左より音信候。
廿四日庚寅 なえ。雪降る。深溝越し候。竹谷与二郎殿越され候。
廿五日辛卯 なえ。雪降る。普請候。普請年内は先ず/\上り候て、深溝帰り候。

廿六日壬辰 なえ。
廿七日癸巳 なえ。会下へ参り候。
廿八日甲午 なえ。
廿九日乙未 なえ。
晦日 丙申 なえ。歳暮音信に、吉田岡崎本作左‥‥本田豊後山本‥‥平左へ‥‥

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「家忠日記 四」を読む 31

(庭のクンシラン)

寒さに、葉がすっかり枯れて、絶えたかと思っていたが、枯れ葉の中からいきなり花芽を出して、花を咲かせた。

「家忠日記 四」の解読を続ける。

 天正十三年(1585)酉十一月
十一日丁未 初雪降り候。
十二日戊申 永良へ越し候。
十三日己酉 永良より帰り候。
      石川伯耆守、上方へ退き候由候て、亥刻に注進候。
      則ち岡崎へ越し候へば、伯州、尾州へ女房衆共に退き候。
      新城七之助構えに居り候。国衆その外より、先に越し候。
十四日庚戌 辰の刻に酒井左衛門尉、三川国衆越され候。
十五日辛亥 岡崎城へ番に上り候。家康吉田まで越され候。


石川伯耆守数正は、家康が今川の人質の時代から、近習として仕えた、家康が最も信頼していた家臣の一人であった。その数正が家族ともども秀吉の元に出奔した。大事件の勃発である。原因は不明とされるが、家臣から人質を取ろうとする、家康の疑心も一因だったかもしれない。少なくともこの時期の出奔の、きっかけにはなっただろう。人質を取られてしまえば、裏切りは難しくなる。ともあれ、内情を熟知している数正の裏切りだから、この後家康は三河以来の軍制を武田流に改めることになる。

十六日壬子 家康、岡崎へ御越し候。
      一昨夜、早く越し候とて、御褒め候。深溝帰り候。
十七日癸丑 
十八日甲寅 岡崎普請に越し候。
      各国衆より普請早く仕り候由にて、平松金次郎の使い給い候。
十九日乙卯 雪降り。御鷹の鳫給り候。
廿日 丙辰 


岡崎の備え普請を急遽始めたのも、秀吉への備えであろう。秀吉がこれに乗じて三河に攻め入るとの噂が広まった。

廿一日丁巳 
廿二日戊午 城に鷹の鳫の御ふる舞い候。
      家康は西尾へ御越し候。
廿三日己未 女ども遠州へ引越し候。用意に深溝へ帰り候。
廿四日庚申 
廿五日辛酉 会下へ参り候。

廿六日壬戌 女ども、遠州しろべまで越し候。
廿七日癸亥 家康、西尾より帰られ候。
      岡崎へ普請に越し候。
廿八日甲子 尾州小田源五殿、瀧川三郎兵
      土方彦左越し候て、酒左吉田より越され候。
※ 小田源五 - 織田長益(おだながまさ)。安土桃山時代から江戸時代初期の大名・茶人。織田信秀の十一男で、信長の弟。有楽斎如庵(うらくさいじょあん)と号す。
※ 瀧川三郎兵 - 瀧川雄利(たきがわかつとし)。三郎兵衛。戦国時代から江戸時代前期にかけての武将、大名。伊勢神戸城主。滝川一益の娘婿。
※ 土方彦左 - 土方雄久(ひじかたかつひさ)。彦三郎。彦左衛門。織豊、江戸時代前期の武将、大名。織田信雄の家臣で、尾張犬山城主。

廿九日乙丑 雪降る大なえ、亥刻揺る。前後、覚え候わぬ由、申し伝え候。
      小揺りは数を知らず。
晦日 丙寅 なえ揺る。丑刻にまた大なえ揺る。


29日の襲った大地震は、後に天正の大地震と呼ばれる。被害地域の記録が日本海の若狭湾から太平洋の三河湾に及ぶ歴史上例のない大地震である。その余震が延々と続いたと、家忠日記には記されている。
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「家忠日記 四」を読む 30

(散歩道のオオデマリ)

夕方、雨空の下、ムサシの散歩に出掛ける。雨は何とか止んだようだ。大代川に出ると、ピーピー、チクチクとつばめが川の上を過ぎる。姿はとらえ難いが、数羽居そうだ。南から来たつばめも、子育てに入るのだろうか。

「家忠日記 四」の解読を続ける。

 天正十三年(1585)酉十月
 十月小
一日 戊辰 深溝へ帰り候。
二日 己巳 雨降り。
三日 庚午 殿様、浜松へ帰り候。
四日 辛未 夜、雨降り。
五日 壬申 夜、地震候。

六日 癸酉 
七日 甲戌 
八日 乙亥 
九日 丙子 雨降り。
十日 丁丑 

十一日戊寅 
十二日己卯 雨降り。
十三日庚辰 
十四日辛巳 夜、雨降り。
十五日壬午 会下へ参り候。人質の事、吉田より申し来り候。


突然に人質の話が出てくる。各国衆から人質を取るというのは、エリアが三河から遠州、そして駿河へと広がる中で、陣営の引き締めをしたいと考えた家康の指示なのだろう。

十六日癸未 吉田へ質物事に人を越し候。
十七日甲申 
十八日乙酉 
十九日丙戌 
廿日 丁亥 

廿一日戊子 
廿二日己丑 
廿三日庚寅 
廿四日辛卯 
廿五日壬辰 雨降り。

廿六日癸巳 竹谷備後殿へ茶湯会にて越し候。
廿七日甲午 浜松より早々越され候え候由、酒左より申し来り候て、
      午刻に出で候て、夜の丑刻に参着候。
廿八日乙未 城へ出仕候。上へ御質物御出し能く候わんか、
      また御出し候てよく候わんかとの、御談合にて候。
      各国衆同意に、質物御出し候事、然るべからざる候由、申上げ候。
      相州より御家老の衆、廿人の起請文越し候。
      この方よりも、各国衆、長人衆、起請文遣わされ候。
廿九日丙申 夜より辰刻まで雨降り。人質に娘致し、浜松へ越し‥‥候。


家忠さんも、自分の娘を浜松へ人質に出すことになったが、娘は確かまだ生まれたばかりのはずだが、その上にも娘がいるのだろう。武家の家族の宿命とはいえ、辛いことである。その後、女どもも浜松へ引っ越すことになる。一家で引っ越せば、家忠さんの単身赴任でことが済む。

 天正十三年(1585)酉十一月
 霜月大
一日 丁酉 城へ出仕候。
二日 戊戌 深溝日駈けに帰り候。
三日 己亥 
四日 庚子 雨降り。喜平所に、夜、連歌候。竹金左広田越され候。
五日 辛丑 

六日 壬寅 小六右衛門所に、夜、連歌候。
七日 癸卯 
八日 甲辰 雨降り。
九日 乙巳 
十日 丙午 妹、跡大炊助女房衆、浜松へ越し候。
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「家忠日記 四」を読む 29

(散歩道のムサシとクローバー)

ムサシの写真嫌いにも困ったもので、散歩の途中で、土手のクローバーにムサシを入れて撮ろうとするが、リードで引っ張るも、腰が引けて、こちらを見ようとせずに、あげくに目を閉じた。

「家忠日記 四」の解読を続ける。

 天正十三年(1585)酉九月
 九月大
一日 戊戌 雨降り。
二日 己亥 
三日 庚子 竹谷形原衆との月次なり。
四日 辛丑 同与五左衛門所に、月次の連歌へ、竹谷備後殿、玄蕃殿越され候。
      発句            亭主代に正作
      秋の葉も 紅(くれない)深し 梅さくら
五日 壬寅 和州長秀と云う連歌士、越し候て、四十四句夜会候。
      影いずこ 雲に匂える 夕月夜  長秀
※ 四十四(よよし)- 世吉連歌(よよしれんが)のこと。連歌・連句の形式の一。百韻の初折(しょおり)と名残の折とを組み合わせた四十四句からなるもの。

六日 癸卯 
七日 甲辰 
八日 乙巳 雨降り。
九日 丙午 駿河へ飛脚越し候。雨降り。
十日 丁未 

十一日戊申 初あられ。祈祷候。娘もうけ候。竹谷玄蕃、興国へ帰られ候。
十二日己酉 
十三日庚戌 大坊、夜、連歌候。
      今夜なお 月に端居の もなし   家忠
※ 端居(はしい)- 家の端近くに出ていること。特に、夏、風通しのよい縁側などに出ていること。
※ 烽(ほう)- のろし。
十四日辛亥 
十五日壬子 会下へ参り候。

十六日癸丑 
十七日甲寅 家康、一昨日十五日、駿州より浜松へ、御帰城候由候。進上物越し候。
十八日乙卯 夜、雨降り。
十九日丙辰 
廿日 丁巳 

廿一日戊午 晩、雨降り。上方飛脚候て浜松へ。白須賀まで越し候。
※ 上方飛脚 - 秀吉はこの頃有馬温泉に湯治に行ったりして、たまさかの穏やかな日々を過ごし、飛脚が来るような事件はない。
廿二日己未 飯前に浜松まで越し候て、城へ罷り出で候。家康、巣はいたか給り候。
廿三日庚申 深溝へ帰り候。
廿四日辛酉 
廿五日壬戌 家康、吉良へ御見舞いに越され候とて、吉田まで御越し候。

廿六日癸亥 家康御迎いに、みやまで越し候。深溝、時近前にて
      御酒迎い申し候。西尾へ通られ候。
廿七日甲子 鵜殿吉六、横山、昨日のまゝ留り候。今日西尾へ越し候。
廿八日乙丑 中嶋へ鵜善六、西尾よりの用事候て、出合い候。
廿九日丙寅 
晦日 丁卯 家康、西尾より岡崎へ越され候。
      岡崎へ越し、酒左も越され候。

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「家忠日記 四」を読む 28

(庭のミヤコワスレ)

「家忠日記 四」の解読を続ける。

 天正十三年(1585)酉八月
 八月大
一日 己亥 会下、東堂大津、三年持、障り明けにて越され候。参り候。
二日 庚子 
三日 辛丑 
四日 壬寅 
五日 癸卯 

六日 甲辰 竹谷玄蕃殿、興国寺より御越し候て、この寺へ御越し候。
七日 乙巳 夜、雨降り。
八日 丙午 夜、雨降り。
九日 丁未 夜、雨降り。
      三光院意玉所に月次連歌候。
      あさ霧に 露なお深く 萩が花  意玉
十日 戊申 竹谷玄蕃殿へ、礼に越し候。金左にふる舞い候。

十一日己酉 
十二日庚戌 
十三日辛亥 雨降り。
十四日壬子 雨降り。駿河府中普請に、白須賀まで越し候。
十五日癸丑 夜、大雨降り。見付まで越し候。

いよいよ、家康は居城を浜松城から駿河に移すべく、駿府城の建設を始める。家忠ももちろんその建設に加わる。建設は天正13年から天正17年まで続く。

十六日甲寅 水出候て、堀越まで越し候。
十七日乙卯 嶋田まで越し候。
十八日丙辰 駿府殿様へ出候て、長沼に陣取り候。
十九日丁巳 雨降り。
廿日 戊午 石引き普請候。

廿一日己未 
廿二日庚申 
廿三日辛酉 夜、雨降り。
廿四日壬戌 
廿五日癸亥 南荒ら吹き、雨降る。殿様より、江河酒給り候。

廿六日甲子 雨降り。
廿七日乙丑 雨、大風、富士颪(おろし)。家損じ候。
廿八日丙寅 
廿九日丁卯 
晦日 戊辰 


 天正十三年(1585)酉閏八月
 閏八月小
一日 己巳 雨降り。
二日 庚午 殿様、国衆に白鳥の振る舞い成され候。
三日 辛未 雨降り。
四日 壬申 
五日 癸酉 雨降り。

六日 甲戌 
七日 乙亥 
八日 丙子 
九日 丁丑 夜、雨。
十日 戊寅 雨降り。

十一日己卯 
十二日庚辰 
十三日辛巳 殿様、初雁の国衆、御ふる舞い候。やみ踊り候。
十四日壬午 
十五日癸未 

十六日甲申 
十七日乙酉 殿様より御樽給り候。
十八日丙戌 
十九日丁亥 家康、初鮭の国衆に御振る舞い候。
廿日 戊子 

廿一日己丑 
廿二日庚寅 雨降り。
廿三日辛卯 御屋敷普請、出来候。
廿四日壬辰 遠州岡本池野有介所まで帰陣候。息子に脇差し出し候。
廿五日癸巳 深溝まで帰り候。

廿六日甲午 会下へ参り候。
廿七日乙未 雨降り。
廿八日丙申 
廿九日丁酉 東堂高橋より御帰りにて、会下候。参り候。

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「家忠日記 四」を読む 27

(庭のサツキツツジ)

ツツジとサツキの区別がよく判らない。これはサツキなのかツツジなのか。サツキツツジという名もあるという。五月に咲くから、サツキとするなら、4月に咲いているからツツジか。分らないので、「サツキツツジ」を採用。

「家忠日記 四」の解読を続ける。

 天正十三年(1585)酉六月
十一日辛亥 野田逗留候。野田若う兄弟に、刀、脇差し出し候。
十二日壬子 野田殿より駈けの馬、御こし候。野田より浜松へ越し、城へ出仕候。
      また長次の長刀出し候。
十三日癸丑 深溝帰り候。
十四日甲寅 
十五日乙卯 会下へ参り候。

十六日丙辰 
十七日丁巳 
十八日戊午 雨降り。
十九日己未 夜、雨降り。
廿日 庚申 雨降り。

廿一日辛酉 永聞、月次連歌候。発句、
      汲み寄るに 神の前せぎ 泉かな  永聞
廿二日壬戌 
廿三日癸亥 
廿四日甲子 
廿五日乙丑 竹谷金左衛門所に、月次連歌候て越し候。

廿六日丙寅 濱松殿様、出物御煩いにて、日駈けに御見舞いに越し候。城へ出で候。
※ 出物(でもの)- 吹き出物。おでき。
廿七日丁卯 殿様より、巣鷹下され候。
※ 巣鷹(すたか)- 巣にいる鷹のひな。また、これを捕らえて鷹狩り用に飼育した鷹。
廿八日戊辰 
廿九日己巳 


 天正十三年(1585)酉七月
 七月小
一日 庚午 夜、雨。殿様御煩い能く候て、深溝へ帰り候。
二日 辛未 
三日 壬申 会下施餓鬼候。参り候。
四日 癸酉 施餓鬼候。
五日 甲戌 永良へ堤築かせに候。午時、大なえゆり候。
      夜まで少しずつ。百年已来のなえ候由、申し候。
※ 大なえ - 大地震。

六日 乙亥 巣鷹、形原左京殿へ越し候。
七日 丙子 
八日 丁丑 
九日 戊寅 
十日 己卯 晩景、夕立。家康様煩い能く候。
      見舞いに日駈けに、浜松へ越し候。
※ 晩景(ばんけい)- 夕方。夕刻。

十一日庚辰 とぎれより、白須賀、二川まで雨降り候。深溝帰り候。
※ とぎれ - 浜名湖が太平洋に開いている、「今切れ」。それ以前の開口部であろうか?
十二日辛巳 
十三日壬午 踊りにて、寺方へかけ候。
十四日癸未 会下へ参り候。
十五日甲申 夕立する。

十六日乙酉 保々へ鮎捕りに越し候。夕立する。
十七日丙戌 深溝帰り候。
十八日丁亥 
十九日戊子 殿様、駿河へ御越し候。
廿日 己丑 与五左に踊りふる舞い候。

廿一日庚寅 夜、雨降り。会下へ参り候。香春にふる舞い候。
廿二日辛卯 
廿三日壬辰 
廿四日癸巳 
廿五日甲午 

廿六日乙未 
廿七日丙申 雨降り。
廿八日丁酉 同、新二郎、月次連歌候。夜、雨降り。発句、
      野は虫を 聞いても帰る 葛葉かな  正作
廿九日戊戌 夜、雨降り。
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「家忠日記 四」を読む 26

(庭のシラン)

このシラン、この庭に来てから、もう20年以上経つだろうか。こちらは忘れていても、季節が来ると、忘れずに花を咲かせる。

「家忠日記 四」の解読を続ける。

 天正十三年(1585)酉五月
 五月大
一日 辛未 会下へ参り候。浜松妹、煩(わずら)い大事候由、申し来り候。
二日 壬申 昨日、永良、脇草刈り諍(いさか)い候。
三日 癸酉 雨降り。
四日 甲戌 朝、雨降り。
五日 乙亥 

六日 丙子 
七日 丁丑 
八日 戊寅 
九日 己卯 法安、浜松妹、煩いに越し候。
十日 庚辰 浜松煩い、ちと能く候由、申し来り候。

十一日辛巳 祈祷候。
十二日壬午 雨降り。
十三日癸未 雨降り。
十四日甲申 雨降り。
十五日乙酉 竹谷備後殿、興行に越し候。
※ 興行(こうぎょう)- 連歌や俳諧などの会を催すこと。

十六日丙戌 
十七日丁亥 
十八日戊子 雨降り。形原へ礼に越し候。浜松妹煩いにて、この方へ越し候。
      宮内月次連歌に留り候。
十九日己丑 松宮内所に連歌候。帰り候。晩、雨降り候。
廿日 庚寅 岡崎石川伯州より、先度小美山近所にて、人を殺し候。
      改めに信光坊越され候。
※ 先度(せんど)- さきごろ。このあいだ。せんだって。
※ 小美(おい)- 現、岡崎市小美町。


廿一日辛卯 雨降り。会下へ参り候。
廿二日壬辰 雨降り。
廿三日癸巳 
廿四日甲午 雨降り。
廿五日乙未 雨降り。

廿六日丙申 雨降り。
廿七日丁酉 雨降り。
廿八日戊戌 雨降り。竹谷金左広田越し候。
      同喜平所に月次の連歌候。発句、
      取り植うる 跡みなと田の 早苗かな  亭主、正作亭主に代る。
廿九日己亥 雨降り。竹金左広田ふる舞い。
晦日 庚子 長尊越され候。持ち寄り連歌、三光院にて候。
      花の咲く 程よい香なる 石の竹   長尊
※ 石の竹 - 石竹(せきちく)。ナデシコ科の多年草。中国原産。からなでしこ。初夏、紅・白色などの五弁花を開く。名は葉が竹に似ているため。


 天正十三年(1585)酉六月
 六月小
一日 辛丑 会下へ参り候。
二日 壬寅 夕立候。
三日 癸卯 
四日 甲辰 
五日 乙巳 

六日 丙午 
七日 丁未 雨降り。
八日 戊申 
九日 己酉 殿様、甲府より一昨日七日に御帰城候由、浜松より申し来り候。
十日 庚戌 野田へ若人に越し候。

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「家忠日記 四」を読む 25

(富士とヒトツバタゴ)

昨日の静岡城北公園、うす曇りの空、残雪の富士、ヒトツバタゴ、白いもの三題である。ヒトツバタゴのお花見に、近所の幼稚園児であろうか、団体で見えた。昨日は最高気温が夏日を越えた。

「家忠日記 四」の解読を続ける。

 天正十三年(1585)酉三月
十一日壬午 永良堤、築かせ候。
十二日癸未 雨降り。賀藤、酒兵へ走り候。
十三日甲申 雨降り。岩ふくにふる舞いにて、深溝帰り候。
十四日乙酉 永良へ越し候。稲長二郎作、他国候。
十五日丙戌 深溝帰り候。会下へ参り候。

十六日丁亥 
十七日戊子 
十八日己丑 
十九日庚寅 浜松へ御訴詔に人を越し候。
廿日 辛卯 雨降り。

廿一日壬辰 会下へ参り候。
廿二日癸巳 
廿三日甲午 
廿四日乙未 
廿五日丙申 

廿六日丁酉 鵜殿藤介殿へ、月次の連歌にて越し候。
廿七日戊戌 
廿八日己亥 
廿九日庚子 
晦日 辛丑 雨降り。


 天正十三年(1585)酉四月
 四月小
一日 壬寅 会下へ参り候。小笠権之尉越され候。
二日 癸卯 
三日 甲辰 浜あそびに越し候。

戦国時代も家族を連れて、浜遊びに興じることがあったのであろうか。「おさる」も連れて。

四日 乙巳 
五日 丙午 中嶋へ堤築かせに越し候。

六日 丁未 孫左衛門所にふる舞いにて、深溝へ帰り候。
七日 戊申 雨降り。
八日 己酉 
九日 庚戌 雨降り。
十日 辛亥 中嶋へ日帰りに茶見に越し候。

旧暦だったから、4月はお茶摘みの季節である。10日に様子を見に行き、18日に摘みに行ったのだろう。茶葉は日干番茶、あるいは釜炒り茶に仕上げたのだろうか。

十一日壬子 雨降り。竹谷与二郎殿に、月次の連歌にて越し候。
十二日癸丑 
十三日甲寅 夜、雨降り
十四日乙卯 夢想の連歌開き候。
      とばたたね 越せし水の 深みどり
十五日丙辰 岡崎御屋敷様所、伯耆守所へ当年の礼に越し候。
      深溝へ日返りに帰り候。

十六日丁巳 
十七日戊午 
十八日己未 中嶋へ茶仕りに越し候。
十九日庚申 雨降り。
廿日 辛酉 同、権之尉所にふる舞い候。

廿一日壬戌 夜雨。文師にふる舞い候。深溝へ帰り候。
廿二日癸亥 
廿三日甲子 
廿四日乙丑 
廿五日丙寅 夜、雨降り。

廿六日丁卯 小座敷のお石積み候。
廿七日戊辰 そけいふる舞い候。仏舞わし越し候て、舞わし候。
廿八日己巳 御油、浄頓越し候て、
廿九日庚午 月次連歌候。発句、
      紅や 咲添う掛けの 深見草   家忠
※ 掛け(かけ)- 動作をし始めて、まだそれが中途であることを表す。
※ 深見草(ふかみぐさ)- 牡丹(ぼたん)の別名。
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「家忠日記 四」を読む 24

(静岡城北公園のフジ)

午後、駿河古文書会で静岡に行った。静岡城北公園から、うす曇りの空に溶け込むように、残雪の富士山が見えた。同公園のヒトツバタゴも咲き始めて、白の目立つ景色の中に、藤棚に紫のフジが今を盛りに咲いていた。

駿河古文書会で、今日の課題の古文書は最高難度と言ってよいものであった。静岡の教覚寺という浄土真宗のお寺の住職が出した書簡で、宗教用語がたくさん並び、その上、見たことのないような住職独特な書ぐせがあって、さらに肝心なところが虫食いで判らない。それでも何とか9割8分位、推定も交えて解読して講座に臨んだ。担当の副会長のN氏もさすがに解読に苦労されたようで、最後には教覚寺の現在の住職に浄土真宗の教義などの教えを乞い、今日に臨まれたという。そして、ほぼ100%解読された。自分の解読にチェックをくれながら聞いたが、数えて見たら、実に74ヶ所の訂正が入った。脱帽である。

「家忠日記 四」の解読を続ける。

 天正十三年(1585)酉二月
十六日戊午 雨降り。
十七日己未 
十八日庚申 竹谷備後殿、月次にて越し候。
十九日辛酉 形原又七殿、始めて越され候。おさるに脇差。
      この方より鑓出し候。また長刀越され候。
廿日 壬戌 雨降り。浜松普請奉行天清兵衛、横田織部越され候。
      長刀清兵衛、鑓織部いたし候。

「おさる」は家忠の息子の幼名。もう数えで3歳になる。18日から20日の記事は、その祝いに来てくれたもののようで、お祝いに、鑓と長刀を使った剣舞のようなものを披露してくれたのであろう。

廿一日癸亥 会下へ参り候。勘定候。
廿二日甲子 雨降り。同勘定候。
廿三日乙丑 
廿四日丙寅 
廿五日丁卯 彼岸に入り。会下へ参り候。

廿六日戊辰 
廿七日己巳 与五左衛門所に月次連歌候。
      竹谷金左、広田越され候。
      咲まてや 花の俤(おもかげ) 峰の雪  与五左
廿八日庚午 
廿九日辛未 雨降り。新二郎女房衆、西郷へ越され候。


 天正十三年(1585)酉三月
 三月大
一日 壬申 
二日 癸酉 舟進、浜松へ日駈けに越し候。
三日 甲戌 城へ出仕候。雨降り。
四日 乙亥 仏舞わし、天下一見物候。
※ 仏舞わし(ほとけまわし)- 人形浄瑠璃の原始的な形の芸能とされる。
五日 丙子 

六日 丁丑 
七日 戊寅 作岡。
      雨降り。川合‥‥知行方人足、永良中嶋堤、出来候間、
      御訴詔皆々相済候由、御免御朱印。
八日 己卯 深溝出坂を日駈けに帰り候。
九日 庚辰 雨降り。
十日 辛巳 永良へ越し候。
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「家忠日記 四」を読む 23

(裏の畑のオダマキソウ)

「家忠日記 四」の解読を続ける。

 天正十三年(1585)酉正月
 天正十三年乙酉正月大
        小年丗一
一日 癸酉 雨降り。浜松衆、御礼申され候て、三河衆も出候由候。
      跡部大炊助所にふる舞い候。
二日 甲戌 長人衆、礼に歩き候。御礼申候。
      松平与二郎所にふる舞い候。また謡い初めに出候。
三日 乙亥 深溝へ本坂を日駈けに帰り候。
四日 丙子 家中衆、礼に越され候。
五日 丁丑 

六日 戊寅 
七日 己卯 鵜殿八郎三郎、礼に越され候。
八日 庚辰 日待ち候。供前茶(くせんちゃ)候。
九日 辛巳 
十日 壬午 吉田へ礼に越し候。

十一日癸未 雨降り。
      祈祷候。
十二日甲申 雨降り。
十三日乙酉 吉田、戸田左門所より鷹雁越し候。
      徳例の連歌。竹谷備後守越され候。
      発句
      今年猶 縁(えにし)添うかな 宿の松  備州清善
十四日丙戌 
十五日丁亥 会下へ参り候。

十六日戊子 竹谷備州へ連歌にて越し候。家康様、岡崎へ御越し候。
十七日己丑 
十八日庚寅 会下へ参り候。
十九日辛卯 
廿日 壬辰 

廿一日癸巳 会下へ参り候。
廿二日甲午 東堂、大津より昨日越され候て、参り候。
廿三日乙未 東堂ふる舞い候。雨降り。
廿四日丙申 
廿五日丁酉 雨降り。会下へふる舞いにて越し候。

廿六日戊戌 
廿七日己亥 九七所に月次の連歌候。
      発句
      香ぞ知るべ 差し入れ遠き 宿の梅
廿八日庚子 夜、雨降り。
廿九日辛丑 両山候。下へ礼に越し候。
晦日 壬寅 


 天正十三年(1585)酉二月
 二月小
一日 癸卯 家康様、浜松御帰り候。
二日 甲辰 家康より鷹鳫給わり候。
三日 乙巳 
四日 丙午 与五左所へふる舞いにて越し候。
五日 丁未 惣国人足にて吉良へ城垣上げ候。

六日 戊申 
七日 己酉 雨降り。
八日 庚戌 
九日 辛亥 
十日 壬子 雨降り。内方のやいと(灸)する。

十一日癸丑 
十二日甲寅 
十三日乙卯 おい山にて、岡崎中根九左衛門を討ち殺し候由、
      届けに横田新兵衛、今村彦兵衛所より折帋越し候。
※ 折帋(おりがみ)- 奉書などを横に二つに折ったもので、消息、進物の目録、鑑定書などに用いる。
十四日丙辰 
十五日丁巳 会下へ参り候。
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