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「文久元年記録帳」を読む 4


散歩道のアロエの花

「文久元年記録帳」の解読を続ける。

七日より、米四分上げ、白米
壱升百八十八文売り。十二日、比木按摩(あんま)(せがれ)、米搗(つ)き壱人。
十七日髪結○。四月五日、川崎、おとよ、男子出生致す。
五月廿八日、おちえ、女子出産致す。六月四日、七夜(ななよ)致す。
※ 七夜(ななよ)➜ 子どもが誕生してから七日目の夜の祝い。おしちや。
産着(うぶぎ)代金壱分、祝い遣わす。

十八日より大相庭(おおそうば)蔵米(くらまい)にて(十両に付)八俵五斗、
※ 大相庭(おおそうば)➜ 大相場。普段と比べて、大きな売買高を伴った、大きな値上がりのある相場をいう。ここでは米相場を指す。
※ 蔵米(くらまい)➜ 江戸時代において、幕府や藩などの蔵に年貢として収納された米のこと。
金壱両に付、三斗五升七合なり。壱升百八十弐文に付。
また廿四日より(十両に付)八俵替え。
小売米壱升、百九十弐文。白米壱升、弐百十弐文。
銭六貫六百文。

廿六日髪○。廿二日、米つき壱人。廿四日、
同壱人。七月二日、三日時分髪○、十四日髪○。十七日市三郎
出帆、手伝い壱人。廿日髪○。廿二日、次郎兵衛船、分合の事に付、
※ 分合(ぶんごう)➜ 分割と合併。
佐倉三里道差して行く。廿三日、大工清中壱人。廿四日休。
廿五日、七分五厘ばかり。廿六日壱人。廿七日半人少し添え。

(つづく)

最後の段落は意味が説明できない部分が多い。

読書:「再縁話 新・知らぬが半兵衛手控帖 10」 藤井邦夫 著

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「文久元年記録帳」を読む 3


久し振りの大代川(右岸の土手に遊歩道が出来た)

「文久元年記録帳」の解読を続ける。

髪結(かみゆい)覚え、十七日○、廿二日時分○、廿八日○、四月五日、富蔵方にて結う。
六日、運賃増一条にて、横砂、糖砂会所へ行く。
※ 横砂(よこすな)➜ 現在の静岡市清水区横砂。
山十(やまじゅう/屋号)、金上(かねじょう/屋号)両家の(ふ)なり。お国屋
※ 夫(ふ)➜ 仕事にたずさわる男。
お送り申し候て、御屋敷へ泊り、七日帰り、
九日また金吉(かねきち/屋号)の夫(ふ)に横砂へ行き、日帰り。
日雇金吉より、山十・金上より先分、共に六百文下され候。
※ 日雇(ひよう)➜ 日傭。日雇いの賃金。

十一日髪結○、十八、九日時分○、廿七、八日時分○、五月六日髪結○。
これまで、毎日雨天、八日より上天気に相成り西風。
十三、四日時分髪結○、廿にて三日時分また○、廿九日時分また○。
廿五日、横砂お国屋、向い(迎い)に行く。御屋敷積み附け、持参致す。廿六日帰り。
※ 積附(つみつけ)➜ 限られた空間に貨物を効率よく配置すること。
廿四日夜より、ほうき星出る。南より北へ差し込み申し候。
※ ほうき星(ほうきぼし)➜ テバット彗星。文久元年時の目撃記録、たくさんあり。

常三郎船出帆、手伝い壱人。十九日、太次郎船出帆。
廿日、三右衛門船出帆、手伝い壱人行く。
四月廿二日、西中村、向山平四郎殿、死去致す。香奠金壱朱遣す。
六月九日、市三郎船出帆手伝い壱人、見合わせのため、
また、十一日出帆に相成り、手伝い壱人。

(つづく)

どうやら記録帳の筆者の稼業は、口入れ屋(人材派遣業)や、運送業のようなものかと想像する。横砂との往き来は船を使っていたようで、近場の小口運送に、舟も使っていたのであろう。その辺は読み進むうちに、段々明らかになって行くはずである。


風鈴に初めて涼しさを感じた

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「文久元年記録帳」を読む 2


庭のサツキ

「文久元年記録帳」は他人に見せる積りのない日記のようなもので、しょっぱなから解読に大変苦労している。言葉の意味が判然としない、文の辻褄が合わないなど、はてなマークをいっぱい付けながらの解読になる。

ともあれ、「文久元年記録帳」の解読を続けよう。

三月八日、米穀高直に付、諸荷物運賃、壱割増しに相成る。
    糖砂(砂糖)  拾貫目に付 壱匁五厘
※ 壱匁(いちもんめ)➜ 銀一匁。銀六十匁で壱両。現代換算、1,250円。
※ 壱分(いちぶ)➜ 銀一分。壱匁の十分の一。現代換算、125円。
    糖(あめ?)  拾貫目に付 壱匁
    梅干      壱把(わ)   弐分四厘
    炭      壱俵    六分五厘
    斗入壱樽         五分七厘
※ 斗入壱樽(といりひとたる)➜ 「一斗入りの樽一つ」の意か。
    梅酢     壱本    弐匁
    竹皮紙くず  拾貫目   弐匁七分
    矢砂渋木   十貫目   壱匁七分
※ 渋木(しぶき)➜ ヤマモモの別称。
    縄      壱丸    五十五文
    淀岡     壱房  大 六十五文
               小 五十五文
    番茶     壱本    弐匁
                 外に心付け八分
※ 心付(こころづけ)➜ 祝儀。手当。チップ。
    草履     一(足)  大 弐匁七分五厘
               小 弐匁三分

その外、荷物壱割増しに、相宣(のたまわ)り申し候。
右に付、九日佐倉行壱人。十日新田より笠名、地頭方、
須ゝ木辺へ壱人、締めて三人。四百五拾文ずつ、一貫三百五拾文、丸二(屋号)より取る。
十八日、太次郎船出帆手伝い。十九日三右衛門船出帆手伝い壱人。締めて弐人、
五百八十文取る。廿五日、市三郎船出帆手伝い壱人。

近来、稀(まれ)なる米穀高直に付、印し置く。
  お米壱俵、金壱両弐朱と七拾文。
  大麦五斗入、横砂にて金三分弐朱と弐百文の由。
  つき麦壱升、百九拾文なり。小売に御座候。
  糖(あめ?)壱升、小売廿弐文売り。
  白米壱升、百八拾四文売り。
  上白、百八十八文売り。
※ 上白(じょうはく)➜ 上等の白米。
  荒布(あらめ)、百文に付、六百五十目。
※ 荒布(あらめ)➜ コンブ科アラメ属の海草で、日本海南部、太平洋側岩手以西の比較的浅いところに生育する。
外品々、何品にても、下直の品、壱つなるもなし。

(つづく)

読書:「古傷痕 新・知らぬが半兵衛手控帖 11」 藤井邦夫 著

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「文久元年記録帳」を読む 1


今年もアマリリスがたくさん花を付けた

今日から、「文久元年記録帳」を読む。講座のテキストに使おうと思ったが、内容がどうだか分らないので、まずはここで読んでみようと思う。時は幕末、遠州相良の町での出来事が記録されていると思うのだが、まあ前置きはこんな所で、早速読み始める。影本は字が細かくて判読に苦労しそうなので、このブログには出さない。

文久元年(1861)記録帳 酉三月吉日

           覚
一 近来稀(まれ)なる米穀高直(こうじき)に付、去冬より津留に相成り候所、
※ 高直(こうじき)➜ 値段が高いこと。

※ 津留(つどめ)➜ 封建領主が米穀その他の物資の他領との移出入を制限・停止したこと。
植田嘉兵衛船亀二郎乗り、大和屋徳兵衛船寅蔵乗り、米積み
入れ申し候に付、正月廿九日より騒動致し、二月十六日時分まで相掛り、
大きに入用相掛り候所、御役所より、金八十三両御下げ下され候。
※ 入用(にゅうよう)➜ 必要な費用。かかり。
もっとも、右船両艘ともに、御上様へ御取り上げに相成り候。

一 金子割合  福岡町  金三拾九両
        新町   金拾五両     〆八拾両也
        前濱町  金拾九両一分     外に三両
        市場町  金六両三分        諸々へ礼致す。

一 米穀高直に付、御上様より二月廿六日拝借、御下げ下さる。四ヶ町へ
金百両下さり、福岡町へ五拾両なり。壱軒に付、金壱分と百六拾五文ずつ
借用申し候。返納の義は、弐文ずつ日掛け致し、不利足、三ヶ年に返納
致し申すべく候。
※ 日掛(ひがけ)➜ 毎日一定の額の金銭を積み立てること。

(つづく)

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午後、駿河古文書会で静岡へ行く。

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「人道大意始学摘訓」を読む 22


「人道大意始学摘訓」 21P

「人道大意始学摘訓」解読の続き、20P7行目より。

篤斎大村先生は河内国の産にして、甫年(ほねん)より
※ 甫年(ほねん)➜ 新年。ここでは、「若い時より」の意であろう。
道を京師(けいし)に学ぶ。仕(つか)をすれども、屡(しばしば)不遇(ふぐう)にして、後、
※ 京師(けいし)➜ みやこ。帝都。京都を指す。
東武(とうぶ)に来たり、吾が矦(こう、田沼意次侯)に仕う。然れども光を包みて、
※ 東武(とうぶ)➜ 江戸の異称。
学を以ってせず。然るに、矦、遠州相良の縣(あがた)に、新たに築
城によって、ここに移る。奉仕の余暇、几前(きぜん)につかえて、
※ 几前(きぜん)➜ 机の前。
教えを請くるもの数輩なり。先生の学、勤(つと)めたりといえども、
人を導くに高尚(こうしょう)を以ってせず。下学(かがく)して上達せん
※ 高尚(こうしょう)➜ 学問・技芸などの程度が高く上品なこと。
※ 下学(かがく)➜ まず手近なところ、初歩的な事柄から学ぶこと。
事を教ゆ。一日、子弟に授(さず)ける書あり。これを世に施(ほどこ)さば、
童幼(どうよう)蒙学(もうがく)の士の一助ならん事を思うて、梓行(しこう)せんと
※ 童幼(どうよう)➜ 幼い子供。
※ 蒙学(もうがく)➜ 初学。初めて学問を学ぶこと。
※ 梓行(しこう)➜ 書物の出版。
乞う
に許さず。然れども、教化の益あらん事を
(しい)て、同志の輩、剞劂氏(きけつし)命じて、先生の蔵版(ぞうはん)と為(な)
※ 剞劂氏(きけつし)➜ 版木を彫る人。彫り師。
※ 蔵版(ぞうはん)➜ 版木・紙型を所蔵していること。
によって、その事を憶(おぼ)えに記事、しかり。
 旹(ときに)天明元年辛丑孟秋(もうしゅう)上旬
※ 旹(ときに)➜「時に」の意。
※ 孟秋(もうしゅう)➜ 秋の初め。初秋。
    遠州相良藩     杉本絢斎謹記

 始学摘訓 大尾         藤井氏仁兵衛

(21P最後まで、以上解読終り)

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浜松のOさんから、ラインが来た。返事はラインで返せばよいのだが、ラインは慣れないし、Oさんもこのブログを見ていると聞いたので、ここへ一報して置こう。5年前に病を得て、その後どうされているのか、気にはなっていたのだが、ようやく普通の生活に戻れたと聞き、何よりだと思った。別便で、当方の近況と「面白古文書12月」を送ろうと思う。

読書:「残情十日の菊 照れ降れ長屋風聞帖 2」 坂岡真 著

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「人道大意始学摘訓」を読む 21


「人道大意始学摘訓」 20P

「人道大意始学摘訓」解読の続き、19P15行目より。

死に臨みては猶更(なおさら)なり。この万物の理を明(あきら)めるは、書を
見ざれば明め難し。しかれども、経義の書のみなり。只管(ひたすら)
もてあそび味わうべきなり。中々容易(たやす)く説き尽すべき事に
あらざれだも、かくの如く始めを知らば、これより思いを起し、学文
※ 学文(がくもん)➜ 学問。
の心掛け出来るべき助けにもと、拙(つたな)きをかえりみず、和語
※ 和語(わご)➜ 日本のことば。大和言葉。
を以って説き著わし畢(お)える。然ると雖も、我の意を以って言う事にあらず。
※ 一分(いちぶん)➜ 自分ひとり。一身。
聖人の書より古(いにし)え賢哲先儒の書に言う所、聞く所
の事を以って、悉く述べたり。かつ、高明の人読みて笑うなかれ。かく云う。
    安永乙未首夏、庚子日 篤齊大村徹道著述。
※ 首夏(しゅか)➜ 夏の初め。初夏。
  始学摘訓 大尾
※ 大尾(たいび)➜ 最後。終局。終わり。

(20P6行目まで、以下続く)

明日で「人道大意始学摘訓」を読み終える。

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「人道大意始学摘訓」を読む 20


「人道大意始学摘訓」 19P

「人道大意始学摘訓」解読の続き、18P15行目途中より。

しかれども、今の人は慣わし悪く育ち、物に好き嫌いもあり。
かの七情の気が盛んに成り、中にも、欲と云うものが頭(かしら)にて、
※ 七情の気(しちじょうのき)➜ 怒・喜・思・憂・悲・恐・驚の七つの感情変化。
身分は貴(たっ)とからん事を思い、食物・衣類・居所・諸道具
まで、人に勝(まさ)りたく、色欲は勿論、我が分際(ぶんざい)に過ぎて、欲と
いうもの有り。それゆえ、中々聖人の真似もなる事ではなし。
しかしながら、聖人に成るましきとて捨て、天地の道に
背くと、たちまち禽獣の類にてあさましき事なり。
今国家の掟(おきて)尓にさえ背かねばすむと、破る人あれども、これ
は自暴(じぼう)の人と云いて、自らそこなうというものなり。また
我は生れつき、弱きによって、その通りには行われずと捨つる
人あり。これを自棄(じき)の人と云いて、自ら捨つるというものなり。
聖人の言行は、五経、四書、孝経などにあり。熟読、翫味(がんみ)すべきなり。
※ 翫味(がんみ)➜ 言葉や文章などの表している意味や内容などを、よく理解して味わうこと。
(そもそ)経学は甚だ近用のことなれども、遠き事のように、人々
※ 経学(けいがく)➜ 儒家の作った経典(経書)を研究する学問。
思いて、心掛けざるなり。詩を作り、文を書くなどするには、
さまざま広く見て、記得せざれば、よくし難し。経学は
※ 記得(きとく)➜ 記憶すること。心にしるしとどめること。
かくの如く博識をも好まざれども、たゝ万物の理に暗き
時は、今日の事業、身躰、動静(どうせい)にことごとく惑(まど)いあり。
※ 動静(どうせい)➜ たちいふるまい。動止。

(19P14行目まで、以下続く)

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「人道大意始学摘訓」を読む 19


「人道大意始学摘訓」 18P

「人道大意始学摘訓」解読の続き、18P最初より。

そこで死ぬる時、心を正しくせねば、邪氣に引き入れらるゝなり。これ
が仏家の迷いと云う所なり。その死ぬる時、気を正しくするは、
どうすれば正しく成るぞと云えば、右に云う書を読み味わい、万
物の理を明らめ、日月の物を照らす如くの心になりたれば、死ぬるは
かくの如くと、心に少しも妨げがないによって、正しき気の神霊
と成るなり。このあらましは、鬼神造化の理と云うものにて、中々
※ 鬼神造化の理(きしんぞうかのり)➜ 天地造成のすじみち。
書き尽くさるゝ事にてはなし。諸書に眼(まなこ)をさらし、理を明ら
かに見つけねば、尽きぬ事なり。先儒賢哲さえ異論あり。
※ 先儒賢哲(せんじゅけんてつ)➜昔の儒者や賢人・哲人。

又曰(いわ)く、聖人と云うは、何とすれば聖人という時、右に云う天地自然
の道に少しも違(たが)わぬ様に行なう人を聖人という。何人(なんびと)ぞ、吾れ何人
※ 舜(しゅん)➜ 中国神話に登場する君主。聖人と称せられた。
そ、と云うた如く、聖人も我も人なり。その中に生知安行と云
※ 生知安行(せいちあんこう)➜ 生まれながらに物事の道理に通じ、安んじてこれを実行すること。
うて、生れながら知り、安らかに行なう孔子の如きもあり。又
学知理行と云うて、学で知り道を、守り理(おさ)め行なうもあり。
※ 学知理行(がくちりこう)➜ 学知利行。人が踏み行うべき人倫の道を後天的に学んで理解し、その正しさを知り認めて、初めて実践すること。
聖人になるも別の事はなし。聊(いささ)かも天の道に違わぬ様に、
しばしも心にたゆみなく、身に行えば、聖人になるなり。
※ たゆみなく(弛み無く)➜ 勢いが弱まったり、心が萎えたり、怠けたり、といったことがないさま。

(18P15行目途中まで、以下続く)

読書:「招き猫 新・知らぬが半兵衛手控帖 9」 藤井邦夫 著

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「人道大意始学摘訓」を読む 18


「人道大意始学摘訓」 17P

「人道大意始学摘訓」解読の続き、16P16行目途中より。

ここに、陽気が尽き切るかと思えども、尽き切るにては
なし。一陽来復して、先天の気が去れば、後天の気
※ 先天の気(せんてんのき)➜ その人が生まれながらに持っているエネルギーのこと。
※ 後天の気(こうてんのき)➜ 暮らしの中で補充できるエネルギーのこと。
続きて、子供も成長して跡つぎが出来て、有る時に、我身は
先天の気が去りて、後天の気ばかりに成る故、死ぬなり。
(たと)えば燈火(ともしび)の如く、燈心の形はあれども、陽気に燃え立つ
油がなくなりて、後天の気の油を注(つ)ぎ添えねば、火を灯(とも)
したあとの、燈心の形ばかり残りて、火が消える様なも
のなり。

さて、陽を魂(こん)と云い、陰を魄(はく)と云う。死ぬると魂気が
すと云いて、ばっと散りて居るなり。それゆえ、筋目の謂(いわ)れを以って
※ 飄散(ひょうさん)➜ 飛び散ること。
誠を尽くし、敬を極め祭(まつ)れば、先祖の考妣(こうひ)神霊が請け
※ 考妣(こうひ)➜ 考は亡父。妣は亡母。
※ 神霊(しんれい)➜ 霊妙な神の徳。神の霊験。
らるゝ事なり。死んで魂魄ともになき事ならば、先祖の祭りも
いらぬものなり。然れども、五世にして神尽きると云う事有り。後には
消ゆるなり。それとも、百世不遷と云う。末々までも祭る霊あり。喪禮、
※ 百世不遷(ひゃくせいふせん)➜ 永久に移らずに残ること。
※ 喪礼(そうれい)➜ とむらい。
祭禮は、委(くわ)しく「文公家禮」(書物名)に見えたり。その意を以って、日本にて
も行わるゝなり。

さて、死ぬ時、心にかゝる事有りて、魄(はく)のたましい
に凝(こ)ると、魄のたましいは陰気ゆえ、陰気には邪気が添う物
※ 凝る(こる)➜ばらばらのものが集まって固まる。
なれば、その邪気が添いて、幽霊が出たり、祟(たた)りをなしたりするなり。
陽気にハ邪気は寄らぬものなり。その証拠は、幽霊の昼出る
事もなし。妖(あや)しき事の昼有る事もなし。狐狸も昼化けて出る事
はならぬなり。それも深山か、海中などの、昼も陰気盛んの所は、昼
も妖しき事があるなり。これ陰気に邪気の添う験(しるし)なり。

(17P最終行まで、以下続く)

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夜、区の総会があった。急に指名されて、会計報告をした。(前もって言っておいてよ。)区長の最後の仕事であった。

読書:「浪人奉行 十二ノ巻」 稲葉稔 著

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「人道大意始学摘訓」を読む 17


「人道大意始学摘訓」 16P

「人道大意始学摘訓」解読の続き、15P17行目途中より。

三民はただ家業を大切に
つとめ、孝弟忠信の心掛けさえすれば、済むものなり。士のごとく、
万事通達(つうだつ)なくても済むものなり。右の如く生(いき)て居る
※ 通達(つうだつ)➜ 物事の理を明らかに悟り知ること。深くその道に達すること。
所の仕業(しわざ)ハ、四民ともに、五常五倫の道を、わが家業とともに
※ 仕業(しわざ)➜ 行為。所業。
※ 五常五倫(ごじょうごりん)➜ 仁・義・礼・智・信の「五常」と、父子の親、君臣の義、夫婦の別、長幼の序、朋友の信の「五倫」。
行い果すが、天の道を尽くすと言うものなり。右は大條(おおすじ)
云うまでにて、書によって見るべし。

また曰く、生涯の間は右の通りなれども、人の死ぬると云うは如何にと
いう時、人の生死(しょうじ)は、天地・陰陽流行、昼夜・四季の造化
※ 造化(ぞうか)➜ 造物主によってつくられたもの。自然。
の如し。春芽の出るは、前年の霜月から、地中に陽気が
根ざして居るなり。是を一陽来復と云う。その陽氣が
※一陽来復(いちようらいふく)➜ 陰が窮まって陽にかえること。冬が去り春が来ること。
だん/\長じて、二月の中と云う時、陰陽等分に成る。そこ
で、陰陽の気が和合するによって、種の口を開いて芽を
出すなり。これが人の生れるようなものなり。夫よりだん/\
長じて、夏になり茂るなり。これが人の若盛(わかさかり)の様なもの
なり。さて、秋に成りて実(みの)るなり。これが人の四十、五十の時の如く
にて、物事成就したる形なり。夫より冬になり、だん/\
衰え、草木の葉も枯れ、陽気はうすく、陰気ばかりに成る
故、死ぬるなり。

(16P16行目途中まで、以下続く)

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金谷宿大学の「古文書に親しむ」講座、午前中初心者、午後経験者の講座を実施した。

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