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道聴塗説 その二 2

(裏の畑の雑草「ハコベ」の花)

冬枯れの、裏の畑で、今、緑がめだつ雑草に、小さな白い花が咲いていた。ネットで「雑草図鑑」で検索すると「ハコベ」という名前であった。正式には「コハコベ」、越年草で春の七草の一つであるという。色々な知識が入ってくる。

午後、「古文書に親しむ(経験者)」講座に行く。初年度も残すところ2回となる。3月の成果発表会の打ち合わせをする。発表会では学んだ中から「大井川川除御普請増永願書」を取り上げ、前回見学した堀本古文書館を紹介し、「聖牛」や「沈枠」などの設置例などを紹介する予定である。

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「道聴塗説 その二」の解読を続ける。仏教説話集のようなものだろうと考えていたが、仏教を正面から勉強した人が読むような、浄土宗、浄土真宗の理論書のようになってきて、実のところ、半分も理解できなくなってきた。しかし、これも江戸時代の人が読んできた本の一部であるには違いない。読み終えた部分は、まだ二割ぐらいの所であるが、頑張って最後まで読み切ろうと思う。

起信論に、事識見、業識見と申すことあり。事識とは万法は唯心なりと知らず。心外に実境を見て、計度分別するを云う。この事識にて、仏を見るは、八十老比丘の像など、凡夫、二乗の所見の応身なり。
※ 識見(しきけん)- 物事を正しく見分ける力。また、優れた意見。
※ 計度分別(けたくふんべつ)- 対象について分別心をもって区別を立て推量する心の働きをいう。
※ 二乗(にじょう)- 声聞乗 (しょうもんじょう) と縁覚乗 (えんがくじょう) のこと。前者は,釈尊の教えを直接聞いてこれをそのまま実践することであり、後者は単独で悟りを開く実践をいう。いずれも、大乗仏教では、二乗は成仏できないと非難されている。
※ 応身(おうしん)- 世の人を救うため、それぞれの素質に応じてこの世に姿を現した仏。釈迦など。


また業識とは唯心の外に実境なしと知る。十住已(以)上の菩薩の所見の報身如来、無分斉の色、これなり。されば、今の凡夫、臨終に来迎などを見るは、事識の境なり。ただこの来迎などに限らず、今日、眼前一切の境界を心外の法と認めて、違順愛憎するもの、皆な妄想なり。何ぞ来迎をのみ妄想と言わんや。
※ 十住(じゅうじゅう)- 菩薩が修行して得られる菩薩五十二位の中、下位から数えて第11番目から第20番目の位をいう。菩薩が信を得て進んで仏地に住する位をいう。
※ 分斉(ぶんざい)- もののけじめ。くぎり。
※ 無分斉の色(むぶんざいのしき)- 娑婆と浄土のくぎりのない、物質や現象。
※ 違順愛憎(いじゅんあいぞう)- 心に順うものには貪愛の心をいだき、心に違うものには瞋憎の思いをいだくこと。自分に従うものは愛し、心に違うものは憎むこと。


また/\、念仏三昧は見仏の法なれば、凡そ三種の見仏あり。一には、現身見仏、かの韋提(希)夫人の如きは、或は善導などの師、三昧発得して現身に如来を見給う。二には、臨終見仏、これ諸往生の如き、その相は往生伝などに載せたり。三には、彼土見仏、これは下輩の往生の類いなり。大経に、夢に彼仏を見ると説き給う。多くは胎生なり。
※ 見仏(けんぶつ)- 仏の姿や光、あるいは浄土のさまを、目のあたりに見ること。
※ 韋提(希)夫人(いだいけぶにん)-「観無量寿経」より。古代インドのマガダ国王ビンビサーラの王妃。
※ 彼土(ひど)- 浄土。
※ 胎生(たいしょう)- 四生(ししょう)の一。母胎から生まれるもの。人間や獣の類。
※ 摂(せつ)- 取り込む。
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