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「慶應四年日録/徳元」を読む 9

裏の畑のアジサイ(墨田の花火)

「慶應四年日録/徳元」の解読を続ける。

  廿二日  晴れ
年番引き渡し、伝左衛門殿へ致す。洞村角左衛門、今般農兵
御廻状の義に付、相談として参り、種々談示の処、
何れにも、御申し渡しの義、承り候上の勘考、相談の積り。
※ 勘考(かんこう)➜ よく考えること。思案。

  廿三日  晴れ
大御通行。出勤。昼より、権左衛門殿皆済。不足、田地
にて引き取る。代金を以って、銘々へ請け取る。廿三夜待ち致す。

  廿四日  曇り、晴れ
今晩より下り方、早追(はやおい)、多分これあり。兼ねて最寄り組合、外組(ほかぐみ)とも、
※ 早追(はやおい)➜ 急使を馬や駕籠に乗せて昼夜兼行で伝送すること。
強壮人取締り、向きの義に付、御廻状に付出府。御役所へ罷り出候処、
※ 強壮人(きょうそうにん)➜ 心身が強く盛んな人。特に、体がじょうぶで元気な人。
行速事、控えの通り仰せられ候間、その段、外組も御請け印仕り
※ 勤行(きんこう)➜ つとめ行うこと。
※ 速事(そくじ)➜ 即時。すぐさま。即刻。即座。

候に付、印形致し候。出府道、古庄へも鳥渡(ちょっと)立ち寄り、愛宕山様
へ参詣致し、出口へ立ち寄る。
(つづく)
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「慶應四年日録/徳元」を読む 8


5月19日、無草庵より、臨済寺の甍
無草庵は臨済寺裏山の中腹にある茶室である
無草庵へは、左に見える回廊になった階段を登る

「慶應四年日録/徳元」の解読を続ける。 

  十九日  曇り、晴れ
当辰年番の義、伝左衛門殿引請け候積り。就いては、明後廿一日、
地方御用箪子(だんす)、非常立ち退き方の義、相談致したく候。その節
弁天前、地方持ち田地の義、相談の上、申し付け候積り。今日、関東
大蒸気船参り。駿府城固め人数、武器の由。土蔵
壁大直し致す。

  廿日  晴れ、西風
去卯暮れ、宿賄い金銭、請け払い、取り立て物など、勤定致す。

  廿一日  晴れ
会所出勤、昼後より出会致す。弁天前地方持地、三俵にては、
若者引き合い申さず候に付、祭礼御神酒米、集め候か、または、改め
て弐俵預け致され候かの処、米集めなど致し、若者為筋(ためすじ)にも
※ 為筋(ためすじ)➜ 利益になる事柄。
相成りまじく、且(かつ)は、田地若者仕付候ては、却って入用なども
相掛り候趣に付、相成候わば、三俵にて、ほか小作致させ候て
然るべし。もっともの旨、万一小作これ無き節は、三俵預けにて米集め
致させ候積り。地方(じがた)御用箪笥、非常立ち退きの処、談示(だんじ)(あらあら)
取り極め置き候。御年貢皆済、権左衛門殿不足多分に付、右の段、
地方年番引き渡し、差支え候旨を以って申し談じ、田地にて引き取り候積り。
なお弥右衛門殿、弥平二とも、談示致し候。
(つづく)

読書:「相討ち 徒目付 久岡勘兵衛」 鈴木英治 著
読書:「楼閣 闇の西洋絵画史 9」 山田五郎 著
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「慶應四年日録/徳元」を読む 7

5月19日、臨済寺庭園

井口のOさんから、「法興山大徳寺由緒」の解読文が着いたと連絡があった。
固有名詞だけは、地元でわかる分は確認してほしいと念を押した。

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「慶應四年日録/徳元」の解読を続ける。難解な解読が続く。昨日は解読が間に合わなくて、ブログを休んだ。一応解読はしているが、疑問符付きの部分が多く残った。

    十七日  晴れ
東西風説、如何
(いかが)と存じ、会所へ出勤。一作、治三郎、新左衛門。
昼に帰宅致し、休息の処、諸事見合わせ、渡世なども、
余義無き分ばかり致し候積り。

    十八日  晴れ、曇り

横砂惣兵衛殿来たる。助郷初出會の日。宿方、諸向き談
示。宿人足七拾人、これ不足。日々多分に付、これを割増、分銭
※ 分銭(ぶんせん)➜ 中世、田畑にかかる米・絹などの年貢に代わって納めた銭貨。
百文に付四文づつ引き去り候処、この分の内、壱文は、前々の通帳
※ 引き去る(ひきさる)➜ さしひいて除く。
方不足引に致し、三文の分、歩行割に相渡す。これ不足、取脳
(悩)
致させ候積り。炭・油・薪代の義は、前々より帳分請負の処、
これも前々振合
(ふりあい)を以って、歩行割請負致させ、宿籠、桐油、
※ 振合(ふりあい)➜ 他との照らしあい。他との比較。釣り合い。
ふとん、提灯
返しとも、凡そ見積り、壱ヶ年金六拾両にて、歩行
※ 煩物(はんぶつ)➜ 煩わしきもの。
方請負致さす。これまで、早追
(はやおい)賃銭七分五厘増しの分、
※ 早追(はやおい)➜ 江戸時代、急使を馬や駕籠に乗せて昼夜兼行で伝送すること。また、その馬や駕籠。
歩行割へ相渡し候様、申し付け候て、帳付方へも、右の段、申し談ず。
旅籠屋願い向きの儀、それぞれ申し談じの上、足銭了簡の義、
※ 足銭(たしぜに)➜ 江戸時代の街道の宿から旅籠屋への補助金。
※ 了簡(りょうけん)➜ よく考えること。よく考えて判断すること。思慮。分別。方策。

増し方相願いたき旨の処、米相場追々下直に付、増方は相成らず。
宿帳の義、取り締りのため相廻りたき旨、これは廻り人、相極め、足し銭料、
壱人に付、何程
(なにほど)請け取り候と、治定申し出るべく、その上提灯相渡
※ 治定(じじょう)➜ 決定すること。
すべき旨、申し付け候。
目録割致し、壱人弐分壱朱、請け取るべし。
(つづく)
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「慶應四年日録/徳元」を読む 6

5月19日、静岡臨済寺本堂

6月2回分、駿河古文書会の課題、予習終わる。続いて、7月の2回は、自分の当番である。資料提出が来月半ばごろだから、早いうちに課題を解読して置かなければならない。

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「慶應四年日録/徳元」の解読を続ける。

  十五日  晴れ、西風烈しき
清地村平助殿へ、年始に出づ。去
(きょ)卯、借用金弐百七拾五両、
元利の内金、四拾両なり。五郎兵衛殿へ取り替え、差引残高、去卯
平助殿、持地
(もちじ)皆な済み、差引残金三拾三両三朱相渡候
※ 持地(もちじ)➜ その人の所有している土地。
て、皆な済む。

  十六日  寒気強し
関東勢、大坂にて敗軍の由にて、歩兵ら通行致す。
駿府詰めに、歩兵百弐拾人ばかり参り候。古老参り、時勢
物語りの処、実に憂苦
(ゆうく)の至りに候。
※ 憂苦(ゆうく)➜ 心配し苦慮すること。
(つづく)
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「慶應四年日録/徳元」を読む 5

5月19日、雨の中、臨済寺一般公開の行列

「慶應四年日録/徳元」の解読を続ける。

    十二日  晴れ
壁土取り致す。質物新帳へ写し、備う間、庵原屋忠へ米売り渡す。但し、
御蔵米四拾五俵。拾両に付、四俵四分七の替え。作米五拾俵。五俵替え。代
金、手付拾両なり、請け取る。瀧老母、参り泊り。

    十三日  晴れ
庵原屋忠兵衛より、金百九拾両なり、請け取る。残金弐両弐朱余、追っての積り。
暮れ、横砂、惣兵衛儀方にて、五拾両借用の分、卯年中、惣差引、
残金とも、元利五拾五両壱分三朱余り相渡す。

    十四日  雨
今日は静かの雨に候処、下り方、早追
(はやおい)多く、西国筋、物騒(ぶっそう)
※ 早追(はやおい)➜ 江戸時代、急使を馬や駕籠に乗せて昼夜兼行で伝送すること。また、その馬や駕籠。
の様子。

(つづく)
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「慶應四年日録/徳元」を読む 4

5月19日、臨済寺見学に駐車を頼んだ木工場で見かけた社寺模型
作者は宮大工で、ここまで出来れば、現物を作るのも可能だという

朝からかかって、古文書講座受講者のOさんに依頼を受けた、地元のお寺の由緒を記した書類、解読を終えた。解読分はA4で10枚ほどにまとめた。次回講座で渡そうと思う。原文は大正時代のものだが、筆がペンに変わり、かながカタカナになっても、これも紛れもなく古文書で、解読対象である。しかも結構時間が掛かった。

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「慶應四年日録/徳元」の解読を続ける。 

    九日  晴れ
昨日、失火の処、当稲村のみにて事静まり、宿内一同より、信心、
御墓参り致したく、依っては、節句触れ相願い候趣、百姓代申し出候間、
※ 百姓代(ひゃくしょうだい)➜ 名主(庄屋)、組頭(年寄)と並ぶ村方三役のひとつ。
問い合わせの上、触れ出し致し、節句神詣で致す。裏、源兵衛殿へ、
昼後出で、馳走に相成り、夕刻帰宅。

    十日  晴れ
この年帳面、下拵
(したごしら)え致し、皆な済む。未進分催促、相廻し候。
※ 未進(みしん)➜ まだ果たしていない義務・約束。

    十一日  晴れ
帳綴(ちょうとじ)致す。祝儀、目出たく小作取り極め、酒差し出し候。同印形
取り、会所よりも祝義申し参り候えども、小作判取りなどこれ有り、差し
揃え相成らず候間、その段、相頼み遣わす。生命祝いに鳥飯致す。
※ 生命祝い(せいめいいわい)➜ 不明。長寿の祝いを指すのか?
(つづく)

読書:「切腹 鬼役 十ニ」 坂岡真 著
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「慶應四年日録/徳元」を読む 3

静岡浅間神社内の浅間(あさま)神社(左)と神部神社(右)
二社が並んで祀られている

「慶應四年日録/徳元」の解読を続ける。 

    六日  晴れ曇り
暦、頭書致す。小作、取り調べ致す。
※ 頭書(かしらがき)➜ 書物の本文の上の欄に注や解釈、その他の書き入れをすること。

    七日  晴れ、西風烈(はげ)
右同断。今日会所、暮れ勘定致すべきの処、昨暮れ
、賄い過金
※ 過金(かきん)➜ 多く入金してしまうこと。
これ有り。余り、猶豫(ゆうよ)相付け候様の義、これ有り候ても、
※ 猶豫(ゆうよ)➜ 実行の日時を延ばすこと。
宜しからず候間、右勘定は十四日後に致し候積り、一作殿方にて相談致す。
その人、儀兵衛、伝右衛門両人。

    八日  晴れ、西風烈し
帳、表紙
。沢端、川東縁(ふち)、土手外にこれ有り候稲村に失火これ有り、
※ 稲村(いなむら)➜ 稲の乾燥のために稲掛けに掛けた稲の束。稲叢。
殊に西風の処、大騒ぎ致す。
(つづく)
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「慶應四年日録/徳元」を読む 2

静岡浅間神社内、八千戈神社
浅間神社の中では、東照宮はここに祀られているらしい

午前中、免許書き換えに島田警察署に行く。認知症検査と高齢者研修が済んでいるから、免許書き換えに30分と掛らなかった。次回書き換えは3年後、年齢は80才になる。

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「慶應四年日録/徳元」の解読を続ける。
 
    三日  晴朗
休息。

    四日  曇り、晴朗
江尻辺り清水まで年頭、名代助蔵を遣(つか)わし候。八木間、
谷津、洞村へ、弥作名代、年頭致す。寺院年頭相
済み、夕刻より山場廻りながら、燈(ともしび)相熾(おこ)し候。
※ 山場(やまば)➜ 山間の土地や村。

    五日  晴れ、西風
同勤の処へ年頭に出る。御状箱の処、昼より罷り出で、
※ 同勤(どうきん)➜ 同じ所に勤めること。また、その人。同僚
※ 御状箱(ごじょうばこ)➜ 継飛脚を通じて送られる公用文書で、革籠(かわご)などに入れてあった。
会所に相待ち居り候えども、到来致さず引き取る。夜に入り
御状箱到来の所、駿府、勢州だけにて、これ有り候。
(つづく)

読書:「骨を追え ラストライン 4」 堂場瞬一 著
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「慶應四年日録/徳元」を読む 1

静岡浅間神社内、大歳御祖神社
改装なったうるしが光っている
昨日夜、区の自治会の令和4年度総会、監査委員として監査報告をした。総代の最後の残り仕事であった。

今朝、女房と掛りつけ医に行く。この季節になって、インフルエンザが流行っていると聞く。そういえば、昨年接種したワクチンも効果が切れている頃である。

今日から、「慶應四年日録/徳元」という、興津中宿町名主、朝比奈幹四郎徳元という人の書いた、慶應四年の日記である。

影本のコピーはしばらく前に手に入れていたが、大変な癖字で何とも難解で、しばらく手を付けないでいた。今回解読にチャレンジしようと思う。時間が掛かりそうで、一日に沢山は読めそうにない。150頁ほどあるから、ゆっくりと読んでみよう。江戸から明治へ世の中が大きく変動していた時代、東海道筋の往来も激しかったと思う。どんな話が飛び出すか、楽しみである。

朝比奈幹四郎徳元がどんな人なのかは、読んでいけば追々判明すると思う。何しろ難解だから、間違いを恐れずに解読しようと思う。

それでは、「慶應四年日録徳元」の解読を始めよう。当方の責任で、わかりやすいように、読み下してあるので、ご了解願いたい。

 徳丸、慶応四年(1868)日録
  戊辰元旦  晴朗
※ 晴朗(せいろう)➜ 空が晴れて雲の無いさま。
取立皆な済み、諸々渡し物残らず相渡し、年を越す。会所諸役、
割けの
義も滞りなく相済み、引き渡し(に)出張り致したく申し参り候処、
昨夜取り立て終夜致し、休息中に付、断わり
候。

    二日  晴朗
家別残らず門松相建て申し候。これは、嘉永七寅
(1855)
までは、家別残らず門松相建て候処、同年十一月、震災の後より
※ 震災(しんさい)➜ 安政の大地震。
これまで、引続き
(門松を)相休み候処、昨十月、諸神仏御札降の節より、
大いに人気
(じんき)引き立ち候故、(こと)申さざらば、人気(に)
※ 御札降臨(おふだこうりん)➜ ええじゃないか騒動を指す。
※ 人気(じんき)➜ 人の生気、活気。人が群集してつくりだす気配。
※ 言申さず(こともうさず)➜ 門松を立てることに、異義を申さない。
※ 一同(いちどう)➜ 同じであること。同一。
相成り、当春、皆な門松相建て候間、年頭に今日より出(い)づ。
※ 年頭(ねんとう)➜ 新年の祝詞を述べるために、親戚・知人・近隣を訪問すること。
初めて、忰
(せがれ)基太郎を、宿内横砂まで、名代年頭に出す。
※ 名代(みょうだい)➜ ある人の代わりを務めること。代理。
(つづく)
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徳川家康ゆかりの社寺巡り(5月19日)

静岡浅間神社楼門

本日、午前、午後と金谷宿の「古文書に親しむ」講座、初心者と経験者の二つを実施した。この2講座、今まで少し堅かったと感じ、今年から少し雑談を増やして、皆んなの発言を促して、緩やかに進めたいと思った。その結果、教材の進みが遅れてもやむを得ないと思った。そのように実施した結果、教材の進み具合は遅れたが、皆んなの意見を聞けるようになったと思う。受講者の満足感はその方が高まると実感した。

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「徳川家康ゆかりの社寺巡り」
昨日(5月19日)、金谷郷土史研究会の最初の行事として、「徳川家康ゆかりの社寺巡り」に参加した。朝8時、車を出してくれるNTさんの自宅へ集合、6名で雨が降る中、出発した。前会長のKSさん、現会長のOMさん、元石工のORさん、最高齢のKYさん、文化財建築に造詣の深い、建築士のNTさん、そして自分の6人である。

コースは、浅間神社 ー 臨済寺 ー 歴史博物館 ー 久能山東照宮 ー 清見寺であるが、この雨模様では、すべては行けないだろうと思う。
(続きは明日)

読書:「聖獣 闇の西洋絵画史 8」 山田五郎 著
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