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峡中紀行上 18 九月十一日、藩主寿蔵と碑文のこと

(二冊目のお遍路自費出版本「四国お遍路まんだら再び」が出来た。)

2度目のお遍路から3年にして、漸く「四国お遍路まんだら再び」が出版できた。一冊目と同じ部数を刷ったが、現役の時と違い、世間が随分狭くなった。前回進呈した中に亡くなった方も何人かいる。ともあれ、前回進呈した方から、配って行こうと思う。是非読んでみたいと、ご希望の方はコメント下さい。

お遍路の記録の本は世に沢山出ているが、本来の八十八ヶ寺に別格二十ヶ寺を加えた、百八ヶ寺を同時に歩いた記録は少ないと思う。百八ヶ寺を目指そうとする人には大いに参考になると思う。

荻生徂徠著の「峡中紀行 上」の解読を続ける。

東、躑躅崎と、また一道を隔(へだ)つ。菁莽往くべからず。則ち田間逕に沿いて、新たに金を布く処に至り。に上れば、群有司皆在り。行厨を啓(ひら)く者有り。松蕈(まつたけ)を喫す。美(うま)きこと甚し。廠を下れば、工役雑沓、予の堪えざる所の者なり。径(まっすぐ)寿蔵の所に詣る。地高く敞(ひろやか)にして、景、太(はなは)だ勝れり。
※ 菁莽(せいぼう)- 青々と茂った草むら。
※ 田間逕(たまみち) - 田の中の小道。あぜ道。
※ 金を布(し)く処 - 建立のお寺。(「黄金を布きて伽藍を為す」の慣用句。)
※ 廠(しょう)- 壁仕切りのない、ただっ広い建物。小屋。
※ 群有司(ぐんゆうし)- 諸役人。
※ 行厨(こうちゅう)- 弁当。
※ 工役(こうえき)- 土木などの工事。普請。
※ 雑沓(ざっとう)- 雑踏。人々が大勢集まってこみあうこと。人ごみ。
※ 寿蔵(じゅぞう)- 生前に自分で作っておく墓。


懐中よりして、藩主製作する所の碑文の藁を出して、これを誦す。予と省吾、四つの目、眺望する所、毫髪も忒(たが)いは非ず。皆嗟嘆して以って謂わく、神なりや、藩主の明能、千里の外を見るになりと。予独り曰く、吾が二人は祇役にてここに来たる。これが為の故なり。而今而後徒行と謂うべしや。皆大いに笑う。
※ 藁(わら)- 藁紙、藁半紙のこと。
※ 毫髪(ごうはつ)- ほんの少し。
※ 嗟嘆(さたん)- 非常に感心して褒めること。
※ 明能(めいのう)- 物を見る能力。
※ 祇役(しえき)- 藩主より畏まった役。
※ これが為 - 徂徠が現地を見ずして書いた碑文に間違いが無いかどうか確認のため。
※ 而今而後(じこんじご)- 今から後は。
※ 徒行(とこう)- 無駄な旅。


遂に背後より山に陟(のぼ)り、躑躅崎を訪う。山脊に縁いて行くこと(一)許り、皆蓁蒙、蹊(みち)なく頗る手足を突き傷するに至る。躑躅もまた甚だ盛んならず。稍(やや)(たいらか)なる処を得るに及ぶは、迺(すなわ)ち機山生平游賞する処、相伝う。嘗(かつ)て小亭の在有りと。ただ数四つの石頭、依稀として柱礎に似たるものを見るのみ。
※ 山脊(さんせき)- 山の背、尾根。
※ 里 - 一里は条里制による一里で、654メートル。
※ 蓁蒙(しんもう)- 草むらが覆いかぶさるさま。
※ 生平(せいへい)- 平生(へいぜい)。ひごろ。ふだん。
※ 游賞(ゆうしょう)- 遊賞。自然に遊び,風景を観賞すること。
※ 依稀(いき)- よく似ているさま。


帰りて邦大夫と、明日西游(遊)の事を謀り、寝(い)ぬれば、則ち鶏鳴くなり。


これで「峡中紀行 上」の解読を終える。明日より、「峡中紀行 中」の解読を始める。半月ほど掛かるであろう。
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峡中紀行上 17 九月十一日、信玄陣屋跡

(庭のクンシランの花)

午前中、「のんきな夫婦」さんから電話があった。今、三角寺だという。2度目のお遍路で、愛媛の終りまで来ている。年賀状に春、お遍路に出掛けると知り、「~再び」の原稿を仮綴じして、参考にと送ってあった。用件は宇和島のじゃこてんを現地から送ったというもの。昨夕届いて、お礼の電話をしなければと思っていた所であった。昨年のイベントの影響で、遍路宿が予約に苦労するほど、お遍路さんは多いと聞いた。来月10日過ぎには結願する予定だと聞いた。羨ましい。

荻生徂徠著の「峡中紀行 上」の解読を続ける。「上」は明日で読み終え、引き続き「峡中紀行 中」の解読にかかる予定である。

十一日、旧治の所を観んとす。邦太夫、小吏一名を差し遣して導きと為す。に近うして館を出て、道を城址に取りて行く事、四、五里で至る。則ち僅かに二、三百歩。東都一関中侯の大きさのみ。塁石存せず。湮没、ただ土城髣髴として形勢有るが若きなり。口凡そ四つ、その東なるものを端門とするに似たり。而して、内城一層、台址その西北の隅に在り。極めて庳(ひく)し。
※ 旧治の所 - 武田氏の治めし陣屋の跡。
※ 小吏(しょうり)- 地位の低い役人。小役人。
※ 巳(み)- 巳の刻。午前十時ごろ。
※ 東都一関中侯 - 江戸の小大名。
※ 第(てい)- やしき。邸宅。
※ 塁石(るいせき)- 城の土塁や石垣。
※ 塹(ほりき)- 城の周囲にめぐらした堀。
※ 湮没(いんぼつ)- 跡形もなく消えてなくなること。
※ 髣髴(ほうふつ)- ありありと想像すること。
※ 端門(たんもん)- 正門。


嗚呼、機山の英武にして、五州の兵を擁し、威、東諸侯に震いて、敢て抗する者有ること莫きを以って、迺(すなわ)ち、この若(ごと)くそれなり。能(あた)う国を以って、城となるものと謂うべしや。後主のこれを学ぶこと能わず。宣(うべ)なるかな。
※ 英武(えいぶ)- 武勇にすぐれていること。
※ 五州 - 甲斐、信濃、越中、飛騨、上野の五州。
※ 陋(ろう)- 場所が狭い。


導者その西、竹林中を指さして、これ当時、夫人衆、姫の居る所なり。ただ一條、路を隔て、環すに小塹を以ってす。南に部婁数尺なる有り。豈(あに)その台榭か、或は假山の設くる所か。奇石幽葩、往々榛棘の間に点綴す。人をして潸然として姑蘇釆香の想を生ぜしむ。
※ 部婁(ほうろう)- 小さな丘。
※ 台榭(だいしゃ)- 台は,土をつき固めて築いた方形の高台。榭は高台の上に木造の建物を築いたもの。この種の高台式建物を台榭と総称する。
※ 假山(かざん)- 築山(つきやま)のこと。
※ 幽葩(ゆうは)- 珍しい花。
※ 榛棘(しんきょく)- いばらなどが乱れ茂った所
※ 点綴(てんてい)- 点を打ったように、物がほどよく散らばること。
※ 潸然(さんぜん)- 涙を流して泣くさま。
※ 姑蘇釆香の想 - 呉王の姑蘇台にて婦女と共に菱香を採りて娯楽せしも、後には麋鹿(大鹿と鹿)のあそぶ所となったとの故事。


小吏語りて曰く。この竹や、闊節にして堅緻、久しくに耐えて蝕(むしば)まず。大小(ひと)しく、本末有ることなし。これ旗竿に宜(よ)ろし。これを視れば、果して然り。
※ 闊節(かっせつ)- 節と節の間が広い。
※ 堅緻(けんち)- 堅固で緻密なこと。
※ 本末なし - 根元と先で太さが変わらない。
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峡中紀行上 16 九月十日、天守台眺望(3)

(畑のブロッコリーの花)

ブロッコリーは収穫が終り、摘み残った花芽が咲いたものである。

荻生徂徠著の「峡中紀行 上」の解読を続ける。

(やや)低きは鰍沢口の在る所、衆山(山々)左右に富士川を束ねて、これを過ぎて、益々張り、遂に灝瀚汪瀁と成る。両州の人、その山を鋳し、海を煮るの利を通ずることを得るは、これ有るを以ってなり。
※ 灝瀚汪瀁(こうかんおうよう)- 浩瀚汪瀁。水が深くて広大なさま。
※ 両州 - 甲斐と駿河。
※ 山を鋳し、海を煮る - 甲斐の金山と駿河の製塩を示す。それぞれの産物を富士川を通って交易する利を表わしている。。


また右、楢田山、益々これ右にして則ち、農鳥、農午、鳳皇(鳳凰)、地蔵、駒嶽、次第に遞列して、以って北方、金峯と相接するものなり。州、殆んど壺中に在りて天を観る如くなり。その二農(農鳥、農午)の上に巌然たるは、これを白嶺と謂う。これを望めば稜々として畏るべし。窮髪、冬時毎に先ず雪降る。その皎々として草木のこれを翳虧すること有ること莫きを以ってか。これ最も風人の口に藉甚する所以(ゆえん)か。
※ 遞列(ていれつ)- 横へ横へと連なる。
※ 窮髪(きゅうはつ)- きわめて遠くへんぴで草木のはえない土地。不毛の地。
※ 顛(てん)- てっぺん。物の先端。
※ 皎々(こうこう)- 白く光り輝くさま。
※ 翳虧(えいき)- かげり欠けること。
※ 風人(ふうじん)- 風流を好む人。風流人。
※ 藉甚(せきじん)- 評判の高いこと。


その前に皚然たるは、これを三敕使の川と謂う。川流甚だ漲(みなぎり)てあらずと雖も、独り長の、望(ぼう)を弥(わたる)。白砂銀を湧かし、夕陽これに映ず。明月これに借さば、これその奇観ならん。或が曰く、地蔵嶽の霊を発するがために、皇華三度これに臨むと云う。
※ 皚然(がいぜん)- 白々としているさま。白いさま。
※ 皐(こう)- さわ。岸辺。
※ 皇華(こうか)- 勅使。(「三敕使の川」の謂れ)


これより左なる山谷の間に、林木蔚然として黒きを市川の荘と為す。州の最も饒邑なり。これを要するに一目千里、四嶺層々良田、中に闢(ひら)け、皆膏腴なり。
※ 蔚然(うつぜん)- 草木の茂っているさま。
※ 饒邑(じょうゆう)- 豊かな村。
※ 四嶺層々(しれいそうそう)- 四方の嶺が幾重にもかさなるさま。
※ 膏腴(こうゆ)- 地味が肥えているさま。


これを遠くしては、鶴駒その東西に縣し、代棠子午に接す。これを近くしては、篴水左に青龍と為って信駿の駅。右に白虎と称す。国史、所謂(いわゆる)兜巌の邦なるは、豈(あに)信然ならざらんや。
※ 鶴駒 - 都留郡と巨摩郡。
※ 代棠 - 八代郡と山梨郡。「棠」は中国名で「やまなし」のこと。
※ 壌(じょう)- 国土。大地。
※ 子午(しご)- 北(子)と南(午)。
※ 篴水(てきすい)- 笛吹川のこと。(「篴」は笛)
※ 兜巌(かぶといわお)の邦 - 甲斐のことがそう表現されているらしい。
※ 信然(しんぜん)- 本当の様。


省吾と予、耳、その口を提(ささ)げ、目、指に移り随いて、一々応酬して、これ暇(ひま)を弗(と)るなり。然れども、風塵之労、一洗して快と為す。而(しこう)して、眩(めまい)遂に発せず。
※ 風塵(ふうじん)- 煩わしい俗事。(案内してくれることをいう)

夜、三宅氏の謫居を訪う。吾れ鼓盆の後に在るを以って、故に喜び、その悲しみに勝えずなり。
※ 謫居(たっきょ)- とがめを受けて引きこもっていること。
※ 鼓盆(こぼん)- 妻に死に別れること。
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峡中紀行上 15 九月十日、天守台眺望(2).

(庭のサルビア・ミクロフィラ)

北日本で早くも真夏日の気温を記録した日、静岡は爽やかな一日であった。すでに熱中症が発生しているという。

ネパールの大地震は被害が大きく広がっている。地震の多い地域で、レンガを積んだだけの住宅がたくさんある。地震があれば、多くの人々が瓦礫に埋もれる。何とか知恵が出せないものであろうか。

荻生徂徠著の「峡中紀行 上」の解読を続ける。

後、泰雲使君、一日凱旋してよる所、山上に仮寝す。則ち、曽五郎、夢に托(たく)して、その子と為る。これを機山(信玄)と為す。土人游(あそ)ぶ者、石もしくは草木の葉を採りて、帰りて諸(これ)を枕に(お)けば、また往々佳夢を獲(え)ると云う。蓋し、石和の後、世々五郎を以って字名と為すを以って、故にその説を伝(つ)げ会する。
※ 泰雲使君 - 武田信虎のこと。戦国時代の武将。甲斐守護武田信縄の長男。甲斐の統一を果たした。その後、嫡男晴信(信玄)によって駿河に追放され、今川義元の保護を受ける。
※ 使君(しくん)- 国守の唐名。
※ 曽五郎 - 曽我五郎のこと。鎌倉初期の武士。河津祐泰の子。曽我兄弟の弟。
※ 石和(いそわ)- 武田信光のこと。源義光(新羅三郎)を始祖とする甲斐武田氏の第五代当主。甲斐国・安芸国守護。甲斐国八代郡石和荘に石和館を構えて勢力基盤とし、 石和五郎と称する。


大泉寺は富士川の濫觴なり。池あり、また富士と名づく。即ち機山生るゝ時、洗浴する所の水なり。その右に愛宕荒神の山有り。嶺を踰(こ)えれば、則ち版牆山、これを遠くして篠籠山、即ち東来、道のよる所なり。益々これを右にして驪駒山、神坐山、三阪嶺、大石嶺、迦葉阪、弓卓嶺、桜嶺。環匝して以って南に至る。
※ 濫觴(らんしょう)- 物事の起こり。始まり。起源。
※ 東来(とうらい)- 江戸より来る。
※ 環匝(かんしょう)- めぐりまわる。


その迦葉の上、皤然として観るべきは芙蓉峰なり。小さく昨日観る所に殊なり。則ち、に載せ来たるに、必ず諸(これ)ら駿(河)に隸するは、蓋し、海駅、常時視るに慣らう所を取るなり。その実州その半ばを抱えて、拱して合わざる所のもの、駿(州)と相(州)、迺(すなわ)ちこれを共にすれば、これと謂わざるべし。
※ 皤然(はんぜん)- 白いさま。
※ 籍(せき)- 書物。
※ 海駅(かいえき)- 東海道の宿駅。
※ 実州(じっしゅう)-(ここでは)甲州。
※ 拱する(きょうする)- 両手を廻してかかえる。
※ 寃(えん)- 無実の罪。ぬれぎぬ。富士の北半分は甲州に接して、残り半分を駿州と相州で接している。それなのに、駿河の富士と称するのは「寃」だというのである。


またその右、身山、数里に綿絡として、七面嶺、人を視(み)る如し。皆、窟宅する法華の僧の所と為す。
※ 身山 - 身延山のこと。
※ 綿絡(めんらく)- 連なりつながること。
※ 靦(てん)- まのあたりに見ること。
※ 窟宅(くったく)- 岩をくりぬいて造った堅固な家。巣窟。

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峡中紀行上 14 九月十日、天守台眺望(1)

(庭のユリオプスデージーの花の上、アブを獲ったミドリグモ)

荻生徂徠著の「峡中紀行 上」の解読を続ける。

飯畢(おえ)て、城中の最も高き処に上る。所謂、天守台なり。垣有り、これを繚(めぐ)らし、眺(みわた)すべからず。ただ垣外二尺の地、唇の出るが若(ごと)きもの、これを四周す。下は則ち石壁百尺、また眩発して久しく立つべからず。人をして今に至るにて、これを思わば、悸(むなさわぎ)を病にせしむなり。
※ 眩発(げんぱつ)- めまいを発すること。(徂徠先生もおそらく高所恐怖症であった。)

銃兵頭目清水某なる者、これより先に命を奉じて、荊棘を剪(か)り、木を刊(き)り、道を四縣の地に通す。人頗る号して、州中の山川の処々を識る者と称す。邦太夫それをして来り、せしむ。則ち、その手を挙げて歴指し、相語りすること、纚々然たるなり。
※ 頭目(とうもく)- 集団の長。かしら。
※ 荊棘(ばら)- とげのある低木の総称。いばら。
※ 四縣(よんけん)-ここでは、山梨郡、八代郡、巨摩郡、都留郡を指す。
※ 陪(ばい)- そばに付き添う。伴をする。
※ 歴指(れきし)- いちいちはっきり指し示す。
※ 纚々(りり)- 聯連たるさま。つる草が伸び続けるように、言葉が続くこと。


曰く、北の山、その最も遠く、最も峻にして、岝崿天を剌すは金峰なり。蔵王(権現)これに宮す。皆黄金の地、神甚だ愛惜する所、故を以って人往く者、還れば必ずその鞋(わらじ)を山中に棄て、跣足を出し、その一塊の石を拾うことを得ず。これより近うして一層するもの(山)龢陀と為す。王子と為す。冡原と為す。積翠と為す。峰巒倚疊鮮淡なること画の如し。
※ 岝崿(さくがく?)- 山容。山のかたち。
※ 跣足(せんそく)- はだし。すあし。
※ 龢陀、王子、冡原、積翠 - 何れも山の名。
※ 峰巒(ほうらん)- 山の峰。また、山。
※ 倚疊(きちょう)- ぴったりと積みかさなること。
※ 鮮淡(せんたん)- 淡く鮮やかなこと。


更に近うして、一、二の森あり。また近うして躑躅(つつじ)崎あり。右は即ち藩主寿蔵の処。また益々近うして夢山あり。大泉寺あり。夢山は僧疎石蝴蝶之栩々家山に為る」を咏ずる所なり。
※ 寿蔵(じゅぞう)- 生前に自分でつくっておく墓。
※ 疎石(そせき)- 夢窓疎石。鎌倉末・室町初期の臨済宗の僧。諡号は夢窓国師。天台・真言などを学んだのち、臨済禅を修めた。
※ 蝴蝶之栩々 - 荘子の説話に「夢の中で胡蝶(蝶)としてひらひらと飛んでいた所、目が覚めたが、はたして自分は蝶になった夢をみていたのか、それとも今の自分は蝶が見ている夢なのか。」という説話。
※ 家山(かざん)- ふるさと。ここでは「我家の庭」と解し、「蝴蝶の栩々と飛んで我家の庭に遊びし」と詠んだ。
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峡中紀行上 13 九月十日、府城(甲府)に入る

(庭のサツキの花)

荻生徂徠著の「峡中紀行 上」の解読を続ける。

十日蚤(はや)く起き、一川を渉る。甚だ浅し。俗に伝う。昔、禁有り。一遷客夜を犯し、鸕鷀を駆(かり)て魚を捕る。以って顯戮に罹(かかり)て死す。冥譴軽からず。鬼頗る形を見(あら)わして人に愬(うった)う。
※ 禁(れいきん)- 禁止。
※ 遷客(せんかく)- 罪によって遠くに流された人。流人。
※ 鸕鷀(ろじ)- 鵜。
※ 顯戮(けんりく)- 人々の見せしめにする死刑。
※ 冥譴(みょうけん)- 人間の目には見えない、神仏の罰。


僧日蓮なる者、妙経を瀬中の石に書してこれを薦(すす)む。復た見えず。今、演劇中鵜養い一齣、これなり。逆旅主人の送る者、その親自ら石を田中に獲るもの四つ、下平ら、上円にして、形不托に類す。摩擢すれば皆南字有りて愈々鮮かなり。
※ 一齣(いっせき)- 演劇・映画・小説などのひと区切り・一場面。
※ 逆旅(げきりょ)- 旅館。やどや。
※ 不托(ふたく)- 小麦粉をこね、親指ほどの太さにし、五センチほどに切り,さらに薄くのばし、熱湯で煮る。うどんの古い形。
※ 摩擢(またく)- みがき洗うこと。


新善光寺を右にし、西行し府城に入る。街坊荘麗、甚だ東都に譲らず。館定めて、邦大夫(家老)に謁し具さん。使いを奉ずるの事を告げて、偕(とも)に城中を巡視す。城門に入りて、(あが)りて楼の甍上を視れば、蚩吻無し。怪みてこれを訊(き)かば、古より爾(しか)りと為す。何の故を以ってか知らずなり。
※ 府城(ふじょう)- 甲府のこと。
※ 街坊(がいぼう)- 街中。隣近所。
※ 蚩吻(しふん)- 鴟尾(しび)。しゃちほこ。


(甲)州原(もと)監撫潜邸の時、封ずる所の故事(例)に、親藩は国にこれあらず、故を以って城ただ楼堞のみにして内に殿閣を設けず。吾が藩胙茅の後に及び、営置する所無きことを得ざるなり。この時、土木紛興人工蟻の如く聚る。喧熱憎むべし。
※ 喧熱(けんねつ)- 熱狂して騒ぐこと。
※ 監撫(かんぶ)-「監」は天子征行の際に太子が留まり守る「監国」の意、「撫」は天子とともに太子が従軍する「撫軍」の意。
※ 潜邸(せんてい)- 国王が即位する前に暮らしていた私邸。
※ 楼堞(ろうちょう)- やぐらと垣根。
※ 胙茅 - 柳沢公が甲府へ封じられたことを指す。社を建て封地へ宣言する。
※ 紛興 -入り乱れて興す。


(おもむき)て過ぐ端門の内、温泉を湧すること二ヶ所、を已(やま)して、脚気を已して、人の耳目を明らかにすること、効有りと云いし。竹林門東堤の上、玄芝を産す。輪魚の勢い有り。を誦する者、口噴々として已(やま)ず。
※ 端門(たんもん)- 正門のこと。
※ 疝(せん)-下腹部の痛む病気。
※ 竹林門 - 城門の名(?)
※ 玄芝(げんし)- 漢方の霊芝(サルノコシカケ科マンネンダケ)の一種。
※ 輪魚の勢い -「輪」は高大、「魚」は沢山集ることをいう。玄芝の生える様を表わす。
※ 端(たん)-吉端。玄芝の繁茂をめでたいとして喜ぶ。
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峡中紀行上 12 九月九日、石和駅の宿す

(庭のクスノキの新芽)

庭に鳥が運んだのだろう、クスノキが一株ある。大きくすると大変なことになるので、極限まで刈り込んであるのだが、春にはいっせいに新芽をだす。新芽は散歩道のどんな花よりも、生命力があって美しい。それはアスリートの美しさと同質である。

荻生徂徠著の「峡中紀行 上」の解読を続ける。

白野の駅、嶺有り。葦窪、黒垡等の駅を歴て、篠籠(ささご、笹子)山に陟(のぼ)る。山の高さ小仏嶺に比す。未だ嶺上に至らざる二町許りにして、箭立の杉有り。大きさ五囲(かかえ)ばかり。絶頂に天神の祠有り。何れを香火する所を知らず。嶺を踰(こえ)れば、則ち甘棠縣なり。
※ 香火(こうか)- 仏前などでたく焼香の火。
※ 甘棠(かんとう)- 唐なし。小りんご。ここでは「山梨」のこと。「甘棠縣」は「山梨郡」を示す。


数里にして駒養の駅に至る。州の馬を以って海内に名ある。これを過ぎて以往、また多く以ってその土に命(なづ)く。啻にこれのみにあらざるなり。
※ 海内(かいだい)- 四海の内。国内。天下。
※ 以往(いおう)- その時からのち。以後。
※ 啻に(ただに)- 唯に。単に。


また三里にして鶴瀬の駅に至る。駅口に川有り。源を天目山の龍門より発す。橋を度(わた)りて関有り。藩の外門なり。横吹の険路を歴て、栢丘村に達する。左に柏尾山を望む。大善院有り。相伝う、長篠の敗に、合邦(かゆ)の如くに沸き、院僧もまた、楚を詛うの謀を懐う。これを土人に問えば、皆弾指して罵りて休まず。畏(おそ)るべきかな。
※ 龍門(りゅうもん)-「龍門の滝」のこと。
※ 合邦(がっぽう)- 二つ以上の国家を合併すること。
※ 楚を詛(のろ)うの謀(はかりごと)- 秦、楚を呪う故事による。
※ 弾指(たんじ)- 非難・排斥すること。つまはじき。指弾。


勝沼駅、人烟繁簇峡道甲たり。日已に昃(かたむ)く。飢えること甚し。則ちを治して使わむ。店の主人、炊の熟するを報ず。僕従を喚(よ)べども在らず。皆葡萄架下に在り。銭を買う、また州の名品なり。
※ 人烟(じんえん)- 人家から立ち上る煙。
※ 繁簇(はんぞく)- たくさんむらがる群がり集まる。
※ 峡道(かいどう)- 甲州街道。
※ 甲たり - 一番すぐれている。
※ 具(ぐ)- 食料の材料。


小仏嶺よりここに至るにて、将に二百里に近づかんとす。大抵、左は大川、右は峻しき巌(いわお)、径崎(道先)として、乱山万の重なり中に在り。皆謂う、信(州)の岐岨(木曽)、紀(州)の熊野、これに若(し)かずなり。皆、目の未だ睹(み)ざる処なれば、その孰(いずれ)が上為るに、論じ亡(がた)し。ここは則ち嶮なるかな。
※ 二百里 - 一里は条里制による一里で、654メートル。二百里は約130キロメートル。(江戸より)
※ 嶇(く)- けわしい。


駅を出て府城に走ること三十里、皆、坦路なるを喜ぶなり。栗原村、田中村を過ぎ、看れば将に崦嵫ならんとす。悉く勝沼に宿せざることを悔ゆるなり。一更後、石和駅に詣(いたり)て宿す。昔、藩主十六世の祖、五郎使君なる者の軍功を以ってここに食邑す。旧荘尚存すと。夜黒くして往かず。
※ 府城(ふじょう)- 甲府のこと。
※ 坦路(たんろ)- 平らな道。
※ 崦嵫(えんじ)- 太陽の沈む西方の山。
※ 一更(いっこう)- 五更の第一。また、戌(いぬ)の刻。午後八時の 前後二時間。
※ 五郎使君 - 伊沢五郎時光。
※ 食邑(しょくゆう)- 知行所。領地。
※ 旧荘(きゅうそう)- 旧屋敷。
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峡中紀行上 11 九月九日、初雁駅まで

(散歩道のツリガネスイセン)

久し振りの快晴で、気温もどんどん上がり、ポカポカ陽気となった。

荻生徂徠著の「峡中紀行 上」の解読を続ける。

九日晏(おそ)く発し、駒橋、大月二駅を過ぐ。大月もまた橋有り。長さ二十四丈五尺、橋上より東北を望めば、長嶺数里に連り亘(わた)りし。一巌突起して駝背囊の如くあり。号して巌殿と曰う。七所権現及び大士有り。皆、羽流の奉祠する所と云う。
※ 駝背囊(だはいのう)- らくだのこぶ。
※ 大士(だいし)-(仏)菩薩の別名。
※ 龕(がん)- 断崖を掘って,仏像などを安置する場所。
※ 羽流(うりゅう)- 山伏。


更に半里にして将に花崎の駅に近づかんとす。路側民家の上に白幢蓋の如きなるものを見る。これを何ぞやと問えば、芙蓉峰(富士山)なり。一行二十余人皆駭然たり。嶽形端正にして愛すべし。昨日道中に見る所と大いに殊なり。朝暉、積雪と相映え発し、光彩浮きて流れんと欲す。その轎中を去ること甚だ近く、また甚だ高からず。これを喚(よ)べば応えんと欲す。これ村民庭中の物に似たり。
※ 墻(しょう)- 土や石でつくった垣根。土塀。
※ 白幢蓋 - 白い天蓋。
※ 駭然(がいぜん)- ひどく驚くさま。びっくりするさま。
※ 朝暉(ちょうき)- あさひ。また,その光。


これを問えば云わく、これを去ること三十里と。轎を駐めて嚢中を探り、羅経を取りてこれを測れば、正に午針の嚮(むか)う所に値う。則ち知る、芙蓉嚮背無きと云う、なり。轎中輙(すなわ)村醪を買いて引満して相迎う。これ何ぞ尋常の重九の菊花を賞するに減さんや。
※ 嚢中(のうちゅう)- 袋の中。
※ 羅経(らきょう)- 羅針盤(らしんばん)。磁針。
※ 午針の嚮う所に値う - 真南を差す。
※ 嚮背(きょうはい)- 裏表。
※ 妄(もう)- うそ。でたらめ。
※ 村醪(そんろう)- 田舎造りの酒。じざけ。
※ 引満(いんまん)- 杯に酒をなみなみとついで飲む。満引。
※ 重九(ちょうく)-(「九」を二つ重ねる意)九月九日の節句。重陽。


花崎の駅、上下二有り。初雁の駅、また中下二站有り。卒(おわ)りに、その上站の在る所を知らず。豈に年紀悠邈、地名湮没、文書の徴すべきも無きか。将た別に以って有る故か。轎中、忽ち一聯を得、花を見るに已に東西の崎に有り。月を問うて何ぞ大小の村無からんや。推敲(すいこう)成らず。推して省吾によれども、また賡足すること能わず。瀧河原を経て、激湍雷の(如く)轟く。橋の長さ数丈。
※ 站(たん)- 宿場。
※ 年紀(ねんき)- 年数。
※ 悠邈(ゆうばく)- 悠久。
※ 湮没(いんぼつ)- 跡形もなく消えてなくなること。
※ 一聯(いちれん)- 漢詩で、一対になった二句。
※ 賡足(つぎあし)-「一聯」の漢詩の跡の続きを省吾に任せようとしたが、叶わなかった。
※ 激湍(げきたん)- 流れの激しい瀬。
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峡中紀行上 10 九月八日、猿橋に宿す

(散歩道の白の藤の花)

荻生徂徠著の「峡中紀行 上」の解読を続ける。

更に前(すす)めば、大松樹、路の左に偃(ふ)し、枝皆横指す。長さ数丈、千年外(以上)の物なり。聞く昔、一貴人有り。銭千貫を捐(すて)ては、郵致せんと欲す。而して能わず。故に名付けて千貫松という。五太夫毋乃(むしろ)その銅臭を嫌うや。然るといえども、清高の操を以って、富有の称を兼ね、揚州の鶴にあらざるを得んや。
※ 郵致(ゆうち)- 宿送りにする。
※ 毋乃(むしろ)-「毋」は「母」とは別字。「なかれ」「なし」と訓じ、禁止、打ち消しを表す。
※ 清高の操 - 清らかですぐれている節操。
※ 富有の称 - 金持ちという呼び名。
※ 揚州の鶴 - 昔、揚州の街に、役人になりたい人、大金持ちをになりたい人、鶴に乗って天に遊びたい人がそれぞれいた。最後の人は、役人になり、腰に十万貫の金を付け、鶴に乗って飛び回って遊びたいと言った。この話から馬鹿げたあくなき欲望の事を「揚州の鶴」と呼ぶ。


狗目嶺(峠)を踰え、新田有り。一名は恋塚と云う。何物の村がこの媚嫵の名を留むるや。以って鳥沢駅に至りて、皆山路なり。日暮れ僕従疲るゝ事甚しく、民家遠し。炬火(たいまつ)の前導無し。轎夫の脚、巌稜を探りて、以って進む。時に或は虚を蹈みて躓く。轎、輙(すなわ)ち、その肩上に跳(はね)て已まず。杌隍、墜んと欲するもの、数(しばしば)なり。
※ 嬪(ひん)- 婦人の美称。ひめ。
※ 媚嫵(びぶ)- 愛らしい。
※ 轎夫(きょうふ)- 駕籠かき。
※ 杌隍(げつこう)-不安。


遂に轎を下りて冥行し、以って、所謂(いわゆる)猿橋なるものの処に及ぶ。前行の者、還りて報ず。橋版(板)穿ち、且つ梁撓み、支えざる如くにして行くべからずと。
※冥行(めいこう)- 暗い中行く。

躊躇久しうして、一(僕)の店を探す者の、炬(たいまつ)を操(あやつ)り来るに会う。店の主人もまた来り、迓(むか、迎)う。相語り、これ猿王の架する所、長さ十一丈、水際に達する事、三十三にして、水の深き事もまた三十三尋と。
※ 猿王(えんおう)- 豊臣秀吉のことを指す。
※ 尋(ひろ)- 両手を広げた長さのことで、長さの単位。六尺または五尺をあらわした。


則ち、(僕)に命じて、身を欄外に跳(おどら)して、左手は欄に拠り、右手に炬を垂れて、倒(さか)しまに照らす。傍らより下(しも)黒深を瞰(うかが)うに、火力短くして及ばず。(僕)(ますます)その臂(ひじ)を俛(ふ)せ伸ばす。遂に火燄逆上して、手を焼かんと欲することを致す。輙(すなわ)ち、遽(にわか)に棄つ。墜ちて水際に至りて迺(たちま)ち滅(き)ゆ。

予これに縁(そい)て目送りし、その未だ滅えざるに及びて、彷彿たるを覩(み)ることを得るなり。皆その言の如し。橋下一柱無く、両岸より鉅財を累(かさ)ね架(か)し起す。上なるものは、下なるものの外に必ず出ること、尺許りにして、愈(いよいよ)(かさ)ね愈出して、以って相近づいて、これを橋することを得たり。誠に神造りなり。崖、光り滑らかにして、縫(ぬいめ)(さけめ)無し。削立するが如く、然り。
※ 鉅財(きょざい)- 大木材。

土人云わく崖腹に釜あり。神蛇ここに穴す。歳旱には民聚(あつまり)て、尽かさずその釜中の水を汲み、蛇見れば、則ち雨降る。驚いて問う。何を以って釜の処に至ることを得る。迺(すなわ)ち云う。土人于土に生じ、于水に長ず。その手足を束ねて橋下に投ずといえども死せず。聞く者、皆舌を吐く
※ 歳旱 - ひでり。旱害。(「歳」は「作物の実り」の意あり。)
※ 于土(うど)、于水(うすい)-「于」は「この」と読む。「于土」この地。「于水」この川。
※ 舌を吐く - 非常にあきれる。


また問う。崖石縫(ぬいめ)して無き如し。豈(あに)苔滑かにして、然ら使むるか。云う、一駅百家を連ねて一片石の上に在り。則ちこの川もまた一大石渠耳(のみ)と。益異聞に駭(おどろ)く。遂に于駅に宿す、夜寒甚し。
※ 石渠(せききょ)- 石の溝。
※ 于駅(うえき)- この駅。猿橋宿を指す。
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峡中紀行上 9 九月八日、(相峡)界河を越す

(散歩道のオオツルボ - 地中海沿岸原産、 ユリ科の花)

長い雨期(?)も抜け、花粉の飛散も終わって、何とも爽やかな風になった。長い隠遁生活にも終止符を打って、そろそろ、外界へ出なければなるまい。

荻生徂徠著の「峡中紀行 上」の解読を続ける。

嶺西の茶店に過ぐ。阪路(さかみち)を登り降りする事、三、四にして、小原の駅、四瀬の駅を歴(へ)つ。駅、小仏の嶺(とうげ)を去ること十三里。民戸頗る整いし。
※ 民戸(みんこ)- 中国、明代の戸籍の一。農民・商人と匠戸に編入されない手工業者から成り、州県に属し、税役を課せられ、里甲制の基礎となった。ここでは単に「民家」でよい。

竹鼻阪、貝坂、皆下る。迺ち嶺の極めて高きを識るなり。左側林樹の間、湘水隠見す。云うこれ猿橋の下流なり。水色頗る恬(しずか)なり。
※ 皐(さわ)- 「沢」のこと。
※ 湘水(しょうすい)- 相模川のこと。
※ 隠見(いんけん)- 隠れたり見えたりすること。見え隠れ。


美稲の駅を過ぐ。想う、春月桜花、當(まさに)盛んに開くべしと。阪尽きて、小猿橋有り。長さ十二丈、皐猪川に跨る。橋を過ぎて阪有り。藤野村、関野の駅を歴て、また下る。道左に湘水復(ま)た見え、一小壟を隔て、轎中俯して窺うべし。南方崖懸る。数大乱石水中に立つ。その幾ばくを知らず。水激洶涌然、嚮(さき)恬然なるものに似ず。益(ますます)下りて界河(境川)有り。河に小橋有り。則ち相峡岸を隔て界を為す故に名づく。
※ 小壟(しょうろう)- 小さな小高い丘。
※ 乱石(らんせき)- ごつごつとした岩。
※ 激洶(げききょう)- 水の勢いが激しいさま。
※ 涌然(ゆうぜん)- 水などが盛んにわき起こるさま。
※ 恬然(てんぜん)- 物事にこだわらず平然としているさま。
※ 界河(さかいかわ)- 境川。
※ 相峡(あいきょう)- 相模と甲斐。


已に河を過ぎれば、行人相逢う。往々に笠を卸し下る。馬より藩の號帯を識るが為の故なり。また阪に上り諏訪に至る。晴れて暖かなり。轎中揺々睡を生するを覚う。皆歩(ほ)して上野原に至りて、を命ず。駅舎繁といえども佳からず。
※ 行人(こうじん)- 道を行く人。通行人。また、旅人。
※ 往々(おうおう)- 物事がしばしばあるさま。
※ 號帯(ごうたい)- 鎗印。
※ 揺々(ようよう)- ゆらゆらと揺れ動くさま。
※ 炊(すい)- 飯をたく。
※ 駅舎(えきしゃ)- 宿場の旅籠。(沢山あるが良くない)


鶴川を渉りて山行し、鶴川の駅、袋尻の駅、八坪の駅、蛇城新田、狗目の駅を過ぐ。長岑(みね)阪に陟(のぼ)り、阪の右古塁跡あり。機山の時、加藤丹後なる者築く所、塁前一小池あり。土人誇りて称す。峡中八湖の一にして、水旱にも涸溢せずとや。これ陥井、僅かに蛙容れるもの、豈(あに)湖と云わんやかな。塁もまた甚だ高からず。
※ 機山(きざん)- 武田信玄の道号。
※ 加藤丹後(かとうたんご)- 加藤景忠。戦国時代の武将。甲斐国都留郡上野原の国衆。甲斐武田氏の家臣。都留郡上野原城主。
※ 水旱(すいかん)- 洪水と日照り。
※ 涸溢(こいつ)- 涸れたり溢れたり。
※ 陥井(かんせい)- 陥穽。動物などを落ち込ませる、おとしあな。


(しこう)して、東小仏より西に篠籠に及び、南は鶴縣を尽くして、皆一眺すべし。蓋し、界河を踰(こえ)て、ここに来たる。足指皆仰く。漸く行きて、漸く高し。
※ 足指皆仰(あおの)く。- つま先上りになっている様子。
その地、すでに小仏の腹と相値うことを覚えざるのみ。

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