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「松のさかへ」を読む 8


(ほぼ完成か、「門出 大井川」)


(大井川新駅展示の、SLーC11)

夕方、女房と散歩に出る。北の空は真っ黒で、夜には夕立が来るかもしれない。この秋オープン予定の新東名金谷IC入口、「KADODE OOIGAWA」の進捗具合を見るため、散歩の足を向けた。「大井川流域の農作物を集めた、県内最大規模のファーマーズマーケット」と呼び声の高い施設である。上の写真は国道473側から撮ったもので、建物のロゴは「門出」をデザイン化したものだろう。工事は内部の細かい部分を残すのみで、ほぼ終わっているように見える。陸橋を渡った向い側には、大井川鉄道の新駅ができる予定で、すでに、下の写真のように、展示用のSL、C11の搬入も終わっていた。問題はこのコロナの時代、目論見通りの客が見込めるのかどうかであろう。

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「松のさかへ 家康公文の写し」前一つ書き、の続き。

右堪忍を一生の間全て守る人は、大身(たいしん)は家を起し、国を治め、小身(しょうしん)、上を起し家を治む。堪忍の成る事は十分に致すに随い、致さぬものは、家をも国をも起こす事能わず。譬(たと)えば十の内、八つ九つ守り、末一つ二つ破り候えば、悉(ことごと)く破りし様にて、それまでの堪忍は(あだ)に成り行くものにて、大方の堪忍はつらき物、これまでは致し候えども、最早(もはや)堪忍ならぬと申すこと、間々(まま)これ有り候えども、それもに依って破るは、破るといえども行わるゝ物にて、多くは我が智慮(ちりょ)(たん)より国郡を失い、譬えば弓を克(よ)く射る者、手前をよく曳(ひ)き渡し、離すにてこれを馳(は)せる。または持ち出るとして、初めのよき手前、徒(あだ)に成る様なる者にして、兎角十分ならぬは、堪忍の程は無き者にて候。
※ 大身(たいしん)➜ 身分が高いこと。位が高く禄の多いこと。また、その人。
※ 小身(しょうしん)➜ 身分が低いこと。俸禄の少ない身分。また、その人。
※ 徒(あだ)➜ 実を結ばずむなしいさま。無益なさま。むだ。
※ 間々(まま)➜ 頻度が多くはないが,少なくもないさま。ときどき。まれに。時には。
※ 議(ぎ)➜ 話し合い。相談。
※ 智慮(ちりょ)➜ 先々のことや細かなことまでよく考える知恵のこと。
※ 短(たん)➜ 欠けていること。また、劣っていること。
※ よき手前(よきてまえ)➜ 直前の「手前をよく曳き渡し」を受けている。

(「松のさかへ 家康公文の写し」一つ書き、つづく)

読書:「浜町堀異変 剣客船頭 10」 稲葉稔 著
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「松のさかへ」を読む 7

(散歩道のデュランタ・タカラヅカに止まるアゲハチョウ)

朝、地区の避難訓練。暑いので、ゴミステーションに集り、点呼のあと解散になった。その通り道で、アゲハチョウの写真を撮った。シャッター時、アゲハがはばたいたので、前翅だけが、消えた。蝶は前翅と後翅を同時にはばたくわけではないことがよくわかる。

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「松のさかへ 家康公文の写し」の続き。

一 堪忍(かんにん)の事、身を守る第一と、何事の芸術も堪忍なくては覚ゆることならぬものにて候。天道(てんどう)に叶い、身の我ままを堪忍致すは、地の理に叶い、先祖より伝わりし一郡一城失わぬ様に、堪忍の人和(じんわ)を得、我が気隨(きずい)出さぬ様に心懸け、身体悉(ことごと)く堪忍を用いることに候。
※ 堪忍(かんにん)➜ 不利な状況にあって堪え忍ぶこと。こらえること。がまんすること。身体的苦痛や苦しい境遇に堪えることをいう。
※ 芸術(げいじゅつ)➜ 武芸と技術。
※ 天道(てんどう)➜ 天地神明を支配する天帝、太陽、日輪をいう。おてんとうさまともいう。
※ 人和(じんわ)➜ 人々がなごやかな関係にあること。人の和。
※ 気隨(きずい)➜ 自分の思いのままに振る舞うこと。また、そのさま。好き勝手。気まま。


仁義五常(ごじょう)を本(もと)として、召し仕(つか)う者、並び民百姓、賞罰を正し、(うと)を恵み、近きを罰す。それ仁の堪忍なり。君に仕え身命を顧みず、一度約して変ぜず。これ義の堪忍なり。人の事を先にして身の事を後にし、起きるより寝るまで行儀正しくするは、これ礼の堪忍なり。我に慢じて人を(べつ)にせず、これ智の堪忍なり。
※ 五常(ごじょう)➜ 儒教で説く五つの徳目。仁・義・礼・智・信を指す。
※ 疎い(うとい)➜ 親しい間柄でない。疎遠だ。
※ 慢ずる(まんずる)➜ おごり高ぶる。うぬぼれる。
※ 蔑(べつ)➜ さげすむ。ないがしろにする。


君父(くんぷ)に仕えて、仮初(かりそめ)にも表裏軽薄(ひょうりけいはく)をなさず、古法を以って智をみがき、美器並び美服、美食に心を動かさず、これ目の堪忍なり。美好(びこう)を好まず、穢(けがら)わしき匂いも(おか)、これ鼻の堪忍なり。雷、また戦場にて弓鉄炮の音にも恐れず、先陣に進み、高名を遂(と)ぐる、これ耳の堪忍なり。酒を過ごさず、美味を好まず、これ口の堪忍なり。その外、手足にも堪忍あり。
※ 君父(くんぷ)➜ 主君と父親。
※ 古法(こほう)➜ 古いおきて。昔からのしきたり。
※ 美好(びこう)➜ 美しいこと。美しくすぐれていること。
※ 犯す(おかす)➜ 冒す。危険や困難を覚悟のうえで、あえてする。

(「松のさかへ 家康公文の写し」この一つ書き、つづく)

読書:「長屋あやうし はぐれ長屋の用心棒 13」 鳥羽亮 著
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「松のさかへ」を読む 6

(散歩道のガガイモの花、8月23日撮影)

一つ一つがヒトデのような花の間に、シロテンハナムグリが潜り込んで、お尻が見えている。

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「松のさかへ 家康公文の写し」の続き。

一 井伊兵部こと、平日言葉少なく、何事も人に言(こと)を承り居り、気重(きおも)見え候えども、何ぞ了簡(りょうけん)決し候えば、直(じか)に申すものにて、取り分け、我ら何ぞ了簡違いか、為にならぬ事は、皆な人の居ぬ所にて、善悪を申すものにて、それゆえ、後には何事も先ず内談いたし候様に成り申し候。
※ 井伊兵部(いいひょうぶ)➜ 井伊直政。戦国時代から安土桃山時代にかけての武将・大名。徳川四天王・徳川十六神将・徳川三傑に数えられる。上野国高崎藩の初代藩主。後に近江国佐和山藩(彦根藩)の初代藩主。
※ 気重し(きおもし)➜気持が引き立たないこと。元気のないこと。
※ 了簡(りょうけん)➜ 考え。気持ち。思案。


一 身の嗜(たしな)みのこと。人の好き嫌い、得手不得手(えてふえて)、これ有ることは、兎角ものの片寄らぬ様にいたし候事。譬えば、四季の花いろいろ咲き申し候て、路(みち)にこれ有り候。その中に、どくだみと申す草花、香あしき物にて、何の用にも立ち申さぬ草のようなれど、湿の薬にて候。煎じ用い候えば、殊の外能き薬にて候。その如く何芸(なにげい)にても、人の覚え候事は承り置き、何かなの時、入用の事あるものにて候。第一自分に不得手の事は、人の致すも忌嫌(いみきら)い候もの、まま有ることに候。それは、大名の(わ)けて致さぬことに候。
※ 湿(しつ)➜ 湿疹(しっしん)を指すか?。
※ 何芸(なにげい)➜ どんなわざ。
※ 別けて(わけて)➜ とりわけ。特に。 格別。


我ら中年の頃までは、碁を一向(いっこう)存ぜず、人の打つさえ無用の気づまりとて、眼の毒の様に思い、うつけ者と思い居り候処、近年少し覚え候えば、雨降りの徒然(つれづれ)の折りは慰(なぐさ)みにも相成、先だって、うつけ者の様に存じ候者は相手に致し候。これにて察し候。何事も詮なき事は、往古より致し置かぬ事に候。くれぐれも、自分の気に入りし人を善と存じ、気に入らぬ者を悪と存ぜぬ様に致すこそ、専一の事なれ。且つ、身の智慮(ちりょ)届かぬことを、朝夕に存ずる事に候。
※ 一向に(いっこうに)➜ 全然。全く。少しも。
※ 徒然(つれづれ)➜ することがなくて退屈なこと。手持ちぶさた。
※ 詮なき事(せんなきこと)➜ 為すべき手段が見つからないこと。
※ 智慮(ちりょ)➜ 先々のことや細かなことまでよく考える知恵のこと。

(「松のさかへ 家康公文の写し」つづく)

読書:「鼠異聞 上 新酔いどれ小籐次 17」 佐伯泰英 著
読書:「夕焼け雲 武者とゆく7」 稲葉稔 著
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「松のさかへ」を読む 5

(散歩道のハナトラノオ、8月26日撮影)

夕方、カーラジオを聞いていたら、安倍総理大臣の記者会見で、持病のため辞任するとの表明があった。七年八ヶ月の歴代総理の在任記録を更新したばかりであった。後継が誰になるかわからないが、年替わりの総理はご勘弁願いたい。最低でも五年は務められる総理を選んでもらいたいものだ。

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「松のさかへ 家康公文の写し」の続き。

一 学問は大名自身、博学に成り候ことは、及ばぬ事に候。学才これ有る者に、常々その道の講釈承(うけたまわ)り、その外、物に正理(せいり)善悪の事、善人の行儀作法、名将・忠臣の道など、また侫人(ねいじん)、主人の眼をくらまして、国を乱し、代々の国郡を失い候事は、常に承り置き、我が身の曲尺(かねじゃく)ゆるまぬ様、心懸け第一に候。
※ 正理(せいり)➜ 正しい道理。正しいすじみち。
※ 侫人(ねいじん)➜ 口先巧みにへつらう、心のよこしまな人。
※ 曲尺(かねじゃく)➜ 差金(さしがね)とも。L字形の金属性のものさし。ここでは、我が身に持つ善悪の尺度を示す。


一 兎に角(とにかく)、人の道は五常(ごじょう)を守るに懸りて、その外にも、我が身の鏡ならでは何事もしれぬ物。常の鏡と違い、外より磨く事はなく、我が心を心にて研(と)ぎ立て候こと故、我が身の行ない悪しきは、鏡の照(て)らぬ故にて候まま、その曇らぬ様に致し候事は、常々の行ないの善悪、人に尋(たず)ぬるより外これ無く候。且つ、善悪を聞くことを歓(よろこ)び、その座にてその悪を改め、善を作るものへは褒美を与え、召し仕い候後は、次第鏡は照らし、身の善悪はその(じょ)にて知れ、家中の善し悪し、民百姓の取沙汰(とりざた)、居ながら知る事にて候。身の善悪を聞くことを好み候えば、侫人(ねいじん)も気に叶わず、日々遠ざかるものなり。身の善を聞く事を悦べば、忠臣は日々に進み、忠言を聞く時は、一身の行い、天地の道に叶い、民の主(あるじ)たるもの、第一に候。召し仕うもの利口にて、機転(きてん)ものの取り入る処にて、何事も正直なるものを撰び、召し仕い候事、第一の事に候。
※ 五常(ごじょう)➜ 儒教で説く五つの徳目。仁・義・礼・智・信を指す。
※ 序(じょ)➜ 物事の順序。物事の秩序。
※ 取沙汰(とりざた)➜ 世間のうわさ。世上の評判。
※ 機転(きてん)➜ その場に応じた、機敏な心の働かせ方。

(「松のさかへ 家康公文の写し」つづく)

読書:「剱岳-線の記 平安時代の初登頂ミステリーに挑む」 高橋大輔 著
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「松のさかへ」を読む 4

(散歩道の影法師、昨日撮影)

土手道が橋からわずかに降る所で、そんなに夕方ではないのに、足が長く伸びた。

今日も夕方散歩。四時まえでは、まだまだ日差しが焼き付くように熱い。昨夜も雨がわずかに降ったが、今夜も未明頃に雨が降るらしい。

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「松のさかへ 家康公文の写し」の続き。今読んでいる「家康公文(ふみ)」は、家康が秀忠の夫人であるお江に宛てた戒めの手紙で、「庭訓状」と呼ばれているものらしい。

一 我ままにて、我が願望叶うこと決してなき事候。第一、我ままにては親を恐れず、第二に親に踈(うと)まれ、第三に朋友に踈まれ、第四に召仕の者に踈まれ、第五に我が身の願いも悉く叶わず、右五ケ條の通り成行(なりゆき)候えば、天道(てんどう)をうらみ、後には心煩(わずら)わしく、心乱るゝより外これ無く候。幼少より物毎(ものごと)自由にならぬこと、能々(よくよく)心得させ申したき事に候。
※ 天道(てんどう)➜ 天地神明を支配する天帝、太陽、日輪をいう。おてんとうさまともいう。

一 大名は惣領(そうりょう)は格別、次男よりは召し仕えもの同様に心得候様、呉々(くれぐれ)申し付けられたく候。次男の威勢(いせい)強きは家の乱れの基(もと)に候。
※ 惣領(そうりょう)➜ 家を継ぐ子。あととり。長男。
※ 威勢(いせい)➜ 人を威圧するような勢い。


一 幼少の節は万事右様に、軽き者の言、まねさせぬ様に心得候事。しかしあまり右様過ぎては、また下情(かじょう)に委しからず、慈悲の心薄くなり申し候。常々の遊びにも、国の名産、或いは大名の家柄の事、並び家来どもの内にても、あれは何の代より譜代(ふだい)の者、何の節、何の手柄を致し、何の節、何の高名致し候子孫、などと咄(はな)し候えば、幼少より家中の者に如在(じょさい)にならぬ事ども、聞き覚え候故、成人の後、自然と政事(せいじ)仕置(しお)行き届き申し候。大名の自身嗜(たしな)み候事は、弓馬(きゅうば)第一、次に長刀(なぎなた)・鎗・剣術心得申すべく候。心懸けなくてはならぬ事に候。
※ 下情(かじょう)➜ 庶民の生活の実情や人情。しもじもの様子。
※ 譜代(ふだい)➜ 代々同じ主家に仕えること。また、その家系。
※ 如在(じょさい)➜ 気を使わないために生じた手落ちがあること。また、そのさま。手抜かり。多く、下に否定の語を伴って用いる。
※ 政事(せいじ)➜ 政治上の事柄・仕事。まつりごと。
※ 仕置き(しおき)➜ 処置すること。なしおくこと。
※ 弓馬(きゅうば)➜ 弓と馬。弓術と馬術。

(「松のさかへ 家康公文の写し」つづく)

読書:「奇妙な星のおかしな街で」 吉田篤弘 著
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「松のさかへ」を読む 3

(筑前煮を作ってみた)

NHKのごごナマで、筑前煮が取り上げられた。料理人いわく、すべてをレシピ通りに作れば、プロの味が出せる。夕食に作ってみようと、レシピを手に入れ、鶏肉、れんこん、こんにゃく、生シイタケを買って来た。ニンジンは家にあった。刻むのは女房で、料理は自分が、軽量カップ、計量サジ、秤、タイマーなどを駆使して、本当にレシピ通りに作ってみた。緑のいんげんは冷蔵庫にあったグリーンアスパラ(細いもの)で代用した。夕飯に食べると、何と料理屋さんで食べるような味に仕上がった。料理人の言葉に嘘はなかった。

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「松のさかへ 家康公文の写し」前一つ書き、の続き。

それに困(こま)り、外の子供は、幼少より我ら前にて行儀作法よく仕付(しつけ)、若し少しにても不行儀、我ままのことは、我らへ隠し申さず、一々申し聞き候様、申し付け置き候て承り置き、我ら前へ出候たびごとに叱り、または、かようには致さぬものと、一々申し聞かせ候故、影日向(かげひなた)なく直(すなお)に育ち申し候。

第一、親をおそろしがり候えば、慎みよく、親に孝行を致すことを覚え申し候。その上に小身ものと違い、召し仕え候ものゝ申し立てを能く承り候様、専一に申し聞き候。親の有る内は慎(つつし)み候ても、親のなき後は我がままに成り、國郡を失い候もの、古えより多くこれ有り候。兎角、常々側にて召し仕え候守(も)りの者、第一、孝行と天命と、下へ慈悲を心懸け、武家の事、幼少より申し聞き候えば、自然と身持ちも能くなるものに候。
※ 小身もの(しょうしんもの)➜ 地位が低く、禄が少ない人。
※ 専一(せんいつ)➜ 第一であること。随一であること。
※ 身持ち(みもち)➜ 日頃のおこない。品行。


君臣と申すことは定まりし事に候えども、君たるもの、臣を君と心得候こと、専一のよし、我ら幼少時、安部大蔵(あんべだいぞう)、毎度申し聞かせ候。もっとも、老臣として君に仕え候こと、如何に無理なることを仰せられ候とも、是非無く承り、無道(むどう)の君へ事(つか)え候えども、それにては、まさかの時、用に立たぬものにて、兎角(とかく)何事によらず、上より慈悲をかけ、贔屓偏頗(ひいきへんぱ)なく、賞罪を正し、臣を君の本(もと)と心得候えば、能く心付く臣のこれ有るものに候。大名なれば、召し仕い候者なくては大名の詮なく候。兎角幼少の者へは、召し仕い者の申し立てを能く聞きて、ただ御申し聞かせ成られ候こと、専一の事に候。人を鏡として身を正し候より外、これ無く候。
※ 安部大蔵(あんべたいぞう)➜ 安部元真(あんべ もとざね)。戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。今川氏、徳川氏の家臣。
※ 無道(むどう)➜ 行いが人の道にそむいていること。道理にはずれていること。
※ 贔屓偏頗(ひいきへんぱ)➜ えこひいき。
※ 詮なし(せんなし)➜ しかたがない。かいがない。無益だ。

(「松のさかへ 家康公文の写し」つづく)

読書:「紅川疾走 剣客船頭 9」 稲葉稔 著
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「松のさかへ」を読む 2

(散歩道の赤いサルスベリの花、8月18日撮影)

昨夜、NHKでインディ500の放映を見た。佐藤琢磨が2度目の優勝をした。インディ500の100年に及ぶ歴史の中で、2度優勝するのはまれなことらしい。自分とは関係のない所でクラッシュが置き、それにレースが大きく影響される。本人の実力、マシンの性能、それに運が重なって、初めて優勝できる。ついつい長時間の放送に引き込まれ、後半は帰宅した息子と、最後のあっけない幕切れまで見てしまった。

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「松のさかへ 家康公文の写し」前一つ書き、の続き。

一躰(いったい)幼少の節は、何ごとにも直(すなお)なるものに候まま、如何様(いかよう)に窮屈(きゅうくつ)に育て候ても、最初より仕付(しつけ)次第により、存ずるより太義(たいぎ)にもなく候。これを植木に喩(たと)え候えば、初め二葉(ふたば)の節、人の生(お)い立ちと同じこと故、随分養育をいたし、最初一、二年とやら、枝葉多くなり候節、添(そ)え木致し、直(すぐ)に成り候ように結び立て、その内悪しき枝葉は掻(か)き取って、年々右の通り手入れいたし候えば、成木の儀、直(すぐ)なり。好(よ)い木に成り候。
※ 仕付(しつけ)➜ 躾。礼儀作法や生活習慣などを教えて身につけさせる。習わせる。
※ 太義(たいぎ)➜ 過重な負担。厄介な事柄。大儀。


人もその通り、四、五歳より添え木の人を付け置きて、悪しき枝の、その後に育たぬように致せば、直(すなお)に能(よ)き人に成り申し候。幼少の時は、育ちさえすればよきと心得、そのままに致し置き、年比(としごろ)になり、急に異見(意見)を致し候ても、我ままの悪しき枝ばかり茂り、本心の本木(もとき)は失(う)せぬこと故、直(なお)り申さず候。
※ 本木(もとき)➜ 木の幹、また、根もとに近い部分。

これに付、今存じ寄り候義、これ有り候。三郎生まれ候節は、年若(としわか)には子供珍しく、その上、初めひかゐすの生まれ故に、育ちさえすればよきと心得、気のつまりたる事は致させず、気ままに育て、成人の後、急に申し聞かせ候えども、兎角(とかく)幼少の時、行儀作法ゆるやかに捨て置きては、親を敬うことを存ぜず、心安くぞんじ、後は親子の争いの様に成り候間、毎度申しても聞き入れず、却って親をうらみ候様に成りゆき候。
※ 三郎(さぶろう)➜ 家康の長男、徳川信康のこと。岡崎三郎と呼ばれた。
※ ひかゐす ➜ 「日数居ず」つまり、十月十日居ず、早産だった?
※ 気のつまる ➜ 「気が詰まる」で、窮屈に感じられる。気づまりに感じる。
※ 心安い(こころやすい)➜ 気心がわかっていて、遠慮のいらない間柄である。

(「松のさかへ 家康公文の写し」一つ書き、つづく)

読書:「七人の刺客 剣客同心鬼隼人 2」 鳥羽亮 著
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「松のさかへ」を読む 1

(散歩道で用水が造る小滝)

土用干しで、一度水が抜かれていた田んぼに、用水から水が供給された。その溝の途中で、用水が小さな滝を作っていた。暑さの峠はどうやら越えたらしい。

今日より「松のさかへ」を読む。明治に活字になったものだから、「読む」という表現になる。内容はどんなものなのかわからないが、目次の最初のが「東照宮様御文」とあるから、松は松平すなわち徳川の栄えということであろうから、想像は出来る。

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「松のさかへ」を読み始める。

  松のさかへ 巻一 目次
   東照宮様御文
   本多忠勝公聞書并御遺書
   黒田長政公御遺言

  松のさかへ 巻一
   家康公文の写し

一筆申し入れ候。まず/\日増しに暖気に成り候て、暮らしよく候。その御程、いよいよご無事、和子(わこ)たちも息才(息災)に候や、承りたく候。冬年(ふゆどし)はゆる/\御目に懸り、何かと御両所方世話にも、老後のたのしみに御座候、その趣、へもよろしく頼み入り候。
※ 和子(わこ)➜ 身分の高い人の男の子供。坊っちゃん。また、男の子供を親しみを込めていう語。
※ 冬年(ふゆどし)➜ 去年の冬。去年の暮れ。
※ 御両所方(ごりょうしょ)➜ ここでは、後述の、竹千代、國千代の二人を指すのであろう。
※ 表(おもて)➜ ここでは、二代将軍、徳川秀忠を指す。


一 、殊の外、成人、悦び入り候。それに付、先頃、その地へ参り候節、竹も付き人の義、申し付けられ候様、申し置き候。定めて申し付けられたると存じ候。
※ 竹(たけ)➜ 竹千代。後の徳川家光、三代将軍。
※ 國(くに)➜ 國千代。後の徳川忠長。駿河大納言。


一 國ことは、一躰(いったい)発明の生まれに付いて、重畳(ちょうじょう)のこと、その御方、別けて御秘蔵の望み、左様にこれ有るべく候。それ故、存じ寄りを申し入れ候て、能々(よくよく)御心得、生い立ち候様、成らるべく候。
※ 一躰(いったい)➜ もともと。元来。
※ 発明(はつめい)➜ 賢いこと。また、そのさま。利発。
※ 重畳(ちょうじょう)➜ この上もなく満足なこと。大変喜ばしいこと。
※ 生い立ち(おいたち)➜ 生い立つこと。特に、人が成長すること。育っていくこと。


一 幼少の者、利発(りはつ)に候とて、立木(たちき)のままに育て候えば、成人の後、気まま、我儘ものになり、多くは親ども申す事さえ聞かぬように成り候へば、召(め)し仕(つか)える者の申すことは、なお以って取り用いず候。左候えば、後に国郡を治めることはさて置き、身も立たぬ様に成り申し候。
※ 利発(りはつ)➜ さとく賢いこと。才知があって頭の回転が速いこと。

(「松のさかへ 家康公文の写し」この一つ書き、つづく)
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「安政元甲寅歳大地震記録」の解読 9

(水が戻った大代川にアオサギ)

昨夜は予測に反して、かなり雨が降ったようで、今日も涼しい。大代川には水が戻って、夕方の散歩に、またアオサギを見た。ただ、魚影が戻るにはまだしばらくかかるだろう。

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今日で「安政元甲寅歳大地震記録」の解読を終わる。明日からは「松のさかへ」を読む。

  居宅普請記
安永の甲午年(安永三年、1774)、松二郎貞実によって座敷建立。二間半、三間半、西南内椽(ないえん)。安永の午年より、安政元年(1854)甲寅十一月四日まで、八十一年に相成る。朝、大地震にて、一時に皆な潰れ。
※ 内椽(ないえん)➜「椽」は、和風建築で、部屋の外側につけた板張りの細長い床の部分。雨戸の内側にあるものを内椽(あるいは内縁)と呼ぶ。


安政五戊午年(1858)十二月、家相改め、掛川宿藤江和四郎に、同六年(1859)己未正月元旦、(節分壬申危ぶむ、奎宿木曜)本宅普請、手斧初(ちょうなはじめ)本間(ほんけん)、四間に五間四尺八寸、南三尺内椽、西一間に二間廊下、東壱間下、裏四尺五寸下。
※ 奎宿(けいしゅく)➜ 占星術で、和名は斗掻き星(とかきぼし)、二十八宿の一つで西方白虎七宿の第一宿。神事普請・柱立が吉といわれる。
※ 木曜(もくよう)➜ 陰陽道で、七曜(または九曜)のうちの、木を配した日。「一切善事、吉」
※ 手斧初(ちょうなはじめ)➜ 家の建築に際し、大工が仕事を始める日に行う儀礼。
※ 本間(ほんけん)➜ 尺度の一。曲尺(かねじゃく)で、六尺すなわち約一.八メートルの長さ。


二月十二日、上棟(癸丑開軫宿水曜、天然、みそ・酢作り、種々 ─ 吉)
※ 軫宿(しんしゅく)➜ 占星術で、和名は、みつかけぼし、旅行や出張、芸事の習い始め、婚礼、開店、開業、新規事業など、新しいことに用いて吉とする。
※ 水曜(すいよう)➜ 陰陽道で、七曜(または九曜)のうちの、水を配した日。


三月廿六日、移従(わたまし)(丙申避けん、凶会日。奎宿木曜に当る)これより近く候。
※ 移従(わたまし)➜ 転居。
※ 凶会日(くゑにち)➜ 暦注の一。月ごとに干支によって最凶とする日。二十四種あり、それぞれに忌むべき事柄が定められている。悪日。


諸造作(ぞうさく)相調(ととの)い、同年七月、新たに仏檀成就、神殿諸とも出来(しゅつらい)す。
                    掛川市下垂木(屋号大松)中村氏所蔵
※ 成就(じょうじゅ)➜ 物事が望んだとおりに完成すること。

(「安政元甲寅歳大地震記録」の解読終り)

読書:「大川わたり」 山本一力 著
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「安政元甲寅歳大地震記録」の解読 8

(久し振りの雨か?)

クーラーを最低に点けたまま昼寝して、3時半ごろ目を覚ましたら、すでに暗くなっていた。外へ出てみたら、黒雲が出て風があって、クーラーを点けた部屋の中よりも、外の方が涼しかった。恐らく、昼時よりも10℃近く気温が下がったように感じられた。空は黒雲が湧きあがり、遠く雷鳴も聞こえる。クーラーを止め、あちこち窓を開け放して、気持ちの良い外気を取り入れた。雨を待ち望んだが、雷鳴は近付いて来ず、夜になっても雨は降って来なかった。明日も天気は曇るが雨はあまり期待できないようだ。

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明日で「安政元甲寅歳大地震記録」の解読を終わるが、今もって、この古文書がどこに在住していた人の古文書なのかがはっきりしない。「掛川市下垂木(屋号大松)中村氏所蔵」とあるから、その古文書だろうと想像したが、高橋村や、新野村のようでもあり、はっきりしない。想像するに、あちこちから情報を集めて、それをそのまま書き記したため、色々の人の視点が入り混じって、分りにくくしているようである。

当村凡(およ)そ潰れ家百軒、半潰れ百軒、甚(いた)き候家百軒余り、無難の家も少しは残り候えども、手入なしにて住居いたし候家は、四、五軒なり。

当村(新野村)神社は破損少なし。仏閣は破損多し。惣慈院(想慈院)は、本堂堅(かた)候のみ。表門屋根、前の橋の上へ飛び申し候。蔵半潰、その外破損多し。山落ちもあり。就江寺(秋江寺)難無し。高源寺、庫裏半潰れ、廊下平潰れ、本堂堅き。庫裏売り払い。円城寺、半潰れ。正道寺、少し破損。法華寺、難無し。近村、閑田院、難無し、少し破損。東泉寺、難無し。正林寺、庫裏皆な潰れ。左馬介(さまのすけ)様御廟所(びょうしょ)、難無し。翌卯年、松ヶ谷君右衛門、屋敷替。
※ 左馬介(さまのすけ)➜ 新野親矩(にいのちかのり)。戦国時代の武将。今川氏の家臣。遠江国新野新城(舟ケ谷城)主。
※ 廟所(びょうしょ)➜ はかば。墓所。


森下喜代、こと、瞽女(ごぜ)なり。お美喜を按摩いたし居り、病人は、右の次第にて、漸(ようや)く引出し、その跡より独りにて這(は)い出し、垣根の打木(うつぎ)に取り付き、不思議に助かり、母もその跡より出で、これも聊(いささ)か怪我もなく、全く神仏の御蔭(おかげ)、有難く存じ奉り候。
※ 瞽女(ごぜ)➜ 三味線をひき歌をうたい、時には踊りもして渡世する盲目の女芸人。
※ 打木(うつぎ)➜ 落葉潅木で、5月から6月に房咲きの白花が咲く。幹が中空なので「空木」と呼び、心材で木釘を作った。別名、卯の花。「夏は来ぬ」の歌で有名。

(「安政元甲寅歳大地震記録」の解読つづく)

読書:「千吉の初恋 小料理のどか屋人情帖25」 倉阪鬼一郎 著
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