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ムサシも平気でウソをつく

(くつろぐムサシ)

昨日のムサシの散歩の時の話。

女房が道端をムサシと散歩していると、急にムサシが後ろで動かなくなりキャンキャンと悲痛な声を上げた。振り返るとムサシ、右後ろ足が溝ぶたの手を掛ける穴にはまり込んで動けなくなっていた。懸命に抜こうともがくが焦っていて抜けない。女房がお尻を支えて持ち上げると穴に引っ掛かったが、何とか抜けた。

地面に降ろすと、ムサシは腰が抜けたように動けなくなってしまった。散歩の続きを歩かせようとするが歩こうとしない。足を痛めたのかもしれない。仕方なくムサシを抱き上げて、とにかく家路についた。腕が疲れて一度降ろし、右足をさすってやろうとすると、怒って噛み付きそうになった。仕方なくまた抱き上げて、家路に急いだ。

少し歩いては手がしびれて、しゃがんで膝にムサシをのせて休み、また歩くという繰り返しで家の近くまで来て、「ムサシ、ブーブーで、お医者さんに行こうね」と話し掛けたところ、このブーブーに反応した。腕の中で暴れて降ろせという。降ろしてやると今までの痛そうな様子が嘘のように、車の前まで駆けて行った。ムサシは車に乗せてもらうのが大好きで、もう乗せてもらう気になっている。仕方がないので車にのせて一回りしてきてしまった。

「犬も平気でうそをつく」という本がある。どこかでその表題をちらりと見た気がする。ムサシも平気でウソをつくようだ。はじめは足が痛かったのだろうが、途中で直っていたことは確かである。それをラクチンだからと、そのまま抱かれて家まで帰ってしまった。ペットは人間と違って決して嘘をつかない。だから癒されるという飼主がいるが、それこそ嘘である。少なくともうちのムサシは飼主の顔をじっとうかがっていて、どうすれば自分にプラスになるか懸命に考えている。結果、ムサシも見事な嘘をつくことがある。

この話、昨夜と今夜、2回も女房から聞いた。ブログに書けということなのだろう。聞いたままではつまらないから、ちょっとアレンジして書き込んだ。
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故郷の兄貴が来た

(故郷から届いた鰈)

昨日、故郷の次兄が東京へ所用で行く途中に立ち寄り、一泊して今朝東京へ発って行った。

宅配便で次兄とほぼ同時に着いたのが、写真の日本海の鰈(かれい)である。水揚げした鰈を二日ぐらい干したもので、焼いて醤油を掛けて食べると絶品である。写真は少し焼き過ぎである。次兄の話では、今年は暖冬で、日本海も荒れる日が少ないので毎日出漁できるから、お正月こそ値段が高かったけれども、今は割り合い安く手に入るという。写真を撮ったのち、早速頂いた。故郷の味が口の中にぱっと広がった。

次兄はパソコンをXPに代えて、このブログも時々みてくれているようだ。よく書けていると一応誉めてくれた。次兄は校長だった7年間にわたって、毎日、B4版ワンシートの校長便りを全校生徒に配り、父兄にも読んでもらった経験を持っている。退職後そのエッセンスを一冊の本にまとめた。

このブログを始めるに当って、次兄のことが頭にあった。次兄に出来たんだから自分に出来ないはずはないと思った。次兄に追いつくには、まだあと六年間続けなければならない。

ところで、次兄から豆餅の作り方について、間違っているとの指摘があった。その書込みは12月30日のものである。「黒い粒々のあるものは黒豆で、搗き上がったお餅に軽く混ぜるように搗きこんでつくる。」と書いた。

豆餅の作り方を詳しく聞いたところ、もち米を蒸す前にもち米の上に良く洗った黒豆を載せて一緒に蒸すのだそうだ。蒸し終わったら臼に移して、普通に搗いていく。搗くと豆がつぶれてしまいそうだが、やわらかいもち米に混ざって、餅が打撃のクッションになるのだろう、皮がむけることはあっても砕けることはないという。なるほど!
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手嶋龍一氏講演会

(購入した小説「ウルトラ・ダラー」)

午後、掛川のホテルで開催された銀行主催の手嶋龍一氏の講演会に参加した。一度家に帰り出かけたところ、国1バイパスが事故渋滞で、会場に着いたときはすでに始まっていた。

外交ジャーナリストで作家の手嶋龍一氏は、NHKワシントン特派員で、冷戦終えんに立ち会っている。小説「ウルトラ・ダラー」など著書も多い。

講演のはじめに、「インテリジェンス」を日本語に直そうと思うが、いい言葉が見つからないという話から始まった。「インテリジェンス」は、広辞苑によれば「知能」とか「情報」とあるが、これでは伝わらない。集めた無数の情報を、分析して、抽出して、再確認して、本当に光る情報を一枚のペーパーにして、決断するトップに提供する、そういう情報を「インテリジェンス」と呼ぶ。インテリジェンスは作成した者は決して判断しない。責任はすべて判断したトップが取る。

氏は「インテリジェンス」の潰滅例と成功例として次のものを挙げる。潰滅例は、ホリエモンのガセメール事件で、取上げた民主党の議員は辞任にまで追い込まれてしまった。成功例としては、8月10日のイギリスの航空機テロ未遂事件である。イギリスで起きた地下鉄同時爆破事件後、危機感を持ったイギリス諜報機関は、ピックアップされた多数の関係者の電話やメールの盗聴を徹底的に繰り返し、データを分析した結果、世界を震撼させるテロ事件の可能性をブレア首相にインテリジェンスとして提出し、未然に防ぐことが出来た。

冷戦終結以降、ターニングポイントとして、9.11の同時多発テロと、9.17の小泉ピョンヤン訪問を上げる。9.11の同時多発テロ後の第一声として、ブッシュ大統領は「テロリストとテロ支援国家を区別しない」と言った。これはアメリカが終わりのない戦いに突入するということを意味している。ところが後にブッシュ大統領は、悪の枢軸と呼んだイラク、イラン、北朝鮮のうち、北朝鮮だけは話し合いで行うことを示した。このことにより、金正日を安心させ、北朝鮮問題の解決は遠退いてしまった。

そんな冷戦終えんの現場にジャーナリストとして立ち会った、手嶋氏ならではのエピソードが他にもいくつも出て来て、大変興味深く聞いた。

「インテリジェンス」を説明する中で、小説「ウルトラ・ダラー」の紹介があった。氏に敬意を表して、購入して帰った。
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第2東名金谷トンネル

(金谷トンネル内、掛川市と島田市の市境あたり)

第2東名金谷トンネル貫通記念ウォーキングが開催されるとのチラシが入っていて、女房と出掛けるつもりでいたが、女房が風邪でダウンし、一人で出掛ける。金谷側と掛川側のそれぞれの入口から入り、往復するコースだが、息子に掛川市倉真の金谷トンネル西側坑口まで送らせて、金谷までの片道だけにする。約2時間ほどの歩行になるだろうと思った。

西側トンネルは上り線である。掛川口は30mほど離れて下りのトンネルも口を開けている。係員によれば下りはすでに平成15年8月に出来ていて、現在は物置に使っているという。ずいぶん長くて大きな物置である。上り線は4527m、4667mの下り線より140m短い。チラシによると上りの貫通は今年の1月26日だという。つまり一昨日のことである。

金谷側からどんどん人が歩いてくる。掛川よりも金谷側から来る人の方が圧倒的に多いようだ。西側坑口から2kmほど入った地点が掛川市と島田市の市境である。そこから400mほどすすんだところが、一昨日貫通したばかりの貫通点であった。

貫通の爆破時のビデオを繰り返し見せていた。またそこで貫通時の岩のかけらを配っていた。「安産・受験合格のお守りにトンネル貫通石」と書かれていた。
    「神功皇后が戦略のために洞穴を掘り、勝利を収めた。その記念に貫通石を持ち帰り、お産に枕元に置いたところ安産が出来た。その伝説からトンネル貫通石が安産のお守りになった。」

残念ながら、さしあたって、我が家にはお産も受験も関係がない。

トンネルにはすでに下地のコンクリートは打たれていて、岩盤と一体化させるためにハリネズミにようにボルトが埋められている。

貫通点の手前と向うには、それぞれトンネルの穴大の台車が3機ずつ少し間隔を取って置かれている。コンクリート壁の仕上げを行っている台車である。この台車の長さは10mほどあり、それを足場にして、まず第一の「シート張り台車」で防水シートを張る。第二の「鉄筋台車」では、ハリネズミのように埋められたボルトにからめて、壁の鉄筋を組み込む。ここまではすべて手作業である。

第三の「アーチセントル」は、コンクリート壁を流し込む時の型枠で、固まるまで約4日掛かる。その間はそこにステイさせるわけで、4日で10m×2台、一年に90回出来れば1.8km進むことになる。つまり4.5kmなら、3年で出来てしまうわけになる。

久し振りに歩いたため、足に疲れを感じ、金谷口を出て終わりにした。

自宅へ帰ってから、つま恋の森林の湯へ一人で出かけた。
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今、考えている その1

(庭の三色すみれ)

60歳を過ぎて、いろんなことが急に見えてきたような気がする。峠を越えたら向こうの景色が眼下いっぱいに広がった。そして近頃、色々なことを考えるようになった。追々少しづつ書き込んで行こうと思う。今日はその1である。

自分の身体でありながら、自分の意志ではどうにもならないことがたくさんある。

今年も花粉症の季節になった。花粉症を30年病んでいる。この病気は花粉に対するアレルギーだという。アレルギーとは何か。体内の入ろうとする物質に身体が勝手に反応して、不必要に反応し暴走する。この2、3年はベニフウキのおかげで症状はほとんど出ないで済んでいるが、自分の意志で身体の暴走を止めることが出きるわけではない。だからベニフウキはこの季節手離すことは出来ない。

人間の自律神経というのは、一々人間が意識しなくても身体を自動調整してくれる。誠に便利な機能である。しかし時々この自律神経が異常な動きをする。これを自律神経失調症という。

かつて職場にパニック障害の人がいた。急な発汗、心臓が早く打ち、本人は死んでしまいそうな気分になり、救急車を呼ぶ。しかし病院に行くころには症状は収まってしまう。原因がわからない。

胃潰瘍はどうだろう。考えてみれば病気のほとんどは自分の意志とは別のところで起きている。どうして、自分の身体なのに自分の自由にならないのだろうか。

しかし、自分の身体だから自分でコントロール出来るはずだと考える人がいる。訓練すると人間出来ないことはないと考える。自分も最近訓練次第である程度コントロール出来るのかもしれないと思うようになった。

話は違うが、カードを使った手品で、最近はテレビカメラの前でカードマジックを行う。皆んなが見ている前でカードを入れ替えているはずだが、じっと見ていても解らない。かつては何か種があるのだろうと思っていたが、人の目に残らないほど早くカードが扱えれば、どんな不思議なことも出来てしまう。目を凝らしてみても、カードを入れ替えているのは見えないけれど、訓練すると人間の能力はそこまで上げられるのだと考えるようになった。だれか高速度カメラで撮ってくれれば解るはずだと思う。
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カラオケ店の火災

(先月実施した会社の防火訓練)

今月20日、宝塚市のカラオケ店で発生した火災で、八人が死傷した。その後次々に発覚した事実では、色々考えさせられた。
    1.まずこのカラオケ店は、事務所兼倉庫として建築許可を受けながら、変更届を出さずに開業していた。

    2.設立当時に、宝塚市職員が敷地の現地調査をしていたが、このカラオケ店に用途変更届を求めるなどの指導はしなかった。(この調査は不動産取得税や固定資産税の調査だったのだろう。)

    3.カラオケ店は消防署員の義父が所有していたことが判り、その署員を含めて多数の消防署員がそのカラオケ店を利用していたことが判明した。

    4.消防本部は、カラオケ店として営業している事実を把握しながら、組織の情報共有ができず、防災設備などを点検する立入調査を、開店後、一度も行っていなかったと発表した。


用途変更されていれば消防の立入調査が出来ていたし、消防署員が予防係にカラオケ店の情報を伝えていれば立入調査は出来た。

はじめから横の連絡の悪い人たちが集った訳はなく、職場にセクショナリズムがあって、ほかの職場に口出しすることを良しとしない雰囲気があり、その結果、横の連絡の悪い組織となっていたのであろう。

消防本部はこの組織のあり方にこそメスを入れるべきであって、ゆめゆめ署員を集めて横の連絡を良くするように訓示をしてことなれりと幕引きするなどということのないように願いたい。

ところで、義父がカラオケ店を所有していた消防署員は、「消防人としての目で見ておらず、危険性に気づかなかった」と話しているというが、消防署員としての使命やプライドが少しでもあったなら、署に話さないまでも、義父に非常ベルや避難誘導灯、非常口の設置などをアドバイスし、こんな大事故を防ぐことが出来たはずである。この署員は取り返しのつかない大きな親不孝をもしてしまった。
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ムサシ、“風太”をやる

(“風太”状態のムサシ)

久しぶりにムサシの話題である。ダイニングキッチンの改装がなってから、ムサシはダイニングキッチンまで上げてもらうことが増えた。ダイニングキッチンの裏に出るドアを開けると夜はムサシの寝床だから、ムサシも心得たもので、夜の餌を食べ終わると上げろとせがんで吠える。

上げてやると目的はおこぼれ頂戴で、テーブルに前足を掛けてテーブルの上を覗き、場合によってはペロペロと近くの食器を舐めようとして、すべての食器が遠避けられてしまう。その様を観てふと気付いた。これは“風太”が出来そうだ。

2005年の5月、後ろ足で直立するレッサーパンダが大ブレークした。千葉市動物公園の「風太」である。後ろ足で10~30秒立っておれるという。もっともレッサーパンダは足の構造が後ろ足で立っておれる構造になっていて、二足直立は珍しくなく、今までブレークしなかっただけであろう。この風太は実は日本平動物園(静岡)生まれだということは知らなかった。父親のフウフウ(風風)から1字をもらって風太と命名されたという。

荒川静香さんのトレードマークのイナバウワーがドイツの女性フィギアの選手から名前が取られたように、この二足直立の芸を“風太”と呼ぼう。

さてその“風太”であるが、ムサシの場合は餌で釣るしかない。やってみると跳びつく瞬間“風太”になる。そこでデジカメが登場である。女房の協力で餌で釣ろうとすると、こんなときだけお行儀の良いムサシは、お座りをして待ちの姿勢になる。いつものように飛びつけよ。鼻先に餌を持っていき何度か誘って、やっと撮った写真がこの写真である。跳びつく瞬間だから、地に足が着いていないのが不満であるが、仕方があるまい。写真のムサシの足をみると、犬の足は二本足で立つ構造にはなっていないことが良くわかる。お疲れさんムサシ!
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“菊石”と菊川

(菊石)

旧国道一号線を島田市金谷から西へ向かい、峠を越えて下ってきた所に、東海道筋で有名な「夜泣き石」の土産物店がある。その店に出る直前に、右側に「菊石」という標識が立っていた。いつも気になっていたが、先日右側に逸れる道に入ってみた。

すぐ左に、丸い四阿(あずまや)風の小さな屋根が葺かれた下に「菊石」はあった。東海道のお駕籠を模した地区の集会場が道路から見えるが、その裏手である。かつては「夜泣き石」の土産物店の裏手の階段を登った高台に、「夜泣き石」と並べて置かれていたが、元の場所に戻そうとの地元の要望で、平成15年8月に移転されたのだという。

地元の要望で移転した割には案内板もなく、小さな賽銭箱が一つ置かれているだけで、丁寧には扱われていないように思った。「菊石」といえば化石のアンモナイトのことをいう。しかしここの「菊石」は違う。ひび割れが菊の花びらを思わせるのでそういわれているのだろうが、どうしてこんな石が出来たのかは判っていないようだ。例えば巨大な草食恐竜が落とした脱糞が、天日に干されてひび割れ、さらにそのまま化石となって、現代に現われたものと勝手に想像してみた。ちょうどそんな大きさだ。草食恐竜の糞を見たわけではないが。

ネットで調べると、鎌倉時代、都から盗賊退治にきた貴族と白菊姫が恋に落ちて‥‥‥というお決まりの説話がこの菊石にも残っていた。白菊姫が身を投げた「桜が渕」から、網にかかって「菊石」が上がってきた。両親は石を寺に納め、白菊姫の供養をした。ところが姫は実は助かって、そのまま京に旅立っていたという。後日譚無しで、そこで説話が終わる。おいおいここで終わりかよ。とにかく「菊石」のいわれが判ったから、説話も終わりでいいか。

そばを流れる川を菊川といい、このすぐ下の地区を島田市菊川、さらに下流には菊川市がある。これらの「菊川」の地名の由来には諸説あるが、その一つに「菊石」にちなんだという説がある。

これらの情報はすべてネットから探し出した。地元の方に一言。こんな内容でいいから案内板を作りませんか。
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“グーグル革命の衝撃”

(エリック・シュミット最高経営責任者)

一昨日、NHKで「グーグル革命の衝撃」という番組を観た。観たと言ってもいつものようにパソコンに向かいながら背中で観たのであるが。観たときはこんなものかと意識の中を素通りしていった。グーグルには毎日お世話になっている。グーグル無しでは大変な不便を余儀なくされるであろう。そんな自分でありながら、後々考えて、少し背筋が寒くなるのを感じたので、今日はそのことを書こうと思う。

グーグルは世界のすべての情報を集めることが目的で設立された。いまや、病院探し、結婚相手の選択、子供の名前選びなど、それこそ揺りかごから墓場まで、すべての情報をグーグルから得ている。中には、就職もしないで、グーグルでお金を稼ぎ、グーグルにすべてを依存して暮らしている青年もあり、自分の過去の記憶すらグーグルの検索でたどるという。

人々がグーグルに検索するとその検索情報がすべて掌握され、その人の信条、趣味、性向などすべてが分析され、その人が必要とするアイテムをその人に提供できるようになる。一見、便利な機能に見えるが、背中に隙間風が通り抜けるような気分である。

イギリスの作家、ジョージ・オーウェルに「1984年」という小説がある。40年前、その近未来小説を読んだ記憶がある。ストーリーはほとんど覚えていないが、社会主義・全体主義が行き着くところ、どこにいても、日常生活までも、24時間双方向のテレビで監視・追跡されている社会の不気味さだけが印象に残っている。しかしそんな「1984年」でも人の心の中まで覗かれることはなかった。

しかし、グーグルは人間の心の領域にまで入り込んで来る。これが商品販売という民間領域に留まるならいいが、国家がグーグルの機能に気付くと、大変な恐怖国家が出来てしまう。現実にグーグルは、中国では政府の意向に沿って検索を規制している疑惑がある。番組では、中国で「天安門」で画像検索しても、現在の天安門の画像が出るだけで、「天安門事件」についての画像は全く検索されてこないことを見せていた。

このように便利なグーグルが両刃の刃であることを、グーグルに群がり集まった優秀な若い頭脳がどこまで理解しているかと思うと、鳥肌の立つ思いがある。
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宝井馬琴講演会

(宝井馬琴氏講演会)

午後、銀行の新春講演会で浜松に出かけた。講師は講談の宝井馬琴氏、どんな話が出るのか楽しみであった。会場では前の方の席に着いた。プロフィールによると宝井馬琴氏は六代目で、清水出身だとあった。演題は「経営に生かす戦国武将の知恵」。

お正月だから、よもやメモなどを取って朝礼などに話そうなどと思わないように、気楽に聞いて欲しいと前置きして始めた。メモを取ろうと構えていた自分もボールペンをポケットにしまう。

NHKの大河ドラマのことから話が始まった。NHKから聞いてきた話として、視聴率の取れるのは忠臣蔵と豊臣秀吉で、逆に取れないのは平安から室町を扱ったものと幕末から明治のものだという。徳川家康も人気がない。

今年は「風林火山」、武田信玄の参謀の山本幹助が主人公だが、武田信玄の言葉に、常に勝ちつづけるためには軍勝は五分をもって上となし、七分を中、十分を下とする。五分の勝ちは次の戦いへの「励み」となり、七分の勝ちは「怠り」を生じ、十分の勝ちは「驕り」を生じる。事実信玄は数々の戦いを行ったが、負けたことがなかった。しかし、勝っても相手を徹底的に打ちのめすこともしなかった。

三方ヶ原の戦いでも、信玄は、敗走して浜松城に逃げ込んだ徳川家康を攻めることなく、上洛を目指して多米峠から新城へ抜けて、途中病に倒れることになる。(講談では鉄砲傷で亡くなる)

その信玄は「人は少し鈍なるものを使う」と言っている。切れ者に過ぎる者は人材としては好まなかった。

かって日本でもっとも高級な散髪屋の主人某は、東大出で大蔵官僚の親戚の青年の結婚式で挨拶をして、散髪屋で、世界でもっとも使われている剃刀はゾーリンゲンの剃刀である。人気の理由は切れすぎないからだという。切れすぎると髭だけでなく皮膚まで傷つけてしまう。人間も同じだと青年を諌める挨拶をした。

つまり宝井馬琴氏が言いたかったのは腹八分目が理想であると言いたかったのであろう。「腹八分目」というのは明治生まれの死んだ親父の口癖だったのを思い出した。講演会後の立食パーティでは腹八分目にして帰路に着いた。
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